第198話 蒸れた枕

 あれから二時間、俺は未だにステップを踏んでいる。

 靴音が出ないからと、装甲車の上にパフォーマンスフィールドを変え、ガツンガツンと順番に、時には一緒に、兎とステップを踏み合う。


 ソフィアのリズムに併せて適当に踏んでいたタップを兎も覚えて、アレンジを加えて俺に挑戦してくる。

 こいつは筋肉も何もない只の映像だから、電源が切れるまで疲れずに動き続けられるが、こっちは生身だ。

 アシストスーツの補助があっても、いい加減疲れてきた。


 ロリと牛追いは朝食につまんでいる鮎の塩焼きのワタが生臭いから消毒せねばとかなんとかふざけた理由で、串を片手に日本酒をチビチビ啜りながら、俺らを肴に朝から呑気に酒盛りしてやがる。

 カウボーイはなんか兎に声援と合いの手送ってるし、対抗してロリの兵士たちが中指と薬指を曲げて俺を囃している。


 既に曲はフラメンコでもなんでもなく、熊手が持っていた篠笛のテクノっぽいゆっくりとしたリズムの繰り返しに合わせて兎と一緒に細かく刻み込んでいく。


 いい加減止めたいのだが、この兎、ずっと上から目線のドヤ顔で、負かされたみたいでムカつくんだよな。

 俺らから学習したのか。違和感バリバリにニヤつく表情作ってきて、それが更にムカつき度を煽る。

 確実に学習方法間違ってんだろ。


 増やすか。


”舞原。スフィアと鱗粉貸して”


“何じゃ?”


”増やす”


「おお!やれやれ!」


 リクライニングチェアから立ち上がり、手を叩いて悦んでいる。


 ふん。


 こいつの、この断層帯の電力は有限だ。

 残量は見えている。

 大量消費させてしまえばこの宴も終らざるを得ない。

 そこでお前の負けだ。


 仕掛けたいので、初めは一人表示でいく。


 鱗粉とスフィアを使い、俺の分身を表示させる。

 結構チラついてしまうので戸惑っていたら、ロリが補助してくれた。

 映像ではなく、自分が二人いるみたいだ。


 俺が横を見ると、俺の偽物のそいつも向こうを見て、図らずも並んで踊ってる感が出てる。


 かかったな。


 秒差で兎も分身を出した。

 やはり。消費電力は桁違いだ。

 こっちのスフィアは、まだ余裕。

 ゲームと違って、現実ではタンパク質の運動量には限界値があるんだ。このままだと俺の筋肉がぶっ壊れて横紋筋融解症になっちまう。枝伸ばしても電力融通はしてやらないからな。


 三人、四人、五人で十分か。


 五対五でせめぎ合うと、兵士たちから歓声が上がった。こら。熊手お前拳振り上げてないで吹けよ。あ。下唇が腫れている。

 お前も疲れたのか。


 のじゃロリにせっ突かれて、泣きそうな顔でまた吹き始めた。

 安心しろ、こいつの残り電力はゴリゴリ減っていく。エンドロールはもう直ぐだ。


 段々薄くなり、音も掠れていき、名残惜しそうに少し動きを止めた兎は、丁寧なカーテシーをキめて木漏れ日に消えていった。


「ゲハァ!ハァ!ハァ!ハァ」


 疲れた。全身が重く、動けない。

 フルマラソン並みに体力消費したんじゃないか?

 二時間ぶっ続けだもんな。アシストスーツ無かったら死んでるわ。


 回復の為にファージ誘導かけたいが、こいつらの前で、ロリはもうバレてるから兎も角、カウボーイの前でやる訳にはいかない。


「おうおう!介抱したれ。立役者じゃ!」


 ロリの部下が何人か駆け寄ってくる。


 もうだめ、動けない。

 激しく呼吸を繰り返すだけの機械になっている。


「温かい所で揉んでやれ、肉離れや炎症が出とる。破損状況を教えてくんろ」


 公主様はカウボーイの目からは隠してくれるみたいだな。


「なんだ!一杯奢らせてくれよ!秘蔵のを出すぞ?なあ山田殿!?」


 五月蝿せぇな。骨まで響く。こいつほんとクソ。


「休ませる。わっしの客じゃ。文句あるんかいの?」


「つまらない女だね。そんなだからぐぶっ!?」


 ロリの上げた指に反応してメイドが三千院にぬっと近づくと、天高く振りかぶられた足刀が神速で降り下ろされる。その神聖で崇高な踵落としは、だらけて座ってるカウボーイの腹に直撃し、口の中の魚を全て吹き出させた。袴の隙間から一瞬だけ見えたローファーの上は生足だった。


