第3話 アムネリス
ロンドン、オペラハウスや劇場が集まる街ホルボーン。わたしとカインはアイーダを鑑賞しに訪れていいた。劇場鑑賞はわたしの趣味の一つであり、カインとはよく様々な演目を見にホルボーンに訪れている。
「いやはや、やはりあの三角関係がいいわね。あなたは何が印象に残ったかしら?」
「いやあ、その——話が難しいと言いますか、エチオピアとエジプトの争いかと思ったら、ラメダスとアイーダの恋模様とアムネリスの嫉妬——俺には少し難しかったです」
アイーダという演目はラムダスとアイーダの身分格差の恋愛、エジプトとエチオピアの戦争、アムネリスの嫉妬などなど見どころが多い。しかしだからこそ難しく感じるのも無理はない。とくにアムネリスのアイーダへの嫉妬心は何度見ても深く愛ゆえのものであることを気づかされる。
「まだティーンには難しかったか」
「否定はしませんよ」
劇を見終わり、劇を見終わり、わたしたちは事務所に帰る途中だった。正装に身を包んでいるカインは着苦しそうにネクタイを緩める。出口の前だったため、頭を叩きやめさせる。
「いい加減慣れなさい」
「こう堅苦しいの俺は慣れないんですよ。師匠の趣味はドレスコードが厳しくてまいりますよホントに。師匠はどの役が好きなんです?」
「わたしは——ん?」
ホールの裏へ走っていく無地の服を着た女性。夕暮れ時でもわかるメイク。あれはアムネリス役の——彼女は握りこぶし一つ分ほどの大きさの何かを右手に持っているように見えた。そのままスタッフ専用口から劇場に入る。
目くばせでカインに意思を伝えると、こくりと頷きスマホをとりだした。わたしはスタッフ専用口へ走っていく。フードをかぶりファントムコートを起動する。ドアノブに触れると、少し濡れている。ベタつくその感触は水じゃない。汗だ。舞台が終わって数時間は経っている。
「アムネリスといえば
足音を殺しながらアムネリス役の後ろをつけていく。その手に持っていたのは拳サイズの石。普通の石に見える。しかしそれはウテルス鉱石だった。息が荒くどこか焦っている。
ジェーン・カマ―。年齢は30前後。実力はあるが、ソプラノというよりもメゾソプラノ。アイーダをやるには少々声が低い。
楽屋に入りソファーに座る。動悸が激しくなり、ウテルス鉱石を強く握りしめる。
「私からアイーダを奪ったあの女を——あの女を!」
「殺してほしいって?」
驚いたようにジェーンはソファーを勢いよく立ち上がり、壁の方まで急いで下がる。血走ったような眼で私を睨み、壁越しにあった手紙が乱雑に置かれたテーブルからレターナイフを取り、突きつける。
「おちついて。多分アイーダ役の子を暗殺しようとしているのでしょう。けれどあなたがやろうとしていることはあなたが思うほどやさしいものじゃない。その石を渡して。まだ奴らを召喚していないうちに」
しかしそんな言葉はわたしに届くはずもなかった。追い込まれたように歯を噛み締め、覚悟を決めた顔をする。
「私を邪魔する全てを殺して!」
呪いの言葉が放たれた瞬間、石から眩い光が放射される。石は形状を変えていく。丸い形は波打ちながら獣のような形へと変貌していく。重油のように黒い体色。狂気的で狼のようなそのフォルム。
「その望み叶えてやろう。人間」
壁を走りながらわたしに特攻を仕掛ける悪魔。研ぎ澄まされた爪がわたしを切り裂く瞬間テーブルを蹴り上げ目くらましをする。右腕に付けたブレスレット「
「まったく——Ms.ジェーン。劇団を連れてここから逃げて。あなたの不始末はわたしにまかせなさい」
耳にデバイスをつけ、カインへつなぐ。
『師匠ですか。繋いでくるということはやはり——』
「ええ、悪魔が現れたわ。はやく魔道具を届けてちょうだい」
「わかりました。それまで死なないでくださいよ」
「死なないわよ」
悪魔の右足から放たれる蹴りを受け勢いで楽屋を出る。
そのままホールへと走る。近づくたびに足が重くなり、無ん騒ぎが増す。しかし私情をかき消して悪魔が追っているのを確認する。ホールに出た瞬間わたしは糸をに張り巡らす。
「ここを戦場にはしたくなかったわ」
悲しい気持ちを抑え込み、奥から現れる悪魔を見つめる。
「ようこそ、わたしの劇場へ」
ふたたび煌々と輝きを帯びる劇場。しかしそこにはセットも道具も客もいない。わたしと悪魔だけの劇場だ。
最奥の席から一足で距離を詰める悪魔。その直線的な動きに呼応するように私は舞う。そして張り巡らせたワを足場に舞台へ着地した悪魔に向かって宙を駆ける。でたらめな速度で放たれる一矢。悪魔は右によけ、着地と同時に右腕を振り上げる。
