第220話 決裂
「あの千人規模で来た襲撃の内訳出ましたよ」
砲撃された次の日、隣のキャンプから仲良く出社してきた可美村と井上がびっくりなデータを持ってきた。
「熊谷市民連盟の下請けが六百人。それに棚ボタ狙いで四勢力三百人、残り百人は小規模の個人勢力とか依頼受けた個人事業主だったみたいですね」
何だよ熊谷市民連盟って。
「何それ?」
ここは都市圏から遮断されてるから地味に世事に疎い。
つつみちゃんが契約してるニュースサイトのオフライン記事を毎朝見せてもらうのが俺の今のソース元だ。半年くらいしか離れてなかったのに浦島太郎、知らない情報が山のように出てくる。
「年始に熊谷が籠原とかと一緒に都市圏から独立したの。言ってなかったっけ?」
「初耳です」
井上がざっくりデータを送ってくれた。ついでに説明も頂く。
「元々、熊谷と都市圏は色々ありましたけど、熊谷防衛戦の時の費用、補助金が一切出なかったんですよ。スリーパー関連で都市圏に税金かなり持ってかれててその仕打ちですからね」
あれ?
「スリーパー関連事業って減税されるんじゃなかったのか?」
「事業主は減税されます。その分の費用負担は自治体ですよ」
それはキレるわ。
「州政府が民事不介入の立場を取ったので、熊谷と都市圏の仲は最悪です。税制の優遇を大々的に謳ってて、今熊谷は空前の好景気ですから余計煙たいのでしょう」
井上は他人事だな。
「大宮としては面白くないんじゃないのか?」
「ああ。地所本社は大宮ですが、グループには全く関係無い話ですね」
これだから大企業は。
「今の熊谷は誘致に手段を問わない感じなので、キックバック目当ての盗賊が人さらいしまくってるんです。今回の襲撃、熊谷の下請けがボロボロ出てきて、証拠もあるのでまた荒れそうです」
貝塚に喧嘩売ったら更地にされても文句は言えないのに。
熊谷大丈夫か?
行田と組んでサワグチにやった事はクソだが、欲望に純粋な熊谷は割りと共感できる。
だからって、ナイフチラつかせて”儲かるからうちで働け”と脅しにきたら、一昨日来やがれとなるけどな。
「海から砲撃されたのは失敗した報復なのか?」
「ですね。真上に着弾したら笑い事じゃなかったので、佐藤が熊谷市役所に今行って話詰めてます」
佐藤くん。あの貝塚法務部の猫ちゃんか。
有能だし、口も頭も回る。貝塚の看板も背負ってるし、三味線になって返ってくるなんて事はないだろう。
「つつみちゃん。そういや、三十二番君元気なの?」
半分寝ぼけていたのか、考えていたのか、言いたくなかったのか、他の事をやっていたのか、その全部かな。珍しく反応が数テンポ遅れた後、冷め始めたフルーツティを啜ってから頷いた。
「あの人は相変わらずだよ。仕事熱心でネチネチしてるから皆に嫌われてる」
つつみちゃんも嫌いみたいだな。
仕事の出来る出来ないに人格は関係無い。しっかり仕事こなしてくれるから俺は割と好きだったけど、ネチネチしてんのか。なんとなく想像はつく。
流れでスミレさんの事を聞きたいが、可美村たちがいるとこでは突っ込んだ話は聞けないし、会社も住処も貝塚の手が入っているので盗聴の可能性が捨てきれず、二人だけのときであっても話題にしずらい。つつみちゃんも意図的に避けているので、未だ聞けず仕舞いだ。
いつか話してくれるだろう事を期待しておく。
「代表。そろそろ時間ですよ」
可美村係長が窓から沖を見てつつみちゃんに声をかけた。
