〚ウシオ レイ〛⁡

『ずっと羨ましかった。大好きだった』




「今日からあなた達は、二人で一人なの」


ある日、ママはそう言った。


私もこまちゃんも、最初は何だか分からなかった。


「いい?今日からこまちゃんは居ないの。あなた達は、頭の良いれいちゃんと、頭の悪いれいちゃん」


でも、分からないまま、『そう』でなきゃいけない毎日は始まってしまった。


頭の悪い方のれいちゃんの私は、その日から外には出られなかったから、こまちゃんの毎日話してくれる『今日あった事』が、私の知る外の世界の全部になった。


「こまちゃん」


こまちゃんが頭の良い方のれいちゃんになってから、こまちゃんをこまちゃんと呼ぶ人は私だけ。


「今日は何したの?」


そして……私は毎日、こまちゃんの話す事を聞いていた。


「今日も、あの公園で遊んだんだよ。泥団子が綺麗に作れたから、お砂場の端っこに埋めて隠しておいたの」

「へぇ。……楽しかった?」

「うん!」


でも……私は隠してる事があった。


「……こまちゃん」

「……」

「……。よいしょっと」


こまちゃんがすっかり寝静まった夜、公園に行く。


「……ん、あった」


そして、こまちゃんの作ったと言っていた泥団子を踏み潰す。


……ただ、やりたかったからやってるだけ。


やりたいと思ってるのかも分からないけど……とにかく、思い付けば止められなかった。


「……」


別に楽しくなかった。

でも、こまちゃんが砂山を作ったと言えば壊すし、お絵描きをしたと言えば消した。


それが当たり前だったからでしか無い。

意味なんて無かった。


……あの日までは。


ほんの出来心だった。

私は……こまちゃんが遊んでる時間に、こっそり家を出てみてしまった。


たくさん人が居た。

ダンボールで見えなかった昼間の外の世界、こまちゃんだけが教えてくれる外の世界は、覚え切れないほどたくさんの人と、物と、音。


私は楽しくて、どこまで行っても壁の無い、明るい道を走り回った。


「……わっ、」


……すると、人にぶつかって後ろに転んでしまった。


「きゃっ……大丈夫?」


その人は、私がぶつかったのに笑顔のままで、手をこっちに伸ばしてくる。


……どうしてそんな風に笑えるの?


最初にそう思った。


ぶつかったのに怒らないのは何で?

どうして楽しそうに出来るの?


……お日様を毎日浴びてるから?


こまちゃんも皆も、こんなにたくさん楽しいのがある世界に居てずるい。

楽しめてずるい。


私も欲しい。

たくさんの音と、人と、色が、形が欲しいのに……どうして私は貰えないの?


