第91話 フルコース

 貝塚は食堂で待っていた、食堂スタッフの一人と一番奥の席で談笑していて、厨房には軽くファージで見ると八人控えている。

 その他に食べたり飲んだりしている者は誰もいなかった。

 スープの複雑な香りが微かにしている。

 ペコペコ過ぎる胃がぎゅるりと絞られた。


「お付きのソルジャーも一緒にどうかね?」


 後ろで入口に控える傭兵二人は揃えて首を振った。


「この二人にはホットドッグとコーク持たせて入口に立たせておけばいいよ」


 つつみちゃんのぞんざいな扱いにおっさん二人は最もらしく頷いている。


「今回の立役者二人に、あんまりではないのかね?」


 貝塚は呆れているようだ。

 仕方ない、フォローしてやるか。


「こいつらはハイソな美人と一緒だと食事が喉を通らないんだ。察してやってくれ」


 因みに、俺は色気より食い気だ。


 席に近づくと、いつの間にか、俺とつつみちゃんの後ろにスタッフが控えていた。ニンジャか?!

 俺らの為に、葦とビロードで作られた軽くてしっかりした椅子が専用で置かれていた。

 引かれた椅子に座ると、硬く反発しつつふわっとジャストフィットで包み込む素敵な座り心地だ。


「コースと軽食、どちらにするかね?」


 つつみちゃんは少し眠そうな目で俺を見る。こっちに任せるみたいだ。


「コースで」


 腹が減って、死にそうなんだ。


 貝塚が目を向けると、隣にいたスタッフが軽く頭を下げて厨房に戻っていった。


「よこやまクン。わたし、この間ソフィアに奢ってもらった時くらいしかコース料理食べたことないの。マナーとか分からないから教えてね」


 あの時は、皆しててんやわんやだったな。

 スミレさんとこで散々食べてたんじゃないのか?


「好きに食べれば良い。ここにはヘンテコなマナーをドヤ顔で押し付けてくる講師はいない」


「その通りだよ。つつみ君」


 貝塚が重々しく頷く。

 スタッフが三人やってきて、俺らの前にナイフとフォークをセットし、ナプキンまで膝に掛けてから水を注いで去って行く。


「飲み物は、つつみ君はバーガンディ・キティで良いかね?」


「そうね」


「俺は」


「トマトソーダだろう?」


 よく分かってらっしゃる。

 今日は皮肉じゃないぞ?


「私はブルゴーニュの新しめにしようかな」


 全員赤色で乾杯するみたいだ。

 注がれた水で唇を湿らせると、ライムが少し香った。

 艦上キッチンとはいえ、貝塚がコースと言ったんだ、期待していいだろう。


「よこやまクン、目が輝いてるね」


 つつみちゃんは口元を片手で隠してクスクス笑った。


「この間の満漢全席は結構悔しい思いをしたからな」


「ああ。あの時のお土産、美味しかったよ。冷えてても気にならなかった」


「大丈夫なものだけ包んでもらったんだ」


「わたしは全部味を見たぞ」


 何っ!?


「おいおい。そんなに恨めしい目で見るな。悦に入ってしまうじゃないか」


「どうだったんだ?」


「海鮮は概ねアタリだったよ。アワビが少し硬かったのが残念だったね」


 干しアワビだったのか?!

 俺も喰いたかった・・・、どこにあったんだろ?

 一番外してはいけない皿が見付けられなかった。


「時間が三時間くらいしか無かったしな、戻すの失敗したんじゃないか?あれだけ揃えたんだ。良くやった方だろ」


 干しアワビは一流の料理人でも戻すの難しいからな。


「伝えておこう。喜ぶだろう」


 そして。何かに気付いたのか、悪戯を思いついたいけ好かない子供みたく、貝塚は上品に顔を歪める。


「つつみ君、面白い動画があるんだ」


 俺に隠してパネルを出し、笑いをこらえながら、テーブルの陰でつつみちゃんに見せている。

 何だ?俺には見せられないのか?