「待って、あと五分で防衛のセットアップ終わる」
さて。俺も準備しよう。
接待しなきゃ。
現在の九十九里浜は海水浴とは無縁の地だ。
景色は良いので別荘はちらほら建っているし、海岸線沿いの県道三十号にはモーテルも存在する。
みなかみ辺りの緩衝地帯と違いファージ管理されてる区域に当てはまるが、
治安が悪すぎて機能してないし、ナチュラリストも普通に徘徊してるし、ビオトープからの供給も無い地域だし、何より、海洋汚染が危険すぎる。
遠浅の海面下はユムシウナギの生息域で、それはもう絨毯みたく絡み合い敷き詰められている。
ユムシウナギは俗称で、浜辺に適応したショゴスの一種らしいが、その起源は定かではない。
見た目も色も同じで最大四メートルくらいの長いユムシが絡まりながら海底一面にはらわたみたいにモゾモゾしているのは、伊勢崎の黒い毒ウナギより見た目が気持ち悪い。
スカベンジャーなので動いてれば襲われないらしいけど、底一面アレがいる上で泳ぎたくない。それより問題は、寄生虫を多種大量に持っていて、ヒトに経皮や経口感染するタイプも何種類か持っている事だ。泳がない限り感染報告は無いけど、波しぶきすら触れたくないよな。消化器系以外に入り込まれたら処理が非常に面倒だ。
目に見えないサイズの乾燥した寄生虫の卵が空気中に浮遊してて、屋外活動は気密とファージガードがっつりしないと安心できない。
こんな浜辺でも、アマゾンのジャングルに比べたらめっちゃ綺麗で清潔なんだろうなあ。
昔、探検家がアマゾンの奥地を探検した記事を読んだ事があるが、未発見の寄生虫だの謎のニクバエだの真菌だの、虫だらけで帰ってきて治療が終るまで入国許可下りなかったという。
それに比べたら、ここで集る寄生虫はネタが全部割れてるからまだマシだ。
地域的に危険だから、襲撃も少ないだろうと踏んでいた。
甘かった。
今の東北は落ち着いているし、炭田とか舞原の所に居た方がまだ安全、まである。
つつみちゃんが大宮に帰ってくれというオネガイをオッケーしないのは、スリーパーを東北に戻したくないからだろうな。
これで俺がスリーパーだってバレたらどうなってしまうんだ?
襲われるのも仕事の内となると、恐怖感も摩耗してきて、銃撃されても”またか”程度になる。
これは危険だ。
油断と慢心は、即。死。
いくら言ってもつつみちゃんが帰ろうとしないので、気が抜けない毎日だ。このままだとストレスで今年中にハゲ散らかすかもしれん。
因みに、この辺りの脅し文句は”水かけるぞ”だそうだ。
マジ怖い。
職場の女性同士がピリピリしながら話し合ってると、爆発しないでくれと不安になってくる。
そして目を光らせておかないと、それは現実になり、仕事が回らなくなる。
押さえつけるのではなく、適度なガス抜きが必要だ。
どうやって抜くのかって?
自分が人柱になればいい。
炭田はその点、楽だった。
当人同士で殴り合って拳で解決。翌朝にはスッキリだ。
ネチネチ恨んで次の日背中から刺す奴も一人も居ない。そういう文化の地域だった。
つつみちゃんが可美村を毛嫌いしてるのは、青森旅行から薄々感じていたが、再会以降全く隠さなくなった。
原因は分かっている。
可美村係長が俺に向けるあからさまな好意だろう。
可美村に職場が険悪な雰囲気になるから止めてくれと言って、分かりましたと言ったのに、全く分かっていない。
何なんだ?貝塚の指示か?
