彼女と動悸
「バイバイ」
れいちゃんは、首元を切られて倒れ込んだ波止場さんにそう告げた。
狭い教室には、鮮血が色鮮やかに飛び散っていた。
「もう……もう嫌……」
栄村さんはそう言ってしゃがみこんでしまう。
……れいちゃんは、殺す人を決めていたと言っていた。
つまり、波止場さんを……兄をこの早回しに利用したという事だ。
それは、言ってしまえばその程度にしか見ていなかったという事。
デスゲームの主催者側と参加者側の間を繋ぐ役割を持ってそれでいて喋る方な彼を失う損失は大きいハズなのに……いや、それとも逆?
彼が居ることによって、れいちゃんに支障をきたしていたから殺した……って事?
でも……それにしても、自分の兄を命令一つで殺させてしまうなんて。
「……魚住」
しばらく黙っていたれいちゃんは、やがて一言声を上げた。
「はいっ」
「『お願い』は?」
れいちゃんに聞かれて、魚住さんは考え込む。
……どんなお願いをするんだろうか。
奴隷から解放して、とか?
それとも逆に、もっといたぶってください……とか?
そんな事を考えていたら、魚住さんは明るい笑顔で言った。
「じゃあ、撫でて欲しいです!」
……まるでさっき人を殺した人間の言葉とは思えないくらい、純粋な『お願い』だ。
「いいよ。……よしよし」
「わはっ」
れいちゃんもれいちゃんで、人一人賭けられた『お願い』だと言うのに、軽くあしらう様な雑なよしよしで済ませ、すっかり叶えた気になっているし。
魚住さんは……それですっかり満足した様に喜んでいるし。
「あちゃ、鈴村くん、血飛んでるよ」
……そして、梅井さんも通常運転だ。
「まぁ……これくらいなら落ちますよ」
「ほっといたら落ちなくなるよ。ささっと洗って来ちゃおう」
「はぁ……」
こんなちょっとの飛び血でこんなに心配した風にするのは……何か企んでるんだろうか。
「そもそも、デスゲーム中に教室出て良いんですか?」
「うーん、ダメとは言ってなかったけど……聞いてみようか?」
梅井さんはそう言って、……血だらけの魚住さんには座りたく無いのか、後ろの机の山の方に戻って座っていたれいちゃんに向かって声を上げる。
「潮汐さーん!ちょっと返り血ついたんで、洗ってきても良いですかー?」
「……いいよ」
「ありがとうございまーす!……あ、ついでに……他の教室に居るのは良いんですかー?」
「別に良いよ」
「了解でーす!」
そういうのは意外と大丈夫らしい。
学校から出なければ良いという事なんだろうか、甘い気もするけど……その分そこまで緩くしても逃げる者は居ないと踏んでいるんだろう。
全く、れいちゃんの思惑通りに進んでる気がしてならないけど……それに関しては別に僕にとっては良かった。
だって、れいちゃんが居なければとっくに帰ってる位、今の状況は馬鹿げた話なんだから。
「でも鈴村くん、夏なのに……熱くないの?その格好」
「……これが一番良いんですよ」
トイレの水道の前まで来ると、梅井さんがそういえばと言う様に口を開く。
鏡に映る僕の格好は……薄着とはいえ長袖長ズボンだ。
確かに暑苦しいと言えばそうだろうけど。
「よし、僕がいっちょ洗っちゃおうか」
「梅井さん、そういうの出来るんですか?」
「バカにするなよ〜?これでも、家事は自分でやってるんだから。……ほら、さっさと脱ぐ!この間にも、デスゲームは続いてるんだから」
「……」
……やっぱり、梅井さんは知ってて言ってるのかな。
いや……まぁ良いか、この際。
「ん……何だ?まさか恥ずかしがってんじゃないだろうなぁ?」
「な訳ないでしょ。気色の悪いこと言わないでください」
僕はため息をつきながら、血の付いたシャツを脱ぐ。
「……知ってて誘いましたか?」
「えっ、いや……ただ話す口実が欲しかっただけなんだけど……」
