〚メグロ クリオ〛
『間違っていても、助けて貰ったから』
「……」
その日、とある駅に俺は居た。
何て事は無い。
傍から見れば、ただのスーツ姿のサラリーマンだ。
……残業して、終電間近の電車で帰るだけの、ただの……。
「あっ」
「……えっ?」
回送電車が通り過ぎた。
……何が起きた?
俺の腕は、少女に掴まれている。
「危ないよ」
俺は、……自殺を止められてしまった。
****
その少女に自殺を止められてから、俺の日々は天国の様に良くなった。
残業は何かの調査が入ったとかで月40時間を超えなくなったし、睡眠剤を飲みすぎる事も、食事が喉を通らなくて餓死しかける事も無くなった。
……こんな日々があって良いんだろうか。
あぁ、もしあの時死んでいたら、こんな日々は味わえなかったんだと思うと……。
「目黒ー!もっと飲めよ!オラっ!」
「はいっ!」
「ほんと、目黒は無能なクセに、酒ばっか飲むからなぁー」
「へへ……」
あぁ、なんて幸せなんだろう。
世の中の人はこんな幸せな事があるんだって、知ってるのかな。
……それとも前の俺の様に、死にたいって思いながら生きてるのかな。
それなら……あの人に救われて欲しいな。
あの人は、俺の命の恩人なんだ。
いや……神様と言っても良いかもしれない。
あの人の為にも、一生懸命生きよう。
いつか……恩返し出来る様に。
「ただいまー……っと」
俺はすっかり終電を逃してしまい、でも幸いな事に家は歩いて一時間位の所だったから、フラつきながら歩いて帰った。
家にはもちろん誰も居ない。
「……よし、今日も始めるか」
そして、今日も眠気と戦いながらパソコンを開く。
『私もサチ様に救われたいですー!』
『あれからサチ様にはあえたんですか?』
俺が日常を語っていたサイトは、あの人の事を書き込んでからすっかり『サチ様』を崇める人達で賑わう様になっていた。
『サチ』という名前も、俺に幸せを運んで来たからかは分からないけど、いつの間にかそう名前の付いた存在になっていた。
つまりは、インターネットのちょっとした救世主になってる訳で。
『あれからサチ様には会ってないんですか?』
会ってない。
……というか、あんな時間に電車に乗る事が減ったからか、その機会を失っていると言うべきか。
『やっぱり、探した方が良いのかな?』
俺がそう書き込むと、今までに無いくらいの反応があった。
『探して!私達にも会わせて!』
『主さんだけが頼りなんです…』
『俺もサチ様に救って欲しい』
『真面目にお願いします』
「やっぱりみんな、あの子を望んでるんだ……」
そりゃそうだ。
皆……前の俺なんだから。
まだ救われてない人が居る。
……俺が助けなきゃ。
『分かった、探してみるよ』
その日から、寝る間も惜しんで深夜の駅を徘徊する日々が始まった。
実はあの子の顔もまともに見ていなかったから、捜索は当然困難を極めた。
『頑張って!』
『きっと見つかるよ』
「……頑張らなきゃ」
当然、会社もあるので寝不足になった。
でも、前の俺と同じ誰かの為を思えば苦じゃなかった。
『がんばれー』
段々人が減って行った。
睡眠剤無しで寝られなくなった。
『虚言きつ』
興味本位で来た人の、辛辣な投稿が目立つ様になった。
食事が全く喉を通らなくなった。
『……』
忘れられた。
もう誰も見ていないんじゃないか。
「ダメだ……見つけなきゃ……」
見つからない。
見つかる訳ない。
……きっとあれは、俺の都合の良い幻覚だったんだ。
「はは……」
俺はその日、いつもの駅で……もう一度、終わりにしようと思ってしまった。
『四番線、電車が通過します。……』
「……もういいか」
神様。
居るもんなら、こんな死にかけの俺の事を、どうか見逃してよ。
もう良いんだ。
俺の神様は、俺でしか無かったんだ。
俺以外には見えないんじゃ、連れて行きようがない。
……みんな、救えなくてごめん。
さよなら……。
「あっ」
ガタンガタン…
「……えっ?」
電車が何事も無く通過した。
俺は腕を掴まれてる。
「ねぇ、死ぬならさ……」
「サチ……さん?!」
振り返って見て、思い出した。
この子だ。
いや……この人がサチさんだ。
「サチ?」
「サチさん、俺、ずっと探してて……」
思わず涙腺が緩む。
気づけば泣き崩れていた。
良かった……。
幻じゃなかった。
嘘じゃなかった。
サチさんは二度も俺を助けてくれた!
