第95話 罠
部屋を出たら、俺の艶々な顔を見て、一緒にいたのを誤解したのか可美村が硬い笑いを貼り付かせていた。
面倒なので、気付かれなかったフリをした。
俺とつつみちゃんを先導して歩く後ろ姿は、姿勢は良いのだが心なしか力を失って見える。
「可美村係長、少しは眠れたのか?」
「え?はぃ!しっかり休めました」
元気だな。
「それに、若いですから問題ありません」
「お、おう」
完徹後に休憩九十分くらいでまた仕事って、結構ブラックだよな。
昔だと、空母一つで五千人。それに比べたら驚くほど少ない人数で、この軽空母は可動人数千人弱で運用できるそうだが、一日八時間勤務だとしても常時三百人近くが可動している事になる。
三百人で動くかなぁ、五百人で四時間残業かな?
俺たちへの直接対応は可美村と井上がメインだ。
たぶん、艦隊運用で一番嵩む労務費が圧し掛かってて、可美村と井上が三人分動いてるのではないだろうか。
あるいは、単に情報漏洩を嫌って必要最低限の人員しか関わらせていないという可能性も、ああ、こっちのがありそうだな。
そもそも、現在の労基とかどうなっているんだ?
特に気にもしなかったが、昔俺仕事中寝不足で心臓止まりそうになった事有ったからな。睡眠は大事だ。身を持って思う。
「勤務環境って悪いのか?」
「え?」
唐突過ぎた。
「空母打撃群の勤務形態って社外秘なのか?」
「ああ」
少し歩みを緩めた可美村は丸窓の外の赤い霧を流し見て少し笑った。
「秘密ですね。お答えできません」
ですよねー。
「只、自己管理出来ない人員は搭乗が許されないという社則は有ります」
「そうか、良く分かった」
余計なお世話だったな。
「来たね。りょうま君」
貝塚は嬉しそうだ。
「中々愉快な事になっていてね」
トラブルの臭いがする。
「巻き網に引っかかって立ち往生中なんだ」
うん?
「漁船と揉めたのか?」
腕を組んでた白川が噴き出す。
「ショゴスだショゴス。完全に囲まれちまってな。処理出来なくはないが、ここまで大規模なのは初めてでな」
作戦室中央のデスクに表示されてる地形図には、海上の艦隊編成の他に、赤で表示された塊が大量に見える。
海面だけでなく、空中も海中も、膨大な厚みと量で周辺三十キロ四方を包囲されている。真後ろだけ包囲が薄いが、ああ、それで巻き網か、罠に入り込んだイワシの大群状態だ。
潜水艦の位置は表示されてないが、何だこのショゴスの量。
「こんな体積ありえるのか?」
「ありえません。なので現状保留です。航行も停止してます」
熊谷を襲ったあの肉嵐の規模と比べてどうなんだろう?
「つつみちゃん。これ、この間のあれと比べて、ありえるの?」
地形図を睨んだつつみちゃんは目を細める。
「推定容積は?」
「霧を含まずに、推定千三百億トンです」
「ありえない」
だよなぁ。
光合成だけでここまで巨大になるんだったら、地球は既にショゴスに覆いつくされているだろう。
「赤城山の北、日光までのショゴス地帯が推定量でも精々二億トンだもの。維持に必要な資源量は・・・」
「地表に下りたショゴスは運動量が増加するから、この大きさだと少なく見積もって一日に四億トンは喰う筈だ。光合成だけだと食料確保できなくて自己消滅する」
暗算を始めたつつみちゃんに白川が補足する。
四億トンて何だ?
