第131話 ソフィアのダンス

「ふぉおおおおっ!!?」


 全速力で真っ暗な夜の沢を駆け抜ける。

 夕方からずっと走り通しだ。

 滑りそうな水際は避け、乾いた石や岩の上を跳ねる。

 後ろから流れる水の如く群れで迫ってくる真っ黒な塊たちは、猪の群れだ。

 猪って群れで狩りするのか?!

 俺の知ってる猪と違う!


 全部で八頭。皆俺の腰以上に体高がある。

 軽自動車が迫ってくる迫力だ。

 轢かれたらミンチになって喰われるだろう。

 豚系は獲物に止めを刺さないと言うし。

 生きたまま骨ごとバリボリとヤられるかもしれない。


 視認では間に合わないので、上空の無人機からスフィアを呼んである。

 殺し屋がトンネルでやってた時の要領でナビルートをスフィアに策定させつつ、自分は走る事に集中している。


 予定のルートから大分外れてしまった。

 このままだと谷川岳の南に出てしまう。

 ざっくりカメラで上から確認してあるが、あの辺りはハゲ山が多く、霧が晴れると身を隠せる場所が少ない。

 日が昇ってから逃げ場も無く立ち往生は絶対に避けたい。

 仕方ない。沢から外れて登るか?

 あいつら疲れないのか?!


 ブヒとも言わずに無言で迫ってくるのだが、圧がハンパない。

 猪って走る時フゴフゴ鳴かないんだなぁ。

 ・・・はぁ。銃はここで使ったら遠くからでも目立つ。

 キャンセラー使えば良いのだが、こんな所で銃使ってこいつら殺したらもっと目立つ。明るくなったら上から死体が丸見えだ。

 使った銃で俺がやったのが絶対バレるだろう。


 近接でアレを何とかできるモノは今は持っていない。

 それに、何が起こるか分からないし、誰がどこで見てるか分からないから、ファージによる体外の操作は絶対使いたくない。生体接続者だとバレた時点で俺のここでの居場所は無くなる。ベルコンでも有れば余裕なのだがあれも生体接続だし、ナイモノねだりしてもしょうがない。

 そういえば、猪の頭蓋骨はライフルも弾くと聞いたことがある。

 俺のアシストスーツ程度では目や鼻でも狙わない限り、多少小突いても蚊に刺された程度だろう。

 手持ちのナイフでも、どうせ強度が足りなくて毛皮にすら弾かれるだけだ。


 石でも投げたれ!


 足元の石を駆け抜けがてら拾って、足場の良い所で振り返りながら投げつける。

 一番近かった奴の頭に当たって鈍く良い音がしたが、全く怯んでいない。


 寧ろスピードが上がった気がする。


「畜生」


 やっぱ登るか。

 手ごろな崖でもあれば、登ってやり過ごせばいい。


 木の根を足がかりに、抑えていたパワーアシストを存分に使って沢の急斜面を登り始めると、滑りながらもやはり追いかけてくる。

 チョット間抜けだ。

 実は俺と遊びたいだけとかじゃないよな?


 直ぐにジグザグ斜め移動で追い付いてきた!

 こいつら斜面移動慣れてやがる。

 ここが生活圏なんだから当然か。

 こうやって狩りしてるんだろう。

 ・・・上で待ち伏せとか無いよな?

 ナビルートだけで斜面の上はノーチェックだった。

 アホ過ぎる。

 群れで狩りする肉食獣とは違うと思いたい。


 思った傍から上に反応!


 待ち伏せ?!

 スフィアのソナー画像が人型だ。

 斜面の上にやっていたスフィアを急いで木立の中に隠した。

 恰好が銃を持ってるクサイな。

 どうする?

 こいつらの飼い主じゃないよな?


 丁度通り道予定のルートにいる。

 このままだとどんどん近づいていく。

 あと五十メートルもない。待ち伏せか?

 でも一人だ。隠れている。

 二ノ宮ではないな。

 現地の追いはぎか?


「危ないぞ!逃げろ!」


 息継ぎの合間に叫ぶ。

 こっちが気付いている事を知らせた。

 どう出る?


 殺る気なら出し惜しみせずにそれなりの対処をしなければならない。

 そうなったら俺の代わりに豚の餌になってもらうぞ。


「走り抜けろ!」


 女の声だ。


 放物線を描いて何か熱源が数個飛んできた。


 俺の後ろを転がり落ちていき、煙?

