第4話 再開
19時40分。わたしは探偵業を終えウェストンミスターとランベスをつなぐ、ウェストンミスター橋にもたれかかっていた。シガレットケースからタバコをとりだし、ジッポーライターで火をつける。立ち上る煙を目で軽く追いながら、わたしは今日一日を振り返っていた。
なんの変哲もない依頼だ。浮気相手の尾行と証拠の収集。わたしのようなしがない探偵にはお似合いの仕事と言っていい。
「お隣よろしいかな、レディ」
「わたしをレディと呼ぶ度胸がある奴なんてあなたぐらいよ。3年ぶりねアル」
くしゃくしゃの髪の毛に、指紋がとり切れていないマル眼鏡。わたしの羽織ったコートと同じ紺色のコート。
アルバート・ハープソン。3年間私とタッグを組んでいたエクソシストだ。喜ぶ顔を抑えながらすました顔を保つ。
「どうだい、最近の調子は?」
「弟子ができたわ。ま、相変わらずこき使われているわ」
「ははは、相変わらずか。きっとカノンのことだ、ジャックさんを邪険に扱っているんだろう?きみはいつもそうだった」
「そうね。あなたが仕事を引き受けて、いつも部屋から飛び出てあなたが仕事を引き受ける。それにわたしはしぶしぶついてったっけ。今は何を?」
「実はエクソシストに戻ったんだ。いろんな仕事に就いたんだけど、どれもうまくいかなくて。結局ここにしか居場所はなかったよ」
「そう」
3年前、アルバートとわたしは仲違いになった。
彼がエクソシストを辞めることを知った私は激情し、縁を切ったのだ。
「あいにく、いまのわたしはタッグを組んであげるほどお人よしではなくってよ?」
「君の弟子を務めている人が気が気でならないよ。大丈夫、君の力を借りずともうまくやっているから」
「そう、けど共闘するときを楽しみにしているわ。あの時より早くなっているんだから」あの時より速くなっているんだから」
ポケットから鳴り響くバイブレーション。
こんな時間にかけてくるひとといえば人と言えば一人しかいない。
『師匠、仕事は終わったんでしょう?ごはんができているんで、早く戻ってきてください』
「わかった。……そうだ、カイン、もう一人分用意しておきなさい。いいわね」
『え、急にそんなこと。まってくだブツ……』
「アル。どうせこの後は用事ないでしょう。どうせ、この後は用事ないでしょう。ディナーでもどうかしら?」
「まったく、相変わらずだなきみは。しかしせっかくの誘いだ。ご相伴にあずかるとしよう。ワインを買っていくから先に行っていてくれ」
いったん私たちはわかれた。足早に事務所へ戻っていく。
しぜんと疲れは感じず、重々しい足も軽く感じる。胸をかるくなでおろし、頬も上がる。だが羞恥心という枷で舞い上がる心を引き締める。
今宵はいい酒が飲めそうだ。
わたしの沸き上がる歓喜はどん底に叩き落されたように踏みにじられる。
「やあカノン、アポなしですまないね」
「どうして、どうしてあなたが今ここにいるか……」
「おいおい、そんなに怒らないでくれ。仕事を」
「帰れ!そしてくたばれ!」
腹の底から出る怒号。
ぽかんとしたジャックの顔にわたしは心から腹に立った。3年ぶりにアルに会い、食事を共にしようとした矢先にこれだ。
「どうしてカノンは怒っているんだい?」
「さあ?もう一人分作ってくれと言われましたけど」
ドアベルがカラコロと室内に鳴り響く。
ワインを抱えて笑顔で入ってきたアルバートは、わたしの尖った眼に気負されたのかとっさにドアを閉める。
「おや、アルバート・ハープソン。そうか、君が来るからカノンは怒っていたのか」
「ジャックさん。お世話になっています」
「あのう、だれですか?」
ジャックがカインにアルバートを紹介する。
「カインです。カノン師匠の元で学ばせてもらっています」
「君がカノンの弟子か。どうやら苦労しているのは本当のようだね」
「まったくです」
「わたしを置いて話を進めるんじゃない。はぁぁぁぁ、もういい。ジャック、食事の間だけでいいから黙っていてくれ」
テーブルを四人で囲む。テーブルを四人3人で囲む。アルバートが買ってきたワインはわたしの好きな銘柄。アルバートが買ってきたワインはわたしの好きな銘柄だ。よく私のことがわかっているじゃない。
