第134話 ポリグラフ未遂

 背丈程あるぶっといパイプで出来た迷路の隙間を縫って浮く、人一人通るのが精一杯な狭さの桟橋をグラつきながら早足で渡り、たどり着いた先の梯子を上ると、結構ガヤガヤとした飲み屋街に出た。

 小さな屋台が狭い通路を挟んで縦横無尽に密集していて、前後左右見通せる道が無い。

 通路自体に人は多いのに、どの店もまだアイドルなのか客はほとんど居ない。


 全く慣れない石炭の臭さに、腐った食べ物と酒とタバコの臭いが混ざり、新宿とか渋谷を彷彿とさせてちょっと懐かしい気持ちになる。

 山手線沿線はどこの駅も飲食店周りにはゴキブリとネズミが酷かったが、ここにはゴキブリはいるのだろうか?

 ネズミは普通にウロチョロしてる。

 丸々肥えてるから相当餌が良いんだな。

 梁や床の隙間には、探すまでも無くネズミ捕りがそこかしこに仕掛けてあり、しかも全然っ引っかかっていないから、建前的な感じで置いてあるのだけなのかもしれない。


「来い」


 見飽きない光景にキョロキョロしていると、カンガルーに手を引かれた。

 ゴブリンは”サケ・・、サケ・・”と憑りつかれた様子で先に歩いて行ってしまって、帽子は既に居なかった。


「一休みの前にポリグラフ受けてもらう。良いな?」


 歩きながらも、俺の目をじっと見ている。

 今はサーモを切っているので、引かれた手から、グローブ越しにカンガルーの熱を感じる。

 熱い手だ。

 少し伸びた硬い爪が、人ごみをかき分ける度に俺の手の甲に刺さり、鈍い痛みを与えてくる。


 頷く。


 山田から聞いて、想定はしていた。

 サイボーグ化の素材も施設も碌に整っていないこの緩衝地帯では、人の判別にポリグラフが使われるのがスタンダードだ。

 相当修練していない限り、身体は嘘をつけないし、人の命の重さも、地下市民圏から比べたらここでは人間牧場の商品以下の扱いだ。

 ファージ汚染と解明の追い付かない新しい病気が大量に蔓延していて、どちらの勢力からも匙を投げられている。

 そもそも、地下市民圏からは人が住める場所だと認定されていない。


 もっとも、前情報では小規模なコミュニティの集まりだと思っていたのだが、一鉱山でこの規模なら、第三勢力としてそこそこの幅を利かせているんじゃないか?

 栄えているのがここだけって事は無いだろう。

 ビオトープでも無い限り、一カ所だけで物流が完結するのは不可能だ。

 ナチュラリストの勢力と親交があるっぽいのが懸念点だよな。


 引き金が軽いのは地域柄仕方ないが、思ったよりモラルがあるのが意外だ。

 こいつらが外回りだからなのか?

 まだ会って二日だし、早計だな。

 パッと見、通りの屋台に人肉を取り扱っている店は無いな。

 実はカニバリストだったとか拷問大好きコミュニティとか十分ありえる。

 ここが真っ当だと良いな。




「そいつを?時間の無駄じゃないのか?下手な事せずこっちによこせ」


 人通りも無くなり、いつの間にか足元はむき出しの岩肌になっていて、まだ溝が残る岩盤沿いに接して作られた新しめの二階建ての空調付きコンテナが水辺に打ち捨てられたバラックたちの隙間に見えてきた辺りで、途中から一緒になった見回りのおっさんが横で胡散臭そうに俺をジロジロ見ている。

