第25話 行軍初日

 不安点に関して、殺し屋に確認したら、鼻で笑われた。


「コボルドに囚われて一晩生き残ったんだろ?別にベルコンだけで相手する必用は無い。それに・・・」


それに?


「なんだ?これ」


 ふと、クレバスの割れ目から下を見た殺し屋がさらにしゃがんでのぞき込んでいる。


 五十分歩いて十分休憩を続け、着実に進めていくのだが、その三回目。

 丁度渡るのに手間がかかるクレバスの手前で休憩中の事だ。


 七メートル程の幅で大きく開いたクレバスの下を覗き込むと、崩れかけたほんの少しの足場にそれはあった。


「卵?」


 窪んだ水たまりの中にウズラの卵状のモノが大量に積んである。キモイ。

 クレバスの中だったし、影になっていて探査に引っかからなかったんだ。


「フローターで取ってきてみるか?」


「止めとこう。生き物の卵だったら困る。刺激しない方がいい」


 殺し屋の顔が目に見えて真っ白になっている。いやまさか。ここには酸素も無いし、アスベストも飛んでいない。マッピングの時も、生物やウィルスの類は検出されなかった。ぴくぴく虫というのはありえない。

 確実に、死の世界の筈だ。

 ファージも全く存在しないから、悪夢が現実になるオカルト現象も起きない。起こるはずがない。

 背筋がゾッとするが、大丈夫。と自分の心に言い聞かせる。

 今この周囲十キロ圏内で、生きて活動してるのは俺ら二人だけだ。大丈夫。

 俺らが気を付けるのは、吸気と体力、怪我と事故。

 順調に進んでいる。

 問題ない。


「行こう」


 殺し屋が向こう岸の足場を入念に確認している間、アシストスーツの稼働を準備運動がてら細かく確かめていく。

 俺らのクレバスの渡り方は割とワイルドだ。

 探検の専門家が聞いたら”事故率MAXだ”とブチ切れるだろう。

 どうやるかと言うと。


「んじゃ、跳ぶぞー」


「おっしゃ、いけ」


 運動量、足の位置、予測到達地点、着地後の制御まで全部入力してある。

 アシストスーツにゴーサインを出し、両方の手先をアンカーにしたベルコンをだらりと下げて、助走を開始する。アシストスーツの力なら助走は無くとも七メートルくらい跳べるのだが、俺の体が急な加重に耐えきれずにブラックアウトや骨折をする危険があるので、助走から行く事にした。


 再三確認の上、スタート。クレバスまで三歩、二歩、一歩。


 踏切と同時に下げていたベルコンが前方斜め四十五度に振り上がる。

 踏み込んだ地面がメシャリと沈む。

 浮遊間からフィードバックされる足の裏の感覚にヒヤッとした後、下をチラ見すると、下だけでなく上にもクレバスが開いているので、上下左右延々と真っ黒に塗りつぶされていて、吸い込まれそうな感覚に陥り、軽く玉ヒュンした。

 ヘルメットとアシストスーツが、風を切って、思ったより長く感じた滞空の後、着地。

 アシストスーツの両手足と、ベルコン、六つの接地点で地面を掴み、けたたましく擦過音を上げながら滑っていく。なるべくデコボコしていない平たんな場所を選んだのだが、水しぶきと砂利を撥ねとばし、グルグル回りながら十メートル近く滑ってから止まった。


予想通りだったが、しばらくドキドキが止まらなかった。

 一旦落ち着いてから、クレバス付近でアタリを付けておいた箇所にベルコンでハーケンを二つ打ち込み、殺し屋が投げ渡してきたワイヤーをその二つに通して向う岸に投げ返す。

 長さは違うが、同じ高さで幅も合わせると、簡素な橋の完成だ。


「ちょ、おま」


向うでチャージドッグを固定して、こっちで俺が支えて。と、ワイヤーで手すりも作る予定だったのだが。強度確認したら即行、殺し屋が渡ってきてしまった。

 すたすたとワイヤー一本の上だけで。

 怖くないのかよこの女は・・・。


チャージドッグとスパイダーの足は車輪も付いているので、そのまま走行してこちら側まで来られる。

 事故も落下も無く、全て渡り切った。

 また使う可能性ゼロではないので、張りなおせばすぐ使えるように、緩めた状態で一応放置しておく。


 その後、トラブルらしいトラブルは無く、いや、有ったか。


 あえて言えば、以前のサーチでは水没していなかった箇所が天井まで水没していた。

 その箇所は水も濁っていたので、念を入れてカメラ全機投入でマッピングしなおした後、隊列を組んで真っ暗な水の中をソナー画像とワイヤーフレームのレンダリング画像だけを頼りに進むことになった。

