第189話 片品川断層帯

 次の日、テロの殲滅も地雷や不発弾処理も完了したとの事で、靴のモニタリングも兼ねて、熊手女の要望を叶える事になった。

 舞原の別荘地から南東に少し山を進むと、山間を流れる片品川がある。

 その東からは日光全域がショゴス地帯で、コントローラーでも気を抜くと一瞬で餌になる。

 川沿いには活断層が有り、百年程前の大地震で地面が大きく割れていた。

 熊谷の星川が割れたのと同時期の地震だ。

 当時の群発地震は世界の終わりと結構騒がれたが、何てことは無い。只のアメリカの戦略級気象兵器だった。

 当時使ったアメリカ政府は怒り狂った東北のエルフたちに兵器ごと叩き潰されたが、傷跡は今も残っている。

 地震後に見付かった斑レイ岩層にクロム鉱床が見付かり、パラジウムもしっかり含まれていたので、本格的な試掘の対象となっているそうだ。

 逞しいな。


 割れ目は深い所では四百メートルにもなり、百年もすると植生も潤ってくる。

 割れ目独自の生態系も確立され、ショゴスやファージを含めた生態系サイクルは芸術品と言ってもいいかもしれない。

 南米の閉鎖空間にある小規模生態系とかを彷彿とさせる。

 日本でも、盆地とか孤島とかで独自の生態系が形成されるって話は昔よく聞いたが、ショゴスが組みこまれた生態系は現代でも割と珍しいと思う。

 日光とかは、生態系ではなくショゴス廃棄場だもんな。サイクルもあったもんじゃない。




 崖上に装甲車二台で乗りつけた俺らは、備え付けられた作業道に沿って下っていく。


「忙しいんだろ?別に一緒に来なくても良かったのに」


 のじゃロリも隊長の肩車で付いてきてる。

 来るのは初めてだそうだ。

 言い出しっぺの熊手女が肩身を狭そうにしている。

 それ以外に前二人、後ろ三人で、残りは上で待機だ。

 ロリの操作で結構な数のスフィアを降下させた。大がかりだな。

 何が始まるんです?


「おのこに何かあったらわっしらがどうなるかはこないだ云ったじゃろ」


「三千院の襲撃はしばらく無いんだろ?」


「ここが危険なんじゃ」


 日陰に強い植物で覆われた崖の壁を伝って、無数の沢が崖下へと吸い込まれてゆく。

 割れ目は広い所でも十メートル無い、狭い所は人が通れない。

 上も結構ひんやりだが、割れ目に入った途端に更に鋭い冷気が全身を包む。

 湿度も高いな。息が苦しい。


 また割れ目が塞がる事はもう無いと分かっているが、それでも今にも押し潰されそうな不安感は拭えない。

 所々崖壁をくり抜いて作られた道を、短い吊り橋で反対に渡ったりしながらジグザクに下っていく。日は出ているが、上空にあるファージの濃霧の所為で裂け目全体が薄ぼんやりと陰っている。

 湿った表土は黒土がメインだが、少し爪先で削ると岩肌が露出した。

 滑り止めの為に埋められた丸太が異様な腐り方をしている。

 施工したのは最近っぽいけど、腐りやすい環境なのか?

 錆びたケーブルの切れっ端も目立ってきた。


「錆て使えなくなったのか?」


 力なく垂れているケーブルたちは昇降用のリフトだ。

 一人乗り用だけでなく、貨物用の物もあったらしいが、中継地点っぽい場所に出たが、穴の空いた屋根の下、錆てボロボロなセラミックの滑車機構だけ残っている。


「セラミック?!腐食するのか?」


 セラミックだよな?これ。アルミじゃないよな?


「んー。これが問題なんじゃ」


 一旦足を止めて、小休止。

 崖際に設置してあるベンチに肩車から降りたロリが座り、俺に隣を勧める。


「夕方には風が強くなるから、それまでに上に戻らにゃならん」


 のじゃロリは、熊手女が水筒から出した熱々のお茶を啜り、俺にも勧める。

 回し飲みは別に良いんだが、熱くて飲めない。

 ずっと吹いてたら笑われた。

 こんな熱いのよく飲めるな。


「滑車はあえてセラミックで作ったんじゃが、一日もたずに錆てしまったの」


 何で?


