アマゾネスに愛される
彼女は妹のような存在だった。
訳あってアマゾネスの集落から人間の集落へと家族で移り住んできた彼女は、褐色の肌を持ち、なまりの強い独特な発音をするというアマゾネス特有の性質により、同年代の人間の子供たちとはまるで馴染めずいじめられてばかりいた。道徳の未発達な悪ガキたちにしょっちゅう囲まれて、「自分たちとは違う」という事を理由に、石を投げつけられたり蹴りを入れられたりしていたのである。
目元を隠すように伸びていた前髪はそんな辛い現実から少しでも目を背けるためのものだったのかもしれない。
彼女はいじめを受ける度に、身体を抱いてしゃがみ込み涙を流しながらそれらを耐え、周りの大人たちは見て見ぬふりをした。
ひどく可哀想だった。
だからいつからか彼は、いじめの現場を見つけると彼女の前に両手を広げて立ち塞がり、彼女を守るようになった。英雄譚に出てくるヒーローに憧れていたのもあったかもしれない。前髪が目元を隠すほどに長くていつも自身無さげにおどおどしている彼女をお姫様に見立てて英雄気分を楽しんでいなかったかと問われれば否定はできない。ただ、彼女を守りたいという気持ちに嘘はなかった。肌の色だとか言葉だとか、そんなことを理由に迫害するのはおかしいと思っていた。だから彼は彼女と距離を縮めるのを厭わなかった。
遊び相手のいなかった彼女のために、彼と彼の妹と彼女の3人でよく川遊びや秘密基地作りをした。爆発する木の実をいじめっ子に投げつけるという悪い遊びも教えた。彼女は彼の前でだけは本当に無邪気な笑みを見せた。
可愛い妹。
彼女は守るべき対象だった。
鳥のヒナのようにいつも後をついてきて、そんな彼女には少年ながらに庇護欲が刺激された。
だから。
その関係が逆転することになるとは、まるで思ってもみなかった。
彼と商売用の荷物を載せた馬車は気付けば山賊に周囲を囲まれ立往生を余儀なくされていた。下卑た笑みを浮かべる山賊たちは荷車を襲って荷物を奪うつもりでいるのだろう。
御者として馬を操っていた彼女は地面にすっと降り立つと、荷車を覆う布を捲り、張り詰めた表情をして座っている彼に柔らかな微笑みを向けた。
「ここで待っていてください。すぐ終わらせますから」
幼少の頃からの敬語は未だ抜けない。だがその声には、優しくも自信に持ち溢れていた。
彼女は、変わった。
容姿が変わった。目元を隠していた前髪は細い眉の辺りで切り揃えられ、反対に後ろ髪は肩甲骨の辺りまで伸ばされた。その黒髪は艶を帯び絹のように滑らかで美しい。出会った頃は少年の彼の首元辺りまでにしか届かなかった身長もどんどんと伸び、気付けば大人の彼を少し追い抜いてしまった。格好も、上は豊かに成長した胸だけを布で覆い、下は長い布をスカートのように腰に巻き付けて素肌を多く晒した踊り子のような恰好をし、きめ細やかな褐色の肌を惜しげもなく晒している。不安になるほどに細かった手足にも逞しい筋肉が付いた。
大人の色気を纏った美しさと男に決して屈しない強靭な筋肉。
すっかり大人のアマゾネスである。
そして一番大きく変わったのは、関係性。
彼女は妹ではなく、妻となった。
「どうぞ、覚悟のある人間から掛かってきてください。私の愛する人を傷つけようとする者は誰であってもぶっ殺します♡」
馬車の前で腕を広げ仁王立ちをする彼女は高らかにそう宣言した。その凛とした後ろ姿は何とも頼もしい。
が、山賊たちからすれば、いくら勇ましい言葉を吠えていようと所詮は女が一人である。しかも成熟した肉体は女の部分を、豊かに実った胸を生めかしい腰回りを、見事に強調していて、女に飢えた山賊たちは涎をこぼす。
数の上では負けるわけがない。
そう思った山賊たちは、ナイフやら棍棒やら各々の武器を構えて一斉に襲い掛かっていった。
だが。その判断は間違っていたと言わざるを得ない。彼女は戦闘に特化した種族たるアマゾネスなのである。ただの人間が100人束になって挑もうと、彼女の前では兎が群れているに過ぎない。彼女は獅子。狩る側なのである。
彼女は雪崩のように襲い掛かってくる山賊たちに一切怯む様子を見せずに冷笑を浮かべると、履いていた靴を脱ぎ捨てて裸足になり、地面を踏みしめて腰を低くした。膨張した大腿筋とふくらはぎが力を蓄え、そして一気に放出される。
残像を残しながら瞬きの一瞬の間に彼女は山賊の一人の懐に辿り着くと、下から顎を掌底で思い切り突き上げて気絶させ、ついで斬りかかってきた山賊のナイフを身体を傾けて躱しつつ強烈な肘うちを鳩尾目掛けて遠慮なく喰らわした。
それからは一騎当千、彼女の独壇場であった。
彼女は得意な足技を中心にしてまるで舞を踊るかのように優雅に敵を蹴散らして言った。回し蹴り、飛び膝蹴り、金的、かかと落し。
山賊たちは為す術なく彼女の前に次々と倒れていく。彼は荷車から顔を出しその光景を見ていた。
その後ろ姿はとても美しかった。同時に、自分は守られる側になったのだと強く実感させられた。幼い頃は彼女のヒーローになれていたかもしれないが、今はすっかりお姫様であった。
彼女は、強くなった。
嵐の如き暴力は、山賊が最後の一人になるまで存分に振るわれた。気付けば、立っているのは彼女だけになっていた。
