第133話 赤い水路

 地下十階から十二階は大宮の鉄道博物館跡と似た造りだった。

 つまり、九龍城並みのカオスって事だ。

 ビルの断面図が壁となって取り囲んでいる。

 あそこの地獄の穴ほど大きなスペースは無い。

 九龍みたいに穴の円周に電飾ネオンやバラックは無いが、ごちゃごちゃに組まれた足場やむき出しの配管がのたくって、最低限の照明で照らし出されている。

 ここにも人気は全く無い。

 至る所に土嚢が積んであり、掃除しきれないのか、ガラの山で歩く場所も困る感じだ。

 無軌道に張り巡らされた配管は生き物みたいで、あのケイ素生物の金庫内を彷彿とさせて、少し身震いした。


 その径五十メートルくらいの大穴の隅っこに、エレベーターと滑り棒は等間隔でずっと下まで続いていて、音の響きから下に大きな空間があるのが分かる。

 大穴からは風の音はしないが、周囲の配管やら機材から気体の漏れる音やエンジンの唸りとは別の振動が風と共に感じられる。


「落ちるなよ。ここは坑道と繋がってるからな。一キロ弱スカイダイブ味わえるぜ」


 ゴブリンが、穴を覗き込んだ俺を押す真似をした。

 俺は、引っ張って一緒に落ちる真似をする。


「静かにしろ。見付からないうちに行くぞ」


 付近の横穴に四脚のバカでかいクレーンレールが通してあり、ハンドライトを細く点けたカンガルーはその脇を資材に隠れて進んでいった。

 真っ暗な中ついていくと、ケーブルカーの発着所に突き当り、その管理室に入って行く。


 カンガルーは室内の床材の重そうな鉄板を無造作に転がっていたバールでこじ開け、顎で俺に先を促す。


 真っ暗だ。

 グリッド表示だと下は水っぽい。

 ハンドライトで照らし出されると、水の色が真っ赤で一瞬ドキッとした。

 底まで二メートル。下水道管っぽいが、臭いは・・・、石炭の異臭しかしないな!


「閉じ込める訳じゃない。まだ先は長い」


 ここから更にいくのか?


 飛び降りたら、思いの外水音が大きく響いて焦った。水深はほとんど無い。膝下くらいだ。

 ぬるま湯で気持ち悪い。

 水面に白い靄が渦を巻いていて、ここの空気が通っていない事を証明している。

  熱気を伴った石炭臭い空気はかなり淀んでいて、臭いだけで息が詰まりそうだ。

 この間、人間牧場で嗅いだ臭いが懐かしく思える。

 あれはまだ、生き物の臭いだった。

 これは、ヒトを否定する。生きていない臭いだ。


 俺が降りた後、三人は慣れた様子で降りてきた。

 始めにゴブリンが降り、そこに肩車で帽子が降りて鉄板を掲げ持ち、支えを放したカンガルーがするりと降りると、帽子が音も無くそっと鉄板を下ろした。


「息苦しくなったら言え。スプレーを渡す」


 カンガルーの後姿見ながら、膝下までの赤い水の中をずっと歩いていると、地獄に向かって行脚してる気分になる。

 一時間程歩いただろうか、水に足を取られる所為で膝下の筋が痛くなってきた。

 何度も分かれ道があり、水路の合流ポイントやため池もあったが、何れも赤く澱んでいた。

 つい最近まで流れていたっぽい水跡はあるのにな。

 道は覚えきれないのでナビに記録だけしてある。

 


「む」


 カンガルーが唸る。


「何だ?」


 聞いてから俺も気付いた。

 水が流れ始めている。


 つい、横の壁を見てしまう。

 水跡が腰の高さまで付いている。

 これ、死ぬパターンじゃないのか?


