第108話 金庫侵入
さて、これからが本題だ。
この分厚い丸扉の向こうは、硫酸を含んだファージの霧と人体に有害な毒素を豊富に含んだ流動パラフィンの池が広がっている。
当然、俺には毒無効の一発防御魔法なんて無いので、それぞれの毒素に対応した対処が必要だ。含まれる毒素については、とりあえず貝塚のマニュアルを参照する。直ちに影響のあるモノは、えっと。
”リョウ君。良ければ、ファージガードはこちらで担当させてもらうが?”
この付属アプリ使うと、まるっとガード出来るんだろ?
でも流石に、首根っこ掴まれるのは不安過ぎる。
自分でやる。
”少し待ってくれ。無理だったらお願いする”
中でのたくってるコード類は動きはしないだろうが、無気味さは半端ない。
完全にシャットアウトすると異物とみなされ反撃を喰らう。
なので、硫酸の霧からシールドしつつ、環境を破壊しないモノだと認識させる必要がある。
送られてきたアプリ内のファージ操作を少し読んだのだが、これはつつみちゃんのよくやる物理的な音響操作と非常に似通っている。
基本は踏襲しつつ、必要な工程だけ作っていこう。
意味不明なソースコードが多すぎなんだよな、この貝塚のアプリ。
一段階目として。
俺の場合は、音ではなく、そのままファージで自分の身体の認識を拡張させる作業を行う。俺の得意分野だ。
これで俺の電源出力でファージの届く範囲は金庫内が認識できた。
まだ、これ以上干渉すると反撃を喰らう。
おお・・・、謎のオブジェクトが大量にあるな。
一番奥で何か変なものが蠢いている。
床に広がる水面下というか流動パラフィンの中には何故かファージがほとんど居ない。
呼吸できないから存在できないのか?
二段階目。
敵意が無い、異物ではないと思わせる為、外部から認識されるファージデータに対して、俺の中に仮想の俺を造り、そこだけを認識させる。
誤認識させたデータは素通しで全部見せる。
データ内容は”自分は酸化物ではなく、硫化物を阻害しません”と公明正大にアピールするモノだ。
これで、路傍の石と思ってくれる筈。
三段階目は。
検査機器が発信する信号などは全部切り、外部に情報を出さない環境を作る。走査してバレました。とか、無線通信して異物とバレました。とか、アホ過ぎるからな。赤外線もライト反射させずに自然光のみで視認にしよう。ヘッドギアの可視光域変更を使って、扉から入る明かりで十分認識できる。
目で見て探す。
シンプルイズベスト。
最後は、全身を細菌ファージでガードして、電子機器の大量に詰まっている個所は電磁波が漏れださない様に丁寧に偽装コーティングして、準備万端だ。
熱に関してはサーチされないと表記があったのでそれを信じる。変温生物だから気を使わないのだろうか。
三分くらいかかったか?
インスタントにしてはそこそこの出来なんじゃないだろうか?
”出来た、少し試す。扉前のアラームは切ってあるか?”
”お手並み拝見といこう”
貝塚は組んでた腕を片方解き、促す。
さて、綺麗に動くかな。
サイドアームの片腕からゆっくり金庫内に入れていく。
指先、手、腕。
もう一方の突撃銃も入れる。
大丈夫。拒否反応は無い。
続いて自身の腕。
硫酸の霧も良い感じでガード出来ている。
この硫酸ガードされた金庫内部の細菌ファージも、操作コマンドが普通のファージと全く同じなのが不思議だ。
厚く立ち込める霧の中に踏み込んでいく。
ジャポリと流動パラフィンに脚が沈む。
普通の水より粘度が少し高いかな?
透明な液体の下に、縦横無尽に敷き詰められた多種多様なコードが足裏から感じられる。
今の俺は色々持ってて自重が百キロを超えているが、下のコードとか潰れてショートしないかな?
電気普通に通ってるので不安だ。
ファージ操作の力技でパラフィン上を歩くのも可能だが、そんな事したら即バレてしまうだろう。
ゆっくり、全身を入れ、数歩、歩いてみる。
足元にあるコードの隙間から泡が立ち上り、そのエアーにファージが反応して金庫の外へ排出している。これでバレてないのが不思議だ。
深い所でひざ丈くらいだな。パラフィンで阻害されている為か、コードの下の床は溶けていない。
「大丈夫そうだな。・・・・・・」
声を出しても拒絶反応は無い。
合格点だろ。
”素晴らしい。やはり君は別格だな”
貝塚はゆっくり拍手している。
後ろで可美村も小さく拍手してる。
貝塚みたいな超人に言われてもなぁ。
これではまだ、中で自由に動けるようになっただけだ。
走査出来ないから探し物には非常に手間がかかる。
貝塚の外部サポートは必須だ。
”黒革。一緒に入るなら設定コピーするけど”
めっちゃ嫌そうだ。
”しゃーねー。入るか。仕事だし”
”代表。わたしもご一緒します”
可美村も?!
