〚サザイ トウゴ〛⁡

『もう……心が限界だった』




「……返して」


杏奈がそう言い始めたのは、いつだったか。


最初は驚いた。

けど……仕方の無い事だと思った。


その子は杏奈と僕が大変な苦労をして、やっと授かった子供だったから。


もう次は無理だろうと言われていたから、余計に……だ。


でも、実際に見るのは初めてだった。

傷付いた人は、こうやって自分を守るんだって。


「……ごめんなさい」


潮汐さんも最初は困惑していたけど、僕がお願いしたら話を合わせてくれる様になった。


「返してよ……!!」


だから、当たり前だけど……杏奈の怒りの矛先は、潮汐さんに向かう様になった。

でも、潮汐さんも潮汐さんで責任を感じているのか、ちゃんと定期的にここに来る。


……杏奈の方も、心の深い方では分かっているのか、掴みかかったり脅して聞き出そうとはせず、ただただ悲痛に叫び続けた。


その様子は痛々しくて……とても見ていられなかった。


「はい、今回もお薬出しておきましたから」

「……ありがとうございます」


一応精神科には通わせているけど、良くなる気配がしない。


最近は病院に行くと明らかに警戒し出すので、行きたくないと言い出すのも時間の問題だろう。


……僕らは、どうしたらいいんだろう。

どこに向かえばいいんだろう。


このまま潮汐さんの精神を蝕み続けて彼女を壊せば、杏奈は満足なんだろうか。


……いや、そんなハズない。

きっと今度は杏奈が壊れる。

それか……僕を誘拐犯として、今度は僕を攻撃し始めるかだ。


「ごめんなさい……」


今日も潮汐さんは家に来て謝り続ける。


でも……もうそろそろ可哀想だ。


ここまで謝りに来るって事は、やっぱり『あれ』は子供のイタズラだったんだ。

例えわざとだったとしても、もうとっくに改心してるって事だろう。


「……」


だから、あの子が最後に来た日……あの子を見て後悔した。


まともに喋らず、やつれた彼女は、もうとっくに杏奈に壊されてしまったんだと思った。


最近は杏奈もエスカレートして、危害まで加えるようになったし……無理も無い。


「……ごめんなさい。もう許してください……」


最後、振り絞るようにそれだけ言って帰ろうとした潮汐さんに、玄関先で小さく言った。


「こちらこそ、長い間ごめん。……もう、来なくても大丈夫だから……ありがとう」


小学生が高校生になるまで、こんな大きなものを背負わしてしまった。

それを僕は……見ないフリをしてしまった。


今している事は……子供を殺す事と、何ら変わりない事なんだ。


「……よし」


僕は、もう決めた。

現実と向き合わなきゃいけない。


医者の人と相談して、適切な場所で伝えようとしていた矢先の所だった。


「……杏奈?」


杏奈が行方をくらましたのは。


通帳やお気に入りの服が一式無くなっていて、つい杏奈とのやりとりのクセで誘拐されたんじゃと思ったけど……違った。


杏奈のよく使っているSNS。


開きっぱなしになっていたそれには、別の場所から書き込んでいるとみられる杏奈のメッセージと、それに反応するいくつかのメッセージがあった。


そのページには命を狙われてるだの海外に逃亡したいだの色々……彼女の妄言がチラホラと見られていたけど、遡っていくと……見つけた。


『29日に、やっと子供を返して貰える事になったの』


……29日?


見ると、29日に廃校……あの山の上のやつだろう、そこで子供を返して貰えるらしい。


その文言には……見覚えがあった。


「……これだ」


『8月29日の10時、山頂の廃校の中で。潮汐』


杏奈のテーブルの上に意味ありげに置いてあったカード。


最初は杏奈の仕業かと思ったけど……もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。


……それなら、行かなきゃ。


もう杏奈は止められない。

取り返しのつかなくなる前に、僕が……。



****



「何でも叶えるって、言いましたよね……?」


……遅かった。


もう……とっくに全部遅かったんだ。


彼女の中で、それは自分を支えるための嘘じゃなくて、もうとっくに自分が縋る『真実』になっていたんだ。


だから、殺せば手に入ると思って……無実の人を殺してしまったんだ。


「……殺したね」


冷静に言う潮汐さんの声。


彼女ももう壊れてしまったんだろう。

いや……僕らが壊してしまったんだ。


もうこうなってしまえば……僕らが立ち直る方法なんて、無いんだ。


詫びる事も出来ない。殺してしまったら、もう……取り返しがつかない。


「言った方がいいと思う?」


潮汐さんは聞く。

……真実を、だろう。


「……いえ、このままでいいんです。こいつは……杏奈は、人を殺してしまった」


彼女には償いをさせようと思う。

けど……やっぱり、あまりにも現実は残酷だから、せめて何も知らずに居て欲しい。


……杏奈、ごめん。

これ以上は僕も背負いきれないから。


その代わり、僕が現実を……君の分も背負うから。


許してくれとは言わないけど、僕らの結末がこうなる事を受け入れて欲しい。


「……決めた?」


潮汐さんの質問に「はい」と答え、杏奈の手を取る。


「……しばらく、二人きりにしてくれませんか?」


潮汐さんは許可して、杏奈が殺してしまった女の子のナイフを無言で指す。


……分かっているんだろう。


僕は指示通りにそれを優しく取って、腰を上げる。

そして僕らは、手を取り合って体育館の奥まで進んで行く。


「……行こうか」

「うん……!」


僕の言葉に、杏奈は見た事が無いくらい無邪気に返す。


……きっと、子供と会えるのが嬉しいんだろう。

もし本当に潮汐さんが誘拐していたとしても、もう何年も経ってるし、到底生きているハズが無いのに。


どうしてこんなまでなれるんだろうな。


「良かった……どこから来るの?もう来る?」

「……もう会えるよ」


待ちきれない様に言う杏奈を、早く解放してあげたくて、僕は静かに告げた。


「杏奈は知らないままでいいよ。……もう行こうか」

「えっ?」


しゃっ


杏奈の首元を切った、確かな感覚があった。


あぁ、杏奈もさっきこうやって……あの罪の無い女の子の首を切ったんだろうな。


「……今度は三人で、幸せになろう」


自分の方に倒れ込み、声も出せずにただぐったりとしていく杏奈を見て、僕は……気づきたく無かったことに気づいてしまった。


本当はもうウンザリしてて、心のどこかでこんな機会、杏奈を殺せるその時を、ずっと待っていたのかもしれない……って。


「潮汐さん!二人殺すので、二つお願い良いですか?」


そんな思いを振り払う様に、僕は大きく声を上げた。


二つのお願いについて。

罪滅ぼしはするけれど、腐っていくのは嫌だったから。

それなら、あの子も居る土に還ろうって。


……三人で一緒になるんだから、僕が早く行ってあげなくちゃ。


「……いいよ。さよなら」


潮汐さんの一言で、きっとこれは……彼女の復讐なんじゃないかって、思ってしまった。


僕がこうなる事をどこかで望んでいたのを含めて、きっと。


……自業自得だ。


でも今の潮汐さんは、あの時の……妊婦の杏奈を歩道橋の階段から突き落とした、あの時の幼い彼女とそっくりで、彼女が殺したと言っても案外間違いじゃないんじゃないかって、少し思ってしまった。


「さよなら」


僕は小さく呟いて……全て彼女の手の内だとしても、それでも良いと思いながら、杏奈にしたのと同じ様に、自分の首元を深く切りつけた。

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