〚ウオズミ カイ〛⁡

『怪物にしようとした。でも、彼女は元から野生の怪物だったんだ』




「魚住くん、レポートの進みどう?」

「ん、ぼちぼちかな」


大学のとある一室、ある男女がそう言葉を交わした。


男の方が僕だ。

女の方はもうよく覚えてない。


「まーた、そんな事言って」


堕落した日々。

日常を適当にやり過ごして、その場限り楽しい事を繰り返せばその日は終わる。


「ねー、早くしてよー」

「……後ちょっとなんだよ」


全ては自分の為。

自分が幸せなら、それで良かったんだ。


『ネットの神様、サチ様の正体に迫る』


「はっ……バカバカしい」


だから……こういう他人に依存したり、誰かを上に置いて心の安定を図るような……そんなどうしようもなく不安定にしか生きられない奴を、内心見下していた。


「魚住ー?」

「でも、なんか……つまんないかも」

「……は?」


でも……心の中では、ずっと何かが足りなかった。

何をしても足りない、何度誰と体を重ねたって虚しくなる、心の穴……。


……結局僕も、楽しい事に依存してたんだ。


依存しなきゃ生きられないなら、もっと身を焦がす様な、激しいものに依存したい。


『サチ様』


儚く、醜いもの。


『サチ様に会ってきたよー』


到底見てられないのに、目を逸らせなくなるもの。


『不思議な子だった』


この世の常識に囚われない純粋なもの。


『サチ様に救われて今日も生きてる』


誰か……たった一人にでも、受け止めきれず破滅する程の衝撃を与えるもの。


「あぁ、参加者ですか?こっちにどうぞー」


らしくない事をした。

……僕は結局、期待していたんだ。


「サチ様だ!」


後ろに居た人の声に振り返ると、そこには中高生くらいの女の子が居た。


特段珍しい見た目をしてる訳じゃない。

ただの黒髪ロングに、パーカー姿の少女だ。


なのに……。


「こんにちは……」

「?……こんにちは」


なのになんで、こんなにも気が狂いそうなんだろう。


そもそも僕は……どうしてここに、いつの間にか来てしまって居たんだろう。


「サチ様。僕、もっと面白い事出来ますよ」


気付けば僕は、彼女の世界に入りたい一心で、そんな事を口走っていた。



****



「魚住」


思い出した。

僕……小さい頃、ヒーローに憧れてたんだ。


皆を虜にして、強くて絶対的でかっこいい。


「……サチ様」


僕はヒーローにはなれない。

ヒーローになれる素質の無いただの人間で、でも……それでも、ヒーローの活躍をその目で見たかった。


心を惹き付けるようなものであれば、ヒーローの様に正しくなくたってよかった。


「次は誰にしようか?」

「……あのおっさんはどうですか?ちょうどよそ見してますよ」

「あはっ、じゃあそうしようか」


自分より年下の女の子に頭を垂れる自分は、前まで何より忌諱していた存在だけど、


「ざまぁみろーっ!」


おっさんの財布をひったくって走り去る目の前の少女は……何にも変え難い、僕のヒーローだったんだ。


「魚住、やったね」


おっさんを撒いた後、彼女はそう言って笑った。


「……今度はどんな面白い事、教えてくれるの?」


彼女には素質があった。

思い付いても出来ない様な事……彼女は何でもやってのけた。


だから僕は目の前のこのヒーローに悪知恵を与えて、見た事も無い様な怪物に仕上げたかった。


「次は……バカな奴らを支配してやりましょうよ!」


そう言って、僕は惨い支配の仕方を意気揚々と彼女に話した。


……彼女がそうやって人を壊すのが見たい。


その一心で語ったものは、


「それなら……もうやった事あるよ」

「……えっ?」


彼女は既に、習得していた。


「いつだったかな、小さい頃」

「……」


そうか。

彼女は……僕が手を加えるまでも無かったんだ。


「サチ様」

「……何?」

「僕を……サチ様の奴隷にしてください」

「奴隷?」


相棒や助っ人じゃ大きすぎる。

左足にさえなれない存在。