井上に相談したら”大変ですねぇ”との事。
完全に他人事。
社会人の鑑だな。
流石に、社外の人が居る時は二人の間に諍いは無いのが救いか。
九十九里は遠浅の為、大きい船は入ってこれない。
ホバークラフトも水上機も、水煙がもりもり巻き上がるので推奨されていない。
満潮時、沖に向けて二百メートルまで延ばした浮き桟橋にゆっくりと手漕ぎで近づいてくる屋形船は喫水線が五十センチを切る型で、引き潮には一旦戻るらしい。
一面ユムシウナギの群れの中歩きたくないもんな。
今日は舞原が監査に来る。
別にやましい事はやってないし、まだ立ち上げて間もない、経営アドバイス的な意味もあるのだろう。代表は経営センスの塊なつつみちゃんだし、法務関係は井上と可美村係長がサポートしているので不安は無い。大口取引先を全社を挙げて歓待するという建前。中身は、舞原がつつみちゃんに会いに来ただけだろう。
ウルフェンは東北ではカルト的な人気を持っていて、舞原もどうせ一曲オネガイする魂胆かな。
桟橋に一歩踏み出した壺頭の肩に乗る舞原は、珍しく不機嫌さを隠さなかった。
「妙な場所を選んだのう」
まぁ確かに。
言いたい事は分かる。
でも、自分で場所決めておいてその言い草は無いと思う。
これだから偉い人は。
「ここが一番安全でアクセスが早いんだろ」
仕方ないので他人事につき合う。
挨拶は向こうに着いてからかな?移動しながら話し始めた。
「炭田でもよかんべ」
それは俺も思った。
「あっちは治安が安定しないんじゃないのか?道も、桐生から北に延ばすのを都市圏が渋ったって聞いたぞ」
「どんだけわっしらが怖いんじゃ。貝塚を見習って欲しいの」
そりゃな。
警備と手下を引き連れ、桟橋から砂浜、コンテナの隙間を練り歩き、会社のコテージ入口で可美村と井上が迎える。
お堅いスーツでキメるつつみちゃんは応接ソファの前でスタンバってもらってた。
入った途端、ふわりとみずみずしさが香る。
つつみちゃん、気合入れて香水付けたのか?
固かった舞原の表情は笑顔に変わる。
良い方の笑顔ではない。
凄みを感じる能面の笑顔だ。
匂いの所為だろうが、俺は何も聞いてない。
何だろう?何か意味があったのか?
「ようこそお越し下さいました」
つつみちゃんはすまし顔で、壺頭から降りた舞原に、客用ソファではなく上座の一人用を勧める。
いつもの眠そうな無表情だが、何をするつもりなんだ?
貝塚組二人は、お茶を出して挨拶した後、舞原の連れてきた事務方を案内して、監査の対応にオフィスへ出て行ってしまった。
応接室には、舞原、つつみちゃん、俺、あと舞原のセキュリティが二名。
取り留めのない世間話の応酬から、ピリピリとした雰囲気を感じる。
今の環境に比べたら、炭田で金持の下についてる時の方が平和だったかもしれん。
あれはあれで、頭を撃ち抜かれたら即終了な仕事だったし、ストレスもあった。でも、この緊張で胃が気持ち悪くなる不快さは、戦場の緊張とは質が違う。
苦手だ。
本当に取り留めのない話だったので、こっそりファージ合戦でもやってるのかと肺の中で触覚を起動したら、女ボス二人からなんだこいつみたいな目で見られて凹んだ。
一頻り俺の自己嫌悪を愉しんだ二人は、示し合わせたかのように本題に入る。
「処で、うちの当主は息災かいの?」
手持無沙汰で口元に寄せていたティーカップの紅茶を吹き飛ばしそうになった。危なかった。
「当主?あなたが代行だったのでは?」
そうか。そうだな。
その話が今まで出なかったのが不思議だ。
俺の事があった手前、控えてたのか?な訳無いか。
「先日、新しく委員会が発足しての。わっしが理事の内一人になったんじゃが」
「それはおめでとう御座います」
「ありがとう。話しに青森の覚書が出ての。通信機器の記録に妙なログが残っとったんじゃ」
俺は、石。俺は、動かない。
禅の精神だ。澄み渡る山奥の泉の如く。
「あそこは昔から、七不思議の一つですものね。妙なログくらい日常茶飯事でしょう」
つつみちゃん偉い。”ちゃはんじ”って言わずに我慢出来たな。
小さく拳を握りしめた俺を、二人は無表情で暫く観察してきた。
そもそも。つつみちゃん。青森が七不思議って俺初耳なんだけど。
俺はまた石の気持ちになり、目を伏せる。
「それがの。わっしのよく知る妙での」
とぼけ顔の舞原は何を考えているのか読めない。