 さっきのイニシエーションルームのえっちな動画でも見せてるのだろうか?

 でもあれ、スフィアからつつみちゃんも見てたしな。


 映像を見ているらしきつつみちゃんは目を見開いている。

 スピーカーは指向性らしく、こっちには聞こえてこない。

 何の動画か気になるな。

 ファージ操作すれば聞こえるのだが、やる気は無かった。

 動画は短かった様だが。


「下、さ、い」


 やけに重々しく言い切る。

 そんなにヤバいやつなのか?


「ふふふ。さて、どうしたものか」


 貝塚は思案顔だ、つつみちゃんは”ぐぬぬ”とか呻いている。


「そういえば、雲、好きだったよね?」


「気象全般は好みだね」


「去年の夏に撮ったベール雲に沈む夕日があるんだけど」


「八月二日のだね。持っているよ」


 つつみちゃんはしょんぼりしている。


「撮影場所によっては考えても良い。おや、一品目が来たね」


 この間、トマトソーダ飲んだ時に映っていたのは外ではなく夕日の映像コレクションだったのか。


 前菜の前に、飲み物と一緒につまみの小鉢が来た。


「あ。かわいい」


 貝塚は、無意識にスフィアを浮かべて撮影しまくってるつつみちゃんを、和やかに見つめて待っている。

 もう、それ隠さなくていいのか?

 ずっと使ってたし、今更か。

 貝塚の掲げたグラスは、少し大き目のチューリップ状で、縦に皺が寄ったあまり見慣れない形をしている。

 あれも切子なのだろうか?

 ワインは二口分くらいしか入っていないが、新鮮な酸味が俺の方までしっかり香っている。


「さて、明日で旅も半ばだが、目的はほぼ達したと見ていいだろう。わたしには君たちが満足して銚子港を下りる姿がしっかりと想像出来る。その為に残り四日もしっかりと歓待させてもらうよ。ささやかではあるが、この夕餉はその証左となるだろう」


 乾杯の挨拶につつみちゃんは少し表情を硬くする。

 貝塚、さらりとこういうの出てくるの、流暢だよな。


「前途に」


 口を付けたトマトソーダは、甘くしてくるかなと思ったが、この間と全く同じ味だ。

 満足。


「ねぇ、よこやまクン。外側から使うんだっけ?」


「いや」


 俺は一番持ちやすそうなフォークを手に取る。


「その皿から掬うのに一番適しているなと思った食器を自由に使えば良い。ウェイターがそれに応じて、次に使うであろう食器を勝手に補充してくれる」


「そういうものなんだ?」


「耳障りな音が立つほど食器同士の音を立てると、食器が傷つく恐れがある。食器が高価な時はそっと扱った方がホストに優しいな」


「この食器は高いの?」


 俺は貝塚に目を向ける。


「気にせず使い給え」


 口元でグラスをゆっくり揺らして、小さく微笑んでいる。


「細心の注意を払うね」


 つつみちゃんは垂れていない額の汗を拭った。




 スープの後、魚料理が出てくるまでに、つつみちゃんと貝塚の動画交換の交渉は済んだようだ。

 今のつつみちゃんは満面の笑みでカサゴのオーブン焼きをつついている。

 あの笑顔は、カサゴがホクホクパリパリなのだけが原因では無いだろう。


「でね?よこやまクンたら、”大丈夫、失敗しても俺が拾う”とか自信満々で言ってたのに、本当は伸るか反るかの瀬戸際だったんだって」


 くっそ。アンカーの時、後日めっちゃヨイショされたから口が滑った。

 後悔しても遅い。


「赦して遣り給え。男子たるもの、ここぞという時には虚勢を張ってでも通さねばならない意地があるのさ」


 そーだそーだ!

 ”失敗しました御免なさい”で何百億円もスッ飛ばせるかよ!


「それに、つつみ君だって、りょうま君に”信じろ”と真顔で言われたら、二つ返事で頷くのだろう?」


 横目で見測る貝塚につつみちゃんは”むぐ”と黙り込み、カサゴの目玉を穿っている。え?そこ食べんの?

