第142話 英知の結晶

 飲み屋街を抜け、少し腐ったモーターボートに乗って三人で臭い地下湖を反対岸に渡る。


 こっち側は初めてだ。

 湖上にオイルフェンスがいくつか設置してあり、勢いを付けてからスクリューを引き上げて何度かそれを跨ぐと、水質が明らかに変わった。


「すげぇ。どうやってるんだ?」


 臭くて汚かった水がめっちゃ綺麗になってる。

 仮にファージ誘導で維持するとしたら、半端ない電力がかかる筈だ。

 湖上に建築物はほとんど無く、所々に水面から電柱が突き出ていて、そこの電灯に照らされて湖底が光を反射している。

 水草は皆無だが、透明度が高く、湖底の石がクリアに見える。


「落ちるなよ。見た目より深い」


「魚?」


 清流に棲んでそうな魚が岩の隙間に見える。

 目無し魚じゃないよなあ?色白くないし。上の魚だろう。


 幻覚ではなく、目の前に白い砂のビーチが見えてきた。

 軽く波が寄せる浜辺に乗り上げたボートが汚すぎて違和感バリバリだ。

 下りた砂浜は少し粒が粗く、生臭くない。


「この区画の地図を渡す」


 カンガルーが手を差し出してきた。

 接触通信か。


 あ、そだ。


「この際、共有しときたいんだが」


 カンガルーがビクッとして手を引っ込める。


「おうおう。若人は遠慮が無くて良いねぇ」


 おっさんがニヤニヤしている。


「さっきみたいな事があった時、音声無しで通信出来ないと非常に不便だ」


「ファージの回線は開きたくない」


 声が固い。

 アレルギー反応が怖いのか。


「赤外線とか、電磁波とか、レーザー通信は?」


「電磁波の回線は・・・いくつか帯域をセットしてある。赤外線はやってる奴は見た事無いな。レーザーは、察しろ」


 ああ。レンズが確保出来ないんだっけか。


「外付けの赤外線送受信装置ならこないだ古道具屋で見たぜ?」


 おっさん使えるな!


「なら、とりあえず電磁波回線だけ開いておくか」


 手を差し出すと、カンガルーが狼狽えている。

 おっさんが悪い顔でニヤニヤした。


「この辺じゃ、つき合うときにな。キメ台詞な」


 なん、・・・だと。


「恥ずかしがってる場合かよ。俺らの命に直結するんだ」


 俺も恥ずかしかったので強引に手を取った。


「あ」


 接触接続で電磁波通信をアプリごと送ったら、遠慮がちにこの区画の地図情報が送られてきた。流石に双方向のみでネットワークの共有化はしてくれなかった。

 ワンチャン期待してたんだけどな。


 このトンネルの全体像はまだ全く把握できていない。

 今貰ったデータだけでも、熊谷の目抜き通り商店街より広いスペースだ。

 建物自体は大型の物が多い。

 名前が振られてないのでどれが何なのかは分からない。

 パッと見、ホテル多めの高級住宅街って感じかなあ。

 

「この辺りは基本、エルフが宿泊時に利用する。わたしらは使用禁止だ」


 上を見上げると星が見える。瞬いている。

 あれ、星だよな?

 スクリーンじゃなさそうだけど。謎技術だ。


「可住区画では落盤ほとんど聞かないよな。どうなってるんだ?」


 シャクシャクと砂浜を歩きながら隣のカンガルーに尋ねると、俯いて黙っていたのが饒舌に語りだした。


「トンネルで怖いのは何だか分かるか?」


 うん?

 うーん。


「落盤と酸欠?」


「岩跳ねと水だ」


 なるほど?


「落盤は、固めればいい。酸欠は換気すれば良い」


 まぁ、確かに。


「水は、流さないと留まって地盤が緩くなる。絶対に流さなければならない。岩跳ねと膨張土は、スピードは無いが、対策しないと凄まじい圧力で全てを破壊する」


 なんとなく解る。


「だが、このクソ二つも合わされば有効利用できる」


「どうするんだ?」


「少しは考えないのか」


 考えるのは苦手なんだ。


「プロに聞いた方が早い」


 下手の考え何とやらだ。


「プ」


 少し言い淀んでから話を続ける。

 砂浜は終わり、太陽灯に照らされた街路樹が始まった。

 違和感あるなと思ったら、ここには防波堤が無いんだ。


「同じ体積なら、地盤より水の方が圧力が高い」


 そうなのか?