彼女の手伝いをして、一番近くで彼女を見守る存在……。


それで僕が思い付いたのは、奴隷だった。


「……いいよ」


彼女は僕を隷属させた時、また楽しそうに笑ったんだ。


「あはっ!」


……その日から、僕は奴隷として彼女の蛮行を見守った。


いつ逮捕されてもおかしくないほど暴れ回った。


実際、何度か捕まりかけた。


捕まったらその後の人生ヤバい事、分かってた。


……分かってたけど、やった。


彼女が何でも躊躇なく壊していくのを見るのが楽しかったからだ。


だから……信じられなかった。


昼間見た彼女は、搾取される人だったから。


「魚住、昼の私はこれで撮って」


僕は言われるがまま、ビデオカメラを向け続ける事しか出来なかった。


彼女は何がしたいんだ?

いや……どうしてこんなことを?


気になって仕方無かった。


……そして、ある日思った。


僕は試されてるんじゃないかって。


「この子、万引きです」

「えっ……」


そんなデタラメでも言えば、彼女はいつもの様に楽しそうに逃げ出すんじゃないかと思ってたのに。


「ちが……違います……」


……その子はもう、僕の知ってるサチ様じゃなかった。


「魚住、ね」

「何ですか?」

「……昼の私に声掛けたでしょ」


ビデオカメラからは消しておいたのに。

彼女には、その事がバレていた。


って事は……やっぱりあれは彼女だったんだ。


「……サチ様」


僕は迷っていた。

最近彼女はずっと考え込んでる様で、何も面白い事をしようとしない。


やっぱり彼女は、僕の探していたヒーローじゃなかったんじゃ……って、思っていた時だった。


「魚住、楽しい事しよう」


……杞憂だった。

彼女は計画していただけだったんだ。


僕の考える事よりずっと……ずっと面白い事を!


彼女は、山の上にある廃校で……何かをする気だった。


準備してまで何かをやるなんて始めてだったから、当然心が踊った。


「やりましたね、二十万……これ目的で、僕に撮らせてたんですか?」

「ん?……違うけど」

「あれー……?」


その勢いに乗って、一緒に搾取し返してやったりもしていて……最高に波が乗っていた時だった。


「魚住、やっぱ止め」

「……えっ?」


実行の前日に急に呼び出されたかと思えばそんな事を言われて……それ以降、サチ様からの連絡は無かった。


僕はその時……もう戻れないくらいサチ様に依存して、彼女が欠けるともう日常生活なんて送れないくらいには、彼女によって壊されていた事を思い知った。


彼女によって壊されるものを見て、だんだん狂気じみていく彼女を見て、でもどこか外野にいる気持ちだったのに……そんな事、全く無かったんだ。


「……サチ様」


僕は信じて待った。

彼女が来ない事を祈りながら、彼女を欲して止まない日々を過ごしていれば、


『8月29日10時、あの場所でやり直ししよう。サチ』


……そんなメッセージカードが届いていた。



****



「ゲームしよう!」


呼ばれて来てみればたくさん人が居て、何が起こるかとワクワクしていた。


久しぶりに会ったサチ様は、僕の見てきた彼女と変わらなかった。


「サチ様」

「魚住。……買い物行こ」

「買い物?」

「明日の朝ごはん」


会ってない間に、僕の彼女に対する執着は……まるで彼女という人間の、いかに手駒になれるのかを考える様になっていた。


「お弁当十個選んで、ピッてして」

「十個?九個じゃないんですか?」

「うん。早く」

「……はぁい」


彼女の周りで人が死んだ。

彼女が殺させたんだ。


でも……彼女は殺さなかった。


僕は、彼女が殺すのを見たかった。


「魚住、明日誰も死ななかったら……魚住が一人殺して」

「……はぁい。誰を殺しますか?」

「そうだなぁ……あっ」


学校に戻って僕が聞くと、彼女はしばらく考えてから言った。


「……ちょっと待ってて」


彼女はそう言って向こうの方へ走って行ったかと思えば、すぐに帰ってきて僕の腕を引いた。


連れて来られたのは……放送室?


