〚ハトバ ユウ〛⁡

『いくら心を逃がしても、現実からは逃げられないって……思ってたから』




「妹?」

「うん、そうなの」


母さんは、若い頃に俺を産んで、俺が小さい頃に父さんと離婚した。


そんな母さんが、俺が社会人になった今……急に現れてそんな事を言った。


「ちょっとだけでいいの。勉強ちょっと見て貰えればなーって」


母さんは綺麗な人だった。


魔性の女って言うんだろうか、その魔性に惹かれた凡人の男が、俺の父さんだった。


父さんは温厚で人畜無害だったけど、いつまで経っても母さんの奴隷だった。


「好きな人が出来た」と無邪気で残酷に言い放った母さんを、止めもせずに見送って……俺を捨てた母さんを咎めもせず、大切に男手一つで育ててくれた。


でも、が母さんの残しただったから、文句一つ言わずに育て上げてくれたんだと思うと……やっぱり母さんに取り憑かれてる父さんごと、嫌いになりたくてしょうがなかった。


「……れい、です」


そんな母さんが、「好きな人」と作った子供がれいだった。


それまで一切連絡もよこさなかったのに、いきなり来たと思ったら、小学生くらいの子供を『妹』だと言うし。


「えっと……お兄ちゃん?」

「……」


……俺も、これくらいの時に母さんに捨てられたっけ。


不安げな表情で俺を見る、この小さな子供を見て……俺は、思い出したくもない昔の事を、色々思い出してしまった。


「わぁ、ハンバーグだ!」


……父さんは、母さんに似ているその子供を甘やかした。


何時でも来ていいんだよと父さんの言った通り、学校の無い時間帯はかなりの頻度で家に来た。


父さんが居ない間は、俺がその子供の面倒を見る事になっていた。


その間は大体勉強を教えるとか、そんな感じだ。

父さんの頼み、断る事なんて出来なかった。


「あの、ここの問題……」


あぁ……でも、気持ち悪い。

父さんがこの子供に自分の事を「お父さん」と呼ぶのも、この子供が俺の事を、「お兄ちゃん」と呼ぶのも……。


……全部が気持ち悪かった。


でも、逃げられない。


そのうち、せっかく割り切れた母さんの匂いが染み付いたこの家に居るのがどうしても嫌で、でも父さんを裏切る事なんて出来なくて……俺は壊れていった。


「……ただいま」


でも、社会人は辞められない。


父さんは大学まで行かせてくれた。


でも、俺がこのまま壊れて社会人を辞めてニートになったとしても、父さんは何も責めないだろう。


けど、そんなの出来る訳が無い。

父さんに罪は無いんだから。


「……お邪魔します」


そんな事を考えていたら、今日もやって来た。


いつの間にか制服で来ているし、中学生になったんだろう。


そいつは家に上がり込んで、今日は俺に面倒を見て貰える日だと確認して階段を上がる。


……入ってこないでくれ、もう……。


お前さえ来なければ、俺はギリギリで生きていけるのに……。


「お兄ちゃん、これ……」


……そうだ。


「おに……」

「静かにしろ。……喋ったら殴る」

「っ……!」


もう、『来れなく』すれば良いんだ。


「や、やだ……」

「……お前が全部悪いんだからな」


そう。

全部こいつが悪いんだ。


だから……俺は悪くない。



****



声を殺してしゃくり上げる『妹』に、俺は誰かに言ったらどうなるか分かるよなと脅しをかけ、その日は帰らせた。


「……これで良かったんだ」


これできっと、もう『妹』は来ない。


父さんには少し悪いけど……俺が働けなくなるよりは良いだろう。


……これが一番良かったんだ。

これ以外無かった。


俺はこの一度の過ちを背負って、償って生きていけばいい。


兄妹、もう一生交わらずに。


……そう思ってたのに。


「お、邪魔……します……」


泣きそうな顔をして、そいつはまたやって来た。


……それで、俺の中のもののひとつが、プツンと切れて……崩れ落ちた。


「や、やだ!辞め……」

「うるさい!!こうされたくてまた来たんだろ!!……声出したら殺すからな」


その日から、俺の日々はおかしくなり、酷く安定した。


耐えきれない重荷は『妹』で解消される。


それで恐ろしい程上手く回った。


仕事でも成功して、段々と給料も上がってくる。

父さんにもう仕事をさせなくていい日も近いだろう。


「れい、父さん帰ってくる前に、シャワー浴びて来い」

「……」


れいは何も言わなかった。


誰にも打ち明けず、いつもの様に家に来る。


父さんが居る日は、皆で家族ごっこの様な会話をした。