首を出している彼に、
「終わりましたっ」
と彼女は首を傾けて上品に誇らしそうに笑う。気絶した山賊の頭を踏み台にしてただ一人立っている彼女は、荒れ地に咲く花のように美しく勇ましかった。
商談が上手くいった日の晩飯は豪華なものになる。その日も酒屋の丸テーブルに向かい合って座る二人の目の前には、特大のローストチキンやとろとろのチーズたっぷりのパン、小さな樽に入ったお酒など、スペースを埋める程の豪勢な食事が大量に並べられていた。
「はうぁっ……パーティですね……」
「美味そうだね」
「美味しそうです……」
彼女は皿の上の品々にすっかり視線を奪われている。
彼女の食欲は旺盛だ。誇張抜きに、彼の5倍は平然と食べる。特に先ほどのような“運動“をした後は殊更に食べる。恐らくエネルギー消費量が人間とはまるで違うのだろう。実際に彼女はいくら食べてもまるで太る気配を見せないし満腹そうな姿を見せた試しがない。だから、ここにある美味しそうな食べ物たちは、ほとんど彼女の為のものだ。
「それじゃぁ、食べようか」
「はい。食べましょうっ」
そうして、彼女の食事が始まる。
彼女は、瞳を鋭くして荒い息を吐きながら骨付き肉を持ち上げると、大きく口を開けてかぶりついた。それから豪快に噛み千切ると、咀嚼もままならぬうちに樽に入った酒を煽り、今度はスライスされた大きな肉を掴み上げて口に放り込む。酒を飲む。硬いパンを齧る。酒を飲む。鳥の軟骨を噛み砕く。酒を飲む。
……いつ見ても豪快な食事。観察する彼は楽しそうに笑みを浮かべた。
アマゾネスの習性なのである。姉弟が多く、本来であればご馳走が滅多に獲れない厳しい大自然の中に身を置く彼女にとって食事は戦争である。ゆえに豪華な食事を目の前にすると彼女は、それを食べることに夢中になり、普段のお淑やかな姿とは一変してかなりワイルドな野性味溢れる食いっぷりを見せてくれる。人によってその様は、“はしたない“と映ることだろう。しかし彼にとっては、外見も気にせず本能のままに食べ物を喰らっていく彼女の姿は、余計なものをそぎ落とした真の人間の姿というべきか。とても美しく、素敵なものに思えた。
「……はっ⁉ 私、またっ⁉」
彼女は思い出したように声を上げると、顔を赤くしながら慌ててナプキンで口周りを拭いた。
「今日も、良い食べっぷりだね」
「すみません。こんな、汚い……」
「そんなことないさ。少なくとも僕は、君が夢中になって食べてるところを見るのが好きだよ?」
「う、嘘です……」
「本当さ。それに今日は頑張ったからね。そのご褒美ということで」
「それは、役割分担ですから。貴方が商談、私がそれ以外の力仕事。だから褒められるようなことじゃないというか……」
「はい、あーん」
「あーん」
彼は言葉を遮るように掴んだ骨付き肉を彼女の口へ差し出し、彼女も大人しくかぶりついた。肉の前には素直になるのが大変に愛らしい。彼女はそれでまた火が付いたように、ぱくぱくとご飯を食べ始めた。彼はその姿をつまみにしながらテーブルに肘を付いて、のんびりと酒を飲んでいた。
……やがて彼は、机に突っ伏して眠ってしまった。
彼はしこたま飲んだのに未だほろ酔いで上機嫌な彼女に背負われて、宿屋へと向かっていた。
「私、大人になれて本当に良かったな~と思うんですよぉ」
「んん」
「だってぇ、貴方の妻になれたし、一緒に商人として旅をしながら貴方を守ることも出来てるんですもん」
「弱くて申し訳ない……」
「いえ。私にデコピンされたくらいで涙目になっちゃうくらい弱虫さんでいてくれて、本当にありがとうございます」
「あはは……きついな」
「くふっ。すみません、口が悪くなっちゃいました。……でも、貴方の妻になれて良かったというは嘘じゃないですからね?」
「もう君のヒーローになれなくても?」
「大丈夫です。ヒーローの貴方もお姫様の貴方もどっちもかっこよくて好きですから」
「どうなんだ、それ……」
「本当に大好きです。昔も、今も。ずっと」
「だから……」
宿屋に着くと彼はベッドの上に丁寧に、しかし乱暴に転がされた。そしてその上に彼女が馬乗りになる。
「だから、子種をください♡」
彼女は蕩けた表情でそう言った。
彼女はアマゾネス。男の生まれにくい種族。だからこそ性欲は人間よりもずっと強く、アルコールによって理性の箍が外れた今、愛して止まない夫の精を本能が強く求める。
「ね? いいですよね?」
「いや……飲み過ぎで……気持ち悪くて……」
「安心してください♡ とっても気持ちよくなるので♡」
「いや本当に……」
渋る彼の理性を陥落させるために彼女は、顔をぐいと近づけてキスをした。舌を強引に割り込ませ激しく絡ませる。淫らな水音を響かせながらやがて彼が苦しそうにしたので、彼女は顔を離す。
その顔は酷く艶めかしく扇情的。
目は鋭く見下ろし、顔は赤く染まり、口角の上がった口の端からは涎がつうと垂れていた。
彼女は舌なめずりをする。
「いっぱい、愛させてください♡♡」
それは“食事”をするときの表情にどこか似ていた。
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