詳しい数字は忘れたが。俺が起きていた当時のクジラですら、その時代の人間の何倍も海産物消費していたので、人間の消費は凄まじい打撃を受けていた。
当時、本音は食肉業界のバックボーンだが、建前上可哀そうだからという理由だけでクジラを守る奴らは生態系の頂点であるクジラのみを守っていたためピラミッドの下の資源が大打撃を受け修復不能なまでに減ってしまい大バッシングを受けていた。
今のナチュラリストのはしりでもあるんだよな。
いつの時代もクソなのは結構だが。
「その数字おかしくね?」
「可笑しいな」
俺の問いを貝塚も肯定する。
「水増ししてるか、ハッキングを受けているのか、・・・あるいは本当なのか」
「観測データは?」
「見たところ本物なんだよなぁ。有人観察はまだやってない」
白川が頭を捻っている。
電子データとファージのみか。
「観測データのフィルタリングはさせてもらえるのか?」
全員が貝塚を見た。
「いくらりょうま君でも、それは無理だ」
即答だった。
まぁ、期待はしていない。
なら後は、ファージの個人的な観測とか、現地に行ってみるしか手が無いんだが。
「時間稼ぎの可能性大だろ。二面作戦しないと不味いんじゃないのか?」
個別対処は思う壷な気がする。
「舞原、イニシエーションルームの破壊を察知されてると思うか?」
アドバイザーとして隅っこに立っているエルフに、試しに聞いてみる。
「考えているんじゃないかな?」
貝塚側のスタッフ連中は一斉に鼻で笑った。
貝塚の決断は早い。
「よし。作戦は予定通り決行。網に関しては護衛艦一隻先行。有人飛行観測は保留。先行艦は変更無し」
「行ってくるか」
白川が腰を上げた。
「白川行くの?」
「俺の管轄だからな。ずっと旗艦でふんぞり返ってる訳にも行かん」
俺も行きたいなー。
ちらっ。
「駄目だ」
「駄目」
貝塚とつつみちゃん、こういう時だけ足並み揃うな。
「網の範囲内は全部肉霧だ。りょうま君の移動は安全が確認されたら許可しよう。それに」
トントンと机を叩き下北半島を表示させる。
「レンジ加熱が終わるまで見ててもらわないとな」
こっちは消化試合だろう。
謎の包囲網が気になります。
「わかった」
ゴネても仕方ないので頷いておく。
「とりあえず、観測データは分轄管理した方が良いんじゃないのか?」
「システム上、手間でね。別口で観測器飛ばし始めてる所さ」
なるほど。
大きいとこういう時不便だよなぁ。
「初めての事態だが、良い勉強になったよ」
生きて帰れればな。
どうも、この時代に起きてから、ショゴスには良い思い出が無い。
ある奴は居ないか?
地下の奴らですら苦慮してるし、今更か。
そうだ。電子レンジ。
「霧の中ヘリで輸送できるのか?」
北条が答えてくれた。
「多少エンジンが発熱し易くなる程度だ。大きいのを巻き込まなければ問題ない」
デカいのをエンジンの吸気口に巻きこんだら問題有ると?
「電子戦専用機と、ファージ整頓用の無人機も同時に飛ばすので、懸念は無い」
俺の顔を見て、貝塚が付け足す。
「ちょっと良いか?」
エルフが右手を上げた。
「何だね。マイバル君」
「何であたしに聞かないんだ?」
一応、アドバイザーっちゃアドバイザーなんだが。
「聞いていいのか?」
俺も、それが一番楽だなとは思うんだけど、皆聞かないし、知ると殺される以外にも何か理由あるのかなって。
「あたしは、生きたまま戻ったら死んだ方がマシな目に遭うだろう。流石にもうコリゴリだ。現状知っている程度の知識を開示した処で舞原家は揺らぎはしない」
こいつが今まで過ごしていた以上の地獄とかあるのか?
「二ノ宮本社は問題無いかね?」
貝塚の問いにつつみちゃんは”今更でしょ”と両掌を上げる。
「なら、教えて頂こう、聞きたくない者は退出して宜しい」
スタッフたちも含め、誰も出ていかなかった。
他人事ながら大丈夫なのか?
ナチュラリストの秘密は知ると殺されるんだろ?