「えーっと……あ、あった」


カチッ…


サチ様がボタンを押すと、チャイムの音が鳴った。


「……皆起きちゃいますよ?」

「良いんだよ、これはチャイムだから」

「何のチャイムなんですか?」

「んー……決めたチャイムかな」


彼女はそう言って、僕の方を見た。


「殺すのは波止場 優。分かった?」


それは……彼女の兄の名前だった。


「……はぁい」


次の日、彼女の兄を殺した。

彼女はそれを、冷めた表情で見ていた。


「……」


自分で手を下すのは初めてだった。


でも……大丈夫だった。

自分の意思では出来ない事、彼女の手駒としてなら平気な顔で出来た。


何故かって、僕は僕を辞めていたから。

僕で居たってこんがらがって、今更遅いのに……気付いてしまうから。


……そんなある時。


「チャイムが鳴ったら……」


彼女は何がしたいのか、僕に言った。


「……しきを殺そうとしてみて。……でも、本当に殺すのはダメ」


僕はその意味なんて考えず、いつもの様に言われた通り襲いかかった。


……なのに、


「そうやって、れいちゃんの奴隷で居れば楽でしょうけどさぁ!煩悩なんかありませんって顔して、言いなりでいればれいちゃんの為になるって思ってるんでしょ!」


どうして、『僕』に語りかけてくるんだよ。


……こいつだって、脳死で僕に襲いかかれれば楽だろう?


そんなに僕を現実に陥れたいのか?


「どっちにしろ、あんたは奴隷じゃない!犬だよ、あれは!」

「犬じゃない……」

「じゃあ奴隷がよしよしなんて頼むなよ?!」


思わず答えてしまって怒鳴り返される。


そうか……ただこいつは、僕にムカついてるだけなんだ。


そんなのの為に僕は……こいつに『自分の心』を剥き出しにされた訳か。


「命乞いなんてしないで下さいよ。僕、そんなことされた事、無いんですから」


僕がそんな事しないと分かっていて聞くような素振りに、僕はやり返してやりたいと思った。


「……死にたくないよ」


してやったり。


「……は?」


……そう思ったのも、言葉にした事で見つかってしまった僕の本心に押しつぶされてしまった。


「皆そうだった。誰だって……僕が殺した人も、君が殺した人も。……僕は死にたくなかった」


零れ出た言葉は彼を傷付けた。

でも……それ以上に、僕自身を取り返しのつかないくらい傷付けていた。


「……皆、彼女に狂わされてた。もうこれは……どうやったって、元には戻れないんだ」


そう。

僕達は彼女に遊ばれた玩具でしかない。

壊れてしまって……あとは捨てられるだけ。


「だから死ぬんだろ!」

「……そうだよ。だから僕は、死ななきゃいけないんだ……」


そこまで分かっていて、それでも尚、


「死にたくない……」


……。


僕はヒーローを見ていたかっただけで、それに巻き込まれて死ぬのは嫌だったんだ。


こんな事に気づくなら……自分の意思なんてない、奴隷のまま死にたかった。


「っ……泣かないでよ」


彼もそうなんだろう。

怯えた様に呟きながら、それでも進むしか無くて一歩一歩近付いてくる。


「僕だって、僕だって殺したくないんだ……。でも、れいちゃんの為だから……」


背中に冷たい感触がする。


「っ……」


でも……それは進んで来ない。


「もう……これ以上、殺したくない……」


そう呟く彼をみて、あぁ、もうこの少年は殺せないな……と思った。


……でも、


「……しき」

「!」


サチ様の声がした。


「その調子で、……頑張って」


見なくても分かる。

彼女は……笑ってるんだ。

笑って見ているんだ、この惨状を。


「嫌だ……死にたくない……っ!」

「あああああぁぁぁぁぁあああっ!!!」


悲痛な声も虚しく、次の瞬間現れたのは激痛だった。


「あ゛ぁ゛あ゛っ!!!痛゛い゛っ!!!い゛だい゛っ゛!!!!!」


痛みで何も考えられない。

段々と意識が薄れて行く。


「ぃ゛……ぁ゛……」


……サチ様。


そう呼ぼうとした声は掠れ、最後の力を振り絞って見た彼女は……いつもと何ら変わらない表情で居た。


あぁ……僕はやっぱり、何とも思われてなかったんだ。


僕は……本当はヒーローに、助けて貰いたかったのかもしれないな……。


物語の中のように、不思議でかっこいい、僕のヒーローに……。

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