第18話 五月一日 研究部門への夜食とフラグ建設

 午後七時。ダンジョンの中は明るいままだ。夜の時間が終わり、田中達は研究部門に出す夜食作りが始まる。今回のメニューは至ってシンプルなものだ。うどんである。その他はあるもので適当に作る。食料保管室から材料を出すところから始まる。


「冷凍庫に謎のうどんがあると思ったらそういうことなのねぇ」


 辻は納得したように言った。実は彼女は午前中の空き時間を利用して、保存している材料をチェックしていたのだ。鈴岡も同様だ。


「そういうことです。きちんとした食事は取ってますので、軽食扱いには……なるかと。多分」


 鈴岡は田中の声を聞いて何か思ったのか、次の発言をする。


「不安気味に言ったね。田中君」

「げ。いやだって」


 田中にとって研究部門は生活を疎かにする傾向がある人間の巣窟だと思っている。不安になってしまう理由はそこから来ている。


「さて。田中君。特に細かい注文はないのよね。私が主導で作っていいかしら?」


 辻は袖を捲り、冷蔵庫を開ける。


「そうですね。お願いします。ここから説明になりますが。夜食は研究部門の注文を出来る範囲で作ることが多いですね。時々無理難題を吹っかけて来ることもありますよ」


 追記する形で田中は答えた。指示を出すことも忘れない。


「無理難題というのはどういうことだい」


 鈴岡の質問に田中は返答をしようとするが……どう説明しようかと悩む。自分自身が休みの時に来る可能性は十分にあり得る。ここは正直に教えようと決意する。


「ダンジョンに生息する獣とかを使って料理してくれというものです。辻さん、好きに使って下さい」


 「はあい」と緩く返事をした辻は冷蔵庫から鶏のもも肉と小松菜を出す。更に段ボールから人参を一本出す。夜食としてはガッツリだなと田中は感じる。


「牡丹鍋とかかしら?」


 辻が具体例を出してきた時、田中は面接を思い出す。彼女は結婚前に旅館で働いていた経歴を持つことを。


「流石は元旅館勤めですね」


 鈴岡は初耳なので、驚くように言う。


「へー。辻さん。旅館で働いてたのか!」

「ええ。結婚前の話だけどね」


 フフッと笑った辻は調理場で包丁を出し、手早く材料を切っていく。鍋に醤油と酒と砂糖を入れて、火を入れて沸騰させていく。その間に一口大になったもも肉に片栗粉を付ける作業をする。


「結婚で東京に来たの」

「へーそうなると何処に」

「兵庫県丹波篠山よ」


 その答えに田中も鈴岡も関東圏出身だからか、ピンと来ないものだった。


「丹波篠山、聞いたことはあるけど……田中君、場所分かるかい?」

「いえ。俺も地名聞いたことがある程度なんですよね。まあそもそも神戸ですらどこにあるのか怪しいんですけど」

「同じく」


 辻は微笑みながら、鍋の中にもも肉を入れる。


「丹波篠山は兵庫の真ん中にあるのよ」

「真ん中」


 田中は脳内で日本地図を思い浮かぶ。関西圏にフォーカスを当てて、兵庫県らしきものを見る。絶対遠い奴だろと感じる田中である。


「ご想像通り、かなり遠いわよ。田中君、冷凍庫からうどんを取ってくれるかしら」

「了解しました。やっぱ遠いんですね」

「そうね。それでも来る人、いたわよ」


 確かになと田中は思う。ネットの記事を読んだことがあるためだ。


「そうですね。食べ物と歴史の……忘れましたけど、観光で楽しめるらしいですし」

「ぜひ行ってみて。美味しいのいっぱいあるから」

「ええ。機会があれば」


 このように会話をしながら、辻特製のうどんあんかけが完成した。手際が良くて、田中もビックリなものだった。


「それでは持っていきます。研修で説明を受けた通り、明日の朝食の準備などをしてください」


 指示を出して、夜食を持って研究所に向かう。数分で着く。三階に灯りが付いていることが分かる。


「お。田中君、どうぞ入って」


 研究所にいる警備員から話しかけられた。田中は静かに中に入る。薄暗い中を通り、三階まで上っていく。


「夜食持ってきました」

「ありがとー。助かった」


 とりあえず食堂のスタッフとして仕事を終わらせる。白衣を着た丸い眼鏡の三十代の痩せた男に五人分の夜食を渡した。白い実験室の中をチラ見したが、地下とは別件であることぐらい田中でも分かる。そもそも地下に関する情報は今日の昼頃に更新されたものだ。すぐに判明出来るほど甘くない。知識がなくとも、場数を踏んでいた探索者だから断言出来る。


「探索者の方に連絡行ってるんだよね。地下の件」


 同じ研究所にいるため、地下の話は田中の前にいる男も把握している。


「ええ。まあそうですね。ただ俺が呼ばれることはないでしょう」


 田中はただ思ったことを口に出した。確かに自分自身は何度も前線に立ったことがある。しかしそれは昔の話で、今は料理人として奥多摩のダンジョンの食堂で主に活動をしている身だ。だからこそ、もう前線に呼ばれることはないだろう。そう予想しているのだ。


「田中君、知ってるかい? そういうのをフラグって言うんだよ」


 三十代の研究所の男が人の悪い笑みをした。この時、田中は背筋が凍った。何故かは分からない。探索者の勘で悟ったのかもしれない。それでも田中は否定する。奥多摩のダンジョンで数カ月も探索の前線に立っていないのだから。

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