「では聞こう」
手を組んでデスクにのり出した貝塚は凄く楽しそうだ。
俺と同じ、猫をも殺すタイプなのだろう。
「まず初めに、横山のフィルタリングは即行かけた方が良い。筒抜けだ。そして、正面に向けて最高速で移動開始をおススメする。この海域での」
”りょうま君良いかね?”
アクセス許可きた!
話が早い上司って好きだぜ!
「全艦、起動次第全速前進」
貝塚の指示にナビゲーションスタッフが即答。
「全速前進。十五秒後に全艦完了予定」
エルフは話を続ける。
「停止は奴らの罠だろう。たぶん、走査すれば海底にマグマチェンバーがある筈だ。起爆阻止は間に合わない。奴らが・・・」
「間に合いますかね?」
北条が言い終える前に振動がきた。
貝塚が小さく息を吐く。
「手順を間違えたな、騙されてるフリした方が稼げたか。バラストも限界まで排水」
「排水開始」
マグマチェンバーってのはあれだろ?
確かバミューダ海域の魔のトライアングルの元ネタにもなった。
マグマが地表に抜けた後に出来た、地殻表層の空洞の事だ。
大抵は圧力に負けて直ぐ自壊するが、稀に空洞のまま残ったり、液化ガスを内包したまま構造を維持したりで、劣化し自壊するのに期間を要する場合がある。
海底に有った場合、これが崩壊すると、中にあった空気や液化ガスが水中に漏れ、結果、その上にある海水の密度が急激に下がる。
密度が下がった海水の上に浮かんでいる船は、浮力を維持出来ずに沈んでしまう。
ガキの頃から怪奇ネタや超自然現象が大好きだった俺に隙は無い。
でも、実際にそれが人為的に起こされて海の藻屑にされるのはごめんだなぁ。
このタイミングに合わせて着々と準備をしていたとは思えない、長い年月をかけて、いつか使うであろうトラップを仕掛けていたとでもいうのだろうか?
でも、これで偽物ショゴスとの二段構えで邪魔くさい空母打撃群潰せたら、ナチュラリスト側としてはおいしい過ぎだよな。
それも含めての”スリーパーへの怪しい通信作戦”てのは考えすぎか。
舞原が何年も拷問されてるのは理屈が合わない。
すり合わせがしたいが、向こうに戻れてからだ。
今は、生きて帰るのが最優先。
「話を続けるぞ。巻き網は誤情報だ。ショゴスはいるだろうが、この霧と、あとはたぶん現在見えている後方の網が薄い部分に纏まって浮いているだけだろう」
属性とか魔法とか言ってるアホなエルフって本当にいるのか?
俺が会ったエルフがまだ少ないので何とも言えないが、都市圏の共通認識と実際のエルフはかけ離れている。
ルルルと、この四つ耳舞原がスペック高すぎなだけなのか?
九龍城前のメンテナンストンネルにいたエルフはアホなクソだったが、あのゲジゲジの時も、今回の落とし穴も。
それに、イニシエーションルームを作る科学力。
あの技術は、この時代においてもオーパーツクラスなんじゃないのか?
「ん?」
許可が出てから、かけていた各所毎の段階的なフィルタリングに違和感が見つかった。
無人機から入ってきた情報量が抽出の際、意図的に増えたり減ったりしている。
基幹データの最終書き換えは、函館入港時だ。
「貝塚」
「トレースしている。カウンターは起動した。やれやれ、炙り出しは心が痛いのだがね」
スタッフたちに緊張が走る。
スパイかぁ。ナチュラリストも使うんだな。
「システム艦だけだが、他も一応同じ手口が無いか見ておこう。以降、処理はこちらで引き継ぐ。接続は切って良いかね?」
「ああ」
”見たことは忘れるよ。俺のりょうしんにかけて”
「ふふふ」
こっそり送ったログに貝塚が笑ったのを誤解したスタッフたちは顔面蒼白だ。
フォローはしない。
そんな立場でもないからな。
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