元モデルに愛される

「今日もよく頑張ったね」


魔族と人間の混血で2m30cmと高身長な彼女は平均的な成人男性の身長である彼をソファで膝の上に乗せて、後ろから優しく抱きしめている。彼女は彼の頭に顔を埋める。


「汗臭いでしょ」

「いや、私は好きな匂いだ。君が仕事を頑張った匂いだからね」

「頑張ってないさ」

「頑張ってるよ。こんなに疲れているのがその証拠さ」

「……」

「十分頑張れてるよ。君は」


彼女は彼を肯定してあげるように抱きしめる力を強めた。

彼の精神は仕事でズタボロになっている。

彼女はそれを癒してあげたい。


「偉いね。君は本当に偉い。すごいね」

「俺は結構無能だと思うけど。」

「そんなことないよ。そもそも君に振られる仕事の数が多すぎるんだ。気にしなくていい」

「でもほとんど終電まで仕事をしてる」

「そうだね。君の働いている会社は社員を駒としか見ていない酷い会社だ。だから来月で辞めようね」


頭上から覗き込んでくる優しい彼女の瞳を見て、彼はこくりと小さく頷いた。

彼女はよくできましたとばかりに、彼の頭をゆっくりと撫でた。





彼の5つ上の彼女は、元々モデルの仕事をやっていた。

高身長で、凛々しいという表現が似合うような眉目秀麗の整った顔立ちで、男はもちろん女さえも惚れされる彼女は「イケメン女子」のジャンルを確立しそのトップを走っていた。

彼女の人気は止まるところを知らなかった。

雑誌、ラジオ、テレビ、映画、CM、広告、ドラマ……。彼女はあらゆるメディアに引っ張りだこで、彼女を見ない日などはなく、国民的人気を誇る女性と言えた。


カッコよくて華やかな彼女。


では、プライベートはどうだったか。

ボロボロであった。

彼女の部屋はいつも真っ暗でカーテンは閉め切っていて床にはカップ麺の容器や空き缶が散乱していて彼女はそんな部屋の隅で膝を抱えて座るのが常であった。人気になればなるほど上がるハードルと期待の眼差しに応えるのが辛かった。街を歩けばいつも誰かに見られている気がして苦しかった。寝る間もほとんど無いほどに忙しい毎日は気が狂いそうだった。

彼と出会ったのは、そんな鬱々とした感情から逃げるように酒をたらふく飲んで酔っ払って人目に付かない路地裏で一人しくしく泣いている時だった。彼が声をかけたのだ。

彼女が後で話を聞いたところによれば、ふらふらとした足取りで真っ暗な狭い路地に入っていく人を見て不安に思い、ついて行ったのだとか。変装していたから彼女が国民的人気者だとはつゆほども気付いていなかったらしい。とんだお人好しだ。

彼はそれから地面にうずくまっていた彼女の隣にしゃがんで、彼女が延々に吐き出す溜まりに溜まっていた鬱々とした話に、ぐしゃしゃになっていた感情の吐露に、ただ“うんうん”と頷いた。

傍から見れば話を聞いてもらっただけ。

だが、それだけで彼女は救われた気分になって人間の彼が天使のように思えた。

だから、


ぎゅ。


「え」

「あ、すみません。つい、その、あまりに可哀想で……」

「い、いや。出来ればそのままで、頼む……」


抱きしめられたときは涙が出るくらい嬉しかった。抱きしめる身体は暖かくて、彼女に安らぎをもたらした。

冷たく荒んでいた心に柔らかな陽だまりが指したような気分だった。初めて安寧を感じた。それから限界が近くなるたびに彼女は彼を家に呼び、抱きしめてもらった。やがて一緒に過ごすことが日常になり、恋人の関係になった。家は暗くなくなったし、彼が美味しい手料理を振る舞うのでインスタント食品に頼ることは少なくなったし、何より孤独ではなくなった。

皆の憧れとしての自分でいる必要はなくただ素の自分を見せられる存在というのは、彼女の心の大きな支えとなった。

彼は彼女にとっての救世主だった。

やがて月日もたって関係も変わる。彼は大学を卒業し、彼女はモデルをすっぱり辞めた。二人は同棲を始めた。

本当は彼女が彼を養うつもりでいたのだ。約10年ほどの活動で、業界のトップとして激務をこなし続けた彼女の貯蓄は凄まじいものとなっていた。それこそ一人で一生を生きるには有り余り、二人で生きるのにも十分な額であった。

