母に愛される
身体の向きを変えるだけで高層ビルを破壊出来るほどに巨大な怪獣が町中で暴れている。体色は墨色で大きな菱形のうろこが無数に付いていて生臭く感情のこもっていない丸い黒目をして二つの長い髭を蓄えていて、つまり鯉なのである。
だが普通の鯉とは違って胴体から長くて太い人間の腕が左右それぞれ三本ずつ生えており、それが胴を支えているし獲物を見つけた際はそぞれの腕を高速で動かして地面を揺らしながら凄まじい速度で獲物を追いかける。この異質さが怪獣の証明と言っていい。今だってまさに、逃げ遅れた哀れな人が避難所に行くために運転する車を見つけた鯉がぎょりろりと眼球を向けてだだだだっと追いかけていってばくっと地面を削りながら車を丸呑みした。鯉が通った背後の景色は建物が軒並み倒壊して新たな一本道が出来上がってしまっていた。宇宙からの刺客が今日も町を脅威に晒していた。
この脅威はもはや自然災害と呼んでいい。
だが人類だってやられてばかりでは無い。
人類には、ヒーローがいる。
今、鯉の前に人が立つ。
薄紫色の戦闘用スーツを身に纏った妙齢の女性。それが見通しの良い大通りの中央に立って大げさに手を振っている。わざわざ気づかれるように。自殺行為に他ならない。怪獣は動く物に食いつく習性があると言うことが事前に分かっているにもかかわらず彼女は自分から目立つアクションをしている。直ぐに鯉に順当に気づかれる。ぎょろりとした目玉が腕の動きを数秒目で追った後に六本足が動き始める。巨体が町を破壊しながら彼女へと急速に迫り、数十メートルの間隔はあっという間に詰められ、鯉の大きな口に呑み込まれてしまう。
呆気ない最期……。
では、ない。
食べられてからが本領発揮である。
新たな獲物を探してキョロキョロ辺りを見回していた鯉が突然もがき苦しみ始めた。頭を上下左右に振ってついにはその場に倒れて陸に上がった魚みたいにびちびち跳ねて激しく痙攣した後に絶命した。
彼女の毒の仕業だった。
呑み込まれて鯉の胃袋へするりと収まった彼女は体表から毒を生成し滴らせて薄桃色の胃の壁に紫の毒を直接垂らした。即座に毒が胃壁から吸収される。強力な神経毒。それが鯉の全身に行き渡って、鯉の身体に走るあらゆる神経が溶けてずたぼろになって激痛の最中死んだ。
やがて解体班を乗せたトラックと複数の重機が倒壊したビルの間を抜けて怪獣のそばに集合し、怪獣の死体周りはさながら工事現場の様相を呈す。クレーン車が腕に取り付けられた巨大電動ノコギリを回転させ天を向く鯉の腹を豪快に割き、車両からぞろぞろと解体員が降りてきて魚の身体に梯子を掛けて上り、開いた皮にロープの付いた鋭利な鋼鉄のかぎ爪を幾つも食い込ませ、下で待機していた重機でロープを引っ張ってペグに結んで地面に刺すことで開いた皮を両側に広げた状態に固定。ようやく胃が見えたらクレーンのアーム部分に取り付けた巨大な電動メスで焼き切って、ロープを身体に括り付けて胃の中に突入した解体員によってようやく彼女は救出される。怪獣の血肉と胃液で全身ドロドロでおまけに胃の中に長時間居たもんだから酸欠で脱水状態で満身創痍でぐったりしている。
でも、そんな彼女こそが怪獣を殺した張本人だ。
ポイズンヒーローだ。
彼女が今日も人々を守ったのだ。
ポイズンヒーローの息子である悟は都内の一般的な小学校に通う平凡な小学五年生である。性格は控え目で目立つことが苦手で席は教室後方の窓際の席で授業中は窓の外の雲を眺めて休み時間は校庭からの賑やかな声を聞きながら席に座って本を読む、そういう独りの時間が好きな子供。
嫌いなものがあった。
水曜日の休み時間だった。
「なあ、昨日のヒーローTV見たか?」
「昨日のも面白かったよなあ」
「やっぱりアイスヒーローって可愛いよねー」
「録画だけしてまだ見てないわ」
教室がヒーローの話題で持ちきりになる。これは昨日の晩に放映されたヒーローTVのせいだ。
