第5話 慈代と恵人 一

 その日、慈代やすよ恵人けいとは下北沢までうららと一緒に帰った。うららの家はこの近くにあるらしい。慈代もこの近くのマンションに住んでいるという。

 慈代は今日は、ここから、小田急線に乗り換えて、祖師ヶ谷大蔵にある恵人のアパートに来る。


 あの日以来だった。瑞葉の一件で気まずくなって以来だ。それを思い出すと、慈代に対して申し訳なくなり、玄関の前でもう一度謝った。

「ごめんね。慈代ちゃん。あの日のこと。本当に、ごめん」

「いいのよ。もう気にしてないから、それに彼女の方からしてきたんでしょ。あれ」

うなずく恵人。

「でも、そういうシチュエーションを作っちゃうことがダメなのぉ」


 慈代は玄関先で、いきなり抱きついてきて恵人の唇にキスした。恵人も思わず慈代を抱きしめる。


 隣の部屋のドアが開き、よく見かける主婦が出てきた。

「まぁ」

と顔を赤らめ、両手でほおを押さえ、

「そういうことは部屋の中でするものよ」

そう言って去って行った。


その日、慈代は恵人の部屋に泊まって行った。


 次の日は一日休みだった。二人は昼過ぎまで部屋の中で過ごした。

「ねえ、恵人君。今日は何か予定あるの?」

「僕は特にないかな」

「慈代ちゃんは?」

「なにもないよ。今日は恵人君と二人で一日中いようかな。もう、そろそろ練習が忙しくなるからアルバイト入れてないんだ」

「じゃあずっと一緒にいられるね」

頷く慈代。


 十月になれば、月に何度か日曜日も練習が入りだす。そして、十一月頃になると毎週土日は練習になる。そして十二月は何が何だかわからないほど慌ただしく過ぎる。昨年一年間演劇部を経験した恵人にもだいたいの年間の流れはつかめていた。

 この慌ただしさにキャンパスライフをゆっくりエンジョイしたいと思う学生は向いてない。何か自分の想像と違うと思いやめていく。


 こういう舞台や発表会を定期的に行う部活やサークルは、どうしても練習がついて回る。舞台や発表会の後の『達成感』は、飲み会サークルと言われるような遊びが目的のサークルより遥かに大きいものがあるが、『自由度』は少ない。こういうところに所属すると、どうしてもその中で親友や彼氏彼女ができることが多い。外部の人と付き合っていると練習が忙しくなった時だいたい理解してもらえず終わってしまう。内部での付き合いは男女問わず濃い関係ができる。苦しさや苦労もお互いよく理解できる。


慈代が、ふと思い付いたように言う。

「ねえ、恵人君。今日、これからさあ。私のマンションに来てもいいんだよ」

「え?」

「おいでよ」

「今晩はうちに来なよ」

「いいんですか。なんか、好きな人の部屋に行くの緊張するなあ」

「それは二人が、こういう関係になる前の人のセリフでしょ」

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