人質のつもりなのか?
黒ずくめ二人は可美村にキャリーバッグやらロープやらを渡した後、背を向けて警戒態勢に入り、無言の意思表示をしている。
”では、行こうか”
四人で入る事になった。
可美村は当然、貝塚のアプリを使っている。
目の前で使って、安全アピールで他意が無いのを俺に示したいって処だろうか。
金庫スペースはかなり奥行があり、少し歩くと間隔を空けて作られた三重の格子の向こうにロッカーエリアが広がっている。
素材が鋼鉄だったらしく既にボロボロな部分が多い。
壁もデロンデロンに溶けている。金庫の壁の硫酸に弱い層が何度も溶けてくっついてを繰り返して異様な光景だ。
一部錆びてないロッカーが在るな。
赤く錆びてるモノが多いのに、下の流動パラフィンが赤くならず透明で綺麗なのは何でだ?
”ふふふ。錆た酸化鉄などはパラフィン溶液中でまた還元され鉄に戻る。パラフィン中の二酸化炭素濃度が多いだろう?”
なるほど。
てか、考え読むの止めてくれないか。おちおちエロい妄想も出来ない。
”ボス。ヘッドギアのシールド部分、表面がアクリルなんだ”
横に移動した黒革からさり気なく接触通信が来た。
”了解。アルコール系じゃないから溶けないとは思うが、炭素系で更にコートしとくわ”
”頼んだ”
因みに、この地下製アトムスーツはメットのシールド部分はガラス素材なので、熱にも酸にもアルカリにも有機溶剤にも強い。
防弾性能とかは低いが、そもそも、頭撃たれれば大抵終わるので大差ない。
確実に撃たれる状況になってしまったら、バイザーを下ろして金属やセラミック系の素材で反射角付けてリペリングする方が早い。
防弾のシールドは重いし、紫外線で直ぐ黄色く劣化するからな!
二世紀経ってもアクリル自体の弱点は改善されてない。
三つ目の格子を抜けると、異様な光景が広がった。なんとなく見えていたが、見れば見るほど現実感が無い。
ロッカーや壁のほとんどはぬめぬめとしたゲル状のモノか、フワフワしたカビだか苔だか分からない綿毛で覆われている。
パラフィンの水面から隆起した棒状のものが一面に生えている。鍾乳石ではなく、どう見てもキノコに見える。大量に生えていて大きいモノで背丈一メートルくらいか、根元が黒く上の方が白い、デカいエノキとかそんな感じだ。構造は軟らかく、踏むとぐしゃりと折れてしまう。
”この辺りに生えているキノコは、主に合成ゴムとケイ素化合物で出来ている。硫化窒素やリンを主体とした生命活動が確認されている。ある意味、生きてるゴムだな”
凄く、調べたい。
今まで、こういう系統の事は全く調べてこなかった。
置かれていた環境自体がゲームの中みたいで興味の対象だったからな。
こういうの見ると、地球上でもこんな環境が構築出来るんだから。酸素と水を必要としない宇宙人て、割と普通に存在するんじゃないのかって改めて思う。
ああ、こいつらは水は使うか。
遺伝子とかどういう構造なんだろう。
”資料にもあった通り、空気中には菌糸が大量に飛んでいる。コーティングに穴があると、スーツに菌糸が浸食してくる。酸化しやすい物はあっという間にボロボロに破損するから十分に注意してくれ”
笑えない。
因みに、黒革と可美村のスーツは排気があるのだが、気体コントロールで違和感が出ないようにして気付かれなくしてある。
”探し物は把握しているのかね?”
母親の口座番号までは分かっている。
”上に行って口座を調べようとしたら、サーバーが階下に落ちているのに気付いた。ロッカーのデータも含め、この中にある筈だ”
”なら、本体からアクセスした方が早そうだな。面白いから話のタネに見ておくのも良いだろう”
本体って何だ、本体って!