この番組は一週間の間に行われた怪獣とヒーローの戦闘をまとめて紹介することを内容としていて、ギーローが身体を張って怪獣と戦う姿は他のどの番組よりも刺激的で面白く、ほとんどの小学生がこの番組を見ていた。悟も毎週欠かさず見ている。その上で、この番組の話題で盛り上がる休み時間の空気を嫌っている。悟の母でもあるポイズンヒーローの名前がクラスメイトの口から出るとき、決まってそれは何らかの批判に晒されるときなのである。確かに華やかさという面では他のヒーローに叶わないかもしれない。戦闘方法はただ食べられるだけで、火炎を出したり電撃を放射したりしないからひどく地味だし、腹から出てきたときも身体が怪獣の血肉でドロドロで気持ち悪いと言われれば、それはそうで、そもそも解体員に救出されなければ自力で怪獣の身体から出ることも出来ないから怪獣を見事“倒した”という印象を抱きにくい。
それがどうした。
身体を張って皆を怪獣の脅威から守っているのは紛れもない事実だ。
だから悟は、母というヒーローが大好きで世界一格好いいと思っている。
だから、悪く言われるのは全く気分が良くない。
「やっぱりファイヤーヒーローってかっけえよなぁ」
教室の前方から通りの良い声を聞く。悟は本から顔を上げてチラリと目を向ける。そこには半袖から伸びる日焼けした片腕の肘で教卓に寄りかかり追う片方の腕にはノートを抱いて対面に立っている男子生徒と楽しげに会話をしている爽やかな男子生徒の姿があった。彼はクラスで一番のひょうきん者で人気者で皆からは大地君と呼ばれていた。
「確かに。超高速で飛んでる巨大セミ怪獣の羽燃やして墜落させたシーンやばいよな」
「だよな。やっぱり最強はファイヤーヒーローで決まりだよな」
「間違いないわ」
「そしたら一番ダサいヒーローって誰だと思う?」
「一番ダサいヒーロー?」
「そう」
「うーん。やっぱりポイズンヒーローじゃね?食われてばっかだし救出されるときグロいし」
「やっぱそうだよな!」
大地君は嬉しそうにそう言うと脇に抱えていたノートを開い鉛筆で何かを手早く書き留める。気になった話し相手の男の子が尋ねた。
「それ、今何書いたの?」
「あ、これはねえ、アンケート。今、隣のクラスの上松と“誰が一番ダサいヒーローか”を予想する勝負しててさ、俺がポイズンヒーローで上松がウォールヒーローじゃないかってなって」
「言われてみれば、ウォールヒーローもただ立って壁になって街守ってるだけだもんな」
「そう。んで、どっちが正しいのか決めるためにお互いのクラスでどのヒーローが一番ダサいかアンケートして集計しようってなって。もしも俺の予想が当たってたら今日の給食のデザートの冷凍ミカン貰えるんだ。いいだろ」
「え、いいなぁ、それ」
「勝ったら一粒分けてやるよ」
「らっきい」
海外ドラマで見るような裏取引を目撃した気分になって悟は視線を本に戻す。
自問する。
クラス全員にアンケートをしていると言うことはいずれは悟の元にも大地君はやってきて“一番ダサいヒーローは誰か”を尋ねて来るということだ。そのときにポイズンヒーロー以外の名前を口にすることが出来るだろうか。
出来る。当然に。それは簡単な事だから。じゃあなんでこんなにも緊張と不安を感じているのか。なんでだろうか……。
悟は答えの無い自問を繰り返しながら頁の上の文章を目で追い続ける。内容は全く頭に入ってこない。無意味な時間だけが過ぎていった。
やがて片手にノートを掴んだ大地君が窓際の悟の席の前に立つ。気配を察知した悟は本から顔を上げる。
「どうかした?」
「いや、今アンケートしててさ」
大地君は爽やかな声で悟の予想した通りの台詞を言った。悟はあえて聞き返す。
「アンケート?」
「そう。“どのヒーローが一番ダサいか”っていうアンケート」
「……へえ」
「悟は誰だと思う?」
訊かれた悟は前もって用意していた名前を口にする。
「ウォールヒーローとか?」
「ああ、ウォールヒーローねえ」
「他のヒーローが怪獣を倒すまでずっと壁役になってるから地味と言えば地味だよね」
「なるほどねえ。でも、もっとダサいヒーローがいない?」
「え?」
真抜けた声を漏らした悟に対して大地君は抱えていたノートを机の上に広げてみせる。
「ほら、これアンケートの途中経過なんだけど」
「うん」
「今のところクラスの全員がポイズンヒーローに入れてんだよ」
「……ほんとだ」