その瞬間右腕に糸を括り付け勢いよく引っ張り体勢を崩す。そして下がった頭にドロップキックをかます。Warpを乗せた攻撃だ。悪魔もそれなりの反応をしてくれる。
「俺に一発喰らわせるたぁ。人間にしちゃあ食いごたえのあるやつだ」
「あらそう、わたしとしてはあなたを一刻も早く殺してここを離れたいわね」
少し挑発的な口調へと変わり目を細め睨みつける。
ぐちゃぐちゃに割れた舞台の床。
先ほどまで役者が舞い、美麗な歌が奏でられた劇場が悪魔によって踏みにじられる。戦いの場に選んだ私にも非はあるが被害を抑えるにはここで抑えるしかない。
『師匠、到着しました。後方、調整室です』
離れているか。
「カイン、大きく投げなさい」
『了解です!』
氷の嬢王の柄頭を使いカインは窓を割る。そして弧を描くように氷の嬢王を投げた。迫りくる攻撃を避けながら糸を発射し、氷の嬢王をつかまえる。
「さあて、役者がそろったわね。あとは——カイン、調整室にある舞台セットを操作する機械系はあるかしら?」
『少し待ってください。すぐに見つけます』
照明が点滅したり幕が下がったり上がったり。カインの試行錯誤の中、わたしは悪魔を引き付ける。氷の嬢王の刃が駆けた跡は凍りつく。動きがぎこちなくなる悪魔だが四足歩行という機動力特化の獣が止まることはなかった。
『これか!』
悪魔が宙を舞う瞬間舞台が動き出す。床から伸びるピラミッド。悪魔の攻撃は部隊のセットに阻まれ、わたしは頭上をとる。
「泣け、氷の嬢王!」
空気中に現れる氷牙。刃をタクトのように振った瞬間氷牙は放たれる。前足に氷牙が刺さり、
悪魔は一瞬動けなくなる。その一瞬があればわたしにとっては十分だ。
「Warp!」
セットを勢いよく蹴り悪魔に急接近する。がら空きの首目掛けわたしは氷の嬢王を走らせた。骨肉を断つ手ごたえが刃から伝わる。
首を失った悪魔は先ほどまでの勢いを失い、舞台上に倒れ伏す。折れた期のにおいがわたしの鼻腔をくすぶる。一息ついて目を開けた瞬間に後悔が全身に気だるさを与えた。
『師匠、怪我はありませんか?』
「ないわ。それよりもわたしは後悔の淵に立たされている気分よ」
舞台は壊れたセットと、割れた床板にまみれ、聖域は見るも無残な廃材場へと変わってしまった。
「カイン、ジャックとマレットさんに連絡してちょうだい。悪魔祓い完了と」
連絡を済ませたころにはすっかり夜となっていた。カインと合流し、レストランで食事をしていた。
「まさかアムネリスの人まで悪魔と契約するなんて。メインの配役ですよね、何が不満だったんでしょう?」
「彼女としてはアイーダをやりたかったのよ。けどほかの子に取られちゃった。それが気に食わなかったんでしょう」
「あんなにいい歌声だったのに。すこし残念です」
「どんな人も願いのためなら悪魔の手を取ってしまうのよ。だからいまだに悪魔は生まれわたしたちが必要なの」
ウテルス鉱石は人の願いに呼応し悪魔を呼び起こす。そしてどんな手を使ってでも契約者の願いをかなえようとする。それが甚大な被害を出そうと。
「どんな人でもですか……あの人にとってアイーダってそれほど大事な役立ったってことなんでしょうか?」
わたしはポケットの中にしまっていたパンフレットを広げ役者紹介のページを開く。その中のジェーンの紹介をカインに見せる。
ジェーン・カマ―。壮絶な貧困時代を生き、役者としてデビュー様々な役を演じ、2011年に初めて主役を演じ、今に至るまで数々の演目を成功させる。
「——たしかに、浮かばれませんね」
「劇場を出た時、わたしが好きな役を聞いたでしょう?」
「ええ」
「わたしはアムネリスが好きよ。捕まったラメダスを思って歎くシーンもアイーダを疎ましく思う彼女自身も。悪魔と契約するときの彼女は——アイーダに憧れる彼女はアムネリスそのものだったのかもしれないわね」
ワインを飲み、そのむしゃくしゃとする気持ちを酔って紛らわす。おそらくウテルス鉱石を与えたものが、誰がやったかも被害も最小限だとそそのかしたのだろう。自分がやらなければ、自分が恨む相手だけが死ねばいい。しかしその願いがかなった瞬間にホルボーンは火の海に変わっていただろう。
「師匠、こういう時俺たちはどうするべきなんでしょうか?」
「人の欲望を抑えることなんてできないわ。けれどジェーンが舞台に戻ったときにその姿を見に行くぐらいのことはできるわ」
わたしたちは願いをかなえてあげることはできない。その願いを正すこともできない。ただ間違った叶え方の処理をすることぐらいしかない。
人は欲望を抑えることが出来ず、渇望し続けるのだから。
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