第1話 依頼
ロンドンの中心区であり、歌劇場が集まる街ウェストエンド。日が昇り沈んでも絶えず人が往来し、活気にあふれるこの街にわたしの事務所はある。
ヴィクトリアン様式の長椅子に寝ころびながら、わたしはささくれた本を見ていた。
読んではいない。文章というレールの上を目が走っているだけだ。
時刻はもうすぐ13時になろうとしていた。
「カノン師匠、お茶の用意ができました」
「ありがとうカイン」
カイン。わたしの弟子だ。住み込みで働いており、とある事情でわたしが預かっている。3年近く彼とともに生活しているが、家事やお茶の準備は客人に出せる程度には上手くなった。
「今日は探偵の仕事がないのにどうしてそんなに機嫌が悪いんです?」
「わかって言っているでしょう」
「もちろんですよ。でも急に舞い込んだ仕事ではないでしょうに」
わたしは探偵業を営んでいる。人探しに不倫相手の追跡、ちょっとしたいざこざの仲裁などをやっている。
しがない探偵だが、私にはもう一つ特別な依頼を請け負っている。
「おや、ちょうど三人分のお茶を用意してました」
「バカ弟子が」
そんなたわごとをかわしている中、ドアベルがカラコロと鳴る。
背広を羽織った老者。古びたカバンを手から下げ、かぶったシルクハットを片方の手で軽く上げる。
「やあカノン・フラウト。ティータイムの途中だったかな?」
「そうね、できるなら出直してくれると嬉しいのだけれど、ジャック」
「ハハハ、茶会は人が多い方がいいだろう。では邪魔するよ」
ジャック・グラッサ。わたしに面倒な依頼をもってくる紳士を語った偏屈爺だ。いつも面倒な依頼を持ってきてはお茶と茶菓子をただ食いしていく。
古びたハットをハンガーにかけ、イニシャルが入ったカバンを開け、書類をテーブルの上に広げる。そこにはヴォクソールと思われる地域の地図と、船の影やトラックの影が映った写真がある。
「探偵業のほうはどうだい?」
「ぼちぼちよ。人間相手で忙しいからそっちの面倒事はそっちで対処してくれる?」
「そうはいかないのが我々の業界だ。エクソシストは人手不足。それに私が信用しているのはシルヴァの弟子であるキミたちだけだからね」
紅茶を一口飲むと、ジャックは資料をまとめわたしに差し出す。その資料に一通り目を通すと、面倒くささがため息となって肺から雪崩れだす。
「今回は悪魔退治だ」
「今回もでしょう?」
悪魔。人間の欲望の匂いを嗅ぎつけて現れる未確認生物。強靭な肉体を持ち、その凶器で人を屠る。奴らはどこから現れ、何を目的に人間に力を貸すのか不明だ。しかし唯一わかっていることはウテルス鉱石という鉱石から現れ、人間と共存することはできないことだ。
「今回はウテルス鉱石の密輸先への先入と襲撃だ。ヴォクソールに最近ごろつきが現れてね。水路庁が調査してみると石ころを密輸しているそうだ」
「密輸拠点は?」
「わからん。ヴォクソールで船からトラックに積み替えをしているのはわかるんだが——奇妙な話、つけておいた発信機がいつの間にかテムズ川の畔で見つかっている」
「なぜ泳がせているんです?」
「発信機の異変といい、悪魔が関わっているのは明らか。下手に刺激するのはかえって危険だからよ」
悪魔の力は人間など相手にならないほど強大だ。
しかしあまりにも情報量が少ない。いくら拠点がわからないといってもジャックにしては珍しい。
「まさかこの情報量で捜査しろと?天下のハルシオンも落ちたものね」
エクソシストは個人でやっているわけではない。ハルシオン財団がエクソシストたちをまとめ、日夜悪魔たちと戦っているのだ。
ジャックのような諜報課から仕事や、悪魔の居所を得たうえでエクソシストたちは悪魔祓いにでる。
「そういうことだ。キミたちには密輸拠点に潜入し、悪魔の退治とウテルス鉱石の密輸を止めてもらいたい」
「わたしじゃなくてもほかのエクソシストに頼めばいいんじゃないかしら?」
「そうか——噂じゃあヴォクソールでは子どもの誘拐事件が増えているらしい。関連性がないとは言いきれんなぁ。他の奴に任せるかあ」
ジャックの言葉を聞いた瞬間わたしは口に含んだ紅茶を吹きそうになる。せき込むわたしにカインは急いでハンカチを手渡してくれた。
