エルフに愛される
「いや~まさか、捕まるとはねぇ」
「ふん、舐めやがって。侵入者が」
ここは森の奥にひっそりと存在する倉庫の中。レオスはそこで手足をロープで縛られ転がされていた。きっかけは少しの油断だった。エルフを妻にもつレオスは、たまたまエルフを捕まえて売り飛ばす奴隷商のアジトを突き止め、ちょっと中の様子を覗いて敵情報の手土産を一つや二つ持ち帰ろうとした矢先、背後にいた敵に気付かずに電気ショックの魔法を浴び、目を覚ました時には拘束されていたのである。
レオスはわざと感心したように声を数段高くして敵の集団に話しかける。
「いや~、にしてもお見事。僕意外と気配察知は得意なんですけど全然気づけなかったですねぇ。何かの魔法ですか?」
捕縛されてもなお元気に口を開いているレオスが癇に障ったのだろう。集団のうちの一人が近づいてきて、彼の鳩尾を思いっきり蹴り上げた。
「う゛っ゛!?」
「うるせーんだよ、侵入者。てめぇ、自分の立場分かってんのか?あぁ?」
「……へへっ。すみません、お喋りは昔からなもんで」
彼は薄笑いを浮かべながら答えた。煽っているわけではなく、彼は確かに子供の頃からどんな状況だろうと陽気で事の深刻さなど気にも留めないお気楽な男なのである。だからこんなピンチな状況でもへらへらしていられる。ネジの飛んだ人間。
「まぁいい。冥途の土産に教えてやるよ。俺らはなぁ、透明になれる魔法をエルフから教えてもらったのさ」
「……透明化、ね」
「どうだ、すごいだろ。こんなのは人間の誰も知らない。エルフの禁じられた魔法の一つだ」
自慢げにそいつが語れば、後ろにいた他の野郎達もニヤニヤと笑った。
透明化。なるほど、ゲスい奴らである。さしづめ捕まえたエルフに開放する条件とか言って教えるように迫ったのだろう。開放する気などちっとも無かったくせに。
彼はげんなりした顔をする。ちらりと野郎たちのさらに向こう側に目を向ければ、レオスと同じように捕まったエルフたちが何人かいて、彼女たちはレオスよりももっと憎しみを孕んだ憎悪の表情を男たちに向けていた。プライドと仲間意識の高い種族ゆえに、同胞の心を踏みにじるような行為には大層腹を立てているに違いなかった。
「さあ、お喋りはここまでだ」
スキンヘッドのリーダー格らしき男がレオスの前に歩み出てきて、手に握った短刀の刃先を向けてきた。
タイムリミット。空気が変わった。不味い状況であった。出来るだけ時間を稼いだが、間に合ったかどうか……。
「さて。くだらない正義のせいで貴様はあの世行きだ」
「あー、どうにか変更できませんかね?」
「はんっ。見られちまった以上生きては返せねえ。せめて来世では、俺たちみたいな立派な悪人に成れることを祈るんだな、がははははは」
野郎たちの下卑た笑い声が重なる。奴らはレオスの首を刎ねる未来を微塵も疑っていないし、実際その時はすぐ傍まで迫ってきている。レオスの心臓が早鐘を打つ。
「では、さよならだ」
短刀が首の上に高く掲げられる。
そして、
「死ねえええええっっ」
振り下ろされる。
死の恐怖が時を遅らせる。
レオスはゆっくりゆっくりと降りてくる刃を見ながら、
エーリオ。ごめん。
愛しの妻の名を呟いた。
その瞬間、
ドゥガアアアアァァァンッッッッ!!!