 幸い、水は流れてなかったし、調べた範囲内での水の流入口も流出口も見つからなかったのだが、鉄砲水か雨水か。不安要素ではある。


水没箇所は所々に空気はあるが、どうせ呼吸不可で吸う必要は無いし、二キロに渡って続いたので、水中のみを移動していく。殺し屋は、流石に二キロは泳がせられないので俺の動かすアシストスーツに掴まってもらう。

 先頭はスパイダー二台で周囲にワーム六台、俺が六本足になってアシストスーツで殺し屋を牽引し、最後尾はスパイダー一台。何かあったら直ぐに対応できる体制だ。


 一番怖いのは鉄砲水だ、気づかないうちに水が流れ始めて、安地まで逃げきれずに水流でもみくちゃにされながら圧死とか嫌すぎる。

 濁って先の全く見えない水が、いつ流れ出すかと、ゾクゾクする。舞う泥の動きに必要以上に注意を払う。それに、体感、生暖かいので、水が腐っているみたいで気持ち悪い。


「なぁ」


「うん?」


「これ、雨水じゃないよな?」


「違う。雨水だったら色々混ざっている、どこかの空洞が溶けて崩壊しただけ」


 なん・・・、だと・・・。


「んじゃ、この移動した水の重みで、またどこか崩壊して水が流れるって事もあるって事か?」


「そうだ」


 アシストスーツで水底を這い進んでいるのだが、水底に足を付くのを躊躇したくなる。

 踏み抜いたら吸い込まれる。絶望しかない。


「安心しろ、過去二百年で、この鍾乳広原を五分以上水が流れ続けた事は無い。水流も、この辺りはほとんど無いようなものだ。地盤も上下が厚い所を選んでいる。ゆっくり増えて、ゆっくり減る。二日もすればここもまた干上がる」


 ちゃんと調べてたのか。


「粘土質がまだ澱んで緩い箇所がいくつかあるが、それも十センチ程度だ。底なし沼も無い」


 一人だったら・・・、いつ潰れたら、流されたら、閉じ込められたらと、怖過ぎスパイラルでショック死してるだろう。何故か俺の肩につかまってる殺し屋の手が心強い。

 そういや、俺が安心するような事ばっかレスポンスくるな。パニック障害起こしそうに見えたのだろうか。


「時間だが休憩とるか?」


 勿論。


「ああ、しよう」


 早く水から出たいが、トラブった時のアシストスーツのバッテリー切れが怖い。

 水分を腰に下げておいたモノから少し補給。ワームをチャージドッグに回収し、休憩中だけスパイダーを周囲偵察に回す。

 俺のバッテリー交換は殺し屋がやってくれた。

 水中なので、点検も細かくやる。見えてるフレーム画像が間違ってる事もあるので、手でもしっかり確認する。普通に視認すると、可視光ライト付けても、巻き上がる泥で一寸先も見えないからな。


 その後、行軍を再開して二十分ほどで浅瀬に出た。


「ふぃーっ」


 どうせメットは取れないので、息苦しさと閉塞感は変わらないが、例え周りが真っ暗でも、泥水から出ただけで解放された気分だ。

 水位は膝下くらいなので、上からだけ石が生えてるように見えて不思議な光景だ。地図で確認すると、平坦ではなく、今いる場所は盆地の底の部分に相当するので、緩やかに登りながらメンテナンストンネルに近づいていく。


「クレバスは無いが、水面下はかなり足場が悪い、マップのフレーム数を細かくしておけ」


 俺の嘆息を聞いて少し鼻で笑う。

 いやマジで怖かったんだって。

 居ないと分かっちゃいるけど、視界不良の中チョウザメとか雷魚のでかい顔がにょっきり出てきたらと想像しちゃうんだよ。


「水のキレイな所があったら、少し洗いたいな」


 人工筋肉がむき出しなので、こびりついた泥水で動くたびにかなりギシギシ言う。

 移動の水音が無くとも無意識なバランサーの音だけで遠くから気づかれやすいが、どうせこの辺りには何もいないし。飲料水で洗う贅沢はしたくない。


「贅沢なヤツ」


 どこが?


