第40話 エルフとコーヒータイム

 さっきの通路を抜けた先には、ガーデニング用具置き場の小さな部屋を挟んで二十畳程の温室があった。密集する木で全景が掴めないのでもっと大きいかもしれない。


 コーヒーを飲みながら、俺たちは温室のガーデンチェアに座っている。

 クッションもカバーも付いていない白いペンキの剥げかけた木の椅子だが、フカッと座れて心地良い。

 周囲には様々な観葉植物が所せましと植わっている。

 種類の多さから、大宮市役所の空中庭園を彷彿とさせるが、あそこより植生が豊かだ、大宮は見て楽しむ庭園の体だったが、ここは、兎に角詰め込んでみました。という感じだ。隙間にも鉢が大量にぶら下がっている。

 天井はかなり高く、さっきの駐車場くらいありそうだ。上から降り注ぐ光は多分太陽灯だろう。久々の強い日差しに顔肌がヒリヒリする。


「弱めるかい?」


「いや、久々の日光だったんで。このままでいい」


 木陰が空調でサラサラ揺れて、本物の日差しみたいだ。

 気温は二十度くらいか?少し湿度が高い気もする。


 目の前の丸テーブルには銅錆の少し浮いたヴィンテージのサイフォンが柔らかい音を立てている。

 久々に、コーヒーに感動していた。

 俺好みのコーヒーだ。

 フルーティーな香りとコクがあるのに後を引かない苦み。酸味がほとんど無く、ミルクと絶妙に合っている。


 これが、幸せか。


「気に入ったかな?ふふ。君は運が良い。この豆は丁度十日前に煎った物だ」


「十日だと旨いのか?」


 このエルフにとってコーヒーは重要なステータスみたいだ。


「豆の種類にもよるが、あたしの育てている豆は、焙煎後十日で香りが最高に落ち着く。それ以降は何故か香りがみるみる抜けていく。窒素充填しても真空パックにしても冷凍してもそれは不可避だ。煎った者のみが持つ特権だな」


 コーヒー権か。貴族の特権より健全で素敵だと思う。

 勿論口には出さない。

 俺の口は今、このカプチーノを味わう為だけにある。


「よこやまクンて。時々おっさんクサイよね」


 失敬な、俺はおっさんだ。

 俺のブスッとした顔を見てエルフはくすくす笑っている。


「ほら、君の後ろ、ちょっと奥にもさっとした低木が何本かあるだろ?品種は全部同じなんだが、あれがコレさ」


 エルフはマスクを外さず、ストローでマスクの下からコーヒーを啜った。


「ツツミ。一曲お願いできないかな?」


「・・・別に良いけど。テックスフィアは外だよ?」


「ふふん」


 エルフは、大げさに片手を上げ、誰かを案内する素振りで手を下ろす。

 黒いゴルフボールが三個、木の影からゆっくり飛んできた。


「ファージも密度四十パーセントで満たしたよ。十分だろう?」


「え?ちょっと。まって。これって」


 言語野が仕事してないぞツツミ君。


「まぁまぁまぁ。とりあえず使ってみて」


 エルフが言い終わる前につつみちゃんはもう湿度計を片手にペグの調整をしている、いつも手動で細かく見ていくのだが、ベース本体の自動巻き取り調整だけでチューニングもそこそこにいそいそと弾きだした。


「慌てなくても、逃げないよ」


 かなり小さいが、これテックスフィアなのか?つつみちゃんの周りを忙しなく飛んでいる。無粋なので俺はファージ接続はしていないが、音の広がり方からしてファージはローカルネットだろう。データバンクにも繋がっておらず、ただ満たされてるだけの状態かな。


「リクは?」


「フラメンコ」


 つつみちゃんは無言でエルフを見る。意味があっての選曲なのか聞きたかったが、俺の方は向かなかった。あえてこちらを向かなかったのだろう。なので聞かなかった。


 パタパタと弾きだしたのは、この間遊歩道で弾いていたあの曲だ。あの後、調べたが何の曲か分からなかった。イントロが渋いので気に入っている。

 演奏は、小節を噛み締め、丁寧に進んでいった。

 音は何故か、スフィアからでなくベースから聴こえてくる。

 少し頭の位置を移動してみたが、聴こえ方に変化がない。

 俺への反射率がリアルタイムレンダリングされている証拠だ。

 解析しないと詳しくは分からないが、これはスフィアからの音を周囲の反射物を使って対象毎に音を届けているクサい。

 三つのスフィアは定点におらず常にフワフワ移動しているから、かなり繊細な発信が必要なはずだが、これ、三人に同時に届けているのか?

