彼女と誘拐

「何でも叶えるって、言いましたよね……?」


血だらけの女の人。

首元を割かれて横たわる桃井さん。


「うっ……」


気持ち悪そうに口元を抑えて座り込む栄村さん。


そして何より恐ろしいのは……そんなに動揺しない僕自身。


……何故か、冷静に頭が動くんだ。


「殺したね」


聞こえた声に見上げると、壇上には足に肘をついてしゃがんでいるれいちゃんが居た。


「……じゃー、お願いをどうぞ」


目を細めて笑いながらそう言うれいちゃんに思わず見とれていると、桃井さんを刺した女の人は声を荒らげた。


「私の子供!……私の子供を、返してください……」

「……それがお願い?」


れいちゃんが聞き返すと、女の人は狂ったように頷く。


れいちゃんはしばらく「うーん」と悩んだ後、その女の人の所までぺたぺたと歩いて行った。


「言った方がいいと思う?」


……そして、隣に居た男の人の方に聞いた。


「……いえ、このままでいいんです。杏奈は……人を殺してしまった」


男は、れいちゃんの的を得ない質問がなんの事か分かるのか、絞り出す様に答えた。


「杏奈、この人が連れてってくれるよ」

「ほんと……?橙吾、ほんとなの……?」

「あぁ……。僕ももう、疲れたんだ」

「……決めた?」


何だかよく分からない話を続ける二人の間に、れいちゃんはそう言って割り込む。


すると、男の人の方が「はい」と答えて、女の人の手を取ってれいちゃんの方を見た。


「……しばらく、二人きりにしてくれませんか?」

「んー……ま、いいよ」


れいちゃんは会話の流れが掴めているのか、そう許可して足で倒れている桃井さんの手元を指した。


男の人の方はれいちゃんが足をやった所……桃井さんの手からナイフをゆっくり貰って、腰を上げる。


「教室は使うから……あの奥ね」

「……はい」


れいちゃんはこの部屋……体育館の奥の方を指さして、あくまでも部屋からは出さない方向らしい。


そうやって歩いて行く二人をぼんやり見つめていたら、


「もしもし」


と、声がかかった。


「な……んですか……?」

「いや、ね。目の前で知り合い死んじゃって、大丈夫かなーって思って」

「はぁ……」


僕に話しかけて来たのは、中年らしき男の人だった。


……この人も、れいちゃんの知り合いなんだろうか。


佐斎さざいさんは知ってる?」

「佐斎さん?」

「ん、あの二人が佐斎夫婦」

「へぇ……知り合いなんですか?」

「ちょっとね。ここらでは有名だから」

「……」


ここらって言われても、僕だってここらに住んでるのに……聞いた事ない。


まぁ、僕が知らないだけかもしれないけど……そこまで噂話に詳しいとは言えないし。


……というか、この男の人は何の目的で話しかけて来たんだろう。


僕が疑いの表情をむけると、その男の人はすぐ気づいたのか、慌てて口を開いた。


「僕は梅井うめい 浩介こうすけ。こうちんって呼んで」

「……って、れいちゃんの事知ってるんですか?」


痛いおじさんだと思って距離を取ると、梅井さんは苦笑する。


「ごめんごめん、若い子って、どういうノリでいけばいいかわかんなくてさ」

「……普通で良いですよ」

「そうだね。……えーっと、彼女の事?もちろん知ってるよ」

「それは……」

「ストップ」


僕が聞こうとすると、止められてしまう。


「僕は君の事が知りたいんだけど」

「……何でですか?」

「おじさんは小説家でさ、色んな事に興味があるんだよね」

「はぁ……」

「……だから、今さっきまで話してた人が目の前で死んじゃった、君の心情が聞きたくてね」


……小説家だ、資料だと言えば、何でも許されると思ってるんだろうか、この人は。


「嫌ですよ、そんなの。無神経なんじゃないですか?」


僕がちょっと強めの口調で言うと、……ちょっと遠慮するかと思ったけど、梅井さんはずいっと近づいてくる。