案の定、梅井さんは服の下から現れた僕の体にびっくりしている様だった。
「それ、……虐待?」
「……やっぱり、ハッキリ聞くんですね」
そう。
僕は身体中に傷跡がある。
「……やっぱり着ながら洗いますよ」
「あぁ……それが良いよ」
梅井さんの、そういう人間らしい反応はするけど……自分の気になった事には人の心を持たないのかってくらい突き詰める性格は、別に嫌いじゃない。
それに、これはそういうのじゃないし。
「覚えてないけど、小さい頃のキズがまだ残ってるだけ……らしいです」
「そうか……」
「……あっ、でも……家族からじゃないんですよ。僕にこんな事する人は居ないので」
「……そっちの方が怖くない?」
「あはは、確かにそうですねー」
僕には幼い頃の記憶が無い。
……それがこのキズに関係してるんだろうなって事は、何となく分かってた。
というか、関係してない方がおかしいんだ、こんなキズ。
「ん……大体落ちましたよ」
「そうか……。折角、僕の手洗いテクニックを見て貰おうと思ったのになぁ」
「そんなの、またの機会で良いじゃないですか」
「ま、そうだなぁ。……帰るか!」
他人の心に気を使えない人だからか、逆に気を使われて居心地が悪い事も無くてちょっとホッとする。
目立つけど覚えてないからそんなに苦じゃないし、逆に気を使われる方が憂鬱だったから……こんな人も居るんだなと思うと結構気が楽になった。
……今のれいちゃんがこれを見たとしても、きっと「へぇ」で済ますんだろうな。
きっと栄村さん辺りは、心配し出すんだろうけど。
それにしても……この一日くらいの間に、結構濃い付き合いをしたなぁと、つい感心してしまう。
「……」
鏡に映る自分は、相変わらずの表情で見つめ返してくる。
すっかり服に隠れて見えなくなったけど……やっぱりあの傷を見ると、変な気持ちになってしまう。
何か……心臓が握られる様な、変な感じ。
カラン…
「……あっ」
ふとナイフを落としてしまって、慌てて拾い上げる。
ナイフといえば……さっきのは凄かったな。
れいちゃんに気を取られてるうちに……多分、皆気づかなかったんじゃないかな。
魚住さんが波止場さんの首を切って、あっという間に殺して。
僕よりあの人の方が、服洗うべきだと思うけど……血いっぱい浴びて……あれは体ごと洗わなきゃいけないレベルだよ、もう。
「……」
……それにしても、何かさっきから……引っかかる感じがするな。
そう……魚住さんの『お願い』。
れいちゃんに撫でてもらうのって、……良いんだ、それ。
僕だって撫でて貰ったこと無いのに……。
……でも、さっき魚住さんがれいちゃんに撫でられる事のハードルを上げちゃったんだから、今更代償無しでれいちゃんに撫でられるなんて無理だ。
そう……人を殺さないともうれいちゃんには撫でて貰えない。
でもそれって、逆に言えば人を殺せばれいちゃんに撫でて貰えるって事だ。
……そうしたら、意外と飲み込めてしまう自分が怖い。
「……鈴村くーん?」
「あっ……すみません、今行きます!」
手に持ったナイフは、人を殺す気は無いと言いつつもそれを持ち続けている狡猾な人間を映す。
……やっぱり、誘われてるんだろうか。
僕にもあの奴隷の資格があったとして、れいちゃんは僕を手駒にしてイスにしたいって思ったりするんだろうか。
いや、そうだったとしても……僕がそうなって今よりれいちゃんに近付けるかは、また別問題じゃないか。
……いや、そうなんだ、そう考えないと……僕は変な結論に達してしまうから。
「……大丈夫」
頭の中でひっそりと疼く「羨ましい」の言葉をかき消すように、一回冷たい水をぱしゃりと顔にかけ、僕はその場を後にした。
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