 エルフは目を閉じ、聞き入っている。

 つつみちゃんはいつも通り、口を尖らせ、かなり真剣だな。

 この間のステップ保存してあるから、拍子だけなら真似してタップできるが、やらないでおこう。

 俺の足で邪魔しちゃこの曲が勿体ないしな!


 今回は、弾き語りではなく演奏のみだった。

 聴いてて悲しくて、胸が張り裂けるってこういう気持ちなのか?

 この間より影響が強く、涙がポロポロ出てくる。

 涙を指で拭い、つつみちゃんの演奏を遮らないよう、そっと鼻をすする。

 義足エルフが何も映さない目で俺をじっと見ている。


 手拍子は無く、ベースをじゃらりとかき鳴らして曲は終わり、つつみちゃんはそのまま器用に指先を動かしながらヴェネツィアっぽぃリズムを刻んでいる。響きが急ピッチで変化しているので、色々試しているのだろう。


「通信規格はまだ未発表だ。疑似量子通信も可能になる」


 つつみちゃんが息を飲み、手を早める。


「第三世代規格?!」


「世代的には第四世代に当たるだろう。第三世代が普及した後、世に出るのは五年後、インフラが整うのは国内だけでも十年かかるかな?」


「クァドラテックスフィア・・・」


「これの良い所は、専用の中継器を必要としない所だ。消費電力も少なく、既存の通信規格を使ってアカシック・レコードのポートだけ開けておけば共有化現象で端末間でデータの予測変換が可能だ。誤送信はほぼ起きていない」


 つまり、どういう事なんだ?


「性能的には、光より速く地球の裏側とコミュニケーション取れるって事」


 俺が頭の中ハテナでいると、つつみちゃんが教えてくれた。


「それって」


 でも、そんな事可能なのか?本当なら、だってそれだと!?


「気付いたかい?」


 俺の目ん玉ひんむいた顔が余程可笑しかったのか、エルフは腹をよじっている。


「あたしは光の先が見たいんだよ」


 このエルフは、ナチュラリストではなく、その対極に位置するヒトだった。


 科学の信奉者。


 何故こんなアクセスの悪い谷底で魔女プレイしているのか不思議だが、地下の人たちが垂涎の技術持ってるエルフってどうなの?もしかして、エルフってこういう人ばっか?!


「あ。ナツメコさんはエルフの中でも例外だからね」


 心を読んだのか、つつみちゃんがピンポイントでツッコミを入れてくる。


「宇宙は釣り鐘型だ、とかドーナツ型だ、とか言うけど、未だに新説が毎年生まれている。あたしは観測できていないだけで以前から真球に近いと考えている。この通信規格はその真理に近づく第一歩だ」


 ロマンチストも二世紀経てばここまでくるのか。


「人類は準光速までしか至れないんだと思ってた」


 ゲームの設定として空想科学は大好きだが、自分がその世紀の転換点に立ち会うとは思ってもみなかった。今の人類でこそ、一番近い衛星、月との通信にも一秒かかる。光の速度は超えられない。

 それを超える速度の通信が可能となる?

 それは、言い換えれば未来さえも可視化される。

 そうなったらこの世界は・・・どうなるんだ?


「ツツミ、この三つは貸そうと思う」


「え?あ。いやいや。えぇ~?!」


 普段あまり感情の変化が無いつつみちゃんが嬉しがったり困ったり忙しい。

 演奏が心情をそのまま表してて面白い。


「あたしの方で取れそうなデータは粗方取ったからね。テスターとして色々試してほしいんだ」


「嬉しいけど、こんな高価なもの」


「確かに、今のこれは同じ重さのオスミウムより高価だ。だがもう、後悔したくないだろう?」


 強い口調でエルフは遮る。

 つつみちゃんは、息をのんだ後何回か言い淀み、下を向いて”ありがとう”と押し殺した声で呻いた。

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