猫人に愛される
研究者気質の眼鏡をかけた真面目そうな男と、軽い布服を身につけスカーフを首に巻いた猫人の女がダンジョンの中層のとある広い空間の前に立った。
二人は恋人関係にある冒険者でパーティも組んでいた。今日はギルドから淫魔に襲われた人間の遺留品の整理の依頼を受け、男たちが淫魔に襲われたという場所までやって来ていた。
「こりゃひどいな」
「最悪!」
男は表情を変えずにただ呟き、女は頭部に生えた耳を絞り露骨にげんなりした顔でそう言った。二人の前には凄惨な景色が広がっていた。若人を中心とした沢山の男たちが下半身を剥き出して、もしくは全裸で糸の切れた人形のように床に転がっていた。誰の瞳にも力は宿っておらず、身体はがりがりにやせ細っていた。
淫魔の養分は男の生気である。その効率の良い摂取の方法が精液を奪う事であり、淫魔は男たちを催淫し、性欲で頭をいっぱいにさせたところで死ぬまで生気を搾り取るのである。だからここにあるのは全て搾りかすとなった死体だけであった。
しかしだというのに、空間に充満するのは死臭ではなく独特な甘い匂い。これは淫魔が男たちをおびき寄せるために発する催淫性を含んだ香りであった。この匂いに釣られてやってきた男は、たちまち食虫植物に近付いた虫のように捕食されてしまうのである。
「君も、ムラムラして私を襲っちゃうんじゃないの?」
彼女が横目で見ながら尻尾を絡ませてくる。猫人が相手の感情を読み取るときによくやる行為だった。
「しねーよ。そもそもどこ向いても男のブツが視界に入るような地獄で勃つわけないだろ」
「ふーん」
「お前こそ淫魔の甘い匂いで発情するんじゃないのか?」
「雌の私にチャームが効くわけないでしょ」
彼は冗談のつもりだったが彼女は冷たく言い捨てた。長い付き合いである彼はすぐに彼女が不機嫌であることを感じ取った。
彼女は悲惨な景色を睨んでいる。
俺の返答が不味かったのか?
男はそう思って慌ててフォローを入れる。
「違うからな。お前に欲情する訳ないとかそういう事じゃなくて、むしろスラリとした後ろ姿から拝めるうなじとか控えめな曲線美の胸とか耳揉むとトロ顔になる所とかめっちゃエロいと思ってるからな。家なら余裕で欲情するからな」
「はっ!? 急に何言ってんの、馬鹿っ⁉ やっぱり発情してんじゃないの⁉」
彼女は顔を赤くして睨み、尻尾をバタつかせた。
彼は間の抜けた顔をする。
「え、あ、俺の返答が木に喰わなかったんじゃないの?」
「違うよ。気に気わないのは淫魔の方。君に襲わないって言われるだけでキレるとか私どんだけ欲求不満だと思われてんの」
「あー、すまん」
彼女は物憂げに足元に転がっている遺体を見下ろす。
「この男の人たちの中にはさぁ、きっと、私たちみたいに恋人がいたり夫婦の関係の人がいたりって……誰かと好き同士だった人も多くいると思うんだよね」
「そりゃそうだろうな」
「そういう男の人達を無理やり誘惑して本当のパートナーから奪って挙句の果てに殺しちゃうなんて、やってること最低だよ」
ほんっと嫌い。
彼女はそう吐き捨てて、地面を蹴りつけた。
彼は横目で見ていた。あまり感情をはっきりと出すことをしない彼女がここまで嫌悪的な感情を露わにしているのは珍しかった。人の心を想ってキレるのが何とも優しい彼女らしいと思った。
彼は男たちを見下ろす。
いずれにせよ、哀れな男どもの為にしてあげられることは身元を明らかにしてあげることぐらいである。
「仕事するか」
「うん」
二人は作業に取り掛かった。
思ったよりも淫魔の餌食になった男の数は多く、気付けば夜となっていた。太陽が沈み月が昇ると、モンスターたちの活動は活発になる。外界の光が届かないダンジョンの中でもそれは変わらない。夜間にダンジョンの中を歩き回るのは得策ではない。
そこで二人は淫魔の狩場のすぐ近くにあったドーム状の広いエリア。安全地帯で、寝袋に包まり一晩を明かすことにした。安全地帯はかつて存在した大賢者の手によって聖なる加護が施されたエリアであり、モンスターたちは足を踏み入れることが出来ないのである。
二人は寝袋に包まり向かい合って取り留めの無い事を喋っていたが、良い頃合いになったので、
「そろそろ寝るか」
と彼がランプを消すために手を伸ばした。彼女がそれを見ていてぽつりと呟いた。