 微かに脚を引きずっている。


「貴様は結果論主義者じゃなかったのか?」


 先を歩くカンガルーは振り返らず、不愉快さを隠さずに声を落とす。


「無理とムラと無駄は好きじゃねぇな」


 怒りの波動も梨の礫だ。

 初めておっさんの横顔を見た。

 少しだけ見えている目元は炭で真っ黒で、ヒジャブっぽいマフラーを口と頭に巻いている。

 さっき会った躾の成っていない兵隊たちと違い、目に理知的な光がある。

 興味深そうに俺をずっと見ていた。


「別にいらんだろう。施設によこすのが筋じゃないのか?」


「くどいな」


 カンガルーが足を止めた。

 振り返っておっさんを睨みつける。


「この間碌に調べずに送ったガキに何人殺された?」


 おっさんも不快気に鼻白んでいる。


「あいつは、俺が始末を付けた。次は無い」


「今がそうだ」


 おっさんから怒りのオーラが出てくるが、カンガルーも更に憤怒のオーラだ。

 先に折れたのはおっさんだった。


「好きにしろ。だが俺も同席するぞ」


「ふん」


 ポリグラフってそんな凄い事すんのか?

 俺の知っているのと違うのだろうか?




 案内された部屋はコンテナの二階部分で、クルミ材の高級な書斎机が正面にデンと有り、両側は本棚で埋まっていた。飾りではない、本物の紙の本が種類ごちゃごちゃに仕舞ってある。

 床はむき出しの合板で血の跡がそこかしこに有る。

 弾痕も多い。

 色々な用途に使われる書斎みたいだな。

 しかしここは空気が綺麗だ。


 深呼吸。


 しかも適温。

 気兼ねなく吸える空気がこれほど有難いとは。


 指示された椅子に座ると、俺らが入った後に何人かで折り畳みの椅子と机が運び込まれ、書斎机にデンと構え微動だにしないカンガルーの前、後ろで機材が設置されるのを待つ。

 ヤバい。

 知らない機材がある。なんとなくファージ測定機器の類な気がする。

 只のモニタリングだけかと思ったが、ファージ計測されたら濃度異常だから一発で生体接続者だと発覚するな。

 崇拝者だとでも思われたのだろうか。

 しかし不味ったな。

 ここまで警戒されるとは。

 原因はこのアトムスーツだろう。

 見た目派手さは無いので見る人が見なければ分からないし、ガキの装備に注意を払う奴などいないとたかをくくっていた。

 初っ端からババ引いてれば世話無いな。

 コートは山歩きにはクソ邪魔だからと着なかった俺が悪い。

 そもそも、着ていたら逃げ切れず、あの沢でとっくに猪に喰われていただろう。


 今は出来る限り対策しよう。




 後ろで三人がモニタリングして、横でおっさんが見ている。

 正面のカンガルーが俺の後ろを見て何か確認してからポリグラフ使用による応答が始まった。


「始めよう。楽にしろ」


 既にしている。


「名前は?」


 今はなんだっけな?