開かれた頁には横にずらりとヒーロー名が書かれていてポイズンヒーローの名前の下にだけ投票数を表す正の字が5つ書かれていた。
ここで悟は自身が感じた嫌な予感の正体を理解した。数だ。数が権力を持ってしまっていた。
恐らくは賭けに勝ちたいという大地君に気を遣った結果クラスメイト達の評が“ポイズンヒーローはダサい”という意見に集約してしまい、今やそれ以外の意見を述べることは集団に属さないはみ出し者の意見と見なされる状況になっていた。他の意見を言うことがただ捻くれた奴、で済むならいいが、これは大地君への、つまりクラスへの反逆にならないだろうか。皆から異分子として攻撃対象と認定される可能性はないだろうか。悟の思考は臆病に過ぎるかもしれないが、そこには理由がある。悟は二年生の時にいじめに遭っている。きっかけは周りと少しだけ違ったという些細な理由で友達だったはずの子達から一斉に無視された。それが起こったのは三学期の終盤だったから悟が母にも先生にも言わずに黙って少しの間我慢することによって進級してクラスが変わっていじめも無くなった。だがその時の苦しみ悲しみは悟の心に深く刻まれていた。
周りと違うことは身体が震えるほどに怖い。
「どう? 悟はどう思う?」
全く悪意無く尋ねてくる大地君に悟は返答を窮する。当然本心ではポイズンヒーローがダサいなどとは微塵も思っていない。これ以上格好いいヒーローはいない。だけど恐怖が言葉をねじ曲げる。
「……ポイズンヒーローかなぁ」
「やっぱそうだよな!」
大地君が嬉しそうに声を上げる。
悟が口を震わせて静かに息を吐き出す。
それは悟が気持ちを押し殺して大勢に屈した瞬間だった。
それから授業を受けているときも給食を食べているときもランドセルを背負って下校しているときも心に靄がかかって悟をひどく苛立たせた。帰り道で見つけた石ころを思いっきり蹴飛ばしたり、アスファルトを意味も無く音を鳴らして踏みならしたり、帰り道の途中でいつも挨拶してくれる八百屋のおばちゃんの“お帰り”の声を聞こえないフリをして通り過ぎた。気は晴れなかった。
まだ誰も居ない家に独り帰った後だって直ぐに自室へと行って電気も点けずにランドセルを乱暴に床に下ろしてゴミ箱を蹴飛ばしてちり紙散らして丸いクッションを壁に放り投げてやった。こうして少しずつ悪行を重ねてみたけれど心の靄は一向に晴れずに、むしろその執拗さが余計に悟を不快にした。嫌になった悟はベッドに上って布団を被り外界との関係を一切遮断、膝を抱えて独りの世界に閉じこもった。よくやることだった。悟は感情の発散が下手くそで感情に呑み込まれそうになると自衛手段として布団の中の暗くて狭くて自分だけの空間に避難して丸くなる。膝を抱えて丸めた身体は球体に近づいて外界との境界が際立って、嫌な物が入り込む余地のない完全なる私空間となる。感覚の問題に過ぎないが。多少、安らぐ。
時間が過ぎて夜になる。
「たっだいま~」
気づけば眠っていた悟だったが母が玄関を開ける音と帰宅を告げる陽気な声で目を覚ます。一度眠ったからといって気持ちが回復することはない、依然最悪のままだ。
「悟ー? いないのー?」
今は母に会いたくない。塞ぎ込んでいる姿を見られるのは情けなくてかっこ悪いし、その行動の原因にはヒーローとしての母が関わっていて気まずさがある。だがいつも出迎えるはずの悟が姿を見せないので当然気になった母は部屋まで探しにやってくる。
こんこん
戸を叩く音。
「悟?」
沈黙。
「入るわよ?」
こうして扉が開かれて部屋の惨状のお披露目となる。人の気配を帯びた静寂は母が眼前の光景から状況を読み取っている時間だと悟にも分かる。どうやら母は悟の作ったこの暗い空間を尊重することに決めたらしい、明かりも点けずに部屋に踏み入ってベッドの上で悟の隣に腰掛ける。
「何してんの?」
だんまりを決め込む。
容赦なく布団をめくられる。
「さーとーる」
だんまりを決め込む。
母は暫く返事を待って悟にその意思が無いと分かると、無言で悟の柔らかな髪を優しく撫で始める。母は悟の髪の手触りを楽しんで悟のプライドの崩壊するのを気長に待つつもりなのだ。
そんな簡単に折れるもんか。