 このクソオヤジ、汚いな。だが、お前のお陰で肌色の美脚が拝めた。

 とても眼福だ。グッジョブカウボーイ。


 鳩尾に入ったのだろう。呼吸困難になり真っ赤な顔で泣きそうになりながらメイドを見つめるカウボーイに、メアリはピシりと裾を正して、満足げに深く頭を下げた。

 何か言おうとした哀れなオヤジは、周囲から向けられる銃口に気付き唇をかむ。


 運ばれた装甲車の中で丁寧に身体を拭かれた後、熊手女がマッサージがてら触診をしている。

 誘導が使えれば一瞬で終るんだが。


「指の再生が始まってしまいます。サイボーグ化した部分を切除するまで、補修材は我慢してください」


 会ってからずっと、きつかった視線は目じりを下げ、朦朧とした俺を優しく見つめている気がする。


 重い。

 怠い。

 朝から疲れた。


 目を瞑り、薄れゆく意識の中で、熊手女が何か囁いたのが聞こえたが、理解する気力も残っていなかった。




 心地よい揺れに目を覚ます。

 頭を載せるゴワゴワとした触りの布の下に弾力のある肉を感じた。


「お?」


 起き上がろうとしたら胸を押さえられた。

 熊手女だ。


「ん?起きたんか。じきに着く。そのまま寝とれ」


 装甲車の中、熊手女の膝枕で爆睡こいてたらしい。

 兵装のアシストスーツは脱いだのか。

 フィールドジャケット越しに香る女の蒸れた匂いが生々しいくて、公衆の面前なのに妙な気分になる。

 最近溜まってるな。


「あいつは?」


「どいつじゃ?」


「あのカウボーイ」


 のじゃロリは鼻を鳴らす。


「牛なんぞ、そんな大層な。あ奴が追っとるのは兎の尻じゃ」


 確かに。あの兎、良いケツだったけどさ。


「もうおらん。法人契約が三社合同になりそうでの、行政書士とオフラインしたいから本家に帰るんじゃと」


 なるほど。朗報だ。

 これで気兼ねなく・・・、もないが体内のファージ誘導はある程度自由に使える。ロリがチラッと見たが、知らん。全身激痛なんだ。体内は好きに使わせてもらう。

 ん?


「三社って?」


「あのバカの、三千院フィナンシャルグループと、舞原商事と、九十九物流じゃ」


 俺のダミー会社。

 面倒臭い。スリーパーがエルフと合弁なんてトラブルのにおいしかしない。金持に投げよう。

 俺は熊手女の雌の匂いで落ち着くんだ。


 車列が止まった。


「これ。盛ってないで。迎えに行ってこう。昼過ぎには初雪が降り始める。あの装備で炭田まで徒歩は億劫じゃろ。わっしらでは逃げるでの」


「っ!?」


 座った姿勢のまま固まってしまい、一瞬で茹でダコになった熊手女は、股をキュッと閉じて周囲の兵士にじっとり視姦されている。


 恨みがましい熊手女の視線をスルーし、激痛に渋る全身を無理矢理動かす。

 人使いの荒いロリだ。


 装甲車の上から顔を出して、辺りを見回すと、打たれてしまったビーコンを剥がすべく、あの二人が必死に距離を取っている。

 濃霧地帯に向かってるな。間に合うか?


 はあ。全身ガクガクだ。ロリはこれを見越していたのか、アシストスーツのバッテリーもアトムスーツのエアーも満タンだった。長時間鬼ごっこは御免被る、遠慮なく使おう。

 ビンガムも良い仕事している。これは走りやすい。確かに、耳元で唸る空気は凍っていて肌を刺す。雪雲はまだ北の空だけだが、あっという間にこっちまで来るのだろう。


 俺が追っていくのに気付いて、山向こうで一瞬速度を上げたが、尾根を越えて視認出来る位置まで近づくと誰だか分かったのか、二人は小さな沢の前で歩みを止めた。


 そのまま近づいていくと、青柳が岩の隙間に生えた杉の木に寄りかかって苦虫を噛み潰している。荒井は半身で銃口を下に向け、周囲のファージ誘導を細かく計測していた。


「これじゃ笑いものじゃねぇかよ」


 不貞腐れている。


「昼から雪らしい。乗っていけとさ」


 二人して顔を見合わせている。


「洗脳された?」


 荒井が小首を傾げた。


「されてねーよ!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る