彼女は人質

「僕は、潮汐さんを追う記者なんだ。……そして彼女には、大変な秘密がある」


梅井さんのその一言を聞いた時、最初は何が言いたいのかよく分からなかった。


れいちゃんを追う記者って何だ?

れいちゃんって……芸能人か何か?


でも、そんな素振りなんて……いや、僕が気づかなかっただけかもしれないけど……。


……それより、大変な秘密って何だ?


ダメだ、よく分かんなくなってきた……これが梅井さんの作戦?


それなら乗っちゃダメだ。


「君の体の傷に、僕はずっと違和感があったんだ」

「……?」


……そんな事を考えていたら、また梅井さんは突拍子も無いことを話し始めた。


「君はそれを、小さい頃のキズだと言ったね」

「……そうですよ、何なんですか」

「僕にはそれは……到底そんな前の傷には見えない。いや……むしろ生傷だ、それは」

「……はい?」


何言ってんだ。

僕の覚えの無い傷なんだから、記憶の無いくらい小さい頃の傷に決まってるだろう。


家族にだってそう言われたし、それ以外何だって言うんだ。


「でも、君が家族に虐待されてる線も薄い」

「……だから、違うって言ったじゃないですか」

「じゃあ……それでいて生傷に見えるのは何でだと思う?」

「……」


……あぁ、もうキリがない。


梅井さん目線では昔の傷には見えなくて?

でも、家族からの虐待で付いた傷には見えない?


「何ですか、自作自演とでも言いたいんですか?」


僕が馬鹿にする様に言うと、梅井さんは黙り込んだ。


やっぱりデタラメだったんだ。

僕を混乱させようったって、そんな即席の嘘じゃ子供騙しにさえなりゃしない。


記者とか小説家とかってのが嘘かも分からないけど、その程度の頭しか無いんじゃたかが知れてる。


結局この人は、自分が生きたいだけの……


「そうだ」

「……は?」

「だから……その傷は、君の自作自演だと言ってる」


……はぁ?


それがそうじゃないって事、僕が一番分かってる。


なのに何で?

何でそもそも相手にさえされない様な嘘をつくんだ、この人は?


……馬鹿なの?


「……じゃあ説明してみてくださいよ」


おかしくて僕が挑発すると、何も話せないかと思いきや、梅井さんは口を開く。


「一日目の夜、声がして目が覚めたんだ」

「……」

「鈴村くん、君のうめき声だ。……可哀想に、うなされているんだと思った」


……また違う話を始めた。


僕が途端に興味を失った様にすると、梅井さんは「まぁ聞いて」と続ける。


「そんな時、チャイムが鳴って……君が起き上がったから、僕は寝たフリをしたんだ」

「それは普通に、トイレに……」

「……君の両手は、汚れてる様に見えた」


……何が言いたいんだ。


「暗かったから、見間違えかとも思った。あの時傷を見るまでは」

「……」

「僕が見たその傷は、君の言うように『昔の傷』じゃ説明がつかない程、新しく見えた」


……。


「……じゃあ、何ですか。僕がやってたとして、何の為に?……そんな事して、メリットなんて無いじゃないですか」

「もし、僕が潮汐さんの事について調べて居なかったら……過度のストレスからだろうと思ったよ」


……ここでれいちゃんと繋げるの?


僕自身覚えが無いから何とも言えないけど……何だか色々繋がって、真実になってしまう気がして、聞きたくなかった。


でも……れいちゃんの事なら、聞かざるを得なかったのもそうだった。


「潮汐さんは、過去に一度……いや、正確には二度事件を起こしてる」

「……事件?」

「そう。その時は十歳にも満たなかったから、当然報道もされずに……殆どの人が知らない出来事だけど、確かにあったんだ」

「……」


信じられない……と思おうとしたけど、そんなれいちゃん主催のデスゲームを今しているんだった。


でも、それにしても……そんな幼い頃に事件を起こしていただなんて。


「一つは、子供の悪戯みたいなものだった。……まぁ、それにしても酷いけれどね」

「何ですか、それ」

「……なんて事ない、妊婦を歩道橋から突き落としたんだよ。お陰で子供は流産、全く酷い話だ」


……でも、確かにやりかねない。


子供だし、わっと驚かせたかったのかもしれないし。


で……それが?


「そして……もう一つ。これが本題だ」

「早く言ってください。何なんですか、もう一つって?」

「それは……」


いつの間にか僕は引き込まれて、もったいぶって口を開く梅井さんの言葉をまだかまだかと待っていた。


「……同年代の子供の、誘拐事件だ」

「誘拐……?」

「そう。……彼女が昼間、その子と遊んでいるのは度々目撃されていた」


そう言われて、何かが繋がりかける。

けど……やっぱりまだ分からない。


「……それで?」

「それで、彼女はその同年代の子……少年を連れて、姿を消した」

「少年……」


僕の呟きで、辺りがしんと静まり返る。


「その少年と少女が発見されたのは、この廃校だった。……もっとも、その頃は廃校では無かったけどね」

「えっ……」

「……そして、その頃もこんな夏の日だった」


梅井さんは話し続ける。


「発見まで一週間はかかった。……二人は地下室で、一週間も隠れて過ごして居たんだ」

「そんなの……」

「当然死にかけだと思うだろう?でも、少女の方は平気そうな顔をしていたんだ」

「……」

「……反面、少年はボロボロだった。食料は少しは取っていたんだろう、飢餓状態では無かったものの……身体中見てられないくらいの傷だらけ」


……何かが、繋がってしまう様な気がした。


でもそれは、良いのか悪いのか……僕には分からなかった。


「二人は引き剥がされた。親同士の話し合いによって、結局大事にはならなかったみたいだったけど。……まぁ、双方大事にするのは都合が悪かったからだろうけどね」

「……それが、れいちゃんの事件ですか?」

「そうだ」


梅井さんは大きく頷いた後、僕を真っ直ぐと見つめた。


「そして……君の事件でもある。……もう分かるよな?鈴村少年」


……気づきたくなかった。


「君は全てを忘れていた」


だって、忘れるって事は……そういう事だから。


「……そうすれば、都合が良かったんだろう。人間はそういうものだ」


でも、梅井さんの話した事、一つ一つ繋がっていく。


「でも……君は忘れられなかった」


嫌だった。


「その傷は、彼女に付けられたであろうその傷は、君にとって大きな意味を持ってしまった」


思い出したくない。


「日に日に消えていく傷に耐えられなかったのか?僕には理解出来ない領域に君は居た」


だって……決まってしまうから。


「でも、確かに君は……」


辞めろ……


「……自分で、その傷を上書きしたんだ」


辞めろ!


「まるで、それが消えるのを酷く恐れるように」

「うるさい!」


僕は魚住さんの事も忘れ、梅井さんに飛びかかっていた。


梅井さんは咄嗟に僕の手を抑え、魚住さんはその拍子に解放される。


「教えてくれ、鈴村くん。あの日何があった?」

「うるさい!黙れ!」

「彼女の本性は何だ?!」

「そんなの無い!れいちゃんは僕の……!」


そこまで言って、……とうとう繋がってしまった。


「……僕の彼女だ。ただの……それだけなのに……」


手の力が抜けていき、梅井さんを切り付けようとしていた腕はだらんと下に垂れる。


零れ出る声は震え、知りたくなかった事を無理矢理思い出させられてしまった僕は、地面に崩れ落ちる。


「……どうして僕達を、あの時……死なせてくれなかったの……」


そうだ。

僕らはあの日……確かに死に損なったんだ。




それだけを今、確かに僕は思い出した。

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