 貝塚を見ると、器用に小分けにして頭ごとバリバリいっている。

 俺の視線に気付くと。


「鱗とエラは処理してある。中まで香ばしいぞ?」


 俺、カサゴの頭って食べるの初めて・・・。




 その後出てきた北海道和牛ランイチのステーキはヤバかった。

 赤身肉の常識を覆す一品だった。

 カサゴでも感動していたのだが、軍艦の上でこのクオリティが食べられるとは、三世紀前の軍人は誰も想像していなかっただろう。

 この空母群自体が貝塚グループの私物だろうし、この船だけ特別なのかな?

 この世界の軍需産業体は貝塚以外にもいくつかあるし、どうなんだろう?

 食への拘りは日本が独走な気もするけどなぁ。


 デザートまで終わって目の前でコーヒーを入れてもらってる時、我慢できずにつつみちゃんが爆弾をぶっこんでいく。

 このまま良い気分で部屋に帰って寝たかったが、そうもいかない。

 明日、エルフに会うまでにある程度こちらのポジションを有利にしておかないと、足元を見られる事になる。


「可美村係長から話は行ってるかな?」


「何の話についてかね?」


 二人とも顔は笑っているが、眼つきが一瞬で鋭くなった。

 空気も硬くなった様に感じたが、こちらは本当に硬くなっていた。

 二人が、ファージでバチバチに牽制し合っている。

 因みに、今目の前で行われているみたいに、艦隊指令の目の前で空母とシステム艦にクラッキングする勇気は俺には無い。


「優秀なスフィアだね。自前かね?」


「去年より増設してるね。何か必要に迫られる事でも有ったのかな?」


 凄いなー。

 勉強になる。

 ログ取らせてもらおう。


「ヨコヤマ様はカフェラテで宜しいですか?」


 気付いてるのか気付いてないのか。

 隣でコーヒーを入れている給仕のにーちゃんは澄まし顔だ。


「カプチーノ出来るか?」


「畏まりました」


 目の前でミルクを作ってくれている。

 銅色のスチームワンドからゆっくり注がれた泡は牛乳の香りが強かった。北海道の地場牛乳なのかな?


「ミルクが良い香りだな」


「お気付きですか。北海道の天然ものです。今朝絞ったばかりだそうですよ?どうぞ」


 厚めのコーヒーカップに溢れんばかりに注がれたミルクは、・・・ちょっと多くないか?俺が褒めたから多めにしたのか?

 零れそうなので、ソーサーも手に取る。口を付けると、エスプレッソはやはり若干下の方だ。嫌いじゃないが、泡が少し多いな。


 味は、・・・最高だ。

 ミルクが濃厚なので主張するかと思ったが、しっかりマッチしている。

 腹いっぱいなのでキツイかと思ったが、全然クドく無くてさらりと飲める。


「美味いな」


 他人事みたいにコーヒーを楽しんでいる俺が勘に触ったのか、つつみちゃんが俺を睨んだが、直ぐに噴き出した。

 つられて俺を見た貝塚も微かに息を吹いた。


「似合ってる」


 つつみちゃんは自分で言って大笑いを始めた。

 ああ。俺の口に白ヒゲが付いたのか。

 女子二人とも笑っていて、電子戦は一旦お開きになったようだ。

 ワザとフォームドミルクを多くしたのか?確かに、味は丁度だったな。

 俺が給仕を見ると、軽くウィンクしてそそくさと去って行った。

 貝塚は、面白いのと面白くないの両方混じった眼でその後姿を睨んでいる。

 こんな上手いカプチーノを入れたんだ。虐めないでやってくれよ。

 俺の視線に気付いて、貝塚は目を伏せ肩を竦めた。

 つつみちゃんは一通り笑い疲れたのか、コーヒーを啜ってから、隣に置いておいたポシェットからタッチベースを取り出した。


「食事のお礼に一曲弾きましょう」


 立ち上がって肩からベースを下げたつつみちゃんは、貝塚に仰々しく頭を下げた。

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