第4話 もふもふで愛くるしいぬいぐるみ
依頼を受けて丸一日。
途中に野営を挟みつつ、サイラスは『メイタ』と呼ばれる森に来ていた。北西に位置するその森は、数多くの動植物が群生することで広く知られており、また、『ワップル』と呼ばれる野生のリンゴが群生することでも有名だった。
「さて、サクッと終らせようか」
「足元に気をつけるのだぞ」
オーラが言う通り、数日前に降った雨の影響で地面は酷くぬかるんでいた。しかし、サイラスは特段気にした様子もなく、軽い調子で歩みを進めていく。
「ぬぅ、こういった場所は気味が悪くて好かん」
ぬいぐるみのオーラがそう言うのも無理はない。鬱蒼と生い茂った森の中は、正午近くでも薄暗く、そして一段と寒い。なにより、時折聞こえてくる姿の見えない生き物たちの動く音や鳴き声が不気味な印象を与えてくるのだ。
いつもは、人の目がない場所では自分の足で歩くオーラも、今はサイラスの後頭部にしがみついている。最初は足にくっついていたのだが、邪魔だと言われ、次は腰に、その次は腕に、そんなやり取りを何度か繰り返し、ついには頂上である頭まで登ってきてしまった。
「お、あったあった」
森の中を歩くことしばらく。
足元はぬかるみ、多少の勾配もあったはずだが、サイラスは息切れひとつしていなかった。
「どこだ?」
近づいて見れば、それは小さな木だった。野生のリンゴの木は人が育てたものより小さいことの方が多いのだが、それらと比べても目の前にあるリンゴの木は極めて小さかった。とはいえ、リンゴの木に違いはなく、立派なリンゴが三つ
「お主、良く見えたのぉ」
「まあね」
得意げに答えたサイラスは、リンゴを採ろうとして、やめた。
「どうした、早く採らんかい」
「誰かに見られてる」
「なに!?」
さきほどまでコミカルに動き回っていたオーラは固まり、ぬいぐるみのふりをした。サイラスがリンゴに手を伸ばしていたこともあり、不安定な体勢になってしまい、後頭部から落ちてしまう。くるくると二回転して地面にぶつかりそうになったところで、ピタリと宙で静止した。
「よく考えれば、もう見られているのだから、ぬいぐるみのふりをしなくてもよいな」
オーラはくるりと軽やかに体勢を整えると、どうやら汚れるのが嫌らしく、そのまま宙に滞空した。
サイラスは奇襲に備え、身を低くし、警戒を強めた。集中して、相手の動向を探ったところで気がつく。敵意、いわゆる殺気と呼ばれる気配がないことに。視線の主はじっとこちらの様子を
「なるほど、ね。どうやら目的は僕じゃなくて、オーラ、君みたいだ」
「なに? 私が目的とはどういうことだ?」
動揺するオーラを横目に、サイラスは視線を感じた方向に声を投げる。
「そこの君!! そんなところで見てても、
「触る? ほぉん、そういうことか」
「ほら、こっちにおいで」
サイラスの考えと視線の主の目的が分かったのだろう。サイラスに頭上高く持ち上げられたオーラは短い手足を振り、「私はもふもふで愛くるしいぬいぐるみのオーラ様だぞ!! どうだ、触ってみたいだろう!!」と声を上げる。サイラスにしか聞こえていないはずだが、ガサゴソと草木が揺れる音が近づいてくる。
一瞬沈黙が訪れたかと思えば、一際大きな音を鳴らしながら現れた六歳ぐらいの幼女に、サイラスは見覚えがあった。
木の葉がたくさんくっついた銀髪に近い白髪に、キリっと整った細い眉毛の下のくりっとした緋色の瞳。少し、ほんの少しだけ開いた色づきのいい桃色の唇の間から見える鋭い犬歯。華奢で長い手足。
紛れもなく、昨日の朝、街でぶつかった子供に違いなかった。違いがあるとすれば、側頭部ではなく頭頂部あたりから生えた一対の三角形の耳と、第一印象よりも幼く見えることくらいだろうか。
「妙な縁もあるものだね」
「よかったではないか。怪我をさせてないか、嫌われてないか気になっていたのだろう? 少なくとも怪我はないみたいだぞ」
「うん、よかった。……昨日はごめんね」
自分と幼女の視線の高さを合わせる為に屈んだサイラスは幼女に謝った。
言葉が通じていないのか、それともサイラスに興味がないのか。幼女はサイラスの謝罪など一切気にすることなく、サイラスが持つオーラをじっと見つめている。薄暗い森の中でさえキラキラと光る瞳は宝石のようだ。
サイラスは慈愛に満ちた笑みを浮かべると、オーラを幼女の前に持ち上げた。
「触ってみるかい?」
「こら! まずは私の許可を取らんかい!!」
手の中でじたばたと暴れるオーラ。それをサイラスは力を入れて押さえ込んだ。
決心がつかないのか幼女の瞳はサイラスとオーラを行ったり来たりしていたが、幼女がサイラスを見たタイミングでゆっくりと頷けば、幼女はパッと笑顔を咲かせて、サイラスの手からオーラを奪い取った。
可愛らしい笑い声を漏らしながら、オーラを抱く幼女。その腕の中ではオーラが「ぐえっ!?」と潰された蛙のような声を上げていた。
距離を縮めるための供物としてささげたオーラに対する罪悪感はあったものの、それも純真無垢な幼女の笑みを見た途端消えてしまう。むしろ、「た、助けてくれぇ~」といつもは威厳たっぷりな口調で話すオーラの情けない姿に、サイラスにしては珍しくもう少し見ていたと悪戯心が顔を出す。
結局、幼女がひとしきり満足するまでオーラが解放されることはなかった。
「……お主、今回の件は高くつくぞ。覚えておけ」
短い手足で頭頂部に掴まったオーラが消え入りそうな声で怨み言を吐いた。それが冗談ではなく本当に高くつくことを知っているサイラスは、虎の尾を踏んだのだと痛感する。
さて、困ったものだと、オーラにペシペシと無言で叩かれている頭でサイラスは考える。
オーラの機嫌はあとで取る予定なので問題ないとして、幼女をどうするべきか。魔法の声で喋るオーラはもちろん、サイラスとも会話できないのは困ってしまう。幼い故にボディランゲージもあまり理解してもらえず、どう対処すべきなのかをサイラスは決めあぐねていた。
頭から生えた耳からして幼女が獣人であることはほぼ間違いないが、どうしてこの森にいるのか。一人なのか。このまま森に置いたままでいいのか。保護が必要なのか。そんな問題を解決したのは第三者の声だった。
「リカッ!!」
幼くも張りのあるその声は森の奥から聞こえてきた。サイラスが注意深く周囲を見回すも、声の主は見当たらない。
幼女は目を見開いたかと思えば、耳をペタッと下げ、名残惜しそうにオーラを
「背が縮んだのかと思ったが、どうやら街でぶつかったのは姿を見せなかった方らしいの」
「だね。声色からしてお姉さんかな。お母さんにしては若かったよね」
「かもな。私にはどうでもいいことだ。それよりお主よ。私は疲れた。さっさと終わらせて帰るべきだ」
「了解」
サイラスはリンゴの採取を再開した。たくさん歩きはしたが、しばらくはまともな食事が口にできそうなくらいには収穫することができた。
一日の成果を「私は道具入れではないぞ」と文句を垂れるオーラのポケットに収納し、帰路に就く。陽は落ちかけていたが、寝ずに急げば、明日の午前中には街へは辿り着けそうだった。
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