”まぁ、見た目通りのモノだよ。ふふふ”
楽しそうだな。
”刺激しないようゆっくり行こう”
意味ないのだが、三人とも息を潜めてしまう。
貝塚は素体が呼吸しないので関係ない。
霧で視界が悪い中、一歩一歩、ゆっくり奥へと進む。
パラフィンの池を、ゴムキノコをかき分け折り倒して、立ち並ぶ溶けたロッカーの中を進んでいく。
キノコかと思ったら垂れ下がったコードが硬質化している箇所も有り、今の段階でコードの損壊は好ましくないとの事で、何度か迂回しながら近づいていく。
バシャバシャと。
確実に。
俺らが近づく度に、反応して動いている水音の合間に、ゴボゴボと咽ながら荒い呼吸音がする。声の響きからすると喉が太そうだ。
コボルド?じゃないよな。なんだろう?
荒く、速い呼吸音に紛れて、軟体動物がのたうち回る水音が大きくなったり小さくなったりしている。
先頭は貝塚なのだが、大丈夫なのか?止まらず進んでいく。
そして、歩いてて今更気付いたのだが、この金庫エリアのサイズが元の見取り図と違う。かなり拡張している。
裏を回れば直ぐに気付いたはずだが、カメラも移動させてたのに、何故気付かなかった?
”そこのロッカーを曲がったら一旦停止だ”
足を止めた貝塚が振り返る。
音はもうすぐそこだ。
貝塚に続いてゆっくり顔を出すと。
”っ?!はあっ?!”
伸びてきたウナギ状の触手にビビった。
俺に届かなくて諦めたのか、飛沫をまき散らしながら引っ込んでいく。
”これは、エジプト神話タイプだな。パーソナルスペースには近づくなよ?”
貝塚が侵入禁止エリアを可視化させ設定した。
可美村にカメラを何種類か回させ、冷静に分析を始めている貝塚に素直に感心した。
そいつは、ソレは、形状がおかしい。
サイズは、首から下は貝塚より大柄な成人女性くらいだろう。
真っ黒に溶けたキノコの塊の玉座に全裸で座っている。玉座の背もたれからは大量のコードが出ていて、周囲に転がるサーバーに接続されて、余ったコードはパラフィンに沈んでいる。
足元のコードは全部こいつに繋がっているのか。
パラフィンに沈んだ足はカサの無い赤黒いキノコが密集し、キノコと足は完全に同化していた。
ひじ掛けに載せた手には指が大量に生えていて、腕からも何本か生えている。とりあえず指生やしまた感が凄い。あれでは手として役に立たないだろ。
小刻みに痙攣する全身は、均整が取れて豊熟なのだが、腐ったリンゴ色なのでかなり冒涜的だ。宇宙的恐怖の信者が悦びそうだ。
首から上はもっと変だ。
ピラミッド。
三角コーン?
身体に不釣り合いなほど巨大な四角錐が逆三角形の向きで首から生えている。
材質は、煤けているがビスマス結晶に見える。
鉱物が結晶化して集積しているんだ。
自然にこうなったのか?こいつが作って被ったのか?
上からぴちゃぴちゃ音がしているが、内部は液体で満たされているのか?
だが、そこから犬の息遣いも聞こえる。
結晶ピラミッドの縁は三メートル以上の高さ、天井近くにあるのでここから見ることは出来ない。
手持ちのカメラでも持ってくれば良かったか。
見えたら見えたで、ゲロ吐くかもしれない。
あの細い首だけでそんな大容積で逆三角形のタライを支えられる筈が無い。実際、少しグラつきながら座っている、グラつくだけで済む重さじゃなさそうだけどな。
さっき伸びてきたウナギみたいなものはこいつの舌だった。
硫酸とパラフィン溶液の所為だろうか、舌の先の方は何度も爛れて治った跡があり、赤黒く変色している。治りかけて白い表面部分とむき出しになった筋肉がぐちゃぐちゃに混ざりあっている。てか、硫酸に強い細胞の構造じゃないのか?
舌の太さは人間の腕よりちょっと太いくらいだがとんでもない長さで、ピラミッドの縁から垂れ下がってる部分だけで目算四メートル近くある。先の部分二メートルくらいが辺りを窺って動き回っている。
確実に俺らを意識した動きだ。
気付いてはいるが、異物判定はまだされていないといった処か?
設定した禁止エリアからすると、舌の届く範囲は危なそうだ。
パーソナルスペースとか言ってたな。
こいつが不快感を感じる距離って事かな。
”口座番号を貰えれば、接続して検索をかけてこよう”
別に良いけど。近づいて大丈夫なのか?