 なんとなく分かるが、数値的にどうなのかは素人には判断が付かない。


「利用しない手は無い。しっかり溜めた水の水圧で土圧を防ぐ。圧力の調整もしやすいし、分厚い頑丈な壁を壊れる度に補修するより低コストだ」


 そこはなんとなく分かる。


「地震とかで漏れたりしないのか?」


 ニヤリと得意そうに笑った。


「硬いプールに入れる訳じゃない」


 よく考えられてるな。

 至る所に水があるのは、工業とか生活用だけでなく圧力管理も兼ねてるのか。乱立している給排水設備にも納得だ。


「この辺りは特に、フォッサマグナの影響で地盤が迷路のように入り組んでいる。金の生る木だが、油断すればわたしらを簡単に飲み込む。拡大し続けるこのトンネルはわたしたちの英知だ」


 文字通り命を削り、守り、成長させてきたこのトンネルはこいつらの誇りなんだな。なんか、見た目も似てる所為か、貝塚と同じ匂いを感じる。


 汚いから安全な地域に住めば良いのにとか、お門違いもいいとこだった。


「守るのに力を貸すよ」


 カンガルーは物騒な顔で頬を歪めた。


 後ろでおっさんが口笛で茶化して即行腹を殴られていた。





 並木道をしばらく進むと次第にまた暗くなってきて、ネオンの看板が立ち並ぶ区画に着いた。


「人は居ないのに営業してるのか?」


 さっきの高級住宅街とは違い、二百メートル近くある岩盤の天井までぶっとい柱が景観を気にせず何本も立っている。


「この辺りに立ち並ぶ柱は、元々給排水塔だったものだ。水脈が変わって使用されなくなった塔が個人に売却されて、避暑目的の客目当ての物件になった」


 観光客なんているのか?


「客なんているのか?」


「上はどこも危険だ。この区画は治外法権になっている。いざこざは絶対に起こすなよ?」


 確かに、カメラが至る所にある。


「ここの監視機器は最優先で整備される」


 精密機器が優先されるのはここか。

 となると、舞原の嫌がらせかな?

