第136話 事前

 荷物を置いて、スーツも脱がずにそのまま蹲って眠ってしまった。

 余程疲れていたんだな。

 目の前に影が差すまで気付かなかった。

 蹴られるかと思ったら、しゃがんできて肩を揺すられた。


 顔を上げると、霞む目の前に返り血を浴びて血生臭いカンガルーの顔があった。

 一仕事してきたらしい。臓物の臭いもする。

 解体でもしてきたのか?な訳ないよな。


「こんな所で寝るな。シャワーを浴びてベッドで寝ろ」


 シャワー?


 カンガルーは親指で後ろの大きめなロッカーを指す。

 あれ、シャワーだったのか。


「横の籠は使って良い。レインシャワーだが、水は使い放題だ。ゴミは流すなよ?」


「先に入れよ。後でいい」


「わたしが入ると汚い血がこびりつく。後に入ってその後殺菌する」


 部屋もそうだけど、こんな所に住んでるのに綺麗好きなのな。


「なら、お言葉に甘えて」




 真っ暗で狭かったが、中に入ると照明が点き、カビ一つなく綺麗なシャワー室だ。何でカビが生えてないんだ?


 レインシャワーは最高だった。


 ヘッドが天井付近ギリにあるので、雨を浴びてる気分だ。

 熱い雨に打たれ、汚れと共に疲れも流れ落ちていく気がする。


 出たら、カンガルーは下着姿になってシンクでコートを手もみ洗いしていた。


「毎度洗ってるのか?」


 結構沁み込んでたみたいだな、血の汚れを薬剤で溶かしたらしく、腕が血で真っ赤だ。


「偶々だ。ボウヤみたいな悪ガキ躾けてる時に、加減間違って蹴って腹を破いた」


 むっつりして黙々と洗っているのだが、つい尻に目がいってしまう。

 太ももからふくらはぎまでが精錬された車のボディみたいだ

 あの脚から出た蹴りを想像しただけで寒気が再発した。

 腹に喰らわなくてよかった。

 野ウサギ程度の蹴りでも人の腹は簡単に破けるが、このカンガルーの蹴りはウサギどころじゃないだろう。

 ヤられた奴は内臓粉微塵に飛び散ったのかな?


 加減間違ったのは俺の所為か?

 違うよな?


「ああ。拭くものは無いぞ。中の乾燥機使え」


 シャワった後外に出てキョロキョロしてたら言われた。

 そういやそんなバルブが有ったな。


 も一回中に入り暴風を浴びる。

 臭い風が吹きつけるのかと思ったら、意外に綺麗な空気だった。

 全身カッピカピに乾いた。


「なぁ、化粧水無いか?出来れば無香料」


 ロッカーシャワーから出て、裸でカサついた頭をポリポリ掻く俺を呆れた目で見ている。


「女子かよ。・・・棒は付いてるな。グリセリンならそこの流しの棚だ」


 良い配合知らないんだよなぁ。

 ネット接続したい。


「ファージ接続は出来るのか?」


 ダメ元で聞いてみた。


 カンガルーは俺の顔を見ながら少し迷ってから。


「端末越しでいいなら」


 と、タッチパネルを渡された。

 工事現場で使うごっついやつだ。


「履歴は消すな。コマンド入力は無しで閲覧のみ、画面は共有するぞ」


「おけ」


 回線は凄まじく重かった。

 固まってるのかと思った。


「何だこれ?速度幾つなんだ?」


「寧ろ、繋がることを幸せに思え。霧が濃い日はトンネル内ですら近距離無線も通らん」


 確かに。

 伊勢崎で銀行探索の時も、近距離通信の力技でネットワーク形成したしな。


「どうやって繋がってるんだ?」


「企業秘密だ」


 簡単には教えてくれないか。多分、地上への有線から直近の安定するレコードまで低高度無人機経由とかだろう。

 接続設定見たかったが、ブラウザの閲覧以外にはしっかり全部ロックがかかってる。

 別に、いじくれば外せるだろうが止めておく。


「何をやっているんだ」


 俺の検索に凄く変な顔をしている。


「見ての通り」


 化粧水の作り方だ。


「おっし。さんきゅ」


 割と簡単だった。

 早速作ってみよう。


 ベッドの上のカンガルーにタッチパネルを放って返すと、スポーティな下着姿でリラックスしてタバコを吸い始めていたカンガルーは目を見開いた後、大声で笑いだした。


「笑う処か?」


 どこがおかしいんだ。


「お前」


 俺の顔を見て、あられもない姿で更に笑い転げている。笑い声に合わせて胸がゆさゆさ揺れている。

 股が丸見えだぞ。

 クール系の貝塚みたいな奴かと思ったら、割とはっちゃけた奴だな。


「こんな時期に、こんな場所に。とんでもない奴が来たな」


 !?