”渡せるが、どんな時にどう対処すればいいか分からないぞ?”
俺らが音声通話してるのを感知して舌がバチャバチャ跳ねる。
文字チャットのみのが良くないか?
”何も難しいことは無い。コレ自体は加害手段をほとんど持っていない。舌くらいかな。こいつの影響下でファージガードが浸食されると体内のカルシウムが一瞬で石灰化するが、脳に血栓でも出来ない限り直ちに影響が有るわけではない”
大問題なんだが。
”この舌は巻きつくだろうが、本体は骨格がしっかりしてないから動かないだろう。わたしなら巻きつかれようが壊されようが問題ないので、近づいて接続して必要な情報を取り出せる”
すげぇな。
たとえ義体でもあんなんに接続したくない。
つないだ途端にウィルスで脳がぶっ飛びそうだ。
そもそも、接続したとして理解できるデータが取得出来るのか?
”接続すると、流石に防衛反応が起きる。今の所反応は無いが、天井や床下に設置してあるモノが動き出してわたしのファージガードに物理的に穴を開けようと攻撃してくるはずだ。可美村が持ってきたスティックで破壊して守ってくれ”
キャリーバッグを下ろした可美村が、中からスティックバトンを三本出した。
”うぉ。超音波ブレードかよ”
マニア向け過ぎるチョイスに黒革が驚いている。
ファージによるナノキャンセラーを使えば只の鈍らになるので、医療や工業分野でのみ現役、対人戦では実用性皆無、工具として趣味で持つ程度の全く使われない道具だ。
真っ黒な刀身で両刃。刃はかなり分厚くエッジの長さは少な目に取られている。耐久性重視で作られているな。柄の部分は六十センチ、刃渡りも同じくらいあるか?底部ワンタッチで振ると刃が出てロックされる仕組みだ。柄も刃も重い。二キロ近くありそうだな。
”シリコンとセラミックの複合素材ですので、弾性はそこそこありますが、刃に横から力を加えると流石に折れますので刺して抜くときは注意して下さい”
”銃を使うと空間補修の計算が間に合わない。気流の乱れからファージに穴が開くし、電気ショックもこいつらには効かないのでね。数が少なければポリマーで拘束でも良いが、ワラワラ湧かれると邪魔でしょうがない”
補足する貝塚は何度か痛い目に遭ったようだな。
あのエルフの舞原辺りなら銃乱射しながら余裕なんだろうが。
”まだ推測だが、襲ってくるモノは筋肉で動いていない筈だ。組織内のグルコ―スに似た細胞を圧力弁操作で大雑把に動かしている”
”油圧ポンプみたいなもんか”
貝塚は頷いたのだと思うが、首から上が無いので雰囲気だ。
”なので、切れば動けなくなり、脅威ではなくなる。接触されるとファージ浸食が加速するので、触れられないように切り払ってくれ”
視界が悪いからなぁ。
”ふふふ。アプリを入れれば、周囲の走査も自動なんだがね”
この状況で・・・、アコギな商売してやがる。
”そんな目で見ないでくれ、滾ってしまうよ。では、一つプレゼントでも上げよう”
首の前で指を立て胸を張る。
エロいのとムカつくのでなんか虐めたくなる。
”動くと波が起こるね。それが音として耳で知覚できる。ソナーみたいにエコーロケーションしなくとも、マイクであれば十分なんだよ”
ピンときた。
そうか。ファージの赤外線サーチの時も、空間全体のファージへの干渉で数値化している。なので、感知出来る相手にバレる。
今全身のコーティングに使っているカモフラージュのファージをマイクとして使えば?
全身が耳として機能する。
”そう。数値化して同じ感じで走査のアルゴリズムを組んでごらん。対象は周辺の空気に干渉ではなく。自身の表面のみだ”
どこからどんな音がするのか、体表面で外部から感じる音を数値化し、可視化していく。
暗く、昏く、澱む霧の狭い視界がクリアになっていく。
音の反響、通さない部分。立体造形も可能だ。ロッカーの向こう側も分かる!
細部は甘いが、使いながら改善すれば良い。
”そうだ。それで良い。ステルス対策にはまた別の処理が必要だが、今はそれで十分だろう”
黒革にも共有する。
黒革の緊張も収まった。
が、俺が走査範囲を広げていくと、また緊張が高まっていく。
”貝塚。ここは、これって”
きっと、現地で貝塚本体はにんまりほくそ笑でる事だろう。
”そうだよ。・・・ここは化け物の腹の中だ”
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