 煙幕?

 少し刺激臭がする。

 催涙弾か?


 猪たちが叫び、慌てて逃げていく。

 沢の方へ全匹一目散に転がり落ちていき、既にサーチ範囲外だ。

 逃げるも追うも、トンでもない速さだ。

 呑気にキャンプして、寝てる時アレに囲まれたら終わってたな。

 休む前に追いかけられて正解だったかもしれない。

 とりあえず、スフィアはそのまま隠しておくか。


 猪は追ってこないか?

 少しなだらかになった斜面に大きな岩があり、その向こうに隠れている。

 あえて走り抜けずに、手前で止まる。


 出てこないな。


「ハァ。ハァ。ハァ!」


 苦しい。一時間強走ってたか?スーツのアシストが有っても、アスレチック全力疾走は久々にきつかった。

 喋りながら急いで息を落ち着ける。


「助かった。っ・・・ふーっ。喰われるかと思った」


 銃口をこちらに向け、ゆっくりと出てくる。

 ハンドライトを俺に向けたので、大げさに眩しがると下に向けた。

 銃口はこちらに向けたままだ。

 俺の心臓がバクンバクンいっているのは走っていたからだけでは無い。

 猟銃だ。散弾だから猪狩りではないな。

 あいつら相手だと二発目撃つ前に挽肉だ。


「人か?何でこんな所にいる?」


 いう事は幾つか考えてあったが、こいつがどういう奴か分からないからな。


 真っ暗なので、こっそり可視光域拡張で気付かれないように見る。


 見た目は貝塚に似ていた。ボリューミーなロングウェーブで、雰囲気は貝塚と違ってワイルドだ。

 カンガルータイプの奴だな。


「南から来た。道に迷った。追いかけられて、ここの位置は分からない」


 嘘だとバレバレだが。


 あ、構え上げられた。

 狙いは腹だ。逃さない気だな。


「何故手を上げない?」


 上げて欲しかったのか?


 両手を上げた。


「追いはぎか?」


 鼻で嗤われた。


「逃亡者か。良いスーツだな」


 どうするか。


 できれば穏便に済ませたい。

 こいつが”みなかみ”とかのコミュニティ関係者だったら後々面倒だ。


「追いはぎに恵む銭は無い。恩人にする礼ならある」


「頭を下げられても、飯のタネにもならん」


 山田から、何かこういう時の上手い返しを聞いておくべきだったな。

 俺が無い頭を捻っていると、カンガルーは銃口を上げ、尾根に向け登り出した。随分丸く削れた変な銃床だな。使い込まれただけではないくらい角が取れている。削ったのか?


「ぼさっとするな。豚共はひつこい。直ぐに戻ってくるぞ」


 ついて行って大丈夫か?

 コボルドん時よりマシかな?




 しばらく登って森から抜け、藪に紛れた鉄条網をいくつか潜っていく。

 山小屋というのもおこがましい、錆びたトタン屋根のボロボロの掘っ立て小屋が、見晴らしの良い高台に建っていた。

 月明かりで南一帯が山三つ四つ見通せる。

 標高が高い、だいぶ登ってきてたんだな、雲が横に見える。昼間の景色は最高だろう。


 近づくと一斗缶で焚火をしていて、小枝に刺したマシュマロを焼きながらコーヒーを啜っている人影が二人いた。


 マシュマロにコーヒー!

 パリピかよ!


「随分長いションベンだと思ったら。鹿狩りかよ」


 真っ黒に焦げたマシュマロをもしゃもしゃしながらデカい音を立ててコーヒーを啜っていた大柄な女が振り返った。

 かなりゴテゴテ着込んでいる。

 額に二本、丸まった角がある。

 肌が少し赤いのでゴブリンタイプだ。

 初めて見たな。眼光が凄い。

 俺を見て目を見開いた後、ニヤニヤしている。


 もう一人は帽子を目深に被ってマフラーをグルグルに巻いてて顔は見えない。黙ってこっちを見ている。

 こいつも厚着だ。

 二人とも銃を持っている。

 ゴブリンがライフル。帽子は散弾だ。

 両方ともオートじゃないからやっぱ狩りか。

 俺は獲物扱いされるのか?