「スリーパー。みなかみジャンクションは貴様を歓迎する」


 どこでバレた?!

 化粧水?

 何でだ!?


 タバコを口の端に咥え、立ち上がったカンガルーは俺に右手を差し出す。

 とりあえず、俺も立ち上がって握手する。


「エルフじゃないとなると、どこかの企業の御曹司が家出したのかと思ったが、スリーパーだったとはな」


「何でそう思った?」


「くっくっくっ。隠さなくていい。その発音で”サンキュー”なんて言うのはスリーパーだけだ。久々に聞いた。・・・確かに。ヤマダが言ってたな」


 また笑っている。


 山田の知り合いだったのか。


「時系列が合わないな。どこで起きた?あいつは生きていたのか」


 言うべきか?


 カンガルーは悪い顔でニヤニヤしている。


「・・・備品から判断すれば、さいたま都市圏群の北関東方面の企業だな?見た事無いアトムスーツだし、靴がSTCの最新モデルなので、何なのか分からなくなったんだが、自前で買ったのか?」 


 頷いたら俺が誰か確定するだろう。


「ああ。北関東で暴れている最近話題のスリーパーが一人いたな」


 肯定しなくともバレた。


「ヨコヤマ・・・確か、ヨコヤマリュウマ。もう一度聞こう」


 ネット繋がるならある程度南のニュースは流れてるんだろうが、ここまでガバいのは如何なものか。

 身分詐称通知も息してないぞ。


「何しに来た。何をするつもりだ」


 爛爛と輝く目はもう笑っていない。

 ため息しか出てこない。

 頼みの綱がエルフ共の労働キャンプになっていると聞いた時点で半分諦めていたが、俺の運び屋生活はスタート前に破綻してしまった。


 やっぱ事前準備って大事だよな。

 仕事もミッションも、準備九割実行一割が鉄則。


「リョウマだ」


 行き当たりばったりは碌な事にならない。




 空気読まない奴というのは、どこにでも居るもので、俺が話始めようとしたらドンガラがっしゃんと何かが崩れて、水に色々落ちる音がした。

 バカの叫び声がする。


「あの野郎。落としたな」


 ドカドカ渡し板を走る音がして勢いよくドアが開いた。


「おい!あいつどこに行っ!?」


 ニコニコしながら高そうな酒瓶を掲げ持っていたバカ鬼は俺とカンガルーが下着姿で向かい合っているのを見てしっかり誤解してくれたようだ。

 一瞬で憤怒の表情になり、酒瓶をくるりと鈍器持ちしてカンガルーに飛び掛る。

 カンガルーが大理石の灰皿を掴んだのを目端に捉えた俺は、慌ててゴブリンの前に出る。

 流石に、アレで殴られたら石頭でも陥没しそうだ。

 振りかぶってない方の手を取り、ゴブリンの突進の勢いを利用してベッドに引き倒す。油断していたので仰向けで綺麗に倒れてくれた。

 お。これスプリングコイルか。しかもバネの質が非常に良い。


「はぁ?!いや、そんな三人でなんて、俺そういうの初めてだし」


 豹変したゴブリンは俺とカンガルーをチラチラ見ながらキョドっている。

 モジモジすんな。胸元のボタン外すな。

 あ、帽子が戸口から覗いている。


「何しに来たんだ?」


「何って・・・」


 俺の冷めた返しに、ゴブリンは不貞腐れている。


「お前の歓迎会しようと思ったら、何処にも居ないから、課長に聞きに来たんだよ。クソッ」


 やけに響く舌打ちしまくって五月蝿い。

 確かに、入口の帽子は両手一杯に、屋台で買ったらしい食い物を盛沢山で持ってるな。


「仕方ない。ここでやれ」


 ホカホカの食い物を見たカンガルーが溜息をついた。


「お?良いのか?自宅許可初じゃね?俺シラミの居ない場所で飲み会するのハジメテ」


「の前に。その汚いボロ切れ脱いで外に置いて来い」


「このコート一張羅だぞ。バカにすんな」


「後、靴も脱げ」


「はぁ?ザケンな。しばくぞ!」


「嫌なら外で水浴びだ。蹴り落とす」


 テーブルにドカンと酒瓶を置いたゴブリンは膨れっ面で鼻息も荒く外に出ていった。

 代わりに帽子が入ってくる。


「荒井、ヤケに買ってきたな」


 買ってきた酒のツマミたちが、テーブルが小さくて置ききれないのを見たカンガルーは、ベッド横のエンドテーブルを引きずってくる。


「おい。浴室貸せよ?!」


 ゴブリンが外でアーミーブーツを脱ぎながらカンガルーに怒鳴った。


「そうだな。お前の足は臭いからな」


 さらりと返すカンガルーを真顔で睨みつけると、ゴブリンはシャワーに入るまで、”コロス・・コロス・・・”とぶつぶつ独り言を言っていた。

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