「もう少しでっかい寝袋があれば二人で包まれて良いね」
「そうか?」
「きっと体温で暖かいよ?」
「きっと狭いし暑いし臭い。むわむわーっとした暑さの中でお互いの疲れて汗だくの臭いがいっぱいになるんだぞ」
「変態じゃん」
「先に言ったのはお前だろ」
「……でもまぁ、悪くないかも」
「変態じゃねえか」
「ふふんっ。おやすみ」
「おう。おやすみ」
二人はやがて眠りに着いた。
それから暫く経った頃だった。男は不意に目を覚ました。尿意を感じたのである。
男は女を起こさないようにこっそりと寝袋から抜け出すと、光を灯したランプを片手に持って寝ぼけ眼でふらふらと壁際に近付き、ズボンを降ろし、小便をした。尿が岩壁に当たる音と体内の液体が下腹部から性器を通って出て行く感覚から自分が排尿している事を辛うじて認識しながら意識は未だ夢の中である。
ふと。
鼻腔をくすぐる甘い匂に気付く。幾らかの花の香りを混ぜたような良い匂い。つまり淫魔の発した匂い。いつから漂っていたのかは分からない。ただ彼が認識したころには既に鼻から脳天へと侵入し、充満し、身体を支配していた。
彼はズボンを上げると虚ろな表情で歩き始めた。その方向は恋人の待つ寝袋、ではない。安全地帯の外側である。
催淫効果のある匂いによって本能に直接訴えかけられ、彼の足は勝手に匂いの強くなる方向へと踏み出して行ってしまう。ランプを持ってゾンビのように。
一歩。また一歩。
……いよいよその時が来てしまう。足先が、安全地帯の範囲を超えるときが。
出る。
出る。
出た。
その瞬間、彼の右腕は何者かによって力強く引っ張られ、背中から壁に強引に叩きつけられかはっと肺から息を漏らした。手からするりとランプが落ちて、からんと甲高い音を立てて地面に転がった。
彼は痛むで正気を取り戻し、同時に目を見開く。目の前にいたのは捻れた2本のツノを頭に生やし誰もが振り返るような整った美しい容姿を歪め、怪しい笑みを浮かべた女。淫魔であった。
彼は全てを理解した。自分は淫魔の罠にまんまとハマってしまったのである。だが気付いた時には既に手遅れで、淫魔よりもずっとか弱い力しかない人間の彼は押さえつけてくる淫魔の腕をまるで振り振り払うことができなかった。そうしているうちに、淫魔が寄りかかるように身体を密着させて来た。男好きするであろう豊かな胸が沈み、太腿同士が触れ合い、匂いが強烈になった。そして何より恐ろしいのは目であった。その細められた瞳を見つめていると何故だか吸い込まれるような感覚になり、思考がまるで働かなくなった。ただ魅入られる。抵抗を忘れた彼の唇に自らの唇を近づけていく。ぷっくりと膨らんで艶のある唇はひどく蠱惑的。だがそれは危険な魅力でもある。淫魔は体液を通じてより強力な、もはや我に帰ることもできなくなるような催淫を掛けるのである。その唇を受け入れてしまえばかれはもう戻ってこれなくなくなる。しかし思考能力を失い制御を失った雄としての本能がその唇を求めてしまっていた。
彼は唇が目が離せない。
距離が近づいて来る。
胸の高鳴りがどんどんと大きくなる。
唇同士が触れ合う。
その瞬間、
ウギッ!?
と淫魔が顔を歪め、脇腹を何者かに力強く蹴り上げられて身体がしなり、次には横に吹っ飛んだ。彼が思わず目で追えば淫魔はそのまま凄い勢いで飛ばされていき、遠くの壁にめり込んだ。
そして代わりに彼の正面には、細い尻尾を生やした、しなやかな女性の後ろ姿が立った。
男の恋人であった。
「人の男に手ぇ出してんじゃねえぞ‼︎くそドラ猫ぉ‼︎」
地を這うようなドスの効いた声が空間に響いた。後ろから覗くその横顔の瞳はきつく淫魔を睨みつけ、鋭い八重歯は剥き出しで、尻尾は繰り返し地面に叩きつけられていた。
全身から怒りが、溢れていた。
彼女は両手に力を込めて鉤爪を急成長させた。猫人は普段は肉球がある以外は人間と似た手の構造をしているが、敵意によって意識的に爪を伸ばし武器にすることができた。
彼女は地面に体重をかけるようにしてしゃがみ込むと、やがて思い切り地面を蹴飛ばし、全身を弾丸のようにして壁にめり込む淫魔の元へすっ飛んだ。そして勢いそのままに右手を振り下ろし、淫魔の顔面を切り裂いた。
ウギいいぃぃぃ!?!?