「鹿の割には体力あったな。十分以上豚の群れから逃げてた」


 ゴブリンの眼が俺の全身を舐める。

 帽子も隙間から睨んでいる。


 こいつ。このカンガルー、十分以上見張ってたのか。

 サーチ範囲外から追ってたって事か。

 くっそ。じゃあスフィアは見付かったのか?


「スーツは売らないぞ?」


 ゴブリンは不満そうに唸る。


「アシストスーツ着たくらいで豚から逃げられるもんかよ。何だこいつ?」


「さぁ?」


 カンガルーは特に補足する気も無いようだ。


 俺はここで馬鹿みたいに突っ立って品定めされてれば良いのか?


「座れ。夜番だからコーヒーか紅茶しかないぞ?」


 座っていいらしい。

 首に鎖を繋がれる心配は無かった。

 文化的でなによりだ。




 カンガルーが転がしてきた丸太の椅子に座る。少し湿っていて、氷かってくらい冷たい。ケツの部分ヒーター強くしておかないと痔になりそうだ。

 一斗缶横に分けてある燃え殻の炭に差してあったあったクソ熱い銅のマグカップを渡された。唇火傷しそうになった。コーヒーは泥水みたいな味だが、変なモノは入っていなかった。

 ああ。カフェインが沁みる。


「美味いな」


「噓こけ」


 ゴブリンが秒レスを吐く。


「昼から碌に喰ってなかったからな」


 コーヒーに立ち上る仄かな湯気を見つめる。

 全員から視線を感じる。


「何故こっちに逃げた?」


 ゴブリンが代表して聞いてきた。

 俺の情報は伝わっていない筈だ。

 伝わっていたら、とっくに二ノ宮の総力を挙げて山狩りが始まっている。

 コーヒーご馳走の分くらいは話してもいいだろう。

 夜番と言っていた。

 それなりのコミュニティの番兵っぽい。

 信頼は得ておきたい。


「山田に聞いた。この辺りで配達の仕事が足りてないと。俺でも稼げるらしいと言ってた」


「どこのヤマダだ?」


 ゴブリンがカンガルーに聞く。


「知るか」


 こいつら仲悪いな。


 その後、テキトーに応えながらおしゃべりゴブリンの馬鹿話をうんうん聞いている内に眠くなってきた。

 寝る場所はあるのかと聞いたら、明かりの届くところで勝手に寝ろと言われたので、こっそり虫よけだけ起動してそのまま地べたに座り、丸太の椅子に背を預ける。

 俺が座って目を瞑ったのを見て、一瞬三人とも黙ったが、また話始めた。

 目を瞑ったまま起きてようと思ったが、ストンと寝落ちしてしまった。




 顔を伝う朝露の冷たさと、湿った弦を弾く音で目が覚める。

 幸運な事に、吊るしベーコンにはなっておらず、寝た時の姿勢のままだった。

 全身の関節がギシギシと固まっている。

 刺すほどに冷たい水分を含んだ山の空気は重たく、目を開けると一斗缶の焚火は煙だけになっていた。


 ゴブリンは露で全身びっしょりになってるのに、気にせずコートのまま口を開けて大の字で寝っ転がって爆睡していて、カンガルーはいなかった。

 帽子が丸まってマンドリンを爪弾いていた。

 俺の知ってる曲。

 フラメンコだ。

 詳しい曲名は知らないが、つつみちゃんがよく弾いていたのを覚えている。

 サワグチに由来のある曲らしいが、結局詳しい事は聞かなかったな。

 この時代では有名なのかな。


 ソフィアのステップ保存してたっけ?