「あなた、わかっていて言ってるでしょう?」
「はて?私はただの諜報屋だ。眉唾程度の情報でも話すのが仕事ってものだろう?」
「はあ、わかったわ。引き受けましょう。ジャック、情報が入り次第伝達してちょうだい」
「わかった。いつも迷惑をかけてすまないね」
ジャックは用事を済ませたのか、紅茶を飲み干しそそくさと出ていった。その姿を目じりに追い、ティータイムを楽しんだ後、ラックに掛けたコートを羽織り事務所を後にする。
「タクシーを呼んでちょうだい。ヴォクソールへ向かうわよ」
「わかりました」
ロンドンの南に位置する街ヴォクソール。ヴィクトリア朝ではテムズ川に隣接していることもあり、産業の街として栄えたこの街は今や観光名所となっている。バッキンガム宮殿や、ビックベンを見に今日も観光客がごった返している。
「こんなにも人があふれているのにギャングはウテルス鉱石を運んでくるんでしょうか?」
「夜が更ければ人っ子一人いなくなるわ。じゃ、聞き込みと行きましょう。カイン、よろしく」
「え!?」
「わたしは川辺を調べるから。なるべくいろんな人に聞きなさい」
そう言ってわたしはテムズ川の方へルいていく手すりは浴びついていたり塗装が剥げていたりするが、何かを擦りつけたような跡は見受けられない。しかし跳ね橋へ近づくにつれてその異様さが感じられる。荒縄をこすりつけたような傷と、すこしへこんだ手すり。
身体を乗り上げて壁を確認する。苔や水垢にまみれた壁に明らかに引きずった跡がみられる。どうやらここで荷物の受け渡しがあったのは確からしい。それに痕跡は新しい。
「場所は橋の陰に隠れる場所ばかりか——水路庁の目をかいくぐるとは手馴れているわね」
テムズ川の管轄は水路庁と水上警察。観光の面でも物流の面でもテムズ川は今も昔も重要だ。そのため取り締まりが厳しい。
「しかしなぜロンドンまで来る必要がある?港付近で受け渡しをした方が短時間で済むはず。いや、国内で取れた鉱石を運ぶためか?」
追跡を困難にするために様々な輸送方法、複雑な経路をとる密輸業者は多い。それにロンドンから蜘蛛の巣状に交通インフラが伸びている。
「そろそろカインを回収にいくか。エサは蒔き過ぎてもよくないし」
振り返りカインのほうを見る。そこには無表情で「なにか変わったことありますか?」と小さな声で聞き込みをしているカインがいた。その姿が寡黙に見えているのかまわりの観光客(女性)の注目を集めている。その黄昏の如きブロンドの髪と整った容姿、そして洋紅の瞳。ただのコミュ障なだけだが容姿がそれをかき消しているようだ。
「もう行くわよ、バカ弟子」
「は、はい!」
近くの喫茶店に寄り、わたしは紅茶を、カインはコーヒーを頼む。
「で、成果はどうだったかしらクールな名探偵」
「おちょくらないでください。見てたでしょう、あの痴態を。しかしほとんどが観光客だったのでめぼしいものは何一つ。師匠は?」
「収穫はあったわ。おそらく様々な輸送手段を使ってウテルスを運んでいるのでしょうね。わたしたちからしたらあれは悪魔の石だけれど、ほかの人から見れば石ころ同然だもの」
「ウテルス鉱石……人間の欲望に呼応して形、性質を変える賢者の石。けれど一緒に悪魔を呼び出す石」
わたしはティーカップを口元まで近づけて香りを楽しむふりをする。観光客が店の7~8割を占める中、感じる殺気。たしかにここは観光スポットで知らない顔が多い。しかし観光客の中に異様なオーラを醸し出す奴が紛れている。。
「師匠」
「あなたも気づいた?たしか、あなたが聞き込みをしたひとりね」
「さすがの眼ですね。どうします?」
臨戦態勢になったカインを見ながら、わたしは優雅に紅茶を飲む。
わたしの温度差に参ったのか警戒を解き、同じようにコーヒーを啜った。
休憩を終えると、わたしたちはうしろを見ずに歩く。殺気は途切れることなく、べったりとわたしの後ろをついてくる。
「しつこいですね」
「ま、もうすぐよ」
ロンドンはわたしの庭だ。大通りから人が寄り付かない裏路地まですべてわかる。自分たちが袋小路におびき寄せられているのを気づいていないのを見るに、ここ出身のギャングではないらしい。
