暗殺者に愛される
体調を崩した青年は自室のベッドの上で横になっていた。
彼は暗殺者であった。民間暗殺会社「MORS」に所属する暗殺者。この会社は主に、暗殺者の育成や派遣を行っており、入社したての新人には必ず指導員として先輩が暗殺のイロハを教えた。彼にも女性の先輩暗殺者が指導員として付いた。そして気づけば、共に任務をこなすバディの間柄となっていた。
それまでソロだった彼女が青年を選んだ。なぜ選ばれたのかは青年にもさっぱり分からない。それほどに実力に差がある。
彼女は、非常に優れた暗殺者であった。
社内での模擬線では当然のように誰も敵わず、東南アジアで武器を垂れながし諸悪の根源とまでされていた悪の親玉を暗殺しただとか、アメリカの史上最大級のギャングのボスを暗殺しただとか偉業を数えれば枚挙に暇がない。
その、迅速に正確にどんな任務でも鮮やかに成し遂げるクールな殺しっぷりから「黒豹」の異名でも知られていた。
誰もが憧れた。
彼もまた憧れた。
……好意も抱いた。
しかし告白など出来よう筈もない。
バディではあったが隣に立てている実感などまるで無く、毎日彼女の足を引っ張らないように気を付け、彼女に追いつけるように努める日々。
が、現状はベッドの上で動けなくなっている。無様なものである。
今頃彼女は一人で卒なく任務をこなしているか、さもなくば沢山いるバディ志望の暗殺者と協力して任務に当たっている事だろう。暗殺はターゲットの情報を探り、準備を済ませ、後はただ好機を待つというのが基本であり少なくとも2,3日、長くて数か月を必要とする。
つまり、しばらく彼女に会えない可能性がある。
寂しいなぁ……。
彼は心の中で虚しく呟きながら目を閉じた。
何よりも今は身体を休め、体調を整えることが優先であった。
青年は夢を見た。横になっている彼の頭を彼女のしなやかな手が撫で、
「寝顔も随分と可愛いな」「このまま襲ってやろうか……」
などと、普段の彼女ならば絶対言わないような、青年にとって何とも魅力的なセリフを曖昧な意識の中で聞いた。彼は思わず笑ってしまう。どうやら彼女の事を考えるあまり、脳が都合の良い幻影を見せているらしい、と。しかし今の彼にとってそれは救いであった。会えないと思っていた彼女にたとえ夢の中でも会えるのは堪らなく嬉しい事だった。だから、折角だからと彼は、夢を楽しむことにする。
「キスしてもバレないよな……。うわぁ、なんでコイツこんな可愛いんだよ」
などと今も甘い台詞を吐き続けている妄想の中の彼女に彼はお返しとばかりに、普段言えないような感情を口にしてみることにした。
「先輩こそ……めっちゃ可愛いですよ……」
「はっ!?」
「みんな気付いていないですけど……先輩は、パフェとか甘い物食べてる時……子供みたいに幸せな表情になって、可愛いです……バディの俺だけ知ってる優越感やばいっす……」
「そ、そうか?」
「はい……。勿論、任務中は滅茶苦茶カッコ良いっすけど……」
「お、おう」
「ああ……先輩、すげぇ好きっす……」
「ふぇっ!?!?」
鼓膜が震えた。それをきっかけに彼の意識は急速に浮上し、やがて現実の情報を拾い始める。目を開けた。
目の前に、ベッド脇に座る、何故かうっすら顔を赤くしたバディの姿があった。
「う……うぇ……??」
「や、やあ。起きたか」
「なんで、いるんすか?」
「鍵が開いてたからな」
「不法侵入じゃないすか」
「暗殺者の基本だ」
「そうっすけど……」
青年はベッドの上でゆっくりと上半身を起こした。彼女は”寝てて良い”と言ったが“ちょっと楽になったんで”と言って彼は断った。身体を起こして改めて姿を見てみても、やはり彼女である。しかも珍しいことに任務で使うステルス機能を施した全身真っ黒の光学迷彩スーツでは無く、黒シャツに白ズボンというシックな出で立ちだった。
