第4話 僕の妹がこんなに頭がおかしいはずがない

 突き刺さる痛みを発するお尻を押さえながらどうにか立ち上がる。

 1年ぶりにあった実の兄にすることか。これが。

 恨めし気に妹を睨むが、半眼で「あっはっはー」と笑うだけで、効果の程は期待できない。


 中1から中2へ。

 思春期の少女が成長するには十分な時間だというのに、中身も見た目も全く成長していない。フリーダムで、奔放そのものな妹様。

 張った胸はぺたんとしていて、育っていないのは可愛げがあるのだけれど

 と、いうかだ。


「なんでお前が鎖錠さんの家から出てくるんだ!?」

義姉ねえさんちにお尻突き出してた人に言われてもねー」

「そりゃそうだけど……!」

 事実だから言い訳できない。

 だけど、別に好きでお尻を突き出していたわけじゃないのだ。不慮の事故である。


 そもそも、妹が開けたドアにぶつかって倒れたんだから、妹にも責任の一旦があるのに、その態度はなんなのか。『じゃあ、なんでドアの前に居たの?』なんて質問されたら、なにも言えなくなるので文句を言えないのが口惜しい。むぅ。


「で、なに。

 本当に義姉さんのストーキングしてたの?」

「してねーし。つーか姉さんってなに?」

 尋ねるも訊く耳は持たず「やーい、へんたーい」と罵倒されたため、「うるせー!」と子供のように怒鳴り返す。


 ほんと。どうして妹がいるのか。

 北海道から東京まで気軽に来れる距離じゃないだろうに。兄さんなにも訊いてないんだけど?


 だいたい、僕も鎖錠さんの家に入ったことはないのに。

 なんだかお腹の底から妙な苛立ちを覚える。


 すると、

「……どうしたの?」

 と、耳慣れた低音ボイスが聞こえてきて背筋がゾワッとする。

 扉の影から顔を覗かせたのは、会いたかったような、会いたくなかったような。

 正真正銘、間違いようもなく鎖錠さんだった。


 久しぶりに訊く鎖錠さんの声に緊張と安堵の両方を抱いて、顔がこわばるのを感じる。

 なに言おう。再び苦悩が顔を出す。

 けれど、その悩みは直ぐに霧散することになる。

 玄関扉の影から出てきた鎖錠さんが出てくる。顕になったその姿に――心臓が止まるかと思った。


「――」

「……え。

 り、リヒト……あ、いやっ。

 なんで……!?」



 ――メイド服だった。



 しかも、カチューシャを付けたクラシカルスタイル。

 黒と白のフリルの揺れるメイド服は、クールな黒髪美人の鎖錠さんと相性バツグンであった。

 黒薔薇の装飾が添えられたレディースシューズも良く似合う。

 全身メイド服に包まれているが、胸部の主張は健在。衣服の上からでもハッキリと形のわかる乳袋は、脱いだ時とは違うエロスが宿っていた。着衣巨乳神では?


 上から下に。下から上に。

 気怠げなメイドさんを全身舐め回すように眺めた後、視線は整った顔でピタリと止まる。

 薄く化粧をしているのか、唇にはルージュが塗られ、いつもよりも瑞々しく艶めかしい。

 チークが塗られているのか、頬は赤く彩られていき……ん? 進行形?

 よくよく見ると、唇をわなわなと震わせ、今まさに頬に朱が差していくところであった。

 あ、恥ずかしがっているのね。


「いや、あの……鎖錠さん?」

「~~……っ」

 羞恥で肩を震わせる彼女になんと言えばいいのか、半端に伸ばした手では答えは掴めない。


 ので、

「えっと、……似合って、ます……よ?」

「――~~~~……ッッッ!!!?」

 思ったままを口にすると、遂には涙目に。

 エプロンをぎゅぅぅうっと握り締めて俯いてしまう。


 えーっと?

 状況が理解できず、半端に手を伸ばしたまま困惑するしかない。「ひゅ~! た~らし~」と妹が茶化してくるが無視する。うるさい。


 なぜか妹が居て。どうしてか鎖錠さんはメイド服で。

 現状把握に努めようとするも、事実を列挙するほど意味がわからなくなっていく。なんだこの混沌。

 そうして頭を悩ませていると、鎖錠さんは耐えきれなくなってしまったらしい。

 扉の影に戻って逃走を図ろうとするが、「こらこら逃げるなー?」と妹に猫のように首根っこを捕まれ阻まれていた。妹強いな。


「離して……!」

「お断りしまーす」

 ジタバタ暴れて逃げ出そうとする鎖錠さんを引っ掴んだまま、妹は僕を見て快活に笑う。

「まーなんで兄さんがいるのか知らないけど」

「……そりゃこっちの台詞だ」

 完全に鎖錠さんを猫扱いしている妹に小さく動揺するが、言いたいことは言っておく。


 鎖錠さんと妹。

 この二人に接点なんてなかったはずだ。


 妹は1年前まで一緒に住んでいたが、鎖錠さんと知り合いだったなんて訊いたこともない。

 そもそも姉さんってなんだ?

 愛称で呼ぶほど、親しい関係だったのか?

 なんだが釈然としない。ムッツリと口の端が下に向く。


 ただ、妹からすれば下降する僕の機嫌なんて知ったこっちゃないようで。

「丁度良かった」と口にして、空いている手でガシッと僕の肩を掴んでくる。

 逃さない。そう言うように手に込める力は強く、鎖錠猫と同じように捕らえられてしまう。


 逃げる気はないが、その行動に少々嫌な予感を覚える。

 この妹様は、頭が普通の人と違い大気圏どころか、金星辺りまでぶっ飛んでいるので、なにを言い出すか分かったものじゃない。


 子供の頃、お昼のバラエティ番組で放送していた某ネズミの国の特集を観て『わたしもいってくるー』と、お気に入りのウサギリュックを背負って出掛けていって、本当に遊んで帰って来た時には言葉も出なかった。

 おみやげーとネズミのカチューシャを頭に付けられ、放心したのを今でも忘れられない。

 当時、僕が小5、妹小3の時だ。年齢にして8歳。冒険心に溢れた1桁小学生だ。いるかそんな小学生。居たんだけどさ。


 そうしたあたおか頭おかしい前科エピソードが枚挙にいとまがないので、逃げ道を塞がれると余計に身構えてしまう。

 緊張で息を飲む。

 そんな僕とは対照的に、妹は今日の夕飯を頼むような気軽さで、予想通り、頭のイカれたぶっ飛んだことを言い出す。


「引っ越しするから、荷物運ぶの手伝ってね?」

「………………は?」

 …………………………………………………………は?

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