 兵器転用させないようにこっちに使わせているんだろう。


「そうだ。ここでファージ干渉を使うなよ?」


 イキナリ爆弾が。


「と言っても、ここはファージが抜かれてるので使えない筈だ」


 人喰いどもがその辺にいると思うと、身が引き締まる。


「安心しろ。ここでは不干渉だ。それに今は客は居ない」


「先に言えよ」


 立ち並ぶ給水塔の内の一つ、ネオンが消えている塔に入る。

 中はタンクやパイプだらけかと思ったら、骨組みだけ残して内装はガレージハウスの無骨な飲食店ぽくなっている。


「あらケンさん。ん?カモっちゃん?こっちまで来るなんて珍しいですね。まだ開店してないですよ?」


 奥のカウンターに女性が二人いて、飯を食っていた。

 香ばしい良い匂いがする。


「内緒話に最適だからよ。ウェッヘッヘ」


 ヘラヘラしたおっさんはスツールに座り、カウンターに入った女性が出した酒を勝手に飲み始めた。

 キッチンの換気が外ではなくダクトでひたすら上に向かっている不思議な造りだ。

 確かに外に匂いは漏れてなかったが、どこで排気してるんだろう?地上まで持ってってる訳じゃないよな。

 体感、空気の流れは全て上に向かってる気がする。

 カウンターの女性は、おっさんとカンガルーと俺を見て肩を竦めてから飲み物を聞いてきた。

 防壁が起動したのが分かる。

 巧妙な防壁だ。パッと見、外からはガードされてるのに気付きにくいだろう。俺でもよく見ないと違和感に気付けない。

 女性は小ざっぱりとして眼つきが鋭く、全く似ていないがスミレさんと同じ匂いを感じる。


「今度出向してきた方は勘が良いですね。そっちの技術屋さんですか?」


 ガードに気付いた事に気付かれた。

 優しい声だ。

 北に来てから久々に優しい声をかけられた。


「あれは建前だ。こちらの方はスリーパーだ」


 こちらの方。


「いい加減気持ち悪いからヤメロ」


「ナツメコ様の許嫁に失礼は」


「今更過ぎだろ」


 ウィスキーを嘗めたカンガルーは半眼で虚空を睨む。


「それもそうか」


「あらあら」


 楽しそうに笑った女性は、俺に炭酸水を出すと何か料理を作り始めた。


「懐かしい名前ね。あの子は特撮ヒーローと再婚すると思ってたんだけど、趣味が変わったのですか?」


「こいつがそうだ」


「色々と勘違いが拗れ過ぎて説明責任を問われてる気がするな」


 一から説明するのも面倒だ。

 そもそも、ここで向こうでの俺の立ち位置とか説明しても、問題にしかならない気もする。


「とりあえず、俺とルルルはそういう関係じゃない。そこだけははっきり言っておく」


「ルルル」


 おっさんがウケている。


「まず」


 カンガルーが深呼吸した。


「ナツメコ様とはどうやって逢ったんだ?」


 馴れ初めでも聞く感じだな。


「そこのおっさんが知ってるんじゃないのか?」


 何をどこまで言って良いのか良く分かっていない。


「俺?いや。どうだかなあ」


 誤魔化すの下手くそ。


「地元では有名だったし。寧ろなんで知らないのか不思議だ」


 俺の応えに、カンガルーはおっさんを睨んでいる。


「都市圏の情報をこいつだけに任せたのが失敗だったな」


「仕方ないだろう!本人から口止めされたんだから!」


「っ。なら問題ない」


 無いのか。


「という事は、貴様は今も連絡を取り合ってるのか?」


「無い。危険なので近づいてない。マイバルとしても死んだままで処理されている」


「ああ。その方が良いな」


 何でバレてないんだろう。

 結構有名だし、地元のギャングとも貝塚とも親交があったっぽいし。

 あの顔は変えてあるのか?でも、四つ耳と似てたしな。

 顔だけ変えても、正式に亡命してたらもろバレだし。

 何かしらすり抜ける方法があるんだろうな。


「亡命者のリストは出回ってないのか?」


 カンガルーは言葉を選んでいる。


「義絶したエルフは基本放逐され、関心を払われない。死者も同様だ」


 ああ。そういう扱いか。


「一つ疑問だったんだが、イニシエーションがあるのに、個人の死って意味あるのか?」


「いつの時代も、優秀な脳は取り合いだ」


 怖すぎる。

 脳缶が可愛く思えてくる。


「自我ってどうなってるんだ?」


「さぁ?」


「知りたくもねぇな」


 おっさんが続けて吐き捨てる。


「わっしと一緒に来れば良う教えてやろうぞ?」


 ギョッとして全員が上を見た。

 あの軍服ロリがダクトの陰に浮いていた。

 全く気付かなかった。ファージを使ってない?オカシイだろ!!

 映像じゃなくて本物だ。さっき嗅いだ独特な体臭がする。

 ああ。使わずに降りてきたのか。何かで吊ってるっぽいな。

 こいつってこういう事する奴なのか?

 どこから聞かれた?


 くそっ。自前で走査すりゃ良かった。


 カンガルーを見たが、じっとエルフを見て目を離さない。


「そな、警戒せんでも、繋がっとりゃせんわ。おのこなら見えるかいの」


 まぁ、見えるけどさ。


「なら。ここで貴様を殺しても誰も疑問に思わないな」


「そうだいの」


 少し首を傾げた後、シシシと嬉しそうに笑っている。物騒だなあ。


「金持、このエルフは味方じゃないのか?」


 関係性が今一良く分からないんだよな。

 また会うにしても、はっきり把握出来てからにしたかった。


”電磁波通信はバレるか?”


 早速使ってみた。


”内容は分からないだろう”


 やってるのは気付かれるって事か。

 まぁ、もうやってしまったので今更だ。


”俺は今、どこまで何をしていい?”


”あたしから聞いた時だけ答えろ”


”了解”


 これで目安は出来た。



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