「うちで長年研究されとった疑似量子通信が確認されたんじゃ」
クァドラテックスフィアの通信は未来予測精度が桁違いだ。
通信が始まった時には受信が終わっている事が多い。
あの時は刹那の時間が大切な緊急時で、普通に大盤振る舞いしちゃったからなあ。
「時差なのでは?東西に距離が開く通信ではよくあるでしょう?」
とぼけるつつみちゃんに最もげに頷くが、全く納得していない顔だ。
そして舞原は何故か俺を見る。
見ないで欲しい。
大丈夫だ、つつみちゃん、俺はあの作戦に関して、何も舞原に漏らしていない。
本当なんだ、信じてくれ。
「確かに距離も近かったんで、数値的には誤差とも言い切れんがの」
つつみちゃんは何も言わず、肩を竦めて紅茶を啜った。
「この香りは懐かしいの」
紅茶から顔を離した舞原は目を瞑り軽く息を吸い込む。
「わっしのよく知る香りに似てとる」
「でしょうね」
その返事から、何か仕掛け始めたつつみちゃんに気付き、舞原は頬杖をつき推し量っている。
「返してくれんかの。都市圏では手に余ろう?」
「浜茄子は沢山生えています。お気に召したならドライフラワーにした物があるので、ポプリにして差し上げますよ」
「政子は種子島に早く取り掛かりたいと言っとったの」
これは流石に分かった。
ルルルを返してほしくて舞原が起動エレベーターの着工を盾に脅しをかけてる。
「舞原。何で戻ってきて欲しいんだ?」
軌道エレベーターと聞いたら、俺も黙ってられない。
水を差されて怒るかと思ったが、すんなり返ってきた。
「都市圏で脳缶にでもされたら、人類の損失じゃ」
それはそうだが。
もういいや。言ってしまおう。
「それなりに大切にされてたぞ?裁量権も有った。不自由には見えなかったな」
脚以外。
「つつみ。ルルルが都市圏で人権侵害される恐れはあるのか?」
俺に本名を呼ばれてドキリとしたつつみちゃんは、直ぐ眠そうな目に戻る。
同社だからな。さん付けもちゃん付けもしないぞ。
「よこやまクン。今良い所なんだから。出来るだけ好条件に引っ張らないと駄目でしょ?」
ニヤニヤしている舞原を見て、溜息をつく。
正直、ルルルのプライベートな遺伝子鍵を俺が持っているのは、御三家は既にご存じだ。今更隠して交渉する事なんて無い。
「正直、東北で身の安全が保障されるとは思ってないよ」
「時代は変わった。今は懸念は無い」
「コロコロ変わる時代なら、また変わるかもね」
非コヒーレントポイント収束の映像を以前見せられたが、アレを見た後だと、舞原とルルルが和解してる絵面が思い浮かばない。
いつもニコニコ笑ってるルルルにあの表情をさせた舞原が赦される日なんて来るだろうか?
あの顔を思い出すだけで胸が痛くなる。
舞原はアレを俺に見せてどういう気持ちだったのだろう?
見せた事を後悔しているのか?
「わたしがあなただったら、直前まで笑顔で交渉して、会った途端殺す」
笑顔を固めた舞原は、ティーカップの縁を軽く睨んだ。
「技術協力は出来るでしょうね。でも、身柄は絶対に渡せない」
うーん。
のじゃロリは笑顔で部下殴るからな。
最近はあまり見なくなったけど。
あそこでは四つ耳と山田も酷い目に遭っていたし、知ってか知らずか、舞原がそれを放置していた事実は変わらない。
理由も理由だし、そうなった経緯も分からなくはない。赤の他人な俺にはどうにも判断しづらい。
人は急には変われない。
悪鬼羅刹が数十年で仏になる事なんて無い。
逆もまた然りだ。悪魔だ鬼だと、戦争責任で言いたい放題歴史を捏造されまくった日本人な俺は身に染みている。培った歴史は良くも悪くもそう簡単には変わらないんだ。
いつか消えるだろうと、言われて耐え続けて得たモノは、捏造された真実に扇動された世界基準だった。
グローバルスタンダードの自己都合による解釈と苦い経験から、日本人が発信の重要性を再認識するのには長い年月を要した。
世界基準とは、盲目的な批准では無く積極的に口を出すことで参加者全員で作っていく物なんだ。
仮に舞原が良い奴だったとして、その良い判断がルルルを傷付けない保障は何処にもない。
だったら、現状維持の方がルルルの為だよな。
俺の時みたいに、都市圏の法が牙を向かない限り。
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