淫魔が苦痛で悲鳴を上げたが、その一発で終わるわけもない。
寧ろこれからであった。
彼女は目にも留まらぬ速さで両手を交互に振り下ろし、淫魔の身体を八つ裂きにしていった。皮膚を切り裂き、血管を断ち、肉を破って、骨まで削る。
淫魔が喚こうが関係が無い。
無慈悲に、冷酷に、何度も何度も。自分の男に手をだされた不快さをぶつけるように、爪を振るった。
やがて悲鳴は聞こえなくなり、彼女はただその場に立っていた。まるで感慨にふけっているかの様な後ろ姿。
終わったのだ。淫魔はきっと絶命した。そう思った男はすぐに立ち上がると、感謝の言葉を伝えるべく女の元へ小走りで駆け寄っていった。しかし途中まで来て
「来ないで!」
彼女は背を向けながらそう声を張り上げた。彼は驚いて立ち止まる。背中を見つめて考える。
そこまで、迷惑をかけてしまったのだろうか。顔も見たくないと思うほどに、負担だったのだろうか。
彼はそう思うと、お礼だけでは無く謝罪もしなければと意気込んで、再び歩き始め、遂には駆け出した。
「来ないで!」
彼女が再び叫ぶ。だが彼は、再び止まる事はしない。どんなに彼女に嫌われていようと、命を救われた感謝を、淫魔の手に堕ちかけた自分の申し訳なさを、伝えなければならなかった。
「来るな!」
そう叫んだ彼女の肩に手を触れた。
そして次には……彼の世界は反転した。彼は目を見開く。彼女に突き飛ばされたのだ。身体が重力を見失って彼は背中から地面へと落下していく。
っっ!
彼は地面に打ち付けれた衝撃で目を瞑った。そして痛みに悶えながら再び目を開けた時、彼は驚く事になる。
興奮で息を荒くした彼女が、自分の体の上の馬乗りになっていたのである。
「だから言ったのに……♡」
「お、お前……」
「もう、君が悪いんだからね? 私に押し倒されちゃった君が♡」
「チャームを、喰らったのか?」
「分かんにゃーい♡ ただ、君の事が欲しくて欲しくて堪らないんだ♡」
蕩けた顔をした彼女は我慢出来ない性欲をアピールするように下腹部を前後にズリズリと動かして彼の身体にこすりつける。下敷きにされているのはちょうど淫臭で反り上がってしまっていた彼の肉棒であり、彼は目の前のエロ猫になってしまった恋人にひどく興奮を煽られた。
だが家ならまだしもダンジョンという危険な場所で性欲に呑まれるわけにはいかない。彼は辛うじて残っている理性で彼女の身に起きている事を考察する。
分かりやすいのは血だ。
先ほどの戦闘で身体中に飛び散って付着したはずの淫魔の血がまるで見当たらない。彼が文献で見た知識が正しければ淫魔の血は非常に気化しやすいのだ。つまり彼女は、気体に変化した淫魔の血を気付かぬうちに大量に体内に取り込んでしまった事で催淫状態になってしまったという事になる……。
彼が考えている間に彼女が覆い被さるように顔を近づけて来て、口を耳元に寄せた。
「ね♡♡ そんな難しい顔してないでさぁ♡ 早く、しよ?♡」
そう呟いて顔を上げた彼女は、雄にねだる熱っぽい表情でキスをするべく唇を近づけて来た。しかし唇同士が触れ合う直前に、彼は、彼女の肩を押してキスを拒んだ。
「なーんでっ♡ ムラムラし過ぎて辛いんだけどっ♡」
「ダメだ。チャームの種類を特定しないと危険だ」
彼女が目を潤ませて抗議するがキスされるわけにはいかない。
彼女は淫魔の体液を取り込んだのと同じ、つまりチャームに掛かった状態なのだ。キスをされたら彼もチャームに掛かる。そしてチャームにはそれぞれ症状や解除方法が定められており、体に刻まれた淫紋からそれを見極められなければ最悪ふたり揃って死ぬまで交尾し続けることになる。
淫紋は確か……ここだ。
「んんっ♡」
彼は彼女のズボンと下着を同時に掴んで、下にずりおろした。露わになる彼女の火照った下腹部。そこには確かにハート形の模様と周りを左右対称の蔦のような装飾が施された淫模が、刻まれていた。
種類は……たぶん搾精II型で……解除方法は精液を1l摂取することか……?
彼は淫紋を凝視し、熱心に記憶を探る。
だから気付いていない。彼女が興奮で目をギラつかせ、熱っぽい視線を彼の顔に向けながら荒い息を吐いている事に。
「あーもう無理だ♡」
「……え?」
「私の大事なところ、そんなにジッと見られた我慢できるわけないよ♡」
「ちょっと待って」
「責任取ってよね♡♡」
彼女はそう言って彼の唇に自身の唇を重ね、舌を割り込ませた。
右手は彼が下に履いているものを全てずり下ろして行った。
彼は、襲われてしまった。
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