「東京議定書では、鍾乳洞の景観を故意に損なうと、懲役二十年または二十億円以上の罰金」


 またまたぁ。


「マジ。地下ではまだ有効」


 上に戻ったとたん借金生活なんて嫌だ。


「相棒が寝た後の話だろうけど、日本の土地を買い漁った外資が国土を破壊や汚染しまくったので、当時怒った日本が主導で強引に可決した。ネタとしても結構有名」


 世界中をリゾート開発で破壊しまくった日本が言ってもなぁ。


「当時はトーキョーとネーミングすれば全て許された」


 それは・・・、分かる気はする。


「ここには、わたししか居ない。わたしが黙っていればバレない」


 おい。


「相棒が借金地獄になるかどうかは、わたしの気分次第」


 この野郎。


「相棒の不幸な未来は置いておいて。そろそろ水から上がれそうだ。この先の渓谷の手前を今日のキャンプ地とする」


 正直、ずっと水の中を這っていたから全身ガクガク、酷使し過ぎで膝下が痛い。俺はまだ、アシストスーツ有りだから良いが、殺し屋は大丈夫なんだろうか、こいつ確か身体強化全くしてないんだろ?


 水中行軍で二時間ほどタイムロスしたが、予定通りだ。

 割と早く前半進めて少しづつ距離を稼いだのが地味に効いている。


 行程は半分以上の二十四キロを消化した。

 幸い、小さな清流の滝が見つかって、キャンプ前に割とキレイになった。

 勿論、罰金を払う気はない。


「コンテナとエアポッドの組み立て方は頭に入っているか?」


荷下ろしは必要なものだけにする。緊急時の撤収は早ければ早いほどいい。


「もう、向こうで何度組み立て練習したか。五分で両方設置できるぞ」


「なら、任せた」


 殺し屋は、カメラの設置場所の選定を始めた。


「っと、どっち向きで置く?」


「進行方向」


「らじゃ」


 コンテナは、硬式キャンプキットとなっている。広げると三×二×二メートルの直方体になり、内部の空気はフィルタリングしないで垂れ流しにして、よりコンパクトにしてある。ボンベは二十四時間使用可能だが、今回は六時間分のみ消費の予定だ。

 エアポッドは狭いながらも洗浄用のジェットシャワーが備え付けてあり、使うガスや液体を選べば、ある程度の滅菌や除染もできる。

 今回は、有害な細菌等は検出されなかったので、硫化物の混じった炭酸カルシウム系の泥を軽く洗い流すだけで済む。汚染されてないので、スーツの汚れを洗い流した後、シャワーとして体も洗えた。結構、皮脂と汗のミネラルでべたべたしていて気持ち悪かったんだよな。すっきり。

 アシストスーツは直ぐに装着できるように入口に置き、アトムスーツは密閉してヘルメットごとコンテナ内に持ち込む。

 当然のように、エアポッド内で下着を着る訳にはいかず、コンテナには全裸で入らなければならないので、先に殺し屋に入って着替えててもらった。別に良いのに。とは言うが、気にしろよ!

 てか、マジマジと視んなよ!


「ふんふん」


 !


「なるほどなー。ああ、そだ。フローター六台で先を見てもらっている、五時間後に帰ってくる。ルートの最終設定はそれ以降だ。時間まで何も考えずに休んでいい」


 因みに、俺はランニングシャツとボクサーパンツで、殺し屋はタンクトップとスポーツショーツだ。ノーブラなので目のやり場に困る。

 興奮して勃ってしまったら恥ずかしいと思ったが、タイマーをかけて寝袋に入ったら気を失うようにストンと眠ってしまった。



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