 帽子の奴が俺が起きたのに気付いてから、刺激しないようにゆっくり立ち上がる。おお。全身筋肉痛だ。

 帽子が弾くのを止めた。

 体を解すがてらにステップを踏む。

 俺は踊れないので、アシストスーツにステップの記録を反映させたまま筋肉を緩く保つだけだ。

 ソフィアの動きは指先まで計算されていたが、今の俺のグローブには人工筋肉が内蔵されてないので、手から先はお察しだ。

 バランサーを起動しなくとも倒れないのは流石ソフィアだな。

 モーションのアウトプットで達人の動きをしたのは初めてだが、初めてが格闘とか射撃でなく、フラメンコなのは如何なものか。


 くねる腰の動きに帽子がザラリとした低い声でクスリと笑う。


「混ざってる」


 男女の動きか?本来は男と女が順番に踊るのだろう。

 俺は詳しい事は分からない。

 柏手を叩いて挑発する。


「もう弾かないのか?」


 仕方なく嫌々なフリをして帽子が始めから弾き出した。

 口元がニヤけてるぞ。


 下が土なのでタップの音はせず、一拍遅れて地面を擦る音が響く。

 ただ、その音もソフィアのステップにかかれば綺麗なリズムを刻む。

 ゴブリンがむくりと起き上がり、五月蝿かったのか、俺を睨むとどこかへい行ってしまった。

 気にせず全身を動かす。

 肉が解れてくるのが分かる。

 段々、動かし方が分かってきた。

 手も、指先も、力を入れないでいると、勝手に流れて動いてくれる。

 多分これは、色々計算された動きなのだろう。


 帽子の音色に乗ってステップに没頭していたら、後ろに影が差した。

 振り向いたら、汗を煙らせたをゴブリンが自分の背丈くらい太い切り株の切り出しを担いでいた。

 俺が座っていた株の径の五倍はあるぶっといやつだ。

 パワーアシスト使ってる筋電位じゃないんだが、どんだけ馬鹿力なんだこいつ。


「載れ」


 ドスンと足元に投げ落とす。


 跳び乗った俺は、ブーツのアウトソールを硬質化させる。

 響きはしないが、渋い良い靴音がし出した。

 ゴブリンを見ると、腕組みをして凄惨な笑顔でにんまりと微笑んでいる。

 鋭い犬歯がちらりと見えた。


 くるりと回り、爪先と踵を切り株に叩きつける。

 指を鳴らし、併せてガツガツと足を鳴らす。

 動きながらソフィアを思い出す。

 この間あの美脚を掴んでおんぶしてたのが嘘みたいだ。

 鍛え上げられた張りのある太もものあの時の感触は、まだ手に残っている。


 結局、あれから顔も見ずに別れてしまった。

 もし、また会えたら、正式なやつを教えてもらおう。

 そもそも、俺に口を聞いてくれるだろうか?

 戻るのも無理か。

 戻ったら俺は、間違いなく脳缶コースだ。

 それだけは絶対に嫌だ。




 何週目か忘れた頃、カンガルーが戻ってきた。


「お前ら・・・」


 怒りと共に声を絞り出し、ゴブリンを睨んでいる。

 少し硝煙のにおいがする。撃ってきたな。

 音は聞こえなかった。結構遠くまで行ってきたのか。


 ゴブリンは怒りなどどこ吹く風で、踊りを止めてへたり込んだ俺に聞いてきた。


「好きな女を置いてきたのか」


 好き?

 ソフィアが?

 まぁ、好きなんだろう。

 あいつを嫌いという男はこの地球上に一人も居ない筈だ。

 言動は一々ムカつくけどな。


 スミレさんも。

 つつみちゃんも。

 逃げた俺にはらわたが煮えくりまくりだろうか?

 結局、俺は信用できなかったのか。

 色々してくれて、感謝しかない。

 全て捨てて、逃げ出した。


 耐える選択肢は本当に無かったのか。


 分からない。


 今となっては、もう。ここで生きていく道しか無い気がする。

 ここには俺の選択肢は用意されているのだろうか?


 悲しくないのに、目から涙が零れた。


「あ~あ~。泣くな泣くな。ったく」


 ほら、オッパイだぞ?と手をしゃがんで腕を広げるが、ガキじゃないんだ。

 薄汚れたチェスターコートの隙間から見える上乳は巨乳で暴力的な迫力になっている。

 赤い肌は少し汗ばんでいて透明感があり、ヒタッと吸いつきそうだ。


「泣いてない。俺は大人だ」


「ブフッ」


 カンガルーが変な声で噴き出した。


「お子ちゃまにできるか分からんが、仕事を紹介しよう。ついて来い」


 どこへ?

 コミュニティに案内してくれるのか?


「お?諦めたのか?」


 ゴブリンが嬉しそうに立ち上がる。


「違う。間に合わなかった」


「お。おお。そうか」


 気まずそうに後ろ頭を掻いている。

 なんだか分からないが、カンガルーの用事は夜番じゃなかったみたいだな。

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