彼女と僕

「しき、痛いの嫌?……死ぬの嫌?」


れいちゃんは泣いていた。

それはきっと……聞いてしまった事の怖さからの涙だろう。


「本当は……生きてたい?」


震える声でそう言うれいちゃんの手を、僕は揺らがないようにしっかりと握った。


こんな事を聞くって事は……少なからず、れいちゃんにはそんな揺らぎがあったんだ。


「れいちゃん、怪我しなくたって……痛い事はあるよ。……それは、れいちゃんだって良く知ってるでしょ?」

「……うん」

「僕らにとって、その痛さは耐えられないものだったんだよ。……耐えられないから、もう痛くない所に行くんだ」

「……」


僕がそう言うと、れいちゃんはまた黙り込んでしまう。


「……れいちゃん、僕はれいちゃんの『愛』が間違ってるとは思わないよ。……今でも」

「……」

「たとえ、皆がおかしいと言っても……僕がそれに支配されてるんだとしても……それが僕だから、誰にだって否定させない」


僕はそう言って、彼女の手を強く握った。


きっと……全てが明らかになれば、れいちゃんはたくさんの人に悪者と言われてしまうだろう。


たくさんの関係の無い人から……死んだ後でさえ、酷い扱いを受けてしまうだろう。


それは今更、僕の力ではどうしたって防ぎようのない未来だ。


だから、僕だけは……誰から何て言われても、彼女の味方で居てあげたかった。


それはもちろん、彼女が間違っていても。


「れいちゃん、最後に一回……れいちゃんの愛を教えてよ」

「……良いけど、あの時よりも強くなったよ」

「大丈夫。僕も……ずっと強くなったから」

「へぇ。……まだ死んじゃダメだからね」

「分かってるよ」


僕の言葉に、れいちゃんは僕の服を引っ張り、あの時と同じ様に片手を振り上げた。



****



いつか……梅井さんが言ってたな。

僕は現実から身を守る為にその事を忘れたけど、消えてく傷に耐えられないで自分で傷を付けてたって。


確かに、あれが無しになっちゃうのは辛い。

きっともう一生、やり直せる事なんて無いと思ってたんだな。


そして、れいちゃんもまたそうだった。


僕が告白しなければ……れいちゃんはこまちゃんの復讐と同時に死んで、僕は一生この違和感に気付けずに死んでいただろうし。


「人の声がする」

「……もう入ってきたんだ」


とにかく……時間が無い。

今度こそ、絶対失敗出来ない。


僕らは……今度は二人だけの問題じゃなくて、実際に人を殺したんだから、もう二度目なんて無いんだ。


「れいちゃん、ナイフ持ってる?」

「うん。……こまちゃんの包丁」

「僕もナイフあるから……」


……死のうか。


そう続けたかったけど、どうしてか続けられなかった。


「……うん」


けど、れいちゃんは僕が何を言わんとしたのか分かった様で、そう頷いた。


が、その後、思い出した様に続ける。


「あぁ……そういえば、聞いてなかった」

「……何を?」

「こまちゃんの分の、しきの『お願い』」

「あっ……」


こまちゃんの分の死も……カウントされるんだ。


「……どうしよう」


早く決めないと、死ぬ時間が無くなる。


かといって……もうほとんど最後の『お願い』だから、適当に決める事なんて出来ない。


「じゃあ……こまちゃんの分のお願い」

「うん」


それに僕は……結局、初めと同じお願いをしてしまった。


「はい」


れいちゃんはそう言って、またくしゃくしゃと僕の頭を撫でた。


やっぱりこんな状況でも変わってない。


その適当な造作に思わず笑ってしまっていると、れいちゃんは続けた。


「後は……私の分と、しきの分」

「……僕の分も?」

「ん?……うん」

「れいちゃんが殺してくれるんじゃないの?」


てっきり、二人で同時に刺し違えるのかと思ってたけど……違うって事?


