気付いていなかった女

 大学時代に仲の良かった2つ下の後輩から連絡があり、久々に会う事になった。後輩と会うのは6年ぶりくらいだと思う。

 待ち合わせ場所のショッピングモールの入口で後輩を見つけた。後輩は昔と変わらない感じだけど…小さな女の子を連れていた。


 「久しぶりね」


 「お久しぶりです」


 「結婚してたのね。教えてくれればその子の出産祝いとかも出来たのに…」


 「…出産祝い…ですか」


 「…?ええ」


 「とりあえず、フードコートでも行きましょう。この子もお腹が減ってるみたいなので」


 「そうね。行きましょう」


 3人でフードコートに向かう。後輩の子供は1歳くらいかな?可愛い盛りね。

 私にも4歳の息子がいる。最近は少し反抗的だけど、話をするときはちゃんと聞いてくれる素直な子だ。


 フードコートの隅っこのテーブルで買ってきた物を置く。ポテトとか。後輩の娘さんに盛りつけて渡すとお子様用のフォークを使って頑張って食べていた。


 「貴女、ずっとこの近くで暮らしてたの?」


 「はい。今はここの近くの会社で働いてます。今日は保育園の休園日だったので有給をとってます」


 「なるほど…旦那さんはお仕事?」


 「…私、シングルマザーなんです」


 シングルマザー…?父親がいないって事?


 「…えっと…理由を聞いても良いかしら?」


 「……聞いたら先輩は怒ると思いますよ」


 「…私が?」


 …後輩が男に捨てられたというのであればその男に対して怒るかもしれないけど…


 「…この子の父親は…先輩の旦那さんです」


 「……え?」


 「私…先輩の旦那さんと同じ会社で働いてるんですよ…その時に…誘われまして…」


 「…………」


 「浮気だって知ってたら…絶対に関係を持つ事なんてなかった…あの人…何も言わなかったんです…」


 …既婚者と知らなかったから関係を持った…隠されていたなら知るのは難しいだろう。


 「……どうやって、知ったの?」


 「この子が産まれてから何度も結婚を迫ったんです。そしたら…もう結婚していて家庭があるって…」


 「…我が夫ながら最低ね…なんで訴えなかったの?」


 「…訴えるつもりだったんです。その為の情報を集めたら…あの人の奥さんが先輩だったって知って…私、どうしたらいいかわからなくなってしまって…」


 …そう。私の事を考えてくれたのね…自分がこんなに苦しんでいるのに…


 「…貴女は夫とまだ肉体関係を持っているの?」


 「…いえ。妊娠に気付いてからは1度も…しなくなってからは明らかに距離を置かれています」


 …となると…


 「…しなくなってから2年弱くらいね…多分、他の相手がいる。私とも最近はほとんどしてないから」


 「…そんな」


 後輩に対して怒りは無い。後輩に既婚者である事を告げずに関係を持ち、子供を産ませたあげく責任を取らない夫に対して強い怒りが湧いた。…殺意が湧くほどに…それなりにあった夫への愛情も最早欠片も残っていない。


 「…あの男には地獄を見てもらいましょうか」


 「…先輩?」


 「私達からあの男に慰謝料を請求しましょう。まずは今の相手の事を調べる。貴女は会社の中に浮気相手がいないか調べて。私は興信所で帰宅するまでの時間を調べてもらうから」


 「…はい!」


 慰謝料をもらったところで私達の傷は癒えない。あの男が落ちぶれる過程を見る事が私達の傷の治療薬だ…完治はしないだろうけど、一時的に痛みを忘れるくらいはできるだろう。


 「……まあ、それはさておき…娘さん、抱っこしていい?」


 「ど、どうぞ…」


 後輩の許可をもらえたので娘さんを抱かせてもらった。可愛い…可愛い可愛い…

 頬ずりしたり撫でたりしてたら泣いちゃったけど…息子もこれくらいの頃はよく泣いてた。だからこれが普通。最近は抱き付くと暴れ出すのよね…反抗期だから仕方ないけど…


 「せ、先輩…もうちょっと優しく…」


 「可愛すぎて無理」


 体を仰け反らせて全力で泣いてる姿も可愛い…後輩に娘さんを取り上げられるまで堪能した。また機会があれば抱っこさせてもらおう…




 後輩から得た情報…夫の次の浮気相手は既婚者と知りつつ関係を持っている…気がするらしい。相手は夫の同期。夫は三男。私は長女で一人娘だ。夫は私の家に婿入りした時に名字が変わっているから同期であるなら夫が既婚者である事を知っているはずだ。