頭を撫でられる心地の良さを感じながら、悟は余計に意地になる。このまま何時間でも耐え続けてやる。そう思っている。
……思っていた。
悟の気持ちが揺らぎ始めたのは母の存在が隣に馴染んだ頃合いだった。呆気なかった。温かい手に溶かされるように意地の壁が崩れ去っていった。悟は母の手にはまだ誰にも明かしていない、人に本心をしゃべらせたくなるヒーローとしての特殊能力があるのでは無いかと疑いたくなる。
悟は、顔を上げる。
「……お母さんのこと、ダサいって言っちゃった」
「んー?」
微笑を浮かべたまま頭を撫で続ける母。本当は続きが気になっている筈なのに全く急かさない母の気遣いに逆に後押しをされて、悟は言葉を続ける。
「クラスの人が“どのヒーローが一番ダサいか”ってアンケートを採ってて、クラス全員がお母さんに票を入れてて、それで俺も訊かれて……」
ここで言葉が詰まったのは無論罪悪感のせいだ。だが母の優しい瞳に促されて自然と言葉は溢れ出る。
「俺も、ポイズンヒーローのことダサいってぇっ! 思っても無いのに、言っちゃってぇっ……!」
白状した途端に涙が溢れて止まらなくなった。まるで今まで言葉が感情に栓をしてたかのように、心のモヤモヤが一気に外へと漏れ出す。
「それからなんだかモヤモヤして!悔しくて!ムカムカして!気持ち悪くて!イライラして!ウザくて!嫌で嫌でっっ!」
悟が感情にまかせて情けなくみっともなく喚き散らすのを母はただ目を細めて慈愛に満ちた表情で頷き、受け止める、やがて悟が自己嫌悪に耐えられなくなって再び膝と腹の間に顔を埋めさせようとしたときに、そんな必要は無いとばかりに母が片腕を回し悟の顔を抱き寄せた。
「んぶっ」
悟の顔が母の柔らかな胸の間に埋まる。豊かな胸に溺れもがく悟を黙らせるように母は両腕で悟の頭をぎゅっと抱きしめて顔を寄せた。
「頑張ったわね。偉い偉い」
囁かれた言葉は悟の鼓膜から身体に入り込んで悟の動きを止めさせた。それは、予想外の言葉だった。母は優しい人であったから叱られることは無いとは思っていても褒められるとはまさか思っていない。悟は母の腕の中でぽつりと呟く。
「……偉くなんかっっ」
「偉いのよ」
母は有無を言わせない。
「悟はクラスメイトと対立しないように自分に嘘を付いて周りに合わせた。それは大人の常套手段よ。つまり悟が一歩大人に近づいたって事。だから悟が自分を責める必要なんて全くないわ」
母は悟の背中をあやすように撫でながら言った。悟は悪くないと。その言葉はひどく優しくて甘美でつい自分を許したくなった。だが、心の中にはどうしても納得できていない感情の靄があって悟を責め立てていた。自分を許そうとする自分が気持ち悪い。
母に甘えないぞ、という意思表示をするべく悟は両手を前に出して母から自身の身体を引き剥がし顔を歪めながら宣告した。
「でもっ、でもっ……最悪な気分でっ……こんなの嫌だっ!」
母は一瞬目を丸くして驚いた後、口元に笑みを浮かべた。
何故だか嬉しそうだった。
そうして腕を組み、堂々言った。
「だったら。戦うしかないわね」
悟は暗闇に差す光を見るようにぼんやりと顔を上げた。
「多勢に下るのが嫌なら、孤独でも苦しくても、頑張って立ち向かうしかない」
「でも周りに合わせるのが大人のやり方なんでしょ……」
「大人は楽が好きで、そっちの方がいろいろ面倒くさくないから大抵そうするってだけで、いつもそうとは限らない。本当に譲れない物だったら大人でも立ち向かうの。それが格好いい大人ってもんよ」
「でも、怖いよ」
「怖いわね」
「どうするの」
「どうしようもないわ。たとえ和を乱して大勢から嫌われたって悪口言われたって殴られたって、譲れないものは譲れないんだから、もう仕方ないのよ」
「仕方ない……」
「そう。歯ぁ食いしばって、自分を阻む全てのものと、戦うしかない」
きっぱりと母が言い切った。
真っ直ぐな瞳で。
力強い声色で。
覚悟の決まった表情で。
言葉の裏にはきっとヒーローとしての意地がある。自分より何倍も巨大な怪獣と日々対峙して、守ったはずの大衆の一部からは“もっと建物を壊させないで戦えないのか”などと心ない非難を浴びて、それでも人々を守るという信念のために身体を危険に晒して精神を磨り減らして、母はヒーローをやっている。