僕が混乱していると、れいちゃんは当たり前の様に言った。


「こまちゃんの『お願い』」

「えっ……」

「こまちゃんは、私はしきに殺されて欲しいって言ったから」

「……だけど、」

「『お願い』は?」


れいちゃんは、反論しようとする僕の言葉に重ねる様に言った。


「……」


不満だったけど……最後ぎくしゃくしたってしょうがない。


「じゃあ……生まれ変わったら、また一緒になろう」


僕がそう言うと、れいちゃんは「ん」と言って笑った。


「じゃあ、約束」


僕らは指切りを交わして……それからまた静かになった。


すると、また外のガヤガヤが聞こえてくる。


早く死ななきゃいけないのに……最後の一歩がどうしても踏み出せない。


「しき」

「えっ、あっ……」


待ちくたびれたのか、れいちゃんは僕の名前を呼びながら、近くに置いていた僕のナイフを差し出した。


たくさんの人を殺したこのナイフで……最後にれいちゃんを殺すんだ。


「……」


手が震える。

どうして……どうしても僕は、この大好きな人を殺さなくちゃいけないんだろう。


「……泣かないで、しき」

「だっ、だって……」

「これは……殺すんじゃないよ」


もうどうにかなってしまいそうなくらい壊れそうな僕に、れいちゃんはそう声を掛ける。


「また会う為だから。また……今度はちゃんと、生きていける世界で……しきと会う為だから」

「その為に……ここは捨てるの?」

「違うよ。ここはもう、おしまいにするだけ」

「でも……」

「しき」


僕がどうにか死ねない理由を探していると、れいちゃんはまっすぐ僕を呼んだ。


恐る恐る見上げると……れいちゃんは笑っていた。


「助けて、しき。……この世界から、私を救って」


そっか。

れいちゃんには……この世界は辛いんだ。


それなら僕は……。


「っ……」


……れいちゃんがちゃんと生きられる世界まで、一緒に繰り返すよ。


何度でも。


「あぐっ……っ……」


れいちゃんは辛そうに声を上げながら、小さくなって震える。


声を出さないように耐えながら泣くれいちゃんを僕はそっと抱きしめて言った。


「よく生きたね。……今まで頑張ったね。お疲れ様」

「っぁ……」

「大丈夫だよ。もう寝ていいよ、僕もすぐいくから」

「ふ……」

「そう……おやすみ、れいちゃん」

「……」


れいちゃんは、静かに静かに息を吸って、そしてもう二度と息を吸わなかった。


「あぁ……僕も行かなきゃ」


れいちゃんの包丁があったけど、僕は自分の……たくさんの人と、何よりれいちゃんを殺したナイフで死んだ方がいいと思って、ゆっくりれいちゃんからナイフを抜き取る。


「もうおしまいにしたいよ」


抱きしめたままの、まだ暖かいれいちゃんを……死んでも離さない様にぎゅっと抱きしめながら、僕はちょっとだけ泣いた。


あぁ……きっとどうしようも無かったんだね。


出会うのがいくら早くとも、僕が忘れてなかったとしても、れいちゃんは死んでいたと思うし、れいちゃんと会えなかった可能性だってある。


れいちゃんと二人で生きるって選択肢は、生まれから僕らには出来ない事だったんだ。


……これじゃ、幸せなんてとても、来世に頼る事しか出来ないな。


「……れいちゃん。僕ら何度繰り返せば、幸せになれると思う?」


きっと、二人で幸せになる事なんて……何回転生出来たとしても、無理なのかもしれないな。


でも……そう思ったとしても、僕らはこうするしかないんだ。


……だから、さよなら。


どうしようも生きられない僕達には、こうするしかなかったんだ。


れいちゃんがたくさんの人を巻き込んだのも……こまちゃんを助けたかったからなんだよね。


そして、れいちゃん自身もいい加減救われたかったんだ。


「なんだかなぁ……」


取り返しもつかない事、後悔すら出来ないまま、僕は手に持ったナイフを自分の首に突き当てて、強く押し込んだ。


そして、僕が横に倒れれば、二人の棺はそこに完成した。




……さよなら。

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