凄まじい爆発音がして倉庫の入り口側の壁がすべて吹っ飛んだ。突然のことに驚いてその場に居た全員が吹き抜けになった入り口に目を向けた。
土煙の中、一人のシルエットが歩いてくる。
「あらあらああら。脅かせてしまいましたわね」
特徴的な長い耳。切れ長の目とその下の色っぽいほくろ。スッと通った鼻梁に微笑を浮かべる唇。すれ違った誰もが振り返るような美貌を持ったその女性は、間違いなくエルフであり、レオスの妻エーリオであった。
エーリオは倉庫の中を見渡した後、野郎たちに微笑みを向ける。
「貴方たちが我が同胞を攫い、我が夫を傷つけんとする愚か者たちですか?」
「だったらどうする?エルフの姉ちゃん」
「ぶっ潰します♡」
エーリオがにこっと目を細めて放った言葉を聞いて、敵はげらげらと笑った。
「潰す??たった一人でか?」
「貴方たちの相手など一人で充分ですわ」
「ほお、大した自信じゃねえか。俺はそういうエルフのお高い自信をへし折るのが一番好きなんだ」
「悪趣味ね」
「っチ! お前ら、やっちまええええ!!」
リーダの荒声と共に敵は一斉に雷魔法を唱えた。敵がエーリオに向かってかざした手の平から凄まじい勢いで稲妻の軌跡が伸びていく。それはレオスも喰らった簡易的な雷魔法で、一発でも喰らえば気絶は免れず、それを何発も喰らおうものなら命が危ない。
「エーリオ避けろッ!!」
レオスは祈るように叫んだ。だが無数の稲妻は無慈悲にもエーリオの元へ向かっていき、彼女自身もその場から動かない。
もう、すぐに、辿り着く。
エーリオが、死ぬ。
「エーリオオオォォッッ!!」
レオスの悲痛な叫び。
……しかし。
稲妻が彼女の身体に触れることは無かった。
「なん・・・だと・・・」
敵が驚くのも無理はない。全ての稲妻は彼女の元に辿り着く直前に見えない盾に弾かれて一つ残らず消滅したのである。
それはどんな矛も通さない堅牢な防御魔法であり、彼女は当然のように無傷であった。
「あーぬるい、ぬるいですわ。こんな幼稚な魔法で私に傷をつけられると思ったのですか?」
「そんな……。ありえない。十人分の雷魔法だぞ?それを防ぐなんて……」
「ありえないのは貴方たちの残念な頭です。魔法は数より質なのですよ。全く、その程度の理解力で神より賜りし魔法を扱うとは……」
「俺たちの魔法が通じないなんて。そんな……そんな馬鹿な……」
「はぁ。もういいですわ。お手本を見せて差し上げましょう」
ため息を吐きながらそう言った彼女は、お返しとばかりに敵に向かって手をかざした。手の平の前に浮き上がる巨大な紋様は強力な魔法が放たれようとしていることを知らせ、人間であるレオスにも彼女の手の平から放たれる魔法が敵のものとは全く格が違うことを予感させた。
だが。その魔法が飛び出すまでの一瞬の間。
敵は驚くべき行動をとった。
全員、額を地面につけて降伏の姿勢を見せたのである。
この展開は流石の彼女も想定外で面を食らった表情をした。
リーダー格のスキンヘッドが口を開く。
「今までの非礼を詫びます。すみませんでした!」
「あら」
「捕まえたエルフを全員解放します。貴方様の夫も開放します。ですから、ここはどうか見逃してください」
「あらあらあら」
「どうか、お願いします!!」
「あらあらあらあらあらあら」
それを聞いた彼女は、今までの穏やかな表情とは一変、眉を寄せ心底軽蔑した表情で敵を見た。
「悪事を働いていおいて、いざ分が悪いと見るや惨めに命乞いですか」
「そうです。私共は惨めで卑しい人間でございますエルフ様。お金ならいくらでもお渡し致しますから、ここはどうか一つ」
「ふぅ」
一度大きく息を吐くと、彼女は目を見開いた。
下衆が。
吐き捨てた言葉と共に彼女の手の平から金色に光る一体の巨大な蛇が飛び出し、敵の身体をまとめて貫いていった。
それは一瞬の事であった。
レオスが瞬きをする間に、敵は全員意識を失い、地面に倒れ伏してしまった。さらに彼女が大地の魔法を使って蔓を伸ばし縛り上げれば、敵は身動きが取れなくなった。
片が、付いた。
緊迫した空気が解けて、平和な静寂が広がる。
「おーい、エーリオ~」
レオスは縛られた身体を起こしながら、無邪気に妻の名を呼んだ。手足を縛るロープを解いて欲しかったし、感謝の言葉も口にしたかった。
だが、振り返った彼女を見て、そんな悠長なことを考えている場合では無いとすぐに悟った。
彼女は、怒っていたのである。一見、その顔には微笑んだ表情を浮かべているが、その実、怒気がオーラのように滲み出ていて近づいてくる足は大股だ。
彼にはその理由が分からなかった。そのために、何か気に障ったことをしてしまっただろうかと必死に頭を巡らせ、その間に彼女は距離を詰め彼の真正面まで来た。
「あ、あの、エーリオ、さん?」
バチンッ!!
