一章
第2話 いつもと少し違う朝
サイラスは空腹で目を覚ました。
キュルキュルと鳴りやまない腹を抑えながら体を起こせば、ぬいぐるみがぽさっと重みのない音を立てて隣に座った。
「だから言ったのだ。食わねば寝れんぞ、と」
ぬいぐるみ――オーラの言葉を無視して、窓の方を見れば、出来の悪い隙間から肌寒い乾いた風と共に青白い光が入り込んでいた。
思ったよりも寝れたらしい。サイラスは少しの幸福を感じながら、立ち上がり、大きく伸びをした。藁を敷いているとはいえ、固い床の感触が消えるわけではない。ガチガチに凝り固まった体を入念にほぐしながら、今日の予定を考える。
「そんなに動くと腹が減るだけだぞ。無駄な動きはせずに瞑想でもしたらどうだ。思考がすっきりするぞ」
賢人らしいありがたいお言葉を聞き流し、サイラスは廊下へと続く扉を開けた。
まだ誰も起きていないようで、他に用意された部屋からは寝息が聞こえる。幸いなことに、今回の隣人たちは行儀が良いらしく、いびきをかいて眠りこけている者は一人もいない。
重心がズレるだけでミシミシと音を立てる床を静かに歩くよう心掛け、いつの間に肩に乗っていたオーラを供に、サイラスは忍び足で一階へと向かう。
階段を降りている途中、美味しそうないい匂いが
「おや、サイラスさんおはよう。厨房に顔を出すなんて珍しいね」
今しがた食事の準備を終えた女宿主が特徴的な
「おはようございます。いや、美味しそうな匂いがしたので、つい」
「そうかい、そうかい。どうだい、せっかくだから食べていかないかい?」
「手持ちがないので、今日は……」
「なーに言ってんだい。アンタはいつも手持ちがないだろうに。それに私が誘ったんだ。タダに決まってるだろ」
女宿主は豪快な、それでいて寝ている宿泊者を気遣った器用な笑い声を上げると、サイラスを強引に椅子へと座らせた。
「ほらよ。たんとお食べ」
慣れた手付きで用意されたのはどろどろになるまで煮込まれた豆の粥に、カチカチのパン、そしてぬるい水。朝食としては十分すぎる品揃えに、申し訳なさを覚える。
「やっぱりお金払いますよ。ただでさえ、最近は食べ物が高いのに」
「だからこそ、だよ。サイラスさん、アンタ昨日も一昨日も食べてなかっただろう? いくら貧しくても、一日一食は食べなきゃ体がもたないよ」
「そうだぞ。体は資本。愚者も賢人も王でさえも、
オーラの声は女宿主には届いていなかった。いや、正しくは聞こえていなかった。サイラスも詳しくは知らないが、特殊な魔法を使って発せられるその声は、サイラスにしか聞こえないらしい。
サイラスは「そうですね」と両者に向けた言葉を返す。
「では、ありがたく。いただきます」
「あいよ」
人のいい笑みを浮かべ、満足そうに頷いた女宿主は、壁に立てかけて置いてあった箒を手に取ると、どこかへと行ってしまう。この時間帯の彼女の行動パターンを知らないサイラスは、掃除でもしにいくのだろうか、と考えながら、二日ぶりの食事を口にした。
いつもよりも深く感じる旨味に
「ふぅ」
食べ終わり、水を飲んで一息
換気の為に開けられた窓の外では、少年たちが師匠のお使いをこなそうとトテトテと走り回っている。
食器を片付け、感謝の言葉を厨房に残したサイラスは、自分の部屋へと戻った。
途中、三人の男女にすれ違ったが、皆浅黒く焼けており、細いながらもしたたかさが
「世知辛いね」
現実を突きつけられたサイラスは、彼らに負けないようたくさん稼ごうと意気込んだ。
なにはともあれまずは支度だ。持っている服の中で比較的新しく綺麗な服を脱ぎ、外出用の服へと着替える。
一枚では薄すぎる穴あきのボロボロの服を複数枚重ねて着ていく。多少ごわつき、動きにくくなるが、寒さを耐えしのぐのが一番重要なことだった。正直、空腹はなんとかなるが、自然の驚異である寒さは耐えることができない。秋も終わりに近づき、日に日に冷え込んできている。夜には晩秋特有の凍えるような風が吹く。風邪をひくだけならまだしも、凍傷しては目も当てられない。ガッチリと隙間なく服を重ね着したサイラスは、最後にブーツへと足を通し、密着具合を調整してから紐を固く結んだ。
それなりの時間をかけ準備を終えたサイラスに、藁の布団の上で暇を持て余していたオーラが声をかけた。
「今日もペット探しか?」
「あればね。なければ、薬草採取でも、雑草狩りでも、なんでもやるよ」
「つまらんやつだ。お家復興を望む男だろうに、危険に飛び込まずどうする」
「一番の危険を持ち歩いてる自覚はあるよ」
「バカは私を持ち上げてから言うんだな」
短い腕を広げ、催促してくるオーラを抱きかかえる。忘れ物がないか三度確認し、サイラスは宿を出た。
外では女宿主が掃き掃除をしていた。
朝食の礼を伝えれば、今度は一切抑えることなく、ガハハと白い歯を見せ笑った。いわく、「若いんだから気にすんな」とのことだった。
「ずいぶんと情に厚い人間だな」
「そうだね。僕もあの人みたいに分け与える人間になりたいよ」
「……今のままでもお主は十分すぎるほど分け与えていると私は思うがな」
「そうぉっと!?」
それは女宿主と別れてすぐ、依頼斡旋所へ行く道すがらの出来事だった。
角から突然出てきた人影がサイラスの足へとぶつかったのだ。まともな食事が摂れないせいで、体重が落ちたとはいえ、体幹がしっかりとしたサイラスがよろけることはなかったが、ぶつかってきた相手は弾き飛ばされてしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
ほぼ反射的に手を伸ばしたサイラスは、地面に伏すのが少女だとようやく気付いた。
一〇歳前後だろうか。手足を折り、身を丸めるように倒れているせいで、目算でも背丈が分かりづらい。顔にかかった銀髪に近い綺麗な白髪を手で払えば、幼いながらも端正に整った横顔が見えた。
見る限り怪我はなさそうだが、少女の顔は苦悶の表情を浮かべている。どこかを強く打ったのかもしれない。
そう思った矢先だった。目を見開いた少女が、勢いよく飛び退いた。
「……」
サイラスのことをじっと見つめたかと思えば、少女は一切の言葉を発することなく、とても子供の脚力とは思えない速さで走り去ってしまう。瞬く間に遠ざかる小さな後ろ姿に、サイラスは手を伸ばしたまま動けずにいた。
「……もしかして、嫌われた……?」
「このド阿呆が。気にするところはそこじゃないだろうに。お主の子供好きには呆れてなにも言えん」
「いや、だって」
「見知らぬ子供になにを思うことがある。これ以上、往来の真ん中で時間を無駄にしてないで、さっさと依頼斡旋所に行ったらどうだ」
「う、うん」
頷いたはいいものの、心の隅では少女のことが引っかかったままだった。
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