「?」
この人ならきっと……俺達を助けてくれる。
****
俺とサチさんは、その後近くのネカフェに居た。
俺がサイトを見せると、サチさんは「よく出来てるね」と言ってくれた。
褒められた事なんて覚えてないくらい前の事だったし、しかもこれだけの事で褒められて、本当に良いのかって思ってしまった。
しかも……サチさんは二度も俺を救ってくれたんだ。
これは偶然じゃない。
だから、みんなも救ってあげないと。
「ずっと皆、サチさんに会いたがってて……サチさん、どうかサチさんの力をみんなにも……」
サチさんは俺の言葉に、何かを思いついた様に笑って言った。
「いいよ、力を貸してあげる。……その代わり、楽しい事ちょうだい」
……それから、新しい日々が始まった。
『サチさんを見つけた』
最初そう書き込みをした時も信じてくれなかった人達も、見はしてくれていたらしい。
『次の日曜日、サチさんを連れて来ます』
俺がそう書き込むと、何だかんだ人は来てくれた。
『マジだった』
『めっちゃ可愛い。真面目に明日から頑張れそうな気してきた。お前らも行け』
『お菓子食べてたー和む』
やっぱりサチさんの力は凄い。
消えかけていたサイトも、多分前よりも賑わう様になった。
サチさんに会う会はそれから何回も開催され、その度に人も増えて行った。
『主さん、疑ってごめん!』
『主さんに感謝』
今では俺を疑う人は居ない。
「わぁ、凄いね」
サチさんの方も……最難関だと思っていた『楽しい事』は、山盛りのお菓子をあげたりすれば何だかんだはしゃいでくれた。
「あの、」
「あっ、何でしょう?」
「サチ様の会で……」
「あぁ、参加者ですか?こっちにどうぞー」
今ではすっかり、サチさんの管理人みたいな位置にいる。
早速サチさんを支えたりサイトを大きくする為に皆でお金を出し合おうって話も出ているし。
あとは……サチさんを『若くて可愛い女の子』目的で来る奴をどうにかしないと。
でも悩みはそれくらいしかなくて、最近では睡眠剤無しで毎日眠れるし、食欲も出てきたし……こんな幸せあったんだって、もう夢の様だった。
……だった、のに。
「サチさん……?」
サチさんは、いつの間にか姿を現さなくなってしまった。
そして、次の会にも来なかった。
『えっ、サチ様どうしたの?』
『マジでショック。どんなもんか一目拝みたかったのにー』
『主さーん、どうにかしてー』
「どうしよう、どうしよう……」
思い出せ。
サチさんは何してた?
『サチ様。僕、もっと面白い事出来ますよ』
……あっ。
そういえば、前の……最後サチさんが来た会の終わりに、サチさんは一人の男と帰って行ったんだった。
あいつか……?
