第三部
第127話 動機
次の週の休み。俺は昼下がりにスミレさんと映画館にいた。
観客は俺らだけだ。
「スミレさんは、大宮近辺の快楽主義者について把握しているのか?」
「どの地域にどの程度の人が住んでるかある程度は把握してるけど、誰がどんな思想かは分からないわね」
至極当然の当たり障りのない回答を頂いた。
「つまり、それほど脅威にはならないって事か?」
「余程ショックだったみたいね」
スミレさんは平然としている。
「あの臭さは一生脳にこびり付いて、思い出しただけでのたうち回りそうだ」
隣に座っていたスミレさんは、俺の頭に顔を寄せて髪の匂いをスンと嗅いだ。
「大丈夫よ。良い匂い」
別の意味でのたうち回りたい。
ここは、二ノ宮地所の四階にあるシアタールーム。
座席が並ぶ真っ暗な社員専用映画館は全く使われていないのか少し埃臭かった。目の前のスクリーンには今までに北関東で確認された様々なエピキュリアンが、解説資料と共に順番ずつ映し出されている。
UMAとか、怪獣とか、そういう可愛い物じゃない。
何でそんな形になりたかったのか。意味不明な生き物や、生き物とすら呼べない何かが際限なく映し出されている。
「ガキの頃」
口の端で優しく笑われた。
気にせず続ける。
「俺が生まれるより前に書かれたSFの、太陽系の宇宙人想像図ってのを見たのを思い出した」
「わたしも見たかったわ。どんなのが描かれてたの?」
「キメラだ」
「合成獣のって事?」
頷く。
実際、読んでて拍子抜けで、凄く落胆した記憶をはっきり思い出した。
「全部、金星人も、木星人も、土星人も。全部動物の部位の集合だった」
「落胆したの?」
「火星人だけ、クラゲに顔が付いてたな」
「過去に有った宇宙戦争の影響ね」
スミレさんは俺より古典SFに詳しいかもしれない。
「結局、人はどこかにあった何かの影響からしか生み出せないのかと」
「今はどうなの?」
目の前で移り変わる映像は、アカシック・レコードには存在しない記録だ。
そこにいる物は、人たちは、どこかで見た何かではなく、誰かが求める何かでもなく、自由になっていた。
こいつらは、何を追い求めた先にこんな姿になった?
「こいつらは望んでこうなっていったのか?」
「強制された人もいたでしょうね。でも、主義的に、生きている間はそれを望んでいる筈よ」
快楽主義者たちは、特定の種においては世代交代も行われている。
一世代のみで分裂だけしていく個体もあった。
好き放題生きる奴らは、二百六十年も経つとここまでいくのか?
「全員ヒトの形に戻そうなんて誇大妄想は考えなくなった?」
彼らは、自分たちを、人の形じゃなくて可哀そうなどとは露ほども考えていない。そんな事しても、俺らの傲慢の押し付けでしかない。
臭すぎるのはどうかと思うけどな。
高難易度は好きだが、ムリゲーは好みじゃない。
この世界は、管理すべきリソースが多すぎる。
「俺に出来るのは、つつがなく生きる努力目標を更新していく事が精々だ。人様の人生に自分の考えを強要する気は・・・少ししか無い」
やはり、嫌なものは嫌だ。
譲れない一線はある。
「応援するわ」
心強い。
「ここは湿度が低過ぎね少し喉が渇いたわ。お茶でもしようかしら」
「喜んで」
シアタールームから出た所に、秘書室のスタッフが一人待っていてスミレさんに寄ってきた。
「緊急?」
「はい。申し訳ありません」
スタッフはチラッと俺を見て目を伏せる。
「見せて」
歩きながら、遅い通信で暗号データのかなり大きい物をやり取りしている。
何だろう?
俺には関係ないか。
ラウンジの前までデータのやり取りをしながら付いてきたスタッフは、入口前で頭を下げて離れていった。
随分厳重な通信だった。
何故か赤外線通信で有効範囲も一メートル切っていた。
俺が不思議に思ってるのに気付いて、教えてくれた。
「この間、レーザー通信を傍受されたの」
ありえないんだが。
「本当よ」
「抽出してスペクトル分析しても暗号をデータ化するのが精々じゃないのか?」
「多分、読まれたのよね」
ありえるのか?