「いっっ!?!?」
エーリオはレオスの額に渾身のデコピンを放った。怒りの一発である。
レオスは勢いそのまま後ろへと引っ繰り返ってしまい、地面に頭を強く打つ事となった。
「いってぇぇ……」
レオスが天井を見上げながら呻き声を漏らすと、すかさず彼女が馬乗りになってレオスの胸倉を掴み上げた。
「貴方、どれだけ私が心配したか分かってるの?」
その笑顔と言葉から発せられる圧に彼は思わず唾をのむ。
彼女は早口でまくし立てる。
「薬草を摘みに行ってから全然帰ってこないで、心配になって探しに来たら薬草の入った籠だけがあって、探知魔法を使ったら建物の中から全く動かない貴方の気配が感じられて、私は転移魔法で慌ててここまで来て!」
ここまで一息で言い切った後でようやく一呼吸を置き、ゆっくりと呟いた。
「ようやく貴方を見つけたのよ……」
気付けば彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
「その、ごめん」
「そうよ。本当に……」
“生きててよかった”
彼女は顔を歪ませ怒りと安堵が混じった声でそう言うと、レオスを強く抱きしめた。
「私はエルフなのよ。人間の貴方より確実にずっとずっと長く生きるの。どうやっても貴方の方が先に死ぬ……。でも、愛する貴方と共に生きる素晴らしさを知ってしまった後で、長い時間を一人で過ごすなんて到底耐えきれないわ」
「うん」
「そのために今のうちに貴方と時間を共有して、貴方との思い出をたくさん作って、貴方がいなくなってもすぐ傍に貴方を感じられるくらいに心に刻み込みたいの」
「うん」
「だから私にとって貴方と過ごす一分一秒はとっても尊いものなのよ。もっと危機管理をして私の傍を離れないようにしてちょうだい」
「うん。その通りだね。俺が悪かった。ごめんよ」
「ほんとにそうよ。馬鹿」
それは彼女がレオスに向けるどこまでも深い愛だった。妻から夫へ、情に深いエルフが大切な者へと向ける愛。数百年の寿命を持つエーリオにとって、レオスと過ごす時間は些細なものに過ぎないが、それでも、その時間の価値はあまりに高く、彼と過ごすこと以上の幸福は今後二度と訪れることは無いと確信していた。だからこそ、離れ離れになるような事態を自分から招いたレオスに、彼女は怒ったのだ。
彼女はそれほどに彼を愛していた。それを伝えるようにきつく抱きしめる。
「エーリオ、苦しいって」
「駄目よ。もう少し」
「ほ、ほら。エルフのみんなを開放しなきゃだし」
「同胞たちは私の気持ちを理解しているわ。だからこのくらい待ってくれる」
「じゃあせめて縄を解いてほしいかもです、なんて」
「縛ったままの方が抱きしめやすいの」
「そういう問題じゃなくて!」
柔らかい身体に抱きしめられ続けるレオスはいよいよ自分が窒息する心配をしながら、ふと思考に何か引っかかる感覚を覚えた。それは言わば勘だ。嫌な予感。そして残念なことに彼のそれはよく当たる。
レオスは慎重にその正体を探り、やがて思い当たった。
捕まえた敵は何人だ?
彼はエーリオが先ほど蔓で縛り上げた敵に目を向け、数を数える。
1、2、3、4、5……。
順番に数えていき、やはり嫌な予想は当たってしまったと気づいた。
一人足りない。
それも先ほどレオスに透明化の魔法を披露していた男の姿が見えない。取り逃がしたのだ。
レオスが慌てて口を開きエーリオにその事を伝えようとするのと、エーリオに背後に鉈を構えた男が姿を現すのはほぼ同時であった。
(まずい・・・っ!)
レオスの顔が青ざめた。
男が鉈を振りかぶった。
しかしその場にいた誰よりも一早く動いたのは、エーリオであった。
彼女は振り返ることなく腕を背後に向けると、手の平から鎖のような茨を生み出し、瞬く間に男の身体を縛り上げた。その時の彼女の顔をレオスはきっと生涯忘れることは無いだろう。彼が今までに見たことないほどに目をかっぴらき、歯を噛みしめ、憤怒の表情を浮かべていたのだ。
彼女はゆっくり振り返った。
「あなた、痛いのはお好き?」
「くそっ。離せ!」
彼女はどこぞの馬の骨に二人のいちゃいちゃする時間を邪魔されたことにたまらない怒りを感じていた。
「質問に答えられない間抜けね。ではしょうがないわ、身体に叩き込まなくては」
「ふざけんな、離せっ」
ゆえに。
「身体中の血管の中に茨を通して差し上げましょう。血液が流れる度に泣き叫びたくなるような痛みが走るわ」
「……何を言って」
限度を忘れた。
「今に分かるわ♡」
それからエーリオは捕まっていた仲間たちを全て解放し、夫の縄も解いた。
そして捕まえた悪党たちを全員森で一番目立つ高い木の一番高いところに括りつけ、エルフに手を出すとどうなるかを賊たちに知らしめた。
以来、エルフを捕まえようとする者はすっかりいなくなったという。
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