 詐称通知を出し過ぎてパッと思い出せない。


「パッと思い出せないな」


 カンガルーは凄く変な顔をした。

 横でおっさんが噴き出した。


「お前流石に。よく殴らなかったな」


 まだ笑っている。


「俺を?殴るのか?」


「こいつは直ぐ手が出る。覚えておいた方が良い」


 なるほど。


「足が出ないなら、大体対処できるから問題ない」


 固まっているカンガルーを見て、横のおっさんは更に笑いが増している。


「いい加減黙れ。摘まみ出すぞ」


「ッ、ッ、ッ。良いわ。やるなボウズ」


 ガチガチに対処したんだ。

 慎重にいきたい。


 今回俺は、こいつらに不審者じゃないと”分からせ”しなければならない。


 生体接続者やスリーパーだとバレてはいけない。

 どっかのボンボンがやらかして家出して、諸事情で身元は明かせない。しかもある程度使える人間、という設定を示すのがベターだ。

 無理臭い設定だが、それで通すしかない。


 俺だったらそんな奴に仕事など回さず、身ぐるみ剥がして放り出すか、身代金の要求先探すけどな。 

 こいつらは金には困って無さそうなので、この設定でいく事にした。

 さっきのおっさんの態度が本当なら、哀れなガキを一人で放り出すなんて事はしないっぽい。


 昔から、ポリグラフは世間一般で言われているように只のウソ発見器として使われていた訳では無い。

 そいつの人間性や、情報の信用度を測る為、気休め程度の指針にしかならなかった。

 被験者が信じてしまっていると、その引き出した情報自体が嘘か本当か分からないからだ。

 今の俺の場合は、尋問とかではなく、こいつらに害意が無く、且つ有用だと思わせれば良い訳で。


「ある程度プレゼンする必要性はあると感じている」


 カンガルーは呆れているのか、椅子に深く腰掛け、手を組んだ。


「続けよう。何故北に逃げた」


 どうしても、どこから来たか特定したいのか。

 この装備は確かに意味不明だろうな。

 二ノ宮経由のメーカーバラバラな高級品と、地下製アトムスーツ、オーダーメイドのアシストスーツに、自前で揃えた備品を背負っている。

 無人機降ろしたらぶったまげるだろう。

 さえないガキがこんな高級品で固めてて呑気にハイキングしてたら深読みされまくりだ。

 引き金の軽さを見るに、ここの治安は相当悪い。

 みなかみの件もそうだが、山田の居た頃より悪化している。

 でも、だからこそ。

 俺が有用がられる余地もかなりあると思う。


 でも、コンタクト前にもうちょい事前準備して下調べもしたかったな。

 偽装してる暇無かったしなぁ。

 桐生で揃えられても、安物の慣れない装備だと簡単にぽっくり逝くだろうし。


「移動する必要があり、こっちがベストだと判断した」


 無表情のカンガルーは早抜きで俺にリボルバーの拳銃を向け、引き金を絞る。

 顔のど真ん中狙い。流れるような所作だ。

 視力バフは起動している。

 ギリまで粘る。本当に撃つのか?

 横のおっさんが止めようと手を伸ばしているが間に合わない。

 ああ、駄目だ。

 これ、撃つな。


 撃った。


 顔面に穴を開けたくはないので、撃鉄が薬莢に当たる前に射線から外れる。

 グリッドミリ単位で計算し、アシストスーツに反映させてある。

 急な動きについて行けず、一瞬視界がブラックアウトする。

 弾は木弾かと思ったが本物だった。

 構えが綺麗過ぎたので避け易かった。

 避けたので頭には当たらなかったが、収納してたヘルメットに当たり、跳弾して本棚にめり込んだ。

 後ろで観察していた奴らが悲鳴を上げる。

 風圧を間近で頭半分に喰らい、火薬の飛沫が顔にぶち当たって熱さと衝撃で顔全体がチクチクした。鼓膜がベコッてキーンと耳鳴りが続いている。

 緩く保ってはいたが、首の急な動きについていけず、軽い脳震盪だ。

 弾が裂いた空気の圧が顔の片面に残っている。


 視界が戻っても次弾はまだない。反撃はどうする?

 いや、まだだ。

 だって、俺をここで殺して終わりにする?

 ならカンガルーはここまで手間をかけなかっただろう。

 まだ座っていよう。



「五月蝿いな」



 二発目胴体狙いで来たら流石にファージ展開させてもらう。

 寝ずにここから抜け出すのは至難の業だな。

 何日か潜伏しながら地上を目指すとかだな。


 カンガルーは俺ではなく、おっさんを見ている。


「必要だろ?」


 ドヤ顔するカンガルー。

 おっさんは苦い顔で俺を睨んでいる。


「ボウズ。良いスーツだな。見た事無いメーカーだ」


「だろうな。オーダーメイドだ」


 お。


「おい止めろ!」


 カンガルーが何か起動して、おっさんが怒鳴った。


 背負っていたバックパックとアシストスーツの回路の一部から火花が散る。

 パルス撃ったな。くそ。時既に遅し。

 エアタンクは基盤関係ないので無事だが、手動でしか動かせなくなった。

 絶対に生体接続出来るスリーパーだとバレたくないので、貝塚式の方法を使ってファージで自分の偽物作って誤認させていたが、どうしよう。

 目の前の拳銃の撃鉄が引かれた。

 今度の狙いは俺の心臓。

 マジかー。

 死んどけってことか?

 避けると思ってるのか?


