第3話 仕事は依頼選びから始まる

 些細なトラブルを経て、依頼斡旋所へとやってきたサイラス。

 スイングドア越しに室内の様子が見えていたので、人がいないことは分かっていたが、依頼斡旋所には静かでゆったりとした時間が流れていた。


 依頼斡旋所。

 大陸に存在する全ての国にその名前を冠する建物があり、どの国にも属さない独立した組織形態を持つそれは、依頼する依頼主と依頼を受ける請負人を仲介する役割を担っている。他には政治的思想が関わらない各国の面倒事を引き受けたりをしているが、基本的には世界共通の便利屋である。

 依頼を受けるという形式上、依頼をこなす請負人は当たり前だが、依頼を出す依頼主、つまり困っている人がいないと成り立たない。困っている人がいないなんてことは、悲しいが人が人である以上、毎日存在する。そこは問題ないのだが、依頼を出す人はほとんどが自分で解決できない庶民、農民であり、依頼しに来るのは仕事の暇が生まれる昼過ぎか、仕事終わりの夜が相場だ。そして、多くの請負人たちも、一日の仕事終わりに次の仕事を見つけ、翌日の日程を決めるのが習慣化している。つまり、この時間に依頼斡旋所に足を運ぶ人間というのは、火急の用がある依頼主か、競合他者を避けたい請負人のどちらかしかいない。もちろん、サイラスは後者だ。


 いつもと変わらず、サイラスは受付と逆、入って右にある掲示板へと一直線に向かった。

 途中、書類から顔を上げた艶のある黒髪をおさげに纏めた丸縁眼鏡をかけた女性、ヘレンと目があったので軽く会釈をしておく。暇だからと、談笑にふける職員も多いというのに、ヘレンは真面目に仕事へ取り組んでいて、好感が持てる。仕事へひたむきなその姿勢と、ミスの少なさから、勤務時に限りはするが、サイラスは依頼を受ける際は必ず彼女にお願いしていた。


「昨日と変わらんな」


 オーラがつまらなそうに言った。

 返事代わりに頭を撫でてから、掲示板に張り出されている依頼を見る。

 依頼を選ぶうえで、サイラスは幾つかのルールを決めていた。優先度が高い順に依頼内容、報酬、そして依頼してから経っている日にちである。タルボット家当主として、あまり選り好みしていられる金銭状況ではないのだが、そこは譲れなかった。

 しばらく吟味ぎんみしたのち、サイラスは一枚の依頼書を手に取った。それは、冬に備えてリンゴを取ってきてほしいといった内容の依頼だった。一個単位で報酬が支払われる歩合制なのも決め手のひとつだったが、依頼されてから一五日も経っていたのが大きい。リンゴの報酬として出されるには高額だが、店で買うより安い値段設定の報酬額から、依頼主は金銭的に困っていることがサイラスには容易に想像できた。そして、冬が近くなり、誰も依頼を受けてくれなくて焦っていることも。


「お主はまた!! もっといいのがあるだろうて。昨日、あの眼鏡も言っていたのを忘れたのか。お主ならもっと割のいい依頼を受けられるんだぞ」


 オーラから文句が飛んでくるが、サイラスは気にしない。むしろ、人の助けになって、そのうえお金が貰える依頼を見つけられて、ニッコニコだった。


「この依頼、お願いできますか」


 依頼書を手渡せば、ヘレンは昨日と同じように、不満そうな表情を浮かべた。


「……リンゴの納品依頼、ですね。こちら、歩合制と記載はありますが、納品個数三〇個が最低条件となります。よろしいですか?」


 それは暗に違う依頼にしろと言っていたのだが、サイラスは額面通りに受け取り、「お願いします」と頭を下げた。

 なにかを言おうとして、そしてそれを飲み込んだヘレンは、短く溜息をくと、受注処理を開始した。


「ご存じだとは思いますが、現在、リンゴに限らず、あらゆる物が採れなくなっています。納品数三〇個を達成できなかった場合、違約金が発生しますが、本当に良いんですね!?」

「そうだぞ。やめとけ、やめとけ」


 強く念を押すヘレン。オーラからの援護射撃が加わるも、一切の効力はなく、サイラスはもう一度首を縦に振った。


「はぁ。分かりました」

「心配してくれてありがとうございます」

「そうお思いになるなら、違う依頼にしたらどうですか?」

「いや、僕にはこういうのが向いてるんで」


 これ以上話しても無駄だと察したのだろう。ヘレンは事務作業へと移った。


 人気のない依頼斡旋所内をサラサラと、依頼書の上を滑るペン先の音だけが響き渡る。サイラスが何気なく視線をヘレンの手元に落とせば、見慣れた大きさの統一された綺麗な字を綴っていた。

 少しして、指差し確認ののち「よし」と声を上げるヘレン。彼女は満足げに頷くと、最後に依頼書を枠の中に小さな札が入った木の板の上に乗せ、札にはみ出すように印面を押した。


「では、こちらが受注の証、請負札うけおいふだになります。分かってるとは思いますが、紛失してしまった場合は依頼失敗となりますので、ご注意ください」


 サイラスはヘレンから中途半端に『受注済』の『主済』だけが残った札を受け取ると、オーラのお腹のポケットへ収納した。


「じゃあ、今日も行ってきますね」

「はい、お気をつけて」


 そう言うとヘレンは柔和な笑みを浮かべ、ぎこちなく手を振った。


 サイラスが依頼斡旋所から出ようとスイングドアを開けようとした時、この時間帯にしては珍しく、依頼斡旋所へ真っ直ぐと向かって歩いてくる人の姿が見えた。顎と首の境目がないその男は、どこか焦った形相でサイラスの隣を通り過ぎていく。肥えた体と身なりのいい恰好からして街商人だろうか。頬から首にかけて伸びた真新しい四本の傷が気にはなったが、安全が確立されていない現代において、傷持ちは珍しくもない。少なくとも、かなりの場数を踏んでいることは、見た目からも、雰囲気からも明白だった。


「あやつ、お主ほどではないが強い金の匂いがする」

「じゃあ、やっぱり街商人か」

「だろうな。胸元を見たか? どこのものかまでは分からんが、立派な紋章が刺繍されておった」


 エルウェス領のお膝元であるこの街でロゴマークを掲げて商売できる者は限られている。上下のないスイングドアとはいえ、建物の外まで聞こえる大きさで声を張り上げるあの男がそこまでの人間には、サイラスにはとても思えなかった。


「あの様子だとかなりの厄介事を持ち込んできたらしいな」

「みたいだね。ヘレンが可哀想だよ」


 同情を禁じえなかったが、力になれることもない。

 未だに聞こえてくる怒声を背に、サイラスは依頼をこなすべく街の外へ向かって歩みを進めた。

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