ダンボールと壁と出ちゃいけない扉だけしか、私は貰えないのに。


……そんなの、そんなのずるいよ。


「……えっ」


ちょっとだけ……ちょっとだけ意地悪するつもりだった。


いつもこんなにたくさんのものを貰える世界に居るんだから、ちょっとくらいイタズラしたって良いでしょって。


……だから私は、その人を突き飛ばした。


そしてその時……気づいてしまった。


「きゃあっ!私の子供!!赤ちゃんっ!!」


外の橋みたいなのの階段の下で、膝から血を出して泣いて叫ぶ人。


その人の怯える様な、怖がる様な、泣きそうな声が……。


「……あはっ」


楽しかった。

何を見てるより、一番楽しかった。


どうしてこんなに楽しいんだろう。


もっと……もっと、見たくて堪らなかった。


「!」


そんな時、下の道から声がして、公園で遊んでるこまちゃんを見つけた。


私はさっきの人の事なんてすっかり忘れて、ただ外でこまちゃんを見つけられたのが嬉しくて、駆け寄ろうとしていた時だった。


「数えるよー……いーち……」


こまちゃんの他に、もう一人居た。

目を手で隠して、ゆっくり数を数えてる人。


何してるんだろう。


……って、思うより先に、私はとっても楽しいことを思いついてしまった。


「……」


あの人が、さっきの人みたいになってる所を見たい。

大切なものを盗られて、怪我をして悲しい顔になるのが見たい。


今まで何だって我慢できたのに、これだけは我慢出来なかったから。


「れいちゃ……!」

「しーっ」


私を見つけてびっくりするこまちゃん。


「こまちゃん」


私はそんなこまちゃんに一言、


「……お願い」


とだけ言った。


……私がこまちゃんにお願いするのは、初めての事だった。


だから分かってた。

こまちゃんが断れないって事。


二人で手を繋いで帰る途中、こまちゃんは何も聞かなかった。

家の前まで来てから、先に入っててと言っても、私がまた「お願い」と言うと、こまちゃんは寂しそうにしながらも見送ってくれた。


「お母さん……お母さん……」


何とか公園に戻ると、そこではその人がお母さんを呼びながら泣いていた。


私が近づくと、その人はゆっくり振り返る。


「お母さん……?」


……目の下を赤くして、いっぱい涙をためてる姿が見えた時、私は……。


「あっ……!公園の外には出ないって言ったのに……」

「……泣いてるの?」


口の端っこが上がりそうなのが抑えられない。

でも、それと同時に気に入らない事もあった。


「だって、こまちゃんが置いてくから……」

「……こまちゃん?」


この人が泣いてるの、私のせいじゃないって事だけは確かだったから。


「……こまちゃんじゃないよ」


この人の世界に、私は居なかった。


「じゃあ……君は誰なの?」


……でも、別に良かった。


「れいだよ」


これから、忘れられないくらい刻み付けるから。


「楽しい所に連れてってあげる」

「……夜なのに良いの?」

「夜だから良いんだよ」


私は笑いながらその人の手を引く。


楽しかった。

邪魔されたくなかった。


だって、こんな気持ちは初めてだったから。


「おいで。……れいが連れてってあげる」



****



それから私は、しきを引っ張って走った。

どこまでも行くつもりだった。


ただ……見た事ない道を、誰にも見つからないように進んでいた。


坂道があれば、上へ。

別に下でも良かったんだけど、何となく……夜は暗いから、明るい星の方、昼間見た世界にちょっとでも近づきたくて上にした。


「見つかっちゃダメだよ。ほら、おいで」


そこには、大きな建物があった。

しきが学校って言ったし、多分学校。


……よし。ここにしよう。


「あっ……待って……!」


私が学校の方に走ると、しきも着いてきた。


「大丈夫なの?怒られない?」

「大丈夫。バレなきゃ怒られないよ」


私達は学校に入って進んでいった。

学校の事は特に、こまちゃんに教えて貰ってたからたくさん知ってるけど、初めて見るたくさんのイスとか長い廊下は、とっても不思議で面白かった。


「知らなかったなぁ、夜って楽しい」


長い廊下を進んでいると、しきはそう言った。


……そうかな。

分かんないけど、楽しいなら夜に引き込んでやろうとか思っていると、一つの部屋が目についた。

なぜだか分からないけど、どこか懐かしい気がした。


そこは保健室だった。


私は吸い込まれる様にベットに行き、そのまましきと寝た。

こまちゃん以外の人と寝るのは初めてだったけど、寝れない事も無かった。


……ただ、朝は凄く眩しくて、まだ眠いのに起きてしまった。


「……」


しきは隣でぐっすり寝ていた。


幸せそうな顔、今すぐにでも……と、思った時だった。