 カンガルーを見ると、サイトではなく、俺の目を見ている。

 こいつは俺をどうしたいんだ?

 何を考えているのか表情からは分からない。

 安全に仕留められる場所に引き込みたかったのか?

 やはり崇拝者だと思われたのか。

 さっきの、屋台街の時のあの確かめる目つきと繋がらない。

 ポリグラフの経過がオカシくて路線変更したのか?


 発砲された弾をどうにかするには大量のエネルギーがいる。

 至近距離で打ち出されてしまった弾をファージで何とかするのはぶっちゃけ俺でも無理だ。

 テコの原理に耐えきれる長さのファージは見てから対処されるので、出来れば気付かれずに操作したいな。

 分解しようにもネット繋がらないから設計図わかんねーし。どうするか。

 よくある超能力の念力で弾を空気中に止めたりとかは、物理法則に支配されたこの世ではどう転んでも不可能だ。

 だが、相手の肉体にファージ干渉しなくとも、打ち出される前の弾なら何とかなるな。

 基本。拳銃に入ってる薬莢の弾頭は押し込んであるだけ。発火前に弾頭を引き出しておけば押し出す圧が減り、只の豆鉄砲になる。

 オンライン接続出来ず、構造解析できない今の環境でも触感でそれくらいできる。

 幸い。ここの空気には塵と水分が多い。運動補助には困らない。


 万が一もある為、手を急いで銃口の前に出しておこう。

 引き金が引かれた瞬間に薬莢から弾頭を引き出してみる。

 計算できないので一発勝負だ。

 ミスれば手と頭に穴が開く。

 撃鉄が衝突する瞬間、弾を引き出して寄せる。

 弾頭は無理に引き出そうとしてもライフリング手前で引っかかる。そこで削られながら弾を引き出すにはファージで結合された塵では力が足りない。逆に言えば、そこまでは引き出せる。弾頭自体は手でも抜けるからな。

 違和感に気付いたのか、カンガルーが眉を微かにひそめたのが分かった。


 ポスンと間抜けな音がして、強い衝撃がミシリと俺の手の平にくる。


 痛ってぇ!!

 結構強かった。

 グローブは当然、防弾仕様ではない。心臓に悪い。

 骨折れてないか?ビリビリと手全体が痺れ、握ると手の甲に鈍い痛みが走る。折れたくさいな。

 二回はやりたくない。


「次は反撃させてもらうぞ」


 牽制したかったんで、ちょっとカッコつけて指でカンガルーに弾いた。

 ズキンと手の甲にきた。うん。やっぱ折れてる。

 無意識に受け取ったカンガルーは手の中の弾を見て無言だ。

 素手で熱くないのか?


 後ろの奴らが銃を向けている。

 はったりはかけておこう。


「撃ったら暴発させる。被害は自己責任だ」


 後ろの二人、銃を投げたな。

 もう一人は腰に戻した。

 横のおっちゃんは手に何か持ってるが、隠してて良く分からない。

 後ろは見てないが、表示からすると投げた一人がナイフを構えそうだ。

 座った状態だと不利過ぎる。

 こいつらと敵対したくないし、これ以上の荒事は避けたいんだよな。

 ここで五人から一斉にやられたらファージで対処する前に俺は確実に殺される。

 落ち着け。落ち着け。

 まだ生きてる。

 カンガルーはどうする?


「グッグッグッ」


 吐く息を抑え、変な声で笑いだした。


「いいだろう。峰岸班長、文句はあるか?まだ保育施設の人手にしたいか?」


「任せる。俺はもう関知しない」


 おっさんは、俺に興味を無くしたらしく、一瞬憐憫の眼差しっぽいモノを向けると、部屋を出ていった。

 後ろの三人も撤収作業を始めた。

 なんか俺にビビり散らしている。


「後で良い。とりあえず下がってくれ」


 水を得た魚。片付けも放り出し、三人とも秒で退出していった。

 圧迫面接の次はマンツーマンか?

 ポリグラフはもう良いのだろうか。

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