あ。
一つだけ心当たりがある。
クァドラテックスフィアだ。
アレを使えば・・・、出来なくはない。
多分。
つつみちゃんから詳しい話は聞いているのだろうか?
新型なのは知ってそうだが、細かい事は知らない気もする。
でも、ルルルはプライド高いから、そんなみみっちい事しなさそうだしなぁ。
部外者の俺から何か言うわけにはいかない。
顔色すら、読まれないようにしないと。
つつみちゃんの立場にも関わってくる事だからな。
それに。
もしアレじゃないとしたらそれこそ問題だ。
「目星は付いてるのか?」
「まだ分からないわね」
それは。
「こんな所で俺に言って良かったのか?」
もう、ラウンジの中で、周囲にも何人か団らんしたり飯喰ったりしてる人がいる。スミレさんに気付いて挨拶をするスタッフもちらほらいる。
「キャンセラーかけてるのよ?気付かなかった?」
おう。
慌てて探査かけたら、スミレさんは俺らの周囲にいつの間にかファージを使わずに音波キャンセラーをかけてた。
以前公園で襲撃された時、傭兵のおっちゃんも使っていたな。高級機材だ。
電磁波か音波で調べれば直ぐ気付いたはずだ。
社内だから気が抜けてた。
一般フロアはファージが薄いので余計気付きにくい。
「良いのよ。ここでは気を抜いて」
恥ずかしい。
今から音響サーチバリバリにするのもカッコ悪い。
「その関連データのやり取りだったのか?」
「ええ。カウンタープログラムのアルファ版よ。今の所、わたしとヤッポンとさっきのあの子がいるチームしか知らないわ」
金属袋は入れてつつみちゃん抜きか。
やはり疑われているな。
とりあえず、俺は第三者でいよう。
俺にポロポロ話してくるのも不気味だ。
スミレさんとつつみちゃんがガチる展開は無しに願いたい。
人目に付く場所を移動しながら短距離通信だと、気付かれないように傍受するのははほぼ無理だ。
だからさっきのスタッフはあえてあそこで待ってたんだな。
「いつの話だ?」
角っこの窓際ソファーセット一式がスミレさん用に予約されていた。
数段段差があり、大量の観葉植物でちょっとした隠れ家が演出されている。
俺の隣に当然の如く腰を下ろしたスミレさんは、秒差でテーブルセットが用意され始めたのを断って、俺に何にするか聞いてくる。
近いんだが。
さっきと違い、周囲が埃臭くないので。ほんのり、スミレさんの匂いがする。ほんのりとしか香らないので、確認したくなってもっと・・・、
「リョウ君は何にする?」
「カプチーノ」
スミレさんに作ってもらったり、皆でとかは良くあるが、スミレさんとサシで、こんな形でお茶するのは何気に初めてじゃないか?
あ。何か緊張してきた。
昔、バツゲームで休憩時間被らされて部長と弁当食ってた時の気分が蘇る。
あの時は互いに全く話題が被らなくて、部長が隣にいた新人の女の子に話かけて泣かせちゃって俺が尻ぬぐいした。
散々だった。
スミレさんだし。
そんな事にはならないだろう。
俺と一緒で俺特ばっかで御免なさいって方が強い。
当時のあの部長。俺がこんな超絶美人と二人でお茶してるなんて知ったら羨ましすぎて発狂するだろうな。
「わたしはウバ茶で。砂糖は少し」
三人来たウェイターは全員下がっていった。
「気付いたのがその日なのかも知れないけど、レーザー通信直後に同じデータが社内から外部にファージ経由で送信されたのよ」
「通信機器自体に何か入ってたんじゃないのか?」
「サイボーグ化されたスタッフが手元のメモリースティックに移すだけなのに?」
それを傍受出来る技術なんてあるのか?