 後輩は夫の名字が変わった後に知り合ったから既婚者だと知らなかったのだと思う。

 興信所からは証拠の写真。仕事帰りにラブホね…たまに残業があるって聞いてたけど、後輩曰く、残業は全くと言っていいほど無いらしい。ん~…私と結婚してからずっと残業してたんだけどなぁ…最初から…ずっと私を騙してたのね…


 証拠が揃ったので次は根回し。夫の両親とお兄さん達に事情を話して協力してもらう。

 休日に私の家に後輩と一緒に来てもらう予定だ。私の家には両親も一緒に住んでいる。私の両親には既に事情は説明してある。話し合いの時には母さんに息子を見ていてもらう。




 2週間後の日曜…夫は夕方に仕事で出かけるそうだ。もちろん嘘だと思う。後輩が夫の部署の予定を把握している。休日出勤の予定は無いそうだ。

 10時に義父さん達が来てくれた。打ち合わせ通り後輩と娘さんも一緒。リビングに招いて用意してあったお茶受けを並べ、父さんを呼びに行く。その間、何が起きたか理解できていない夫はその場で正座していた。怒られる前の子供みたい…


 義父さん達が来てから5分後には準備が整った。夫を除く主要な人物はテーブルに着席している。私の息子と後輩の娘の相手をしてくれている母さんは別室だけどね。


 「アナタ…早く席に着いて?」


 「あ…ああ…」


 流石に空気を読んだらしい。今から何が行われるのか理解できたようだ。


 「では…離婚と慰謝料についての話し合いを始めます」


 話し合いは粛々と行われた。夫のお兄さん…長男は弁護士だ。身内の事だから証書とかは作れないが、夫に請求できるギリギリの金額などを教えてくれた。

 そして次男は警察官。後輩が被害届けを出す事ができるとアドバイスをしてくれた。あくまでも後輩の意思次第。私達から促すような事はしない。


 「今日はあくまでも顔合わせと宣戦布告よ。先に言っておくけど、私は一切容赦しない。弁護士を雇っておく事ね」


 「…私も許しません…」


 「ふざけるな!俺は婿入りまでしてやったんだぞ!」


 「こんな男だとわかっていたら婿入りなんぞさせんかったわ!」


 「愚息が誠に申し訳ありませんでした…」


 激怒している父さんに義父さんは深々と頭を下げた。…父さん達は仲が良かったから、お互いに辛いだろうなぁ…


 「…たかが浮気くらいで…」


 「既婚者って事を隠して浮気をしていた男…過去に500万の慰謝料を払ったケースもある」


 「結婚詐欺としても立件できるな。この子に結婚の約束をした事もあるんだろ?」


 「…ただのリップサービスだろ?そのほうが燃えるし…」


 「…お前とは縁を切る。二度とその面を見せるな」


 夫は義父さんの言葉でようやく自分のしでかした事の大きさを理解したらしい。…今までのやりとりを説教か何かかと思っていたのだろうか?

 夫は私と後輩に向かって頭を下げた。


 「ま…待ってくれ…あの女とはもう終わりにするから…許してくれ…」


 「………」


 「あの子の事もちゃんと認知する。だから…頼む…」


 「………」


 「お前らが許してくれたら解決するんだ…頼むよ。な?」


 「…馬鹿じゃないの?頭を下げたくらいで浮気を許せって?」


 「初めから言ってくれれば貴方と関係を持つことなんてなかったんです…許せる訳ないじゃないですか…」


 「だったらどうしろってんだよ!出来ちまったもんは仕方ねぇだろうが!」


 「出来る時点でおかしいんだ!お前の行いに正当性なんかあるか!」


 「クズが逆ギレしてるんじゃねぇ!」


 「…なんだよ…俺が悪いってのかよ…」


 「アナタと今の浮気相手以外は誰も悪くないわよ」


 「極悪人です」


 「擁護出来んな。する奴がいたら正論で捻り潰す」


 「こんな馬鹿は刑務所にぶち込んだほうが世のためだろ」


 「我が息子ながら情けない…」


 「娘で我慢出来ないくらい性欲を持て余してたんなら…いっそのこと切り落としちまうか?」


 全員から集中砲火を浴びた夫は泣きながら家を飛び出していった。きっと、浮気相手のところに逃げ込む気なのだろう。私はそう考えて待機してもらっていた興信所の人に電話をした。