「でも君……結構平気そうだね」


……。


無神経だけど、痛い所を突いてくる。


「でも、君だけじゃない。ここに居る殆どの人が平気そうだった。……それは何でだと思う?」

「えっ……」


まさか質問されるとは思わなくて、少し考え込んでしまう。


が、そういえば答える義理は無いのだと思い出し、「何でもいいじゃないですか!」と押し返す。


梅井さんは謝りながらも、どこか真剣な雰囲気でコソッと告げた。


「それは……あの子に関わってるからだよ」

「あの子って……」

「大丈夫ー?鈴村くん」


僕が聞き返そうとした時、大きめの声でそう言いながら栄村さんが来た。


「近くで聞いてれば、ちょっと酷くないですか?……鈴村くんだって、きっと受け止められないんですよ」

「いやぁー!ごめんごめん!失礼な事をしてるってことは、分かってるんだけど……!つい、小説家のさがでさぁ……!」

「……全国の小説家に謝ってください。……さ、鈴村くん、一旦こっちに来よ」

「は、はい……」


明るく振る舞っていた栄村さんだったけど、さっきまで体調が悪そうにしていたから、かなり辛いんだろう。


「あの、栄村さん」

「……何?」


そうは思ったけど、今の話の流れでどうしても気になる事があった。


『あの子と関わってる人は平気そう』


……そうなら、栄村さんは?


「栄村さんって……れいちゃんとどんな関係なんですか?」


僕が聞くと、栄村さんは苦い顔をして笑った。


「……君は、あの子の彼氏くん……だったよね?」

「まぁ、はい……」

「やっぱり……じゃあ、聞かない方が良いよ」

「……どういう事ですか?」


わざわざ彼氏か確認して聞くなんて……何かれいちゃんの秘密を握ってる人なんだろうか。


「ごめんね。私もまだ……確信できてなくて。……ちゃんと区切りが着いたら話すから」

「はぁ……わ、かりました……」


そう言われると敵わない。

僕は結局、モヤモヤを増やすだけの質問をしてしまった。


……そういえば、れいちゃんは栄村さんの事知らなそうだったし、本当に栄村さんってどんな存在なんだろうな。


「……あのさ、それと……なんだけど」

「はい?」

「あはは、今言うと怖がらせちゃうかもしれないんだけど、さ……」


栄村さんは苦笑いしながら続ける。

よく分からないので急かすと、やがて片手を差し出して言ってきた。


「やっぱり……包丁、くれない?」


……このタイミングで、か。


まぁ元々、包丁かナイフのどっちかは栄村さんの分だから……変な事じゃないけど……。


「だ、大丈夫!鈴村くんは殺さないから……さ?」

「……まぁ、良いですけど」


かといって渡さない理由も無かったので、僕は素直に包丁の方を渡す。


これで僕の手持ちは一本になった。


……申し訳ないけど、栄村さんはちょっと警戒しなきゃいけなくなったけど。


と、そんな事を考えていたら、


「潮汐さん!二人殺すので、二つお願い良いですか?」


……とんだ爆弾発言だ。


何だ何だと声のした方を見てみると、さっきの……えっと、佐斎夫婦?の夫の方が、すっかり静かになった妻の方を抱いていた。


「……いいよ」


れいちゃんは、その質問に一言答える。


ちょっとピリついた空気の中、佐斎さんは言い放った。


「一つ目は、妻をちゃんとした所に埋葬してあげてください。……これは、妻を殺した分です」

「……もう一つは?」

「もう一つは……僕を、妻の隣に埋葬してください。……これは、僕が殺される分です」


……殺される?


でも、佐斎さんが殺されるなら、殺した方の『お願い』が叶うハズじゃ……。


……あっ、そうか、もしかして……。


「……いいよ。さよなら」


れいちゃんの一言で、……遠くの方にいたから表情は分からなかったけど、佐斎さんは確かに自分の首を掻っ切った。

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