第137話 砥がないナイフ
苦しくて起きた。
頭が痛いのは酒の所為だ。
久々に浴びるほど呑んだ。
体中酒臭い。
こんなに飲んだのは、えっと何年ぶりだ?
圧搾されて息ができないので無理矢理身体を起こすと、シンクの方から照らす暗い間接照明に浮かび上がった俺ら四人は、あられもない格好でカンガルーのシングルベッドに収まり、落ちないように押し合って寝ていた。
皆、寝苦しそうだ。
カンガルーとゴブリンは下着しか着けていない。帽子の奴は、コートは脱いでいたが、それでも厚着で、しかもマフラーと帽子はがっちりしていて顔は見えなかった。
ゴブリンの黒いペチコートはパッドが入ってなくて、ふかふかの胸は上半分零れて乳首が少し見えていた。
見てると勃ちそうだったので、目を逸らし、知恵の輪並みに絡まる女たちから抜け出て冷蔵庫の水を飲む。
聞いてなかったが、ここの水道は飲めるのか?
ぱっと見、シンクは料理に使われた形跡は無い。
昨日汚ねぇコート洗ってたし。
たとえファージでフィルタリングしても、あそこから出る水はあまり飲みたくないな。
ジャッと音がして、振り向くとベッドで起き上がったカンガルーがタバコを咥えていた。
「着替えたら放送スタジオに行く。面通しだ」
言ってから口の中に煙を溜め、ボーっと俺を見ている。
おい、ブラ紐外れてるぞ。言わないけど。
「分かった。俺の素性は言うのか?」
「それは無い。何か設定考えろ」
俺が?
「地下市民の企業のボンボンが校外学習?」
「公害学習って何だ?」
駄目か。
「外交官?」
「ガキの外交官なんて。エルフかよ」
ナチュラリストにはいるのか。
「遠方の取引先から出向とか?」
「んー。無難かな。その線でいくか。経歴作るから覚えろ」
そういうの苦手なんだが。
着替えた後、帽子は別行動で、ゴブリンだけ付いてきた。
昨日通った屋台街を通り抜けて、案内されたコンテナには古めかしい放送設備があった。
「有線放送か」
「無線は全て不安定だし、傍受されるからな。基本使わない」
「レーザー通信もあまり使わないのか?」
慣れた手順で起動しながら、カンガルーは鼻を鳴らした。
「フォーカスレンズを造れる工場は去年破壊された。地下市民圏の横流しが時々入ってくるが、通信に使うくらいなら他の用途が山ほどある。次のキャラバンも・・・精密機器は半年後だ」
モノが無いってほんときついな。
レンズだけでなく、色々なモノが無さそうだ。
昨日の酒のつまみを見るに、食材はかなり豊富なんだよな。味も品質も良かった。
食品系のプラントは生きてるのか?
「地下プラントからの供給は無いのか?」
「はぁ。市民権無いのに何で送ってもらえるんだよ」
ゴブリン聞いてたのか。
「権利持ってる奴囲ってたりしないのか?」
「時々迷い込んで来るが、そんな事したら取引履歴からバレて、市民登録者ごと全部エルフに持ってかれるな」
話しぶりからだと、供給源は生きてるが使えないんだな。
俺なら、ログ残さずに取引できるが、どうせここではリソース管理する役場が無いから、供給される権利が確定するかどうか怪しい。不履行になる可能性が高い。
ログ有りなら認証されるだろうが。そんな事したら、総括サーバーの位置によってはナチュラリストや都市圏に身バレして俺の人生は即終了だな。
何か手が有りそうなんだが、パッとは思いつかない。
有線放送は、俺の紹介だけですんなり終わった。
企業秘密に当たる為詳しくは説明できないが、九十九里の都市圏に近いコミュニティにある企業から、出向という形で暫くこっちに滞在する、失礼のないようにとかそういう話で、画面越しに俺からも軽く自己紹介した。
同時接続が四千人とかいたのだが、ここのトンネルだけでそれだけいるって事なのか?
他のコミュニティにも繋がっているのだろうか?