「帰ったようだな。上に出るか。このままいくか」


「遠回りになるぜ。このまま行った方が早いだろ」


「道的には早いが、ボウヤが疲れてる気だからな」


 べべ別に疲れてなんかねーし。


「あたしカヤック持ってきてるし、このまま行こう」


 帽子がリュックから合板の塊を出して、水に付けず器用に組み立て始めた。


「それは三人乗りだろう」


「ボクは何キロだ?」


 ボク。


「全部で七十二キロだ」


「なら、あたしらの荷物をフローターで牽引すれば余裕だ」


「う~ん」


 ゴブリンがワザとらしく唸る。


「スペースが足りねえなぁ」


 三人が牽制し合うように顔を見合わせた。

 赤い水面の反射光で、炎が舞って見える。


「仕方ねぇ。こいつは俺が抱えて乗るわ」


 ヤレヤレだぜみたいな空気醸し出す茶番やめろよ。


「がさばる赤鬼はついでに牽引でも良い気もする」


 帽子は辛辣だ。


「あんだと?コラ」


 ゴブリンは無挙動で帽子の胸倉を掴み吊るし上げた。荷重も含め百キロはありそうなのに、片手で軽々と持ち上げている。カヤックが水面に落ちて流れそうになり、カンガルーが止めた。


 だらんと力を抜いてされるがままな帽子は、ふわりと両手を上げ、急にゴブリンに投げ飛ばされた。

 水音も少なく半身で着水し、ゴブリンに向かい合う帽子。


「てめぇ。抜いたな」


 力なく垂らされた帽子の右手に刃の短いカランビットが握られている。


「首絞め折ろうとした」


「土座衛門二つ出来ればわたしとボウヤでゆったり乗れるな」


 カンガルーが猫撫で声でやんわりと呟き、二人に一歩寄る。

 ゴブリンはのけ反ってジャバジャバと三歩下がり、帽子は一歩引きながらスイッチして低く構えた。二対一でも臆せずまた一歩詰め寄る上司。銃から手を放し、両腕を下げている。

 なんて雰囲気最悪の職場なんだ。


「皆、私の為に争うのはやめて」


 全員が俺に目をむく。


 ヤバ。外した。


「いや、ごめん。一度言ってみたかったんだ。・・・出来心だ」


 ゴブリンが溜息をついた。


「ショタっ子の顔に免じて今回はチャラにしてやる」


「ボクちゃんのやさしさにカンシャしろ」


「何だ、続けないのか。新しい風を入れるいい機会だと思ったんだが」


 カンガルーは袖口に何か隠していたな。

 確かに、こんな狭い水場で長い銃振り回したら鈍器にもならなそうだ。

 単にケチ臭くて銃壊したくないだけかもしれん。

 それに、ここであんな火薬が多そうな銃撃ったら鼓膜が死にそうだしな。

 狭い所で威力のある銃バカスカ撃って耳が平気なのは映画の中だけだ。

 一般家屋でイヤーマフ無しで軍用突撃銃撃って鼓膜が割れた俺が言うんだから間違いない。


 簡単そうに乗り込んだ帽子の後に乗ろうとしたら、カヤックが水面を滑って転びかけた。


「常に重心が船底になるように乗れ」


 無理おっしゃる。

 だいぶ水嵩が増してきた。

 流れはまだそれほどでもないが、足元でゴミが当たったり巻き付いたりする感覚がある。

 ゴブリンがニヤニヤしている。


「ママが抱えてあげようか?」


 黙らっしゃい。


「おっと」


 ひっくり返りそうになったので、カンガルーに支えてもらってから、一番後ろに乗った帽子の膝の上に収まる。

 ゴテゴテした装備と厚いコートの内側に女性特有の軟らかさが感じられて、恥ずかしくて帽子の顔は見れなかった。

 疲れて気付かないフリをする。

 いや、疲れているのはマジだ。

 膝から下が怠いし足裏が灼熱の激痛だ。

 正直歩かなくていいのは有難い。


 全員赤い水でぐしょぬれなので、船底に少し水が溜まるが、皆気にしていない。

 浮かせた荷をカヤックの船尾にくくり付けた後、カンガルーが袖から出したバトンを一メートルくらいまで伸ばし、竿の代わりにして水底や壁を突き、水流れに沿って移動を開始。

 行く先は下流なので楽なものだ。

 歩いている時は気にならなかったが、錆が氷柱状になって結構な量が上から垂れてきてて、水深が出てくると時々ぶつかりそうになる。

 当たってもポキポキ折れて痛くも何ともないが、どこから流れてきたのか分からない汚い水と油が混ざっていて、スーツに付くと擦っただけでは油錆汚れが落ちない。

 自分に当たりそうな時は、手持ちのタクティカルライトの柄の方で叩き落としていく。


 時々、魚の背びれがバサッと水面から飛び出て、そのあまりの大きさに毎回ビビる。

 ヒレに骨が入っているのが見えるので軟骨魚類ではないのだろうが、何だろう?