「!」


こっちに近づく足音。


「しき!起きて!」


私達は逃げた。

まだ見つかっちゃダメ。


だって、まだ何にもしてない。


見つかったらきっと、ママに外に出てる事がバレちゃう。


内心焦っていた。

でも、何故か酷く落ち着いていた。


それは……手のぬくもりのせいかもしれない。

慣れない温度のぬくもりが、私を落ち着かせたんだ。


……結局、私達が辿り着いたのは、長い廊下の端の一室。


「しき、来てごらん」

「ん……?」

「ここに隠れよう」


その中の、小さな地下室。


「えっ……ちゃんと戻れる?」


私が入ろうとすると、しきはそう言った。


……ダメ。

全然分かってない。


「戻りたいの?」

「……えっ?」

「れいと行ってくれるんじゃないの?」

「……い、いく……」


私は楽しい事がしたいの。

ちょっとくらい許してよ。


……これで最後にするからさ。


「れいちゃん……ここだったら、ずっとれいちゃん居られるね」


そんなことを思っていたら、しきは言った。


「気づいた?……ここはずっと夜だから、ずっとれいが居られるの」

「うん。それだったら……僕もずっとここでもいいや」


本当は誰でも良かったけど、わざわざしきにしたのは……『こまちゃん』のたった一人の友達だからかもしれない。


こまちゃんの大切な人は、私だけでいいもん。


「……しき」


……でも、それより今は……。


「なに……?」


しきの言葉に、私は笑顔で言った。


「ねぇ、ゲームしよう?」


今は……ただ知りたいの。

全部全部、昼間に幸せに歩いてる人の……しきの何もかもと、それが壊れる所が。



****



『……だから、一緒に死のうね』


あの日から全て変わった。


私は夜外に出る様になったし、こまちゃんは私に弱音を吐く様になった。


「れいちゃん……」

「よしよし、こまちゃん」


しきとはあれから会ってない。

けど……約束したから。


『……続き、ちゃんと終わらせて』


……だから、きっともう一度やり直せる。


そして……それは最後のチャンスになる。


私はいつそのチャンスが来ても良い様に、何度も何度もその学校に行っては夜を過ごした。


不便な山奥の学校という事もあって、あの出来事が決定打になり廃校になったみたいだったから、辺りには誰も居なかった。


……あの日までは。


「……れい?」


いつもの様に抜け出して廃校となったそこに行くと、見知った先客が居た。


その先客によってそこが何であるかを知ってから、私は毎日の様に通っていたのを辞めた。


でも今更じっとして居られなくて、ネカフェ、駅前、たまに電車で何処か知らない街に行ってみたり、とにかくフラフラと彷徨い続けた。


あてもなく、つまらない放浪。


でも、廃校にはもう行けない。

いや……今は行きたくない。


だからしょうがなく、今日も夜の街を歩く。


……こまちゃんはあれから、どんどん環境が酷くなっていった。


私達双子は、朝に生きても夜に生きても苦痛で空虚で居なくてはいけないみたいだった。

そう……きっと幸せになれない。


……と、そう思っていた時だった。


「サチ……さん?!」


『サチ』と出会ったのは。



****



『サチ』は、インターネットでの私。

そして、こまちゃんでもあった。


つまり、『サチ』は私達のどちらでもない、私達を一つにしてくれる存在。


そんな『サチ』と出会ってから、夜は退屈ではなくなった。


私の事が気になってるたくさんの人、お菓子をくれる人、お願いをしてくる人、たくさん居た。


私は何もしてなかったししなかったけど、願いが叶いましたって言ってきたり。


そんな中会ったのが、魚住。


魚住と会ってから、夜はちょっとだけ楽しくなった。


知らない人の財布を盗んだり、階段の上からぶつかったりして遊んでいると、とっても楽しかった。


……でも、ふとした時に思う。

どんなに楽しくても、あの時に勝るものは無かった。


あの時間。

あれをもう一度、やり直したい。


「……魚住」


それから私は、魚住と一緒に計画を立てた。


みんな殺して、みんなで死ぬ。

魚住は、それを集団自決というと言った。


決行日は……冬。


こまちゃんも賛成した。

勿論魚住も。


前日まで、ほんの一日前まで、それは順調に進んでいた……のに。


……こまちゃんは帰って来なかった。

いつもの様に、学校に行ったきり。


見つけ出すのには一週間かかった。

こまちゃんは、知らない人……なんでも話してくれるこまちゃんの口から、聞いた事のない人と一緒に居て、そしてとても幸せそうだった。


……そんなのって無いよ。


こまちゃん、一緒に死んでくれるんじゃないの?