「本当になんでいるんすか」
「いたら迷惑か?」
「そうじゃないっすけど。任務はどうしたんですか」
「今日は休みだ。有休を使ってな」
「なぜ」
「バディがいなくては仕事にならないからな」
「先輩なら、俺がいなくても出来ますよ。それに同行したい人も沢山いるだろうし……」
「なんだ? 拗ねてるのか?」
「そうじゃないっすけど……」
彼が濡れた子犬のようなしょげた表情を見せると、彼女はふふっと小さく笑った。
「前なら確かに一人でも任務に行っただろうが、今は無理だ。お前とバディを組んで数年。すっかりお前がいる前提の動きに慣れてしまっている」
「それって俺のせいで動きが鈍ったってことじゃ」
「違う。お前と連携することで、より安全に確実にターゲットを仕留められる事を知ったというだけだ。リスクを減らせることが分かっているにあえて危険な暗殺に挑むのは馬鹿らしいだろ」
「そう……ですかね……」
「それに、お前が寝込んでると心配で暗殺に支障が出るんだ」
「心配してくれるんすか」
「……バディだからな」
「……なるほど」
それでお喋りは終った。彼女は咳ばらいを一つすると、床に置いていたビニール袋を彼に差し出した。
「ほら。ゼリーと飲み物だ。これ食べて元気出せ」
それは願ってもない恵みであった。彼は高熱で立つとふらふらするので、近くのコンビニにすら行けていなかったのだ。先ほどまで眠っていて忘れていたが、ゼリーという食べ物を見て自分が空腹であったことを身体が思い出した。
すると嗅覚が敏感になる。そして部屋に漂う微かな甘い匂いを感じ取る。
「香水?」
「いや。おかゆだ。お前が起きるまでにつくっておいた」
「まじっすか」
「食べれるか?」
「はい」
「よし」
そう言って彼女は立ち上がるとキッチンへ行き、次にはおかゆを盛った皿とスプーンを持って戻って来た。当り前のように食器の位置を把握している。一流の暗殺者は物体の位置予測能力が極めて優れている。
「ほら。口を開けろ」
彼女が当然のようにスプーンでおかゆを掬って食べさせようとした。彼は、恥ずかしがる。
「それぐらい、出来るんで。大丈夫です」
「この後身体を拭いてやろう」
「ええっ!?」
「いやか?」
「いやです!」
「では選べ。食べさせてもらいたいか、拭いてもらいたいか」
彼女は愉快そうに笑った。
暗殺者は時に敵を尋問しターゲットの情報を手に入れる。この手の選択(生か死を選ばせることが多いが)を迫るのは得意技であった。
「……食べさせてください」
彼に拒否権はない。
その後、しばらく青年の面倒を見た後で彼女は立ち去ることを決めた。本当は彼女は、青年が眠るまで居ると言ったのだが、青年は絶対に眠れないと言ったので彼女が仕方がなく譲歩した形になった。
彼女はベッドで横になっている彼を置いて部屋を出ていく寸前、振り返って訊いた。
「何か夢を見たか?」
その顔はひどく真剣であった。まるでターゲットを捕捉したときのような暗殺手前の最も張り詰めた表情。黒豹。鋭い瞳は青年の瞳を射抜き、嘘を吐くことを禁じていた。
彼は正直に話す。
「見ました、夢」
「内容は?」
「全然思い出せません」
「全く?」
「全く」
「……そうか」
そう口にした彼女は、落胆したような安心したような何とも複雑な顔をしていた。青年にはそれがどうしてかは分からなかったが、尋ねる前に彼女が背を向けて行ってしまった。
「早く元気になれ」
それだけを言い残し颯爽と家を出た。
彼女は帰り道を歩きながら独り言を呟いていた。
「くっそ。どうしよ。両想いとかまじか。うわ、やば」
……呟いていた。
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