第2章
第1話 メイド服が似合ってないと問われたら
事情もわからないまま始まった引っ越し作業は、予想以上にあっさりと終わりを迎えた。
締めて2時間程度といったところか。
理由は鎖錠さんの荷物の少なさ。
運ぶ荷物なんてほとんどなく、ダンボール数個を移動させたぐらい。
妹が中身のない学生鞄だけを持ってきたのも、ほとんど運ぶ荷物がなかったからだったようだ。いや、多かろうが少なかろうが妹はサボった気もするが。
その荷物の少なさに驚くと同時に、納得もする。あぁ、らしいなって。
流石に女の子の荷物を見るわけにはいかないので、中身は知らない。ただ、持った重みや感覚からすれば、衣類がほとんど。後はちょっとした雑貨ぐらいか。
学校の教科書とか、授業で使う物すらないのが気になったが、恐らく全て学校に置いてきたのだろう。一緒に投稿し出した数日、やけに学生鞄を膨らませて鞄の重みで身体を傾いているのを見かけたことがある。家で勉強する気はないらしい。
どちらかといえば、時間がかかったのは妹が北海道に送ると言い出した荷物をダンボールにまとめることだ。あれこれと指示だけ出して、本人はベッドで座ってのんびりしているのには納得がいなかった。
「ふぅ……終わったー」
「……お前が達成感に満ちあふれているのはおかしいだろうが」
「喉乾いたー」
僕の文句なんて聞こえていないのか、ぴょんっとベッドから立ち上がるとそのまま妹の部屋――今は鎖錠さんの部屋となった扉を開けて、飛び出していった。
はーほんと、自由な妹だ。
妹の荷物は玄関前に積まれ、部屋の中は随分とこざっぱりした。
勉強机に、ベッド。
可愛い系統が好きな妹らしく、ハートやレースのあしらわれたベッドやカーテンのせいでファンシーは残る室内。
ほとんどの荷物がなくなってしまったため、生活感がなくなり、どこか寂しさを感じさせた。
そこに鎖錠さんの部屋から持ってきたダンボールが隅に積まれているせいで、荷ほどきしていない引っ越し当日といった光景だ。にしては、やはり荷物の少なさが目立つけど。
なんて、様変わりした部屋の光景について考えていたが、妹の退場には少し困ってしまう。
「……あー、と」
「……なに?」
膝を抱えて、ベッドの側面を背もたれにして座る鎖錠さん。
ここ1ヶ月顔を合わせていなかったのもあって、ちょっとした気まずさを感じる。
この状況を作り出した妹を内心恨む。せめて一緒に居てくれよ。なんて、情けないことを思う。
ただ、気まずい状況を作り出したのが妹ならば、話すきっかけを作るのも妹であった。
マッチポンプを感じつつも、一応感謝の念を抱きながら、妹が残した話題をとっかかりにする。
「……そのメイド服は、なに?」
「――ッ!?
……こッ、れは……!」
反応は大きく、半分瞼が閉じて虚ろだった瞳が大きく見開かれる。
白かった肌はリトマス紙反応のように赤く染まり、僕の視線から逃げるように所謂体育座りのままお尻をもぞもぞ動かして背中を向けた。
「……あなたの妹が無理矢理っ。
兄のお世話をしてるのなら格好も合わせないとって、だから……」
「あー」
顎を軽く上げ、瞳を上に動かす。
言うな、妹なら。そしてやる。
お世話から連想してメイド服というのも安直な話だけど、まぁ、いつも通り何にも考えてないのだろう。ただの思い付き。
基本、妹はノリと勢いで生きている。
メイド服を所持している意味はわからないが……まぁ、妹様だからで納得できてしまう。
上に向けていた瞳を戻し、改めて鎖錠さんメイドバージョンを見る。
うん、よく似合っている。メイド長って感じ。もしくは、サボり癖はあるけど優秀なメイド。両極端だが、どちらもピッタリだ。
天然ドジっ子メイドと組み合わせると、良いコンビになりそう。凸凹バディ物。
ただまぁ、よく鎖錠さんに着させられたなぁ。
誰が相手であろうと気なんて遣わず、遠慮しないだろうに。
たとえば僕が『メイド服着て?』なんてお願いすれば、『は?』という低音ボイスを発せられた挙げ句、社会のゴミでも見るように軽蔑した目を向けられるに決まっている。想像しただけ心臓がキュンッてなる。もちろん、ときめきではない。
なんだか意外で、ついじっと見てしまっていると、肩越しに視線を向けてきた鎖錠さんが愛らしい唇を尖らせる。
「……どうせ、似合ってないって言いたいんでしょ?
