第39話 星川の畔
「会ってほしい人がいるの」
うん?
「俺に了承を得る必要がある人?」
ちと、皮肉過ぎたか?
つつみちゃんは苦笑いだ。
その日の仕事は終わり、皆さっさと帰り支度している。
最近の俺の仕事は大所帯だ。コンテナ内での作業は安全上必要無くなったので、デスクやら機材は三ホール目に集約している。
一ホール目は俺の部屋とアスレチック、二ホール目はトイレと風呂、三ホール目は仕事場で四ホール目は一応空いているのだが、保安上使用不能で機材のスペア等を置く倉庫扱いだ。
「ごめん。今から?」
「ううん。大丈夫?」
誰だろう。
「だいじょぶだよ、着替えるから待ってて」
今日のつつみちゃんは濃いグレーのワンピースで、下は黒い細身のパンツだ。膝から下は薄いプロテクターをしている。背中に折り畳み式の赤いアクセントが入った黒のスティックギターを背負っている。肌が薄緑だし、姿勢が良いのでカッコイイ。靴がゴツいのが気になる。
いつも、役所から南の駅方面ばかり行くのだが、今回つつみちゃんは第二北大通線の辺りに案内すると言う。
この辺りはまだ、地下部分までスラム化が酷く、基礎の設置にコストが掛かるからと、防壁建設や開発が遅れ気味になっている。
地表部分に形だけ防壁はできていて、警備はされているが、重いと崩れてしまう為、壁の中はスカスカだそうだ。
夕霧の中を、バラック集落の谷間が星川を中心に何層にも渡って形成され、あの九龍城の時を彷彿とさせるが、あそこまで禍々しいカオスっぷりではない。電飾や死体が無く、ゴミも少ないからかな。
雲霞の如くフローターが飛び交い、力技で警備している。
「道が無くてちょっと飛び降りる箇所多いから、気を付けて」
むしろ大好物です。
「その靴はこの為か」
「ジャイロとダンパー付いてるんだー。飛び降りるときクセが有るけど、十メートルまで問題無いよ」
何それ俺も欲しい。
「帰るときはどうするんだ?」
「一番近いリフトは一人乗りのが五丁目にあるんだけど、この時間はラッシュアワーで日雇いの人で混むの。行儀悪い人多いからちょっとね」
なるほい。
一人乗り用リフトは、かなりワイルドだ。
垂直でケーブルが回転していて、俺が見た一番長いのは全長三百メートルあった。手と足を掛ける棒が付いていて、それだけだ。
安全設計とか無い。申し訳程度に階層ごとにネットが張ってあるが、落ちたらほぼ死ぬ。
元々、高層スラムとか、工事現場とかに設置されるモノで”使う人は自己責任”ということになっている。
俺が乗ったら良い鴨撃ちの的だな。
「一応、ルート表示共有するね」
無駄に凝ったファンシーなナビが表示された、クマのぬいぐるみが物陰から覗いたり、花柄や蔦柄が舞い踊ったりしてる。
高所から飛び降りると、ファンファーレと共にクマちゃんたちが喝采してくれた。
つつみちゃんも同じ表示なのか?何のリアクションもしてないけど。
いつもこのナビ使ってるのか?
最近の若い子はよくわからん。
パルクールとまではいかないが、飛び越えたり飛び降りたりしながらかなり下ってきた。
隣を流れていたはずの星川は、もう遥か頭上だ。バラックだらけの谷をひたすら降りていき、ここいらにはもう人気はほとんど無い。
夕日も射さず、かなり暗くなってきている。街灯など皆無だ。
「大丈夫なのか?」
丁度飛び降り際につつみちゃんに聞いた。パンツじゃなければ見えている。
非常に残念だ。
「うん?ああ、今はちょっと危ないけど、ベース有るし。帰りは多分送ってくれるはず」
大丈夫なのか?!
「てか、ギターじゃなくてベースだったのか」
「五弦だからね、でもベースだよ。ギターだと可聴範囲かなり広くなっちゃうから」
つまり、治安が悪い上に目立つと不味い場所ってことですね。
ナビには表示されてなかったが、確かに、野球ボール大のテックスフィアがいくつか飛んでいる。
こいつらはつつみちゃんが装備しているやつだ。
テックスフィアは、見た目は只のフローターだ。だが、機能は多種多様だ。
つつみちゃんの持っているモノはかなり機能がとんがっている。 風速十五メートルまで無音で飛行や歩行が可能でスピーカーやサーチ系も備えていて、アンプや通信支援もできる高機能だ。
それ自体は火器を備えていないがトンボより速く飛ぶし、音さえ出せれは今のつつみちゃんはほぼ無敵だ。
だからこの余裕なのだろう。
ベース持ってる人に間違ってギターって言っちゃうと怒られるんじゃなかったっけ?