あいつが何かしたんだ……。
「仕方ない……」
本当はこんな事、したくなかったのに。
『サチ様目撃情報』
そこには、昼には会えない彼女に、昼間の間に会ったという人達の……いわばルール違反の人達の溜まり場があった。
そこには惜しげも無く、出会った場所、出会った時間が事細かに書いてあった。
「見ないつもりだった……けど」
俺は心の中でサチさんに平謝りしながら、それを素早くメモして向かった。
……その日、俺は初めて仕事を休んだ。
思えば、サチさんはそれくらい大切な存在になっていたんだな。
「!」
そんな事を考えていたら、サチさんを見つけた。
制服姿で……あ、そうか。
今は学生の登校時間なんだっけ。
「あの!」
「っ!」
俺が声を掛けると、サチさんはびっくりとする。
「な……ん、ですか……」
「えっと……どうして来なくなったんですか?」
「はい……?」
……驚いた事に、昼間のサチさんは俺の事を一切覚えていないみたいだった。
「すみません、失礼しました」
これだけ同じで他人の空似という事も無いだろう。
本当に忘れているというのもおかしな話だし、踊らされているのか。
「サチさん!」
「!」
……名前を呼んだら反応した。
やっぱり、覚えてない訳じゃないんだ。
「……どうして来てくれないんですか?みんな……いや、俺も……ずっと待ってるんですよ」
「っ……知りません……」
「じゃあ、何で助けたんですか?」
どうして、二度も俺を救ってくれたのに……どうしてこんなに心を乱していくんだろう。
「離して……離してください……」
「……ごめんなさい」
思わず手を掴んでしまって、拒絶されてしまった。
俺はこの人に掴まれて救われたのに……この人は俺に掴まれて、こんな顔をするんだ。
……サチさんって、人間だったんだ。
「すみませんでした」
もう辞めよう。
『えっ、サチ様もう来ない?』
もう……あの人の人生を邪魔しちゃいけない。
『冗談?』
『今来たけどどゆこと』
『サチ様ー』
『サチさんはただの人間だから、もう邪魔しちゃいけない』
『は?』
『やっぱり自演かよ』
キツい言葉もあった。
『迷ってる間に終わってるし。行っときゃ良かった』
『制服のサチ様貼るわ』
『家の近くじゃん、今度探してみよ』
そのうち、そんな風にサチさんに危害を加えるような書き込みが増えてきた。
「!」
サチさんが危ない。
早く……早くサイトを消さないと。
「っ……ごめんなさい……」
……でも、消せなかった。
それは唯一……彼女が『サチ』として存在した証だったから。
『サチ様の本名は……
「うるさい!」
俺は勢いよくパソコンを投げた。
「……あっ」
壊してしまった。
でも、それで良かったんだ。
きっと、それで……。
……そう思ってたのに。
自分の中のサチさんに助けられながら生きられれば、それで……良かったのに。
『8月29日の10時、山の上の廃校で待ってます。サチ』
いつもの電車から降りた時、人混みに紛れて渡されたそれには……確かにそう書いてあった。
****
……結局、俺は来てしまった。
俺がもう関わらないと言ったのは、彼女が俺を拒絶したからだ。
でも……何故かまた、こうやって呼び出されている。
「……」
俺は、サチさんにたくさん迷惑をかけてしまった。
あれから、人間である彼女にどんな悪影響があるのかも考えもせずに……彼女が身バレしていくのを見逃した俺の責任は重い。
結局、あのサイトも消せず終いだし。
「ゲームしよう!」
……サチさんは、言うなら変わっていなかった。
あの無邪気な言動、小さな事でも大きな事でも、自分が楽しければ喜ぶ、そんな不思議な人のままだった。
まるで、昼の彼女が嘘だと言えるんじゃないかって程に。
そして……俺は目を逸らした。
彼女がしている事が正しいのか、誰かを救っているのか、考えればすぐ答えが出てしまうから。
「……こんにちは」
「?……こんにちは」
でも、逃げてるだけじゃいけないんだ。
「……目黒さん」
でも現実は、俺が曖昧なまま死に行く事を許さなかった。
「僕と協力して、梅井さんと栄村さんを殺しませんか?」
鈴村くん。
この子を否定する度、同時にサチさんを否定している気持ちになった。
俺と他の人を集めてデスゲームをしてるのも、実際に人が死んでるのも……全部サチさんがした事なんだ。
サチさんは……正しく無かった……?
「れいちゃん、助けて……」
……あっ。
そうか。
最初からサチさんは、正しいんじゃなくて……ただ人に縋られるだけの、ただの人間だったんだ。
痛々しく呟く少年を見て、俺は気づいてしまった。
サチさんは正しくないけど、正しく生きられない人を救える人なんだ。
「死ね」
少年はそう呟いて、俺の首目掛けて自分のナイフを振り下ろしてきた。
……殺される。
反射的に抵抗したけど、迷いはずっとあった。
抵抗しながら考えた。
この子にとっては、どっちが幸せなんだろう。
これ以上人を殺さず、人として少しでも正しい道を歩むのか、……サチさんに救われようと、暗く冷たい沼をもがくのか。
「!……勝った」
考えが纏まらぬ間に、少年はそう言って目を輝かせた。
「がっ……!」
お腹の辺りに感じた事も無い痛みが走った後、直ぐに声は出なくなった。
「よし、これでうるさくない……っと」
あぁ、死ぬのか……。
「……れいちゃん、殺したよ」
少年の声が薄れ行く中、俺は最後に思った。
サチさん、俺の命と引き換えに……この少年に救済を。
この子はもう、正しさでは救われない。
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