第221話 夏みかんの効果について
舞原の監査の次ぐ日の朝、小雨で少し時化っていたが、のじゃロリ十八番の鱗粉を少し分けてもらったので、菌糸系ファージで丁寧に汚い水を弾きつつ、日課の浜辺トレーニングを開始する。
トレーニングと言っても、今日は立っているだけだ。
土曜で休みの日なのでゆっくり時間を使える。
早起きしてしまうのは習慣だ。
毎日筋力トレーニングしても身体が直ぐ壊れるだけで良いことは無い。
多分成長期な俺は特に気を付けなければ、骨格に歪みが出て治らなくなる。
今日は、偏った力みを調整する日。
周囲にコンマミリ単位でグリッドを表示させ、意識と無意識を交互に使って骨と筋肉をゆっくりと解していく。
「またやってるの?それ」
「んー」
初期の熊谷時代からずっとやっているが、今までこれについて聞かないので、特に説明もしていない。
つつみちゃんは筋トレ以上にヨガとか興味無いし、教えても聞き流されそうだ。身体の柔らかいつつみちゃんも、魅力的だと思うのだが。
「あの香り、浜茄子?何の意味があったの?」
ベースを抱えたまま浜辺に座り込んで、ボーっと俺の向こうの水平線を見ていたので、どうでもいい話題で話しかけてみた。
無言で睨まれた。
やらかしたのか?
舞原が能面になった意味をもうちょい考えるべきだったか?
軽々しく謝ったり、コロッと話を変えたりすると悪化する。
慎重に話を進めねば。
下手な言い訳もNG。
少し時間を置こう。
斜めってる砂浜を重力に対して水平に均し、ファージで固く固定した足元の砂を足の裏の皮膚で感じる。
ビンガムシューズのソールもあえて固くしてある。
指の骨の位置を左右均等に調整しながら、足の甲のアーチへの加重も均等にかけていく。
俺はどうも、右の足の人差し指が一センチほど短く、力が入りにくいので、普通に立つと左右均等に加重されない。
結果、右膝に負担がかかり、怪我しやすい。
足の指で地面をしっかり噛み、且つ余計な力を限界まで抜く。関節毎に、下から順番に整える。
腰まで揃えた時、つつみちゃんが口を開いた。
「いつ見ても綺麗だね」
荒れ模様の海は汚い灰色だ。
水平線は空と混ざり、どんよりと暗い空は雨粒を反射し始めて次第に明るく輝いてきた。
綺麗っちゃ綺麗かな。
どんな海も、俺は綺麗だと思う。
潮風すら満足に吸い込めないこんなクソみたいな遠浅でも。底が視えなければ波しか語らない。
雲が割れてないから日が差さなくて、水の中が全く見通せないから丁度良い。
小雨も霧雨に変わってきた。
「だな」
俺やつつみちゃんにかざらずにポロポロと零れ落ちる雨粒は、昨日舞原に貰った鱗粉を反射して虹色に光っている。
「違うよ」
「うん?」
俺の背中に片手を向け、指先を揃え祈るように目の前に掲げる。
「筋肉のエネルギー使用量がミクロン単位でシンメトリー。機械みたい」
おお!凄いな。分かったのか。
てか、身体の中まで覗かれてたんですね。
そうか、確かに。運動量も均一になるんだな。
「ミクロンは言い過ぎ。そこまで拘りたいけどな。手はなんとかなるんだが、顔は難しいんだよ」
顔はもう無理なので、投げている。
表情筋はどうやっても左右均等にならない。
「よこやまクン両利きだもんね」
左と右で、得意な獲物は違うけどな。
銃も刃物も、右利きじゃないと使えない物が大半だし。
「片方だけ口角上がるの、割と好きだよ」
思わぬ告白に真顔で見たらちぢこまってしまったので、ニヤリと笑っておいた。
鼻で笑われた。
機嫌は直ったらしく、シールドを繋がずに弦を爪弾き始めた。
パチンパチンと震える弦のリズムに合わせて、さっきつつみちゃんに言われた事を参考に、リンパと血液も意識し始める。
脚までは左右ほぼほぼ均等に完成してるな。少しドロッとしてる。水分が足りてない。コーヒーでも飲みたいが、調整は最後までやってしまいたいな。
「お守りの匂いだよ」
話が飛んでなんだか一瞬分からなかった。
!
「なるほど」
腑に落ちた。
ルルルのくれた遺伝子鍵には匂いが付いていて、それが浜茄子の匂いが混ざっているんだな。
胸元から出したお守りは、鼻を近づけても何の匂いも感じられないが、ファージで抽出をかけると確かにニオイ分子が飛散している。
少なすぎてファージで検出かける気にもならない量だ。
初見、舞原はこれで気付いたのか。
魔法でも何でもなかった。
つつみちゃんは納得顔の俺を見て、苦笑いしている。
「人によって常在菌とか皮脂とか、汗のミネラルとかも違うからね。多分、ナツメコさんはその辺も計算してよこやまクン用に調香したんじゃないかな?あいつは目敏くそこに気付いたんだね」
大魔法使いをあいつ呼ばわりとか、どれだけ嫌われてるんだ。
てか、俺にくれる予定で用意してたって事?
俺が助けに行くのを知ってた?なんて事はないよな。
ダメになるから燃料を長時間入れっぱなしに出来ないアシストスーツが満タンで控えてたしなあ。
あり得そうで怖い。
「よくこんなので気付いたな。ファージ使った形跡は無かったけど」
つつみちゃんは口を尖らせ、面白くなさそうに笑った。
「女はね。匂いにビンカンなんだよ。他の女のニオイは特にね」
深く突っ込まないでおこう。
戻り始めた機嫌がまた急降下してしまう。
「よこやまクンが居なくなった後、ナツメコさんから話を聞いて、当時は余計な事を、と思ったけど。しっかりお守りになったし。結果オーライかな」
それな。
「でも、これの所為でルルルの存在がバレたんだし。ずっと向こうでヒヤヒヤしてたよ」
「ダイジョブ。ナツメコさんは人類が滅びても飄飄と生き残るよ」
ゴキブリじゃないんだから。
「そういや。このベースの材質もナツメなんだ。わたしのデビュー記念にくれたの」
「名前に肖って?匂いは浜茄子が好きなのに?」
「んー」
何小節か高速で指を掻き鳴らし、ぱたりと手の平で止めてから慎重に言葉を並べた。
「名前負けするからナツメって字はあまり好きじゃないんだって。でも自分はナツメだし、一緒にいるって言いたかったんじゃないかな?多分だけど」
「なんとなく分かった」
ルルルから夏みかんの香りがしたのは、これの濃い香りだったのかな。
薄めれば確かに、浜茄子の香りだ。
「なんでさ?ナツメコさんの事るるるって言うの?」
クスクス笑っている。
「だって、ルが多いし」
「ラ行はナチュラリストの歴史の汚点って聞いたでしょ?」
安易なラ行に塗れた昔のジャパニーズファンタジーなネーミングセンス本気にしちゃったんだっけか?
「聞いたような気もするな」
じゃあ。
「棗子さん」
すんと真顔になった。
なんか怖いです。
「あ。やっぱるるるでいいや」
「はい」
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