……父さんは気づかなかった。


怯えるようなれいの仕草は、おしとやかになったで片付けられた。


「れい。俺たち……寂しい人間なのかもな」


そのうち、れいもこの触れ合いで傷を癒そうとしているんじゃないかと思う様になった。


だって、嫌なら来なければ良いのに、こうやって呼んでもないのに家に来る訳だし。


「うん」


れいの顔は見えなかったけど、この歪な関係で、俺達は分かり合えたのだと思った。


「れい、どうしたんだ?元気無いな」


れいが高校生になった頃、急にその日は訪れた。


「私は……『サチ』だよ」


れいが、『サチ』を名乗り始めたのは。


「れい……」

「違う。『サチ』だから」


二人きりの時は、一度でもれいと呼ぶとそう指摘された。


……父さんとかと居る時は、そんな事言わないのに。


でも……段々分かってきた。

『サチ』を名乗るれいは、今までと違って強気だった。


そして、何よりも……。


「……れい」

「辞めて。……気分じゃない、から」


俺と一度もしなくなった。


でも、それだと俺が壊れてしまう。


何日か経って俺はもう限界で、久しぶりに抵抗される中無理矢理した。


「っ……ごめんなさい……ぅぅっ……」


結局、『サチ』も中身は変わらなかった。


所詮は自分を守る為の、ただの人格に過ぎなかったんだ。


でも……ある日、れいは家に来なくなった。


れいの家を聞き出す事も出来ずに、俺は結局呆気なく壊れてしまった。


今じゃ恐れていたニートだ。


父さんは叱らなかったけど、惨めで仕方が無かった。


……そんな時。


「おーい」


気のせいだと思った。

けど、確かに外から聞き慣れた声が聞こえた。


「!」


見ると、そこに居たのはれいだった。


「ポスト、入れといたから」

「ま……待って!」


慌てて外に出ると、もうれいは居なかった。


でも……れいの言った通り、ポストには一枚の紙が入っていた。


『8月29日の10時、山頂の廃校で待ってます。れい』



****



それから廃校に張り込めば、直ぐにれいは見つけられた。


「れい」


声をかけると、れいは振り返る。


その日は約束の日じゃなかったけど、れいは慌てなかった。


その代わり、


「じゃあ、『お兄ちゃん』にも手伝って貰おうかな」


楽しそうにれいは言う。


……彼女は、デスゲームをしようとしていた。


「お兄ちゃん、一緒にこの世の悪いやつ、全部殺そう?」


そう言われると魅力的で、それでも良いかとさえ思えて来た。


きっと父さんにも迷惑がかかるだろうけど……これは俺の復讐だから。


最後にれいと一緒に死ぬ約束をして、準備は終わった。


「ゲームしよう!」


俺と会ってない間に何があったのか、れいは全く性格が変わっていた。


自殺した奴の『お願い』を叶える姿は……もしかして俺もこんな風に殺されるんじゃと思ってしまうくらい、残忍な所業だった。


「じゃあ、俺……点呼してくるから」


でも、それは気の所為だった。


「あっ……」


点呼から帰ったれいは抵抗さえしたものの、いつもと同じか弱い存在のままだった。


「ん……何だ、夜にチャイムだなんて……」


結局、チャイムの音が鳴るまでし続けて、れいは汚れた所を洗うと言って行ってしまった。


そのまま俺は、久しぶりの快感に泥のように寝込んだ。


「……れい」


でも、それが崩れたのは……二日目のゲーム中。


「お前……いや、は何だ?」


れいは当たり前の様に答えた。


「奴隷だよ」

「……奴隷?」

「そう。奴隷」


奴隷と聞いて、母さんに飼い慣らされた父さんを思い出す。


いやいや、まさかそんなハズは……無いに決まってる。


れいがあの人と一緒だなんて。


……ゆっくり、ゆっくり崩れていく。


もしかしてれいは、俺の思っている様な人じゃなくて……。


俺が答えを探そうと、でも絶対に見つけないようにしていると、あっという間にタイマーが鳴った。


「だれも死ななかったね。……魚住」

「はーい」


黙々と誰かを殺そうとしているれいに悪寒が止まなくて、俺はつい焦り気味に誰を殺すのかと聞いてしまった。


俺の言葉に、れいはこちらの方を見て目を細めた。


「もう決まってるよ」


……その瞬間。

目の前が真っ暗になって……俺は悟った。


俺は、一番忌諱していた奴隷に……しかも一番縋っていたれいの奴隷に、本人に手を下される程でも無く、殺されたんだ……って。

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