 カヤックよりデカいかもしれない。

 ファージを大きく操作すると生体接続者だとバレるかもしれないので、超低出力で付近の空気中の違和感感知にしか使っていない。


「何の魚なんだ?」


 こんなきったねぇ水の中によく住めるな。


「水が多くなってきたから泥から出てきたんだろう。プレコの一種だ」


 カンガルーが説明がてら、丁度よく飛び出た背びれの下辺りをバトンで突つくと、水を跳ね飛ばしながら逃げていった。

 おお。二メートル以上あったな。ヒレが多いごつごつのナマズみたいだ。


「っ!止めろ!汚れるだろっ!」


 ゴブリンが怒鳴るが。


「それ以上汚れないだろ」


 カンガルーは素っ気ない。


「口が凄いんだぜ。噛まれると肉がごっそりこそげ落ちる」


 振り返ったゴブリンが俺を怖がらせようと悪い顔をする。


「人は襲わない」


 続けてカンガルーが呟く。


「動いてればな」


 カンディルみたいなのかな?

 あんなのが足元に潜んでいたのか。


「ここいらに住んでいるのは錆苔しか食べない筈だが、一応雑食だ。普通の地下水に住んでるタイプは凶暴だから水辺では気を付けろ」


 日本の地下にはあんなのがいたのか?

 ファージの影響か?

 昔からいたら俺も知っていた筈だし、ファージ現象の一種なのかな。


「この先に段差が三つ在ってその先の貯水池で終点だ」


 結構な水音が聞こえてきた、水流も速くなっていき、バトンで水底を引っ搔いてスピードを抑えている。


「段、差?」


 曲がり角で先は見えないが滝の音がする。


「少し後ろに寄せるぞ!」


 カンガルーが振り返って怒鳴る。


 全員で後ろ半分ギューギューに寄せ、曲がった後は速度を上げていった。

 動力は付いていないのに凄い速さだ。

 大丈夫なのか?コレ。


 真っ暗かと思ったが、薄く明かりが見えてきた。


「フォォオオオオオゥ!!」


 バカ鬼が中腰で叫ぶ。


 一瞬の浮遊感の後、衝撃。

 水しぶきが幕となって周囲に広がる。

 三回目を喰らう時には既に全員ずぶ濡れだ。しかもこの水、さっきまでと違いかなり生臭い。

 後ろの荷物の所為か、あまり沈まなかったが、カヤックからミシミシと嫌な音がした。

 


「イェッァア!」


 ゴブリンが俺に振り返って右手を出してくる。

 仕方ねえ奴だな。


 パッチンしてあげたら。グーを出してきたのでクロスカウンターで頬に当ててやったら逆に悦んでゲラゲラしている。


 貯水池は、精錬施設と直結しているのだろうか。

 元々暗い上霧が巻いてる、見渡す限り水面で地面は見えない。音の響きからするとかなり広い空間だな。天井までは十メートルってところか?

 水は澱んでいて、腐ってる臭いだ。

 給水ポンプや柵で囲われたダム穴っぽいものがかなりの数在り、小さな浮き桟橋と梯子と足場が点在している。

 暫く進み、音に気付いて上を見上げると、十メートル程先に折り重なるパイプやコードの隙間からグレーチングを通して人影が透けて見えてきた。足音も結構行き交っている。上が可住出来るのかな?


 念の為。息を止め、肺の中でファージ濃度を確認しておく。

 若干濃いが、使いやすいファージだ。


 後ろから帽子に覗き込まれた。


 気付かれたか?!

 不自然に胸骨が動いたのを不審に思ったのだろうか?


「臭いか?」


「良い匂いだ」


 顔の前に少し垂れた前髪のにおいを嗅ぐフリをする。

 帽子は一瞬顔を離し、俺をギュッと抱いて縮こまった。


 カンガルーとゴブリンが無言無表情でガン見してくる。

 その後、目的の桟橋に着くまで気まずい雰囲気のまま全員無言だった。

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