第5話 お隣さんが同居人になる日

 ダンボールを妹の部屋に運ぶ。

 中身は大して重くなく、恐らく衣類辺りではなかろうか。

 蓋をされた中身に思いを馳せながら、ドカッと荷物を下ろしてため息を吐き出す。

 学校から帰ってきて早々なにやってるんだろうなぁ、僕は。


 妹に言われるがまま行われている引っ越し。

 それは妹が実家に戻ってくる……わけではなく、どういうわけか鎖錠さんが日向ひなた家に移り住んでくるらしい。しかも、妹の部屋に。


 いやなんでだし。意味がわからない。どうしてそうなった。

 鎖錠さんちの玄関前で引っ越し宣言した妹を問い詰めると、ジト目を向けられはんっと鼻を鳴らされた。

『これだから朴念仁は』

 明らかにバカにされている。


 ムカついたのでとりあえず頭の分け目を割るように軽くチョップを入れると『いた――ッ!? DV兄さんだー!』と大げさに悲鳴を上げてこっちが驚いてしまう。

 止めて。メイド服を着た鎖錠さんから冷たい眼差しが飛んできてるから。というか、ほんとなんでメイド服?


『だいたい、連日泊まってるんでしょ?

 なにを今更。どうせ隣だし、いちいち面倒でしょ』

 ぐうの音も出ない正論に押し黙るしかない。そりゃそうだけどさー。


 結局、これといった反論も思い浮かばず、妹の言われるがままに引っ越しの手伝いをさせられている。

 その際、鎖錠さんの部屋に上がれるかなと微かな期待を抱いたのだけど、玄関前に荷物を運ばれ『兄さん持ってって』とこき使われるだけで上げてもらえなかった。ちょっと残念。

 そして、僕の気持ちを察しているだろう妹がニヤニヤしているのが腹が立つ。やはり一度教育が必要なようだ。


「よいしょー」

 学生鞄を持ってきた妹。

 教科書が入っているかも疑わしい薄っぺらい学生鞄を下ろして、ふぅやってやったぜという達成感に満ちた顔で汗を拭うフリをしている。

 相変わらず適当な奴め。

 そう思いつつ、僕は再び部屋を出ていこうとする妹を呼び止める。


「あのさー」

「なぁにお兄さまん?」

「……いや、キショいから。

 やめろ甘え声」

「ひどいんだー。

 妹様をもっと褒めろよー。

 兄の義務だろー」

「兄は妹の太鼓持ちじゃねーよ」

 この妹は兄のことをなんだと思っているのか。


「そういうおふざけは控えていただいて」

「はい」

 ちょこんと正座する。

 いやそこまで畏まらなくてもいいんだけど……いいけど。

「お前、一時帰宅だよな?」

「そーですね」

「暫く鎖錠さんに部屋を貸すってこと?」

 ふむ。と妹が首を横に傾ける。


「貸すというか、好きにすればーって感じ?」

「好きにって」

 僕は眉を潜める。

「お前の部屋なくなるじゃん」

「私帰る気ないから問題なし」

「かえ……?」

 なに言ってるのこの子。


「え? なに?

 北海道に永住するってこと?

 道産子ギャルになるの?」

「永住しないし、道産子にもギャルにもなる気はないけど」

 じゃあどういうことだ。


 頭がこんがらがってくる。

 元々、常人とは違う感性を持っている妹だったが、要領を得ない説明に頭を抱えたくなる。熱が出そうだ。


 鎖錠さんに部屋を貸して、

 妹の部屋はなくなるけど、

 妹はこっちに帰ってくる気はなくって、

 でも、北海道に永住するわけでもなくって……ダメだ。わからん。


 うーうー唸って腕を組む。

 頭を前に倒して、後ろに倒して。

 無意味に身体を動かす。

 そんな僕に、妹はケロッと言う。


「お父さんの出張も伸びたし、高校は北海道の通うよ。

 で、そのまま卒業して、大学通いだしたらそのまま一人暮らしするから。

 どうせ使わないなら有効活用しないともったいないでしょ?」

「一人暮らし……っ?」

 初めて聞かされる妹の将来の展望に驚く。「これぐらい普通でしょ?」となんでもない風に言うが、全国の中学2年生のどれだけが、うちの妹様のように将来設計を描いているというのか。

 僕が中2の時なんて目の前のことにしか関心がなく、日々無為に生きていた。

 将来なんて、卒業後のことどころか1週間先の予定すら考えていなかった。

 