この地下空間では、基本的に大人数が集まるイベントは極力排されている。
落盤や水害、敵襲、空調の関係も有り、地下で人が集まるのは好まれない。
確かに、俺がこいつらの敵だったら、ノコノコ集まってたら悦んでグレネード投げ込むだろう。閉鎖空間への爆撃は機銃掃射よりよっぽどたちが悪い。
ダイレクトに喰らわなくとも簡単に圧死する。
大人数に攻め込まれたらどうするんだと、カンガルーに聞いたら”何処を塞ぐも、空調止めるも、わたしらが自由に決める。潜ってきたい奴いるか?”と言われた。
確かに、トンネルの奴らにとってここは自分の庭だ。
多少図面が漏れた所で、痛くもかゆくもないだろう。
分散して入ってきたら、各個撃破してしまえば良いし、大量に押し寄せたら、そこだけ埋めてしまえば良い。
となると、出入口や換気塔の重要性は増す。一つくらいなら問題ないだろうが、複数の換気塔を停止させられたり、ガスでも入れられたら途端に不自由する。
あれだけガッチガチに守られているのも納得だ。
カンガルーにくっついて雑用とトラブル解決を手伝いながら数日が経過し、足場が悪く、暗く臭い洞穴を歩き回るのにも慣れてきた頃。
ドサ回りの途中、意外な事に気付いた。
「おい青柳、なんだこれは?」
ゴブリンの名前は青柳だった。
赤くて羊みたいな角生えてるのに、アオヤギとは如何なものか。
本人も気にしている様子だったので特にコメントはしなかった。
問題は、苗字ではなく、ちょっとダクトテープ加工する時に貸してもらったナイフだ。
肉厚で柄の重みが絶妙な素晴らしいシースナイフなのに、鈍らだ。
「ワザと刃を潰してあるのか?」
「殴られたいか?」
御免被る。
「研ぎに出すと、一回五千円だ。どうせ一週間で摩耗する」
後ろでダクトの溶接をしていた帽子が呟く。
「たっか。自分で研げよ」
「出来ねえから金払ってんだろ。バカか」
「バカはお前だ」
何で銃が撃てて刃物研げねんだよ。
「あぁん!?」
キレやすい最近のゴブリンが掴みかかってくるのをさらりと躱し、サイドポシェットからお手製の短い棒ヤスリを出す。
このナイフ。かなり摩耗してしまっているが、綺麗な片刃だ、錆も無いから、それなりに手入れはしてるんだな。
片刃は研ぎやすい。シャリシャリと数回研ぐ。
「五千な」
刃を掴み、ゴブリンに返す。
「はぁ?ふざけんなおま。んぁ?」
「どうよ?」
親指で刃を押した後、落ちていた木っ端に切りつけたりしている。
「俺のナイフってこんなんだったっけ?」
道具が泣いてる。
「刃物は使ったらちゃんと研げよ」
「その棒、いくらだ?」
危うく下ネタで返したくなるところをギリで堪えた。
「これは只のどこにでもある棒ヤスリだ。上の露店に、もっと番号ごとに色々売ってるだろ」
「こいつはブッキーだから研げない」
帽子が茶々を入れる。
「てめえもだろ!畜生。あのオヤジ、忙しいとか言って、三秒で五千ふんだくってたのかよ!」
「まぁ、勉強代だと思えばいんじゃね?」
飾り研ぎが多い日本刀などとは違い、実用のみのナイフは切れる事以外求められていない。
錆びにくい金属で出来ているなら、切る為の研ぎにそんなに時間も手間も要らない。研ぎ過ぎると刃が減るしな。
向こうで地質調査しながら警備カメラ操作しているカンガルーが肩を震わせている。
「慣れれば棒ヤスリで十分実用範囲まで研げる。後で研ぎ方教えてやる。とりあえず、自分用の砥石買えよ」
「分かんねえよ」
仕方ねえな。
「なら後で選んでやる」
途端に目を輝かせてニッコニコし出した。
「おっ?おっ?デートか!?」
「金渡すからあたしのも買っておいて」
「ふざけんな。てめえで買えよ」
「ならついてく」
「仕方ねえ、買っておいてやる。一つ貸しだかんな」
こいつらはいつも、何と戦っているんだ。
大体、デートで砥石買う奴がどこの世界に居るんだよ。
滞っていた空調の誘導が終わって、それでその日の仕事は終わり。帰り際、カンガルーに”後でわたしにも教えてくれ”とこっそり言われた。カンガルーお前もか。
刃物の扱いもそうだが、このコミュニティの知識やスキルは結構偏っている。
教える奴がいなければ、技術も知識も継承されない。
聞けば、刃物研げるのは金物屋のオヤジと、発電所整備士たちだけらしい。
オカシイだろ!
いや、俺の時代も刃物研ぐのは職業柄使う奴だけだったが、んでも、ここまで少なくはなかった。ナイフなんて毎日使ってるだろうに、仮にも金物で稼いでる集団なのに、金物屋が居なくなったらこいつらテープや紐は歯で噛みちぎるんか?
以前スミレさんが言っていた”どんな技術も保全”てのは、この事を言いたかったんだな。
まぁ、んでも鉄やトンネルの扱いに関してはほとんどの奴が一流の知識とスキルを持っている。唸るように稼いだその金で、トンネルを拡張し、兵器と重機を充実させ、食糧を買い漁り、貪欲に成長していく。
コミュニティとしては凄くコンパクトなので、後進国の都市国家っぽい雰囲気を感じる。方向性間違えると共産主義化しそうだよな。
子供の育成に関しては、都市圏と似ている。殺されたり害されたりしないよう、地の底奥深くで厳重に育てている。
入ってきたときに会った見回りのおっさんは、見回りではなく、育成施設の取締役の一人だったらしい。俺も見た目がまだ大人とは言えないから、保護しようと接触してきたんかな?
施設を少し見せてもらったが、かなり大切に育てていた。
兵役が始まるまでは発育曲線に沿って無理はさせないと言っていた。
アレが何でこんなカンガルーやゴブリンになってしまうん?
外からの刺激が強すぎるのか?兵役がヤバいのか?
強くないと、ナチュラリストにあっという間に占拠されるだろうしな。
あの卑怯で姑息な奴ら相手に鉛玉とトンネルだけで渡り合ってるんだから大したものだ。
子供を大切にするなら、共産化はしないか。
俺の憂いなど余計なお世話だろう。
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