「フッ化水素を合成する細菌が繁殖して、使用不可なレベルまで破損した」


 そもそも、セラミックって錆びるのかよ。


「なんだそれ」


「言葉通りじゃ。鉄は錆びるし木は腐る。人は防護服ごと溶かされて、一晩生きておれん。この谷はわっしらの全てを拒んでおる。この谷で生成したものの一部のみが存在を赦されとる」


「何でだ?」


 小鳥のさえずりも無い辺り一帯が急に不気味に見えてきた。


「さぁ?その解明の為に一役買って欲しいんじゃ」


 役に立てる気がしない。


「専門外だと思うけど」


「かもな。でもやって欲しい事はある」


 下を、霧の澱みの隙間を指差し、話を続ける。


「ここより下ると走査と電波妨害が始まる。ハッキングも開始される」


「誰から?」


 誰か潜んでいるのか?


「誰もおらん。発信アドレスは裂け目全体が指定されとる」


 聞けば聞くほど意味不明だ。

 ルルルみたいな奴が潜んでいるのか?


「体感した方が早いじゃろ。少し下ってみい」


 道の先を指すが・・・。


 いやいや。


「大丈夫なのか?溶かされたくないんだが」


「心配せんでも、見とるわ。何の為に高いスフィア飛ばしまくっとると思う」


 付近の組成のサーチはしてるって事か。

 皆焦ってないって事は、直ちに影響が有る訳ではないんだな?


「繋ぐぞ?」


「ん。囲っとる」


 周囲のネット環境は隔離済みか。

 仕方ない。少し進んでみる。


「ああ」


「のう?」


 一定の標高以下まで下ると、侵入した部位から走査され始めたのが分かる。

 なんだこりゃ?

 ネット接続しても割れ目全体が指定されてしまって、走査元のアドレスの特定が出来ない。

 ゲームと違って、この世では、存在しないアドレスからのアクセスなんて不可能なので、何かトリックがある筈だが・・・、電力源は周辺の植物発電か。


「これをガードする方法だけでも十分有難いの」


「細かくファージ走査して良いのか?」


「ん。スフィアも貸すで。環境負荷はあまりかけんようにの。トリガーはまだ不明じゃ」


 怖え・・・。


 開示されたスフィアも含め、細かい走査を開始する。

 いきなり溶けてなくなるのだけは勘弁。




 ここ自体はホントに、普通の地割れの割れ目だ。

 幅二キロ弱、片品川に沿う形でぱっくり割れている。

 薄暗い谷の底まで緑が濃い。至る所を水が流れ落ちていて、一番底には真っ黒い土砂が溜まった上を水が流れている。日陰植物でジャングル化した中に所々水たまりも出来ているな。パッと見見付からないけど、ショゴスはどこにいるんだ?

 何か所か試掘した形跡があり、持ち込まれていたであろう機材は完全に朽ち果てている。


「付近の地質調査は?」


「電位も調べた。何も出んかったの」


 スフィア越しに調査結果が送られてきた。

 それらしき穴とか怪しいオブジェクトは存在しない。

 ケイ素生物が隠れてるとかも無いな。

 まぁ、一応聞くか。


「ケイ素生物とかが環境維持してるって事は?」


「・・・それなら硫化するじゃろ。この環境を維持したくなる理由が分からん」


 だよなあ。


「変化が起こるタイミングとかあるのか?」


「夕方から夜にかけてと、明け方。風向きは朝晩で逆じゃが、この谷をファージの濃い風が通る。その時、異物は腐食の対象になる」


「あれか。この谷で育った木とか草はダイジョブなのか?」


「概ね。駄目な場合もある。場所が関係してるクサイが、腐食が発生しない場合もある」


 状況が見たいな。


「ここで経過観察は出来るのか?」


 ロリは渋い顔をする。


「絶対解決して欲しい訳では無い。話半分に意見が聞けるだけで良いでの。溶かされなくとも、ここは危険じゃ」


「上でテント張るくらいなら良いだろ?」


 熊手女がロリに睨まれ縮こまってる。

 自腹で大金賭けて、上司の不評を買って迄もぎ取ったんだ、見てハイサヨナラは流石に可哀そうだ。


「調査員も含め、ここで既に三十人近く死んどる。わっしのタイミングで引き揚げて良いなら、上にテント設営するで」


「十分だ」


 この七不思議には単純に興味がある。

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