「スタッフはレーザー通信用の改造しか行ってないし、隔離後の生体検査もシロ。メモリースティックもいつも課内で使ってる物で、検査合格してから持ち込まれた機器なのよ」
この二ノ宮地所にも、下のデータセンターにも、持ち込み持ち出しが厳しく制限されているエリアがそこかしこに存在する。
”知らなかった”や”出来心です”では済まされず。即、解雇か賠償請求になる。
二ノ宮の世界的なファージブランドは徹底した管理とモラルの上に成り立っている。
あんなローテクでデータ移動してるという事は、散々調べた上で、まだ原因の特定には至っていないのだろう。
謎だ。
「その時取り扱っていたデータは何だったんだ?」
スミレさんは珍しく言い淀んでいる。
「感情発信プロセッサの、破棄報告書よ」
「あの時の?」
「ええ」
間違いなく目の前で破壊され燃やされ、燃えカスは俺が秘密裏に処理した。
!
茶屋は大丈夫なのか?!
スミレさんの顔を見ると、軽く頷く。
「カフェには張り付いてる。今の所動きは無いわ」
話は上がってるだろうから知っていると思うが、確認の為言っておくか。
「この間つつみちゃんと行ったんだが、その前か?後か?」
「その後ね」
「ログは?」
「見たわ」
アレをチェックしたと申すか。
少しもじもじしてしまう。
元々あそこは、客席の方はセキュリティが甘い。飲食店なので仕方のない事だが。
でも、ハッキングはつつみちゃんか俺が気付くよなぁ。
盗聴されたのか?
送信機無しの小型マイク・・・、だとしても絶対気付くな。
バッテリーのみで電磁波が出なくとも、俺の周辺だとファージで電場が計測される。
敵対者の動きを感知するのメインで使っているが、この間殺し屋と行ったときに盗聴器仕掛けられた痛手から、周囲にある異物はフルタイムで感知する形にした。なので、近くに有れば気付く。
飲み物が来た。
二人して黙って暫く熱々の香りを堪能した後、少し整理された頭で話を続ける。
「技術的な不明点は当然だけど、漏れた情報も問題ね」
金の亡者にいくら破棄したと説明しても”そんな馬鹿な事するはずがない”と信じてはくれないだろう。
「騒ぎ始めた奴とか、動き始めた奴は?」
「いないのよ」
使われたら値段が下がる。
報告書を信じて諦めた・・・、なんて旨い話はないよな。
でも、二ノ宮に喧嘩売る為に精査するなら、必ず動きが出る。
「圏議会入れ替えしたから報復の嫌がらせとか?」
スミレさんはニコリと口だけ笑う。
「もっと疑うべき処があるわ」
何だ?
「貰ってきた時にいっしょにいた人。ツツミと行ったから動き出したんじゃないの?」
スミレさんからそういう突っ込みが入るとは思わなかった。
冗談で言ってる訳じゃないんだよな?
確かに、殺し屋は謎が多すぎる奴だ。あいつを手放しで信用する気は無いが。
「無いな」
「随分信用してるのね」
遠足の時に着ていたアトムスーツから、殺し屋イコールメンテナンストンネルの協力者だとスミレさんは気付いている筈だ。
抉れたら困るから言っておく。
「あいつはそういう奴ではない。受け取った後も、本当は内内であいつに頼もうと提案した」
スミレさんの顔が能面になる。
心臓に悪いが、最後まで言おう。
「何が起こるか分からないし、換金しやすいからスミレさんに頼んだ方が良いと言われた」
あいつの判断基準は、金ではない。
殺せるか、殺せないかだけだ。
「羨ましいわね」
贅沢な奴ではあるな。
「でも困ったわ。引き出せるかなと思ったのだけど、振り出しに戻ったようね」
あ。
やっぱそういうやつだった?
「スタッフに金銭面で変化のある奴は居ないのか?後ヤッポンは?」
つつみちゃん疑う前にそっちじゃないのか?
「社員の口座と金銭管理は把握してるわ」
さらっと怖い事を仰る。
「ヤッポンは、あなたの事すごく心配してたわよ」
まさか。
ないわー。
「本当よ。だって」
続く言葉に俺は態度を改めざるを得ない。
「あの子は感情発信プロセッサを使った事があるんだもの」
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