路地を曲がった瞬間、追手は驚いたように目を見開いた。それもそのはず。わたしたちはその場にいなかったのだから。
スマホをとりだそうとした瞬間、わたしは彼らの前に姿を現す。まるで幽霊でも見たように
口をあんぐり開ける。その隙に相手の顔を掴みコンクリートの壁にたたきつける。今起きた状況を把握したのか、相方ののっぽ男は拳を振るう。わたしは掴んだ男を盾にし拳を防ぐ。そして男を蹴り重心が傾いた体にむかって拳を放つ。
「カイン」
「マレット刑事に連絡しておきましたあと五分ほどでつくそうです。にしても、師匠はいつも先読みをした闘いをしますよね」
「人間相手なら簡単よ。チンピラ喧嘩も武道も型がある。見れば予想はできる」
「それはあなたの目があってこそでしょう——お、きましたよ」
大通りから聞こえるパトカーのサイレン音。それと同時に数人の警察官が現れた。ギャングふたりとわたしたちを連れてパトカーはロンドン
ロンドン
ドアからよれよれのスーツを着た中年の男が現れる。
「やあやあカノンの嬢ちゃん。おまたせ~」
「マレットさん、迷惑かけるわ」
「いやいや、ちょうど競馬で負けちゃって憂さ晴らしにゃあ丁度いいってもんよ」
マレット・コンボ。もともと専門刑事出身だったらしいが、今ではロンドン市警の中でも対悪魔用に設置された組織「特殊事変捜査課」通称特変課の課長をやっている。
特殊事変捜査といっても名ばかりでロンドン市警の面倒事を押し付けられる組織となり果てている。
「聴取はまだボクの部下が調べているところだが、腕に掘られたタトゥーを見る限りリヴァプールを拠点に次活動するポートギャングであることは間違いない」
リヴァプール。イギリス最大の貿易港として栄えているが、その反面闇組織も跋扈している。目立った事件が起きない限り奴らを検挙できないのか、警察側も手を焼いているのだろう。
聴取が終わり、マレットの部下である女性警官と、カインが帰ってくる。舌打ち交じりに「こちらが聴取の結果です」と睨みながら資料を渡す。
「どうやら明日ウテルス鉱石の輸送がヴォクソールを通して行われるそうだ。どうする?」
「狙わない理由はないでしょう」
「そう来ると思ったよ。嬢ちゃんが派手な花火をあげてくれればこっちも一斉逮捕ができるんだが?」
「いいわね。派手にやってやろうじゃない。いつも通り周辺の封鎖と避難誘導を」
「りょーかい、さてさて忙しくなるぞー」
リヴァプールでの作戦を摺り合わせが終わる頃には夜が更けていた。眠そうなカインを女警官に送ってもらい、わたしは事務所の近くにあるパブに訪れていた。明日のことを頭に浮かべながら飲む酒はいつまでたっても酔えない。
空いたグラスを手元で遊ばせていると、チリンチリンという可愛らしいドアベルの音が鳴り響びく。
「ナイト・キャップかい?」
「そうよ。あなたのおかげでたくさん動いたんだから」
「そうだな。マスター、ジプシーを一つ」
差し出されたジプシーを一口飲む。
「何人死んだ」
「ふたりだ。みんな私よりも若く、優秀だった」
わたしたちエクソシストも命の危険があるが、それ以上に諜報員は命の危機にさらされる。さらに囚われようものなら彼らは機密保持のために自害をしなければならない。
「しばしの別れ《ジプシー》だなんて。ま、わたしだってあなたが大変な立場だってことはわかっているわ」
ジャックとは十数年来の仲だ。わたしには両親がいない。まだ見習いだったころわたしの師匠と友好関係があったようで、よく可愛がってもらったものだ。
いつも悪態をついてはいるが、自腹を割って話せる数少ないわたしの理解者の一人。そしてハルシオンの中で信頼できる人だ。
「カノン、キミは死なないでおくれよ」
「死ぬ予定はないわ。それにわたしはあなたの友人の弟子よ。頼まれたからにはちゃんとやるわ」
「そうだな。うん、そうだ。君はいつもそうだな」
淡い青色のカクテルを飲み干し、代金をテーブルに置きその場を去る。
ジャックと、マレットさんの情報を読み直し、明日の準備を整え眠りにつく。
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