第2話 秘するものは華 麗

松宮麗まつみやうららは総勢百人あまりの演劇部をまとめる演劇部部長である。部員全員をまとめ、今回の作品では、演出家であり、脚本家でもある。

 大きい舞台ではプロの演出家を招き舞台演出をして頂く。今回もいつもお世話になっているプロの演出家である宮原一美みやはらかずみが作品を監修してくれるのだが、多忙な宮原は本番までに数回、定期的に来てくれるだけで、普段の練習は彼女が団員を仕切る。


 彼女もまた外部のプロの劇団にも所属している。親の影響で、小さい頃から、その世界にいたようだ。子役としてドラマに出演した経験もある。恵人けいとも、その頃のうららをテレビで見た記憶があった。

 今まで数々の舞台で役者をすることもあったが、今回の舞台では制作に徹することにした。

 大学生活最後の舞台。ステージに立ちたいという思いもあったが、この脚本を書き上げた彼女は自分の書いた登場人物たちが、どんな感動を与えてくれるか客席側から見たいという思いがあった。


 舞台全体を取り仕切る舞台監督は三年生の市原誠いちはらまこと。大道具、小道具など道具担当班二十名程を仕切るのは富山洋一とみやまよういち。衣装班二十名程を取り仕切るのは三上多香子みかみたかこ。富山も三上も三年生だ。

 また、舞台を仕上げるためには練習のスケジュールや各係との連携など、いろいろなスケジュール調整も必要だ。全員が各自で把握しておくというのも大事だが、きちんとスケジュール管理をするスタッフも必要だった。それは舞台監督の市原がチーフになるが、そのサポートにあたるスタッフが十数名いた。

 そしてこれはどうでもいいが幽霊部員的な人たちも二十人ほどいる。

 そういう訳で、実際舞台に立つ役者候補は二十人から三十人。その中でセリフがあったり、主役と絡める役者は数人となる。


 この世界に入ってはみたが、演じるのは苦手でバックステージで役者を輝かせる側に回りたいと思うものもいる。『演技が苦手な人』というのは『人前に立つのが恥ずかしい人』と思いがちかもしれないが、苦手なのは客席の目ばかりでもない。

 演技として、目の前の役者を本気で怒鳴りつける怒りの演技できるか、あるいは周りの目も気にせず泣く演技ができるか、そんな演技ができない自分に気が付くと向いていないと感じる。

 晴美はるみ慈代やすようららは『スタート』の合図で、スイッチが切り替わったかのように、スッとその感情に入れる。

 合図と同時に、まるで人格が変わったかのように『怒りの演技』に入る。合図と同時に、『今、悲報を耳にしたかのように泣き崩れる』……それは恥ずかしいからできないのではなくて、できない者にはできないのだ。


 練習が終わり、いそいそと帰って行くものもあれば、稽古場で談笑する者もあった。恵人けいとが帰ろうとすると、瑞葉みずはがにこにこしながら朱里あかりの方に歩み寄っていく。珍しい光景だ。朱里あかりに話しかける者はあまりいない。


 別に誰しも、朱里あかりを嫌っているわけではない。綺麗で少しボーイッシュな感じ、爽やかな雰囲気を醸し出す彼女は、むしろ男子の憧れ、演劇部の中では、お付き合いしてほしい女子のベストスリーに入るのではないか?好みはあるが、慈代やすよ、晴美、うらら、和美、朱里あかり、そして年下ではあるが間違いなく瑞葉みずは。この六人が演劇部の中で人気女子に挙げられるだろう。その中で個人の好みはあるだろうが、三人好きな人を挙げて……と言ったら、順番は様々で、誰が入るかも様々だろうが、一位にはならずとも、おそらくあらゆる人のお気に入りトップスリーの中に、必ず朱里あかりが選ばれていそうだ。

 しかし、稽古場で声を掛ける者は少ない。なぜだかわからない。声を掛ければ笑顔で受け応えしてくれる。一旦、話しかければ話しにくい女子ではない。ちょっと見た目より低い声の彼女はそれも魅力的だった。


 そんな朱里あかりに声を掛ける瑞葉の姿が新鮮に見えた。

「朱里さん普段はどうしてるんですか?」

「ん? 普段は演劇部の練習に来てる」

「練習がないときは?」

「そうねえ……いろいろかな」

朱里はバッグに台本を入れ、手首に何か香水のようなものをつけた。

「なんですか? それ」

「ん?」

といって、瑞葉に手首を出すように促す。そして軽く一吹き、爽やかな香りが広がった。

「一緒に食事でもしていく?」

「はい」

顔がほころぶ瑞葉。


 恵人が慈代のところへ行く。慈代はうららと話をしていた。

「お疲れ様、恵人君」

うららは立巻の髪が特徴的だ。近くで話すと彼女も何かしら香水をつけているようでやさしい香りが漂う。

「お疲れ様です。」

「今日は私も途中まで一緒に帰っていいかな?」

「え?」

「一緒に帰るんでしょ。恵人君の家に。」

うららが慈代を見る。

「ごめん。うららに言っちゃった。」

「いや、僕はいいですよ。慈代さんがよければ。」

うららが言う。

「セリフの練習するんだってぇ。」

「え?」

「ここでしていけば?」

「ええ?」

「うそよ。」


 渋谷駅まで一緒に歩いて行く。その前を雅也まさや清田きよたと歩いていた。時々思うのは、雅也について、何か女性と派手に付き合っているような噂ばかり聞くが、こうして同じ演劇部にいると、雅也はいつも男友達の清田きよたか同級生の桐原きりはらと一緒にいる。

 女子を引き連れて歩いていたり、誰か特定の女性と二人で歩いているところを見たことがない。いつも一緒にいるのは男友達だ。稽古場でも男友達や後輩男子と楽しそうに話している。内容はだいたい女子の話だが……こういうところが女子から人気があるところなのかなと思った。


 うららはどことなくお嬢様感がついて回る女性だった。決して世間ずれはしてないし何か高級ブランドに身を包んでいるわけでもない。しかし、その所作や話し方がそう思わせるのかもしれない。

 電車の中で話をしていると、うららと晴美は小さい頃から知っている仲だったという。劇団が同じだったそうだ。そういう二人から見ても慈代の演技力はすごいらしい。大学に入って新入生の勧誘で入ったこの世界。他の演劇未経験女子と同じだ。


 今回の作品については、うららが今までの生い立ちの中で影響を受けてきた映画や小説、女優、俳優の演技から得たインスピレーションを元にしたという。それで一つの脚本を書き上げるのだから、彼女のそういう才能もすごいのだろうと思った。


 彼女は言う。いつも晴美に負けていた……と、小さい頃から、かなわないと思っていたという。しかし、劣等感はなかったそうだ。ずっと晴美の演技を見ていたいと思ったという。

 この作品は素晴らしい作品であると同時に、彼女の思いが詰まっている。彼女は女優からもインスピレーションを得たと言った。そしてこの作品の主役は晴美だ。

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