「ジャックさんから聞きましたけど、アルバートさんは師匠のタッグだったんですよね。けれど、師匠の怒り方は見たことのないものというか。その——」
「ただの友人ならそこまで怒らないんじゃないかって?」
「は、はい」
「カノンのことをよく見ているんだねカイン君は。そうだね、言うなれば僕は彼女の元カレというやつだ」
アルの言葉を聞いた瞬間、カインは口に含んだ水を吹き出しそうになる。
「し、師匠の元彼氏と交際を⁉どこがいいんですかこのダメ人間の!」
「バカ弟子が。ただ同じ部屋で寝泊まりをしていたってだけよ」
「ハハハ、けれど君の言葉には少し語弊があるよ。カノンは確かに生活破綻者だけれど、魅力的な女性だよ」
「うっさい……」
「まあこんな奴だけどさ、ついていってあげてよ。なによりカノンは寂しがり屋なんだ」
「?わかりました」
「ようし、カイン君にはカノンの恥ずかしい過去を聞いてもらおうじゃないか」
アルは酔っているのか私と過ごしていた3年間をカインに語り始めた。わたしがシチューを焦がしたり、当番を守らなかったりともう忘れてあったのかもわからない話をし始めた。
楽しい時間とはあっというまに過ぎ去ってしまう。食事を終えた後アルは食べ終わった後、一休憩置く間もなく帰り支度をする。
「もう少しゆっくりしていってもいいのよ?」
「ジャックさんが待っているだろう。それに僕もこの後仕事があってね。きみの笑う姿を久しぶりに見れてよかった」
「わかったわ。おやすみ、アル」
「おやすみ、カノン」
皿洗いを済ませたカインが紅茶を二つ用意する。
ジャックはカバンから資料を取り出し、出された紅茶を飲む。
「で、何の用?」
「いつもどおり、上からのいびりだよ。ハイゲート駅にて悪魔が発見されたそうだ」
ハイゲート駅。ロンドンでかつて使われていたトンネルやプラットフォームが集まっている。
第二次世界大戦の影響によって電化の波に送れ、今はホームレスやコウモリの住処へと変貌した。
「で、それを対処しろと?」
「そのとおりだ。だが、目的はそうじゃないと私は睨んでいる」
「悪魔とギャングの動向を観察したいってことでしょう?」
「ああ、以前ほど暴れている悪魔は少ないのが妙でね。どこか組織的というか」
「だれかが裏で糸を引いていると?」
「そうだね。おそらくだれかが悪魔を使って得をしている。今回の地下鉄の捜査だってその一環なんだろう」
「たしかに廃線は密売にはうってつけの場所ですよね」
3週間前の事件だってもっと隠密的にウテルス鉱石を運ぶことができたはずだ。
今回だってなにか誘導する意図を強く感じる。
わたしたちは悪魔のことについて知らないことが多い。どこから来たのか、なぜウテルスを集めるのか、なぜ奴らはこの世界に現れたのか。
「わかったわ。わたしも最近の異様を調べたかったところだし。それに上の奴らの鼻を明かしたいもの」
「いったい何をやらかしたんです、師匠……」
「憎まれ役ってやつさ。カイン君、カノンのお守りを頼むよ」
ジャックが帰った後、わたしは戸棚から列車関連の本を数冊広げハイゲート駅周辺の地理や、内部のトンネルの状況を入念に調べる。
廃線となってから保全修理が行われているかも怪しい。そのため生き埋めにされないよう衝撃の少ない装備を選ぶ必要がある。
「まさか師匠に彼氏がいたとは。てっきり男友達はウィリーさんと、ジャックさんだけかと。なんでアルバートさんと別れたんです?あんなにいい人師匠にはもったいないというか……」
わたしは一瞬出かかった言葉を喉元まで抑え込む。これはわたしが言っていいことではない。
「燃え尽きちゃったのよ。お互い」
わたしの言葉は曖昧で、カインは頭にハテナを浮かべた顔をしていた。
だが、今も昔もわたしにはそう答えるしかなかった。そう表現するほかなかった。
わたしとアルの3年間は不幸が重なり、お互い歪に支え合っていたのだから。
夜空に黒い雲がたちこめる。
——わたしはあの時、彼に手を差し伸べることができなかった。
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