その姿はとてもかっこいい。
悟も、母のように強い人になりたいと思った。
ヒーローである母のように何人もの人間を救えなくても、せめて自分の心だけは救いたいと、そう思った。
唇をぎゅっと結び決意を新たにする悟を見て母はカラカラ笑った。
「一丁前に気負ってるわね」
「……別に」
「ま、駄目そうなら転校すればいいわ。逃げるが勝ちってね」
「それってズルじゃん」
「元々ルールの中で戦ってないんだから、ズルもくそも無いない」
あっけらかんと笑った。
それから一呼吸置いて、
「ところで……」
思い出したように母が言った。
「さっき“思っていないのに”って言っていたけれど、本当はお母さんのことどう思ってるの?」
空気が一気に弛緩する。
母の口角が上がっていて期待に満ちている。悟は眉を寄せて嫌な顔をする。
「い、言いたくない」
「お母さんに言えないようじゃ、クラスメイトにも言えないわよ?」
「っっ……」
悟は確信する。母はわざとやっている。悟から何かしら褒めてもらえることを予期して、悟がその言葉を口にするのを恥ずかしいことを理解していながら、やっぱり褒めてほしいので直接言葉を引き出そうとしている! 意地悪な大人が目の前にいる!
「ほらほら~言っちゃいなさいよ」
「……」
「早く早く~」
逃げられないことを悟った悟がせめてもの抵抗として目を逸らしながら言葉を呟く。
「……か」
「かぁ?」
「格好いい……」
「んんんっっ!!」
母は頬を緩ませて両腕で自分の身体を抱きながら声にならない喜びを甲高い声で表現した。反応が全く大げさで見ている悟の方が恥ずかしくなる。なんでそこまで、と呆れてさえいる。でもこれで満足してもらえただろう、と一仕事終えて安息のため息を吐く悟に、興奮冷めやらぬ母が悟に再びお願い事をする。
「ねえ、お母さんにも訊いて!」
「え」
「お母さんにも悟のことをどう思ってるか訊いて!」
「なんで」
「いいから!」
顔を寄せてお願いしてくる母の勢いに押されて悟は言われた通りにした。
「お母さんは俺のことどう思ってるの?」
「大好きぃぃ!!!」
「うわっ!?」
母に抱きつかれてバランスを崩して一緒にベッドの上で横になった。悟は動けない。母に存在を確かめられるようにぎゅっと抱きしめられていて頬ずりされる。
「はぁ~癒やし……私の癒し……私だけの抱き枕……」
「近いって……」
悟は苦い顔で抗議を声を上げているが本当に嫌なわけではなくて、むしろ母に抱きしめられる感覚に安らぎを覚えていて、要するに照れ隠しである。
「はぁー……これで明日もこの国を守る事が出来るわ……」
「俺が居なくなって守るでしょ」
「そんなことないわよー」
母は悟の後頭部に顔を埋めさせて蕩けた声色で間延びした声で言う。
「家族が居るから、悟が居るからお母さんはこの国を守ってるのよ。国民の命なんてねぇ悟のついでよ、ついで」
あっけらかんという母の言葉を聞いたら人々は憤慨するに違いないが悟だけは母の腕の中で密かに喜んでいる。憧れのヒーローの特別が自分で嬉しくないわけがない。優越感がある。
「んふふ……幸せぇ……」
母が上機嫌で悟を抱きしめる。
悟は大人しくされるがままになった。
翌日の学校での話だ。
昨日と同じく休み時間に席に座って昨日と同じ本を読んでいた悟の前に昨日と同じように大地君がやってくる。
「なに?」
「今日もアンケート。今度は誰が一番格好いいヒーローだと思うかアンケートしててさ。給食のプリンが賭かってるんだ、頼むぜ」
「……大地君は誰だと思ってるの?」
「そりゃファイアーヒーローっしょ」
当然、とばかりに大地君が言う。
「もう皆に訊いたの?」
「おう。悟が一番最後」
「皆は誰だって?」
「もちろんファイアーヒーローだってさ」
「大地君と同じでファイアーヒーローだって?」
「そう。俺とおんなじでファイアーヒーロー」
「そっか」
「悟もそう思うよな」
「うん。俺はねぇ……」
「ポイズンヒーローかな」
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