俺は赦されたのか?
「怒らないし」
?!
「顔に出てる」
おかしい。ポーカーフェイスが俺のウリなのに。
結局、谷底まで降りてきた。霧はもうほとんど無いが、上で雲になっている。辺りはジメジメしていて、ファージが濃い。空気は冷たく張りつめていて、谷底全体がチルド設定だ。
この辺りには人が住んでいるバラックは全く無くて、ボロボロに壊れているものばかり。日照量が足りないのか、苔や丈の低いシダばかりで普通の木や草は全く生えていない。
厚い苔の絨毯を踏むとぐしゅりと水が染み出す。
こんな所に人が住んでいるのか?
なんか俺だまされた?
ここで襲われたら非常に厄介だ。
「予定入れると、襲撃計画立てられるから。大丈夫だよ。話は通してある」
人が通れる道が無く、獣道すら無いが、つつみちゃんは気にせずズンズン進んでいく。
ひざ丈まであるシダがじっとりと露に覆われていて、アトムスーツでなければかなり不快だっただろう。
つつみちゃんはと見ると、ワンピースもパンツも靴も撥水加工だった。キレイに水をはじいている。
断じて、ケツが見たかった訳ではない。
「着いたよ、ここ」
崖際に不自然な低被探知処理が施されている部分がある。
量子ステルスとはまた違う良く分からない光学迷彩だ。非電源素材みたいで、電位変化が検知されないので、非常に分かりにくい。
見た感じ苔生した他の崖の部分と同じなのだが、触ってみると、金属製の壁だ。
つつみちゃが上に向かって手を振ると、音も無く壁がせり上がった。
思った以上に範囲が広く、十メートル以上幅がある重厚なシャッターだ。
中は薄暗く非常灯しか点いていない。巨大なトレーラーが何台も泊められていて、とんでもない広さだ。
役所の隣の体育館より天井が高い。
使われてる形跡があるが、どこから出入りしてるんだ?謎だ。
駐車場の奥には使い方が謎な重機がいくつも置いてあり、その脇を抜けると上り階段が見えた。見上げると、上の窓から誰か手を振っている。
階段を上る俺らをドアを開けて出迎えたのは。
「待ちかねたよ!ツツミ!本当に連れてきてくれるとは!」
マスクをしている藪にらみのエルフだった。
どう見てもエルフに見える。
耳にジャラジャラピアスを開けていて、赤いセーターに白衣を纏っている。 背が高く二メートル近くありそうだが、せむしまではいかないまでも凄く姿勢が悪い、二つのメロンが重力に従い真下に垂れている。垂れ落ちてはいないので冒涜的な威力だ。
データが表示されないので、不審に思っていたが、いつの間にか周囲のファージがほとんど消えていた。
つつみちゃんも、テックスフィアを表に置いてきているので、ここは安全なのだろうが、よりによってエルフ?
「タイミングがなかなか無くて、警備が付かない日もほとんど無かったの」
エルフはイヤイヤと手を振る。
「スミレも五月蝿いからね。仕方ないよ。今日はきれいにまいてきたみたいじゃないか」
なんだ。
「スミレさんの知り合いか」
「友達さ」
「正確には喧嘩友達ね」
「いつもスミレが突っかかってくるんだよ。あたしは悪くない」
スミレさんが誰かに喧嘩を売っている絵面は想像できないが。
「ここはまだサーチに引っかかる。とりあえず中へ、コーヒーでも飲むかい?」
中へ入っていくエルフはびっこをひいている。両足がスキー板の義足みたいだが、治さないのか?
ドアを抜けると長い通路で、壁は水生栽培とそのライトで埋め尽くされていて、ざっと見たところ全部食用だ。所々毟った跡がある。通路沿いの部屋には小窓があり、中に小さいショゴスが見える。
ここは食糧庫みたいなもんか、一人で暮らしているのか?
床は渡し板の下に床一面のグレーチングを一枚挟んで浅く水がひいてある。流した水はまた上から出してんのかな?泥が靴底から剥がれて下に落ちて水を汚してしまっている。少し心苦しい。
「よこやまクン、少し休んで後で見せてもらお?」
流石にあれだけ動くとつつみちゃんはお疲れみたいだ。
「うぃっす」
エルフって捕食者なんだよな?
どういう事なんだろう。
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