言われなくたってわかってる。
こういうのは、あなたの妹みたいな可愛い子が着るべきだから」
「へ?
いやいや、すっごく似合ってる。
冗談じゃなく、本心から」
「……嘘」
「嘘じゃないって」
確かに、中学2年生でまだまだ子供っぽさが残る妹だが、その容姿は愛らしいのでメイド服とて着こなすだろう。その場合、お転婆というか、ご主人様をからかって遊ぶ悪ガキ感満載の困ったメイドちゃんになりそうだけれど。
あいつはどうあっても困ったちゃんだな。ほんと。
ただ、妹が似合うからといって、逆説的に鎖錠さんが似合わないなんてことはない。
「うん、良く似合ってる。
毎日その格好でお世話されたいぐらいに。
一回、ご主人様って呼んでみない?」
「……なにそれ。きも」
その痛烈な返しは鎖錠さんらしく、久々の感覚に涙が出そうなぐらいほっとする。
うん、ほんと……泣きそう。しくしく。
膝を抱きしめてだるまのように転がる。喜びと悲しみって同居するんだなーと、なんとはなしに思う。
「るーるー」
「……」
ごろごろごろんっと、傷心した心を慰撫するように。
子供染みたおふざけをしていると、鎖錠さんが顔をしかめる。
不機嫌そうに見える。けど、もしかしたら、言い過ぎたと思っているのかも?
まぁ、言うて大して傷付いてなんかいないのだけど。
とはいえ、無断でほっとかれていたのもある。反省してもらうためにも、ここは心ない言葉に傷つきましたポーズを継続しておこう。
決して、子供のように拗ねた真似をして構ってもらおうとしているわけじゃない。ほんとだよ?
「……リヒト」
「るーるー」
あえて呼びかけに応えず、膝を抱えたまま転がり続ける。
だるまというより、掃除道具のコロコロな気がしてきた。前髪に綿埃がくっついている。
そうして、自分の身体を使って掃除をしていると、気付けば室内が静まり返る。
鎖錠さんからの反応がない。
あれ? もしかして見捨てられた?
構ってちゃんをやり過ぎたかと、抱えていた膝を開放して起き上がる。あぐらをかく。
見ると、豊満な胸元の服を片手でぎゅっと握り締め、耐え忍ぶように唇を甘噛している。伏せた顔から目元は伺えないが、その頬は怒っているように紅潮していて、サーッと血の気が引く音を聞いた。
やば。やり過ぎた。
意図せず導火線に火を付けてしまった爆弾を見つけた気分だ。
僕は慌てて謝ろうとしたが、キッと目尻を鋭く吊り上げた鎖錠さんに睨まれてでかかった言葉を飲み込む。
あぁ……終わった、と諦めの境地に至る。
けれど、彼女の震える唇から出てきた言葉は、僕の予想とは正反対のモノだった。
「ご、ご主人様……っ」
下唇を噛み、屈辱に震える肩を抱きながら、そんなことを言い出す鎖錠さんに頭が真っ白になる。
同時に、心は
え、なに、これ――と、その感情を確かめようと羞恥に染める鎖錠さんに手を伸ばしかけた瞬間、
「お腹空いたー!
義姉さんの手料理食べたーい!」
と、呑気な声を上げてご飯を要求する妹が入ってきて、妙な雰囲気は風が吹いたように霧散した。
ガバッと咄嗟に背を向け合う僕と鎖錠さん。
それを見て、妹が小首を傾げる。
「なに?」
「な、なんでもない」
早鐘する胸を押さえながら、引きつる喉をどうにか動かして声を出す。
よ、よかった。なんだか知らないけどほんとよかった……!
開けてはならない箱の鍵を開けてしまったような、そんな感覚。不幸と希望、はたしてどちらが収まっていたのかはわからない。
けれど、中身が外に出なくてよかったという安堵が胸の内に広がった。
今回ばかりは、有耶無耶にしてくれた妹に感謝する。
「? よくわかんないけど」
不思議そうな妹の顔が、今度は鎖錠さんに向く。
「義姉さんはなんで不満そうな顔をしてるの?」
「…………別に」
聞こえたその声は事実不満そうで。
背を向けて見えこそしないが、子供のように膝を抱えて拗ねているのが容易に想像できた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。