私は生まれてからずっと一緒に居たのに、急にぽっと出の人なんかに幸せにされるなんて……許せなかった。


私達は幸せになれない二人で、支え合ってたから生きてこれたのに。


……だから、私はちょっとだけ『イタズラ』をした。


案の定すぐ引っかかった。


こまちゃんと私の違いも分からないんじゃ、いつかまた不幸にされちゃうよ。


期待して元の不幸がより苦しくなるんなら、やっぱり私と一緒に逃げる方が得策なんだよ。


「夏。夏に、今度こそやろうよ。……それも、ただ死ぬだけじゃダメ。こまちゃんを傷付けたやつ、皆傷付けてやろうよ」


私がそう言うと、こまちゃんは弱々しく、でも嬉しそうに笑った。


私はその後学校に行ったけど、家に帰るのも惜しくて、早速放課後の教室で計画を立ててから、そのままあの場所へ向かった。


ここはあれ以来……あそこで知ってから、近づくのが怖かった。


あそこは私にとって、ある意味神聖な場所だったんだ。


『れいちゃん』


……あそこに居たのは、ママだった。


私はあそこで『作られ』て、あそこで生まれたんだって。

そして……無意識にあそこで死のうとした。

それ以外の思い出は作りたく無かった。


けど、……私は決めたんだ。


たくさんのぐちゃぐちゃ全部、もう終わりにしようって。

本当は皆、誰だって望んでるんだ。

だから、どうせなら連れてってあげよう……って。


だから私は、あの場所で……あの廃校で、デスゲームという名のお葬式をする事に決めた。


だから私は言った。


「ゲームしよう」


ふと視界にしきが入った。

……本当は、呼ばないつもりだった。


けど、しきはあの一週間の後、完全に心が壊れて学校に行けなくなったこまちゃんの代わりに、私が行った学校に居た。


そして……告白してきた。


分からなかった。

私の事を覚えてないならこんな関わりが無いのに告白しないし、覚えてるならどうして何も話そうとしないんだろうって。


でも、断る理由も無いから付き合う事にした。


しきはずっと笑っていた。

笑顔で、楽しそうだった。


……そんなのずるい。


また思った。

デスゲームが始まる数日前だった。


そして、私はその時思い付いた。


『いいよ』


かわいそうなこまちゃん。

『足りない』毎日。

そして……しきとの約束。


全部大丈夫になる方法、私が思い付くのは、これだけだったから。


『8月の29、来てくれる?』


しきには、このデスゲームの主役になって貰うんだ。



****



「……誰がこまちゃん殺したの?」


部屋に入ると、こまちゃんはもう死んでいた。


そしてもう一人、唯一デスゲームの参加者じゃなかった人であり、こまちゃんの大切な人であった人も、同様にそこに倒れていた。


来た時はちょっとびっくりしたけど、こまちゃんが誘ったって事は、この人の裏切りを憎んでいたからなのかな。


……それとも、道連れにしたい程の人だったの?


いや……もういいや。

こまちゃんもこの人も、もう死んじゃったんだし。


「……僕だよ」


しきは私の質問に答えた。


うん。

知ってる。


しきはこまちゃんまで殺せちゃうんだね。


このデスゲームで、しきは大きく変わってしまったと思う。


虫も殺せないようなのが、今ではこんな具合なんだからさ。


「……行こう。最後のゲームだよ」


私が壊した。

生きたいってしきの身体が忘れさせていた過去を、私はまた強引に引き出して思い出させた。


だってずるいもん。


私だけ覚えてて、しきは新しい恋愛をする気分で私と接するなんて、嫌。


でも……もう、大丈夫。

過去も今もしきの頭の中は私でいっぱいだし、もう戻りたくても戻れないんだから。


「……ずっと、ずっと長い間、待たせちゃったね」


思い出すなり、しきはそう言った。


調子の良いことを言うしきの言葉は、何故か酷く耳あたりが良くて、それが嫌で私が突き放す様に言うと、しきはそれでも変わらずに穏やかな表情で笑った。


……それから私達は、飽きるまでたくさん話をした。


そんな流れでどんな所が好き?なんて聞かれたりもした。


調子のいい事ばっかり。

忘れてたクセに。


私が意地悪な気持ちで言うと、しきは「あっ……」と呟いて、


「……ごめんね」


と、悲しそうに言った。


そうだよ。

しきが調子に乗るからいけないんだ。


って、私が冷たくした時、しきは思いがけない事を言った。


「ずっと……ずっと頑張ったね、れいちゃん」

「……!」


つい、顔を上げてしまった。

きっと酷い顔をしてるけど、気にする余裕は無かった。


なんで?どうして?


たくさんの疑問と憶測で、頭がいっぱいになった。


「大丈夫だよ。もう……もう終わるからね」

「っ……」


耐えきれなくて俯くと、しきは私を抱きしめた。


……なんでよ。

しきはヘタレだから、そんな事しないじゃん。


「……バカ」

「好きだよ、れいちゃん」


しきと全く違う言葉が重なった。


……でも、そんなの気にならないくらい、この暗くて寒い地下は、どうしてかあったかかった。


まるでしきと溶け合って互いの中に干渉し合ってるみたいで、それに狂わされて私はぽつぽつと言うハズじゃなかった言葉を紡いだ。


「本当は……しきは呼ばないつもりだった」


話すうちに、自分でも気づかなかった本音が零れた。


「しきと一緒に死ねばいいのか、ずっと分からなかった。しき、普通に生きれてたから……」


そうだ。

そうだったんだ。


私は何でか、しきを道連れにしたくて堪らないのと同じくらい、しきにどこか幸せなままでいて欲しかったんだ。


あのまま、私の事なんて思い出さずに、私の死んだ後も平穏な日々を過ごして、人並みの幸せの中で天寿を全うするまでダラダラとつまんないくらいの毎日を送ってくれたら、それでも良かった。