 「すぐに浮気相手の部屋に浮気の証拠を投函して下さい。リスクを理解すればあの男を匿う事はしないと思うので」


 「了解しました」


 さて…元凶は立ち去ったし、皆でお茶でも楽しむとしますかね。

 母さんが私の息子と後輩の娘さんを連れてきてくれた。…娘さん…なんで私には懐いてくれないのに母さんには抱き付いてるのかしら?


 「あの男を許す気は無いが、アンタ達に対して恨みは無いんだ…不快な思いをさせて済まなかった」


 父さんは義父さんや義兄さん達に頭を下げて謝罪した。


 「いえ…こちらこそ…あんな愚かな息子だと気付かずに…誠に申し訳ありません」


 「私が担当すると面倒が増える可能性があるので…信頼できる弁護士をご紹介致します」


 「まったく…こんな良い嫁さんがいてなんで浮気なんかするかね…後輩ちゃんもごめんな。あの馬鹿のせいで…」


 義父さん達の謝罪からは誠意が伝わってくる。あの男と離婚しても…このままの関係でいられたら良いのに…


 「…浮気相手である私に良くしていただいて…本当にありがとうございます」


 「既婚者だって知らなかったのなら貴女に非は無い。隠していたアイツに責任がある」


 「隠して関係を持ってる時点で騙す意思があったって事だからな…」


 義兄さん達はこんなにしっかりしてる人達なんだけどなぁ…。夫も普段は似たような感じだったけど…本性はあんなのだし…

 その後は夫の文句を言い合いながら細かい打ち合わせをした。それほど暗い雰囲気にならなかったのは息子達のおかげだろう。義父さんから見たら2人とも孫になるしね。




 半年後…夫と綺麗さっぱり別れた私は私の家で後輩とお茶を飲んでいる。あれ以来、月に何回かこうやって会う関係になった。


 「先輩…あの…」


 「ん?どうしたの?」


 「あの男のお兄さんから…付き合って欲しいって言われたんですけど…」


 「…次男のほうかしら?」


 「…はい」


 警察官の次男は後輩の事をすごく気に懸けてくれていた。独身だから問題ないと思うけど…


 「貴女はどうしたいの?」


 「…付き合いたいと思ってます」


 「なら、付き合えば良いじゃない」


 「…先輩を離婚させた私が幸せになっていいんでしょうか?」


 「貴女が相手じゃなければ私は浮気に気付かずに過ごしていたと思う。だから、貴女が悪い訳じゃないわ。浮気相手が貴女だったからこそ私はあの男と別れられたのよ」


 「…ありがとうございます」


 「だから貴女には幸せになって欲しい。もちろん、貴女の娘さんにもね」


 「…多分、先輩も…」


 「ん?」


 「いえ。私が言うのも野暮なので…」


 何を言ってるのかわからないけど…後輩は嬉しそうだからいいか。

 あの男とは別れたけど、義父さんや義兄さん達は息子に会いに家に来てくれる。だから…私の生活はそれほど変わってはいない。


 夫は私と後輩に慰謝料600万と養育費をそれぞれ払う事になった。本来なら私のほうが高額の請求をできたらしいけど…後輩は出産費用や今までの養育費を自分で全て負担していた。だから、私が後輩より多く請求するのは気が引けた。

 私は浮気相手に請求できたしね。夫の同期である浮気相手には150万請求した。最初は200万だったけど、相手の弁護士が頑張ってたから折れてあげた。

 元夫は実家から絶縁。私達とは接触禁止。この状態の元夫が欲しいというなら好きにすれば良いと思う。


 夕方に後輩を見送った後、弁護士の義兄さんが家に来た。


 「いらっしゃいませ。息子に会いに来たんですか?」


 「あ~…いや、少し、君の時間をいただきたいんだが…」


 「はあ…構いませんけど…」


 結婚しても一生添い遂げなきゃいけない訳じゃない。

 離婚しても一生が終わる訳じゃない。

 再婚でも幸せになれない訳じゃない…


 私のこれからの人生はきっと…

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