しかし彼は譲らなかった。


「私に養われなよ」

「一応、男としてのプライドがあるから……」


そうして彼はサラリーマンとなった。

唯一の誤算があったとすれば、勤め先が超が付くほどのブラック企業だったことだろう。






すっかり夜も深まった12時過ぎに彼は帰宅する。扉の開く音が聞こえると彼女は、彼が廊下の暗闇を見て寂しさを感じないように必ず玄関に出迎えに行く。


「ただいま……」


くたびれた声。

彼女は微笑む。


「おかえり」

「ごめん。起きてたんだ。寝てて良かったのに」

「私は好きで君を待ってるんだ。謝らなくていいよ」

「ごめん」


彼は俯いて謝り、靴ひもを解く。

最近謝ることが多くなった。何かと口癖のように謝っている。会社ではそんなに、無意識に刻まれる程に謝罪させられてるんだろうか。そう思うと彼女は内心苛立った。

それから一通りを済ませれば、一緒にテーブルに着いて食事をする。自分が忙しかった時に彼に料理を作ってもらって嬉しかった分、彼女もまた料理を覚えて彼に振る舞った。


「わざわざ作って待っててくれるなんてありがとう。お腹減っちゃったよね。ごめん」

「こら。また謝ってる。私の前では謝るの禁止だ。謝るくらいなら代わりに感謝の言葉を言ってくれ」

「ごめ……ありがとう。今日もとっても美味しそうだ」

「ふふん。そうだろう。温め直したら一緒に食べよう」


そうして晩飯を一緒に食べ始める。

共に食卓を囲むのは彼女にとって非常に大切な時間だった。美味しいご飯を食べて口が緩くなっている隙に、彼女は彼の、心に淀んでいるネガティブな感情を出来るだけ聞き出すのである。


「今日も遅かったね」

「うん。仕事がたくさんあってね」

「頑張ったんだね」

「そんなことない。謝る事ばっかりなんだ」

「頑張ってることには変わりないだろ?」

「それは、他人が決める事だから。少なくとも俺は今日も上司に怒鳴られたよ。書類投げつけられてさ。仕事が遅いって」


と言うがこの上司は話を聞けば聞くほど屑だという事が分かる。人の荒を探す事ばかりが得意で自分は碌に仕事をしていないことが彼の話から伺える。恋人が正当性も無く傷つけられている事には憤りを覚えるし、もしも自分だったらその上司を殴ってさっさとクビになりにいくところだが、優しくて、そして会社に順応してしまった彼はそんなことは出来ないのだ。

抵抗することなど考えもしないだろう。

彼は自分がすべて悪いと思っている。


「ダメ過ぎて笑っちゃうよな」

「絶対笑わない。君を笑うやつがいたらその上司諸共ひっぱたいてやる」

「ありがとう」


彼は呟くように言った。



食事を終えれば身支度を終わらせて一緒の布団に入る。彼女は当然のように彼の事を後ろから抱きしめている。50cm以上身長差がある。彼女は大きな体を肉布団にして、全ての脅威から彼を守ろうとするかのように彼の身体をすっぽりと覆う。


「俺、惨めだよな。毎日残業代も出ないのに遅くまで働いて。自分で自分の事が嫌いになるよ」


その自己を否定する姿は、彼と出会う前の苦しい日々を送っていた頃の自分と重なって悲しくなる。


「じゃあ、私が君の代わりに言ってあげよう」

「なにを」


彼女がぎゅっと抱きしめる。


「好き。大好き。愛してる。偉い。かっこいい。頑張ってる」

「……恥ずかしい」

「自分の事、好きになった?」

「それは、どうだろう」

「それじゃあ、もう一回。こっち向いて」


彼女に促されて彼は身体の向きを変える。彼女は丁度彼と視線が合うように額を合わせる。

見つめる。


「好き。好き。愛している。大好き。誰よりも好き。ずっと好き。偉い」


彼は恥ずかしくなったのか、途中で彼の胸に顔を埋めた。

彼女は微笑を浮かべてその髪を撫でた。

来月には彼は仕事を辞めることが決まっている。


それまでは彼女が、彼の心を守り続ける。

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