「しき、痛いの嫌?……死ぬの嫌?」


どうか、どうか言わないで。

そう思いながらも、私は聞いてしまった。


「本当は……生きてたい?」


涙が止まらなかった。


こんな事聞いて、動揺するかと思ったけど、しきはまっすぐ私を見たまま両手を強く握ってきた。


「れいちゃん、怪我しなくたって……痛い事はあるよ。……それは、れいちゃんだって良く知ってるでしょ?」

「……うん」

「僕らにとって、その痛さは耐えられないものだったんだよ。……耐えられないから、もう痛くない所に行くんだ」

「……」


そう。

分かってる。


分かってるけど、ほんとにこれが……。


「たとえ、皆がおかしいと言っても……それが僕だから、誰にだって否定させない」


……そうか。

しきはもう、覚悟を決めてるんだ。


ずっとずっと死ぬって言いながら、本当は覚悟なんて決められてなかったのは、私の方だったんだ。


「れいちゃん、最後に一回……れいちゃんの愛を教えてよ」


しきの言葉に、私はしきの服を引っ張り上げ、あの時と同じ様に片手を振り上げた。


でも、あの時の様に振り下ろす事は無く、ただ乱暴なキスをした。


「んっ……」


しきはちょっと驚きながらも、それに応じる。

しばらくキスを繰り返した後、私が少し顔を離すと、しきは頬を火照らせながら笑顔で言った。


「……どっちにするかは、れいちゃんが決めていいよ」


その言葉に、私はしきの上に乗りかかって、暴力的なそれに及んだ。



****



「……」


夢見心地の時間が終わって、二人で静かに寄り添い合って居た時。


「人の声がする」

「……もう入ってきたんだ」


このまま衰弱死させてくれる程、現実は甘くない。


「れいちゃん、ナイフ持ってる?」

「うん。……こまちゃんの包丁」

「僕もナイフあるから……」


……死のうか。


そう続けようとしたんだと思うけど、しきの口からその続きが紡がれる事は無かった。


「……うん」


私はそう言って包丁を握る手に力を込めると、一つ思い出した。


……『お願い』。

こまちゃんの分の、しきのお願いがまだだった。


「あっ……」


しきは思い出した様に呟いてから、うんと考えて一言言った。


「……撫でて欲しいな」


そんなんでいいんだ。


「はい」


私はそう言って、適当にしきの頭を撫でた。


「後は……私の分と、しきの分」


しきは刺し違える様にならない事、ちょっと不満そうだったけど、


「『お願い』は?」


……反論しようとするしきに大きめの声で重ねる様に言うと、黙り込んでから折れた。


結局、気弱なところは気弱なままなんだなぁ。


「じゃあ……生まれ変わったら、また一緒になろう」


しきの絞り出した様なお願いに、私は「ん」と言って笑った。


「じゃあ、約束」


指切りを交わして……それからまた静かになる。


でも、どれだけ経ってもしきは動かなかった。


「しき」

「えっ、あっ……」


このままじゃ、見つかっちゃう。

前と違ってもうやり直せない所まで、私達は来てるんだから。


「……」


……でも、あんな風に励ましておきながら、直前にしきは泣き出してしまった。


「……泣かないで、しき」

「だっ、だって……」

「これは……殺すんじゃないよ」


私はしきの頬に手をやった。

人が泣いてる所の方が好きなハズなのに、今は泣き止んで欲しかった。


あぁ。

私はこんなにも、この人の事が愛おしいんだ。


初めて自覚して、ちょっとだけ恥ずかしかった。


「……ここは捨てるの?」

「違うよ。ここは……もうおしまいにするだけ」

「でも……」

「しき」


今更になって逃げ道を探す、愚かで優しくて愛おしい君に、私は一つ拠り所をあげた。


「助けて、しき。……この世界から、私を救って」


しきは私の言葉にぐちゃぐちゃと頭を回してるんだろう、いくつかの表情を経由してから、やがて、


「っ……」


……何も言わずに、静かに私を刺した。


「あぐっ……っ……」


痛い。

痛かった。


何もかも、分かんなくなっちゃいそうなくらい、ただただ痛かった。


「よく生きたね。……今まで頑張ったね。お疲れ様」


……そしてそこに、毒とも言える様な、しきの優しい言葉が降り注ぐ。


「っぁ……」

「大丈夫だよ。もう寝ていいよ、僕もすぐいくから」

「ふ……」


私はその言葉を、どうにかして最後まで聞き届けようと必死に頭を回した。


「そう……おやすみ、れいちゃん」

「……」


しきの柔らかい言葉に送られて、私はもう痛みも感覚も何も無くなって、何処かに溶ける感じがして、消えた。


……私は逃げ切った。

逃げ切れたんだ。


そして、ぼんやり思った。


小さい頃こまちゃんやしきを執拗に傷付けたりしたのは、私が二人のことが好きだったからなんだって。


好きだから、私を置いて幸せになって欲しくなくて、意地悪した。


だって私は、絶対に幸せになれなくて……。


ただ、置いてかれたくなかっただけなんだ。




……ごめんね。


私の不幸に道連れにして、ごめんね。

今度はきっと、幸せになろうね。




だから……バイバイ。

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