 なんと言えばいいのか。

 言葉が出てこない僕に、妹は含みのある笑みを浮かべる。


「ま、兄さんは地元を離れるどころか、家を出る気すらないだろうけど。

 慣れ親しんだ場所が好きだもんねー?」


 間延びした、皮肉めいた言い回しが癇に障る。

 けれど、肺から上ってきた反論の言葉を外に出すことはなく、無理矢理飲み込んだ。

 だって、妹の声音にはからかいこそあれ、言葉そのものは正しいのだから。


 喉が痛い。胃が炎症を起こしたようにヒリヒリする。

 言いようのない焦燥に、今まで安心して立っていた床が抜けてしまうのではないかというありもしない不安を覚える。

 

 2つも年下の妹に置いていかれたような、そんな気持ち。

 なにか言い返さないといけないのに、煙のように掴みどころのない気持ちを上手く言葉にまとめることができず、なにも言えないまま黙々と作業を続けるしかなかった。


 妹に言い負かされたみたいで情けないなぁ。

 か細くなる喉を開くように大きく息を吐き出す。

 話題を変えるように、最も気にかかっていながら、はぐらかされてしまった問いかけを改めて妹に投げかける。


「そもそも、どうして鎖錠さんの家に居たんだよ」

 嘘は許さないと、じっと見つめる。

「んー?」

 すると、顎に人差し指を当てて考える素振りを見せた妹は、アハッと明るい声を上げる。


「ナイショ♪」

 うぜー。


 あまりの表情のウザさにデコピンを食らわせてやろうかと思ったが、グッと堪える。

 大人だ。大人の対応を見せるんだ。こんなメスガキと同じになってはいけない。

 びーくーるびーくーる。よし。


「そもそも、この引越し、お母さんとお父さんの許可は取ってるのか?」

「当たり前じゃん」

 なに言ってる? と、逆に変な目で見られてしまい目を剥く。

 衝動的に生きている妹なので、そういう根回しは絶対にしていないと思っていた。無許可でゴリ押し。脳筋プレイだとばっかり。


 驚いていると、どうやらこの点については妹も物申したいようで、胡乱な目を向けられてしまう。

「本当ならこういうのは兄さんがするべきなんだぞー。

 後で連絡入れておくように」

 常識に欠ける妹に小言を言われるのは、なんだか釈然としないものがある。

 ただ、やはり正論なので反論はし辛い。

 どうして今日の妹は正論ばかりなのだろうか。いつもはハチャメチャで一般的な常識を母親のお腹ん中に捨ててきた! と言って憚らないクソみたいな性格をしているというのに。


 僕が押し黙ったのを良いことに、調子に乗ったのかむふんと唇を猫のように曲げると、人差し指を立ててチチチッと横に振る。兄さんは甘々なのである、と。

「連泊なんて半端なことして。

 同棲じゃないって言い訳かー?

 あくまで泊まりだからって言いたいのかー?

 それとも、自分は執着してなくって、離れていっても構わないっていう予防線?」

 そ――と声を荒げそうになって、……んなんじゃないと萎んでいく。


「そうやって斜に構えていると、そのうちだーっれも傍から居なくなって、一人ぼっちになっちゃうよ?」

 妹は心配しているのです、と正座した膝をポムポムと叩く。膝ってそんなファンシーな音鳴るの?


 今日の妹はなんでこう、的確に痛い所を突いてくるのか。

 北の大地で一体なにを学んできた。北海道の寒さに習って、厳しい現実とか言い出したら兄さん泣くぞ。


 心が鉛になったように重くなる。

 否定の言葉なんて出てくるはずもなく、先生にお説教されたように身体を縮こませるしかなかった。妹相手に情けないなぁ、ほんと。

 肩を落として落ち込む僕。妹はニッと眩しい笑顔を浮かべる。


「ま。ボッチな兄さんでも妹様は見捨てないであげるけどねー。

 こういうのなんて言うんだっけ?

 妹ポイント高めーってやつー?」

「知るか」

 切り捨てるように言うと、「つめたーい」と嘆くような声を上げる。


 ぶーっと唇を尖らせる妹。

 文句のありそうなその顔に辟易しながらも、知らず僕の頬は笑みを描いていた。

「まぁ……なんだ。ありがとう」

 頬をかき、そっぽを向く。

 こういうのを血の繋がった家族に面と向かって言うのは恥ずかしい。


 僕の言葉に目を点にした妹は、次の瞬間にはチャシャネコのようににんまり笑う。

「妹様のありがたみがわかったようだなー。

 感謝の心を忘れず、日頃から崇め奉るよーに」

 えへん、とない胸を張る妹にげっそり頬が下がる。

 そもそもお前が言い出したことで落ち込んでたんだからな?


 指摘してくれたことも含めて感謝をしているので口にはしなかったが、腹は立つのでデコピンはしておいた。「あいたー」





 ◆第1章_fin◆

 __To be continued.

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