第2話 お隣さんは教室の席もお隣だった件

 2、3、5、7、11、15……素数を数えて落ち着くんだ。あ、5で割れる。

 ベッドに座って手を組み、虚空を見つめて素数を唱える。おっぱいによって削られた理性を取り戻さなくてはいけない。


「……ただいま」

 おかえりと顔を上げたら理性が死んだ。理性くーん!?


 今回は裸じゃない。スウェットを履いているし、チャックの付いたパーカーも羽織っている。

 ただし、チャックはおヘソの上辺りで止まり、今にもまろびでそうな胸が全開だった。つーっと谷間に吸い込まれる水滴が、僕の理性を死体蹴りする。うがー!?


「いや……いやいや!?

 いろいろなんで!?

 シャツも置いてたよね!?」

 新品の。

「着たけど……入らなかったから」

 身体を抱くように腕を動かすと、ふよんっとおもちが揺れる。


 嘘だろ……シャツに入る入らないの概念があるの? 男物やぞ? そんなバカな。

「じゃ、じゃあ、チャックを閉めてないのは……?」

「……閉まらないから」

 腕で胸を支えるように動かすと、チャックが下がって下乳が覗く。

 どんなバケモン飼ってるの君は? I字の谷間が目に毒すぎる。


「なに? こういうのが趣味なの?」

「断じて違います!?」


 好きか嫌いかの二者択一ならば大好きですが、断じて狙ってやったわけではありません! 信じてください裁判長! 僕は無罪です!


 心の法定で無罪を主張していると、「そう」とどうでもよさそうに言いながら、隣に腰掛けてきた。

 ……どうして隣に座ったの?

 ベッドじゃなくても、椅子があるじゃないですか。

 驚いて鎖錠さんを見ると、服の隙間からふくよかな胸の先、あわやピンク色のなにかが見えてしまいそうになり慌てて正面を向く。顔が熱い。


 ほんと、なんなんだこの無防備さは。

 普段はむしろガード硬そうなのに、どうして今日はこうもゆるゆるなのか。

 これが弱みに漬け込むってやつなのかしら? いやいや、ちなうんですちなうんです! 狙ってやったわけじゃないんですあくまで未必の故意で……! あれ? これだと犯罪認めてる?


 おぉう。頭を抱えて懊悩する。

 心の中はグチャグチャでドッタンバッタンしているけれど、室内は静かなモノだった。

 鎖錠さんがただぼーっと座って、なにも喋らないから、僕は口を閉ざす他にない。

 正直、気まずい。自室なのに、居心地の悪さを感じている。

 この際リビングに逃げるか? 一緒にいる意味なくない? 格好も際どすぎるし、むしろ僕が居たら気軽に脱げないのでは(?)

 いかん。頭のネジがピョンピョン飛んでいってしまっている気がする。本能が煩悩で大変なので逃亡するのもやむ無しなのでは? なにがだ。


 結論、逃げようと思って腰を浮かして、ギョッとする。

「……っ」

 なにも喋らず、表情も変えず、鎖錠さんがただただ涙を流していたからだ。

 悲しいとか、辛いとか、そういった負の感情は伝わってこない。涙が溢れた。生理現象のように、眉一つ動かさず涙を流し続けている。


 どうして泣いているのか。どうやって慰めればいいのか。

 女性の泣いている姿なんて目にしたのは初めてで、どうすればいいのかわからず「あ」とか「え」とか意味もない声しか出てこない。頭の中は真っ白だ。

 そこに追い打ちをかけられる。


「……っ、鎖錠さん!?」

 突然、抱きついてきたのだ。

 まるで僕の腰を折らんばかりに、背中に腕を回して力強く抱きしめてくる。

 ぐふ。腹が潰され息が詰まる。同時に、膝に乗っかり潰れるおもちに鼻血が出そうだ。そうか、これがおっぱいか……。


 もはや逃げ出すこともできなくなった僕は、両手を上げて触ってはいませんと、誰とも知れない誰かに無実を証明し続けるしかなかった。


「……私は、違うっ。違う……違う違う、あんな人とは……っ」


 違う違うと、駄々をこねる子供のように否定し続ける少女。

 なにが違うのか。なぜ泣いているのか。どうして、扉の前で蹲っていたのか。

 その疑問の答えは、彼女が握っていた鍵。あの扉の向こう側にあるのだろう。

 けれど、僕にそれを問う資格はない。


 だって、僕はただの隣人でしかないのだから。

 故に、彼女が泣いてしがみつくのを、僕はただ黙って受け入れ、石像になったつもりで固まっているしかないのだ。

 ……決して、彼女の柔らかさを堪能しているわけではありません、まる。



 ■■


 気付けば寝ていた。そして、朝を迎えていた。

 閉め忘れていたカーテン。窓から差し込む朝日が眩しい。

 座った状態からベッドに倒れ込んで寝ていたのか、身体がバッキバキでめちゃくちゃ痛い。

 身体の至る所からゴキボキ鳴り、痛みに涙しながら上半身を起き上がらせる。


「……(ぬぼー)」

 ……昨日、なにがあったっけ?


 眠気が抜けきらない中、記憶を遡ろうとしていると、机の上にメモ紙が乗っているのを見つける。

 意識が定まらないまま、メモ紙に手を伸ばす。……届かない。

 ふぬーっ。ふごー!

 どれだけ手を伸ばした所で届くわけもなく、仕方なく立ち上がる。

 しょぼしょぼする目を擦って、残った手でメモ紙を拾い上げる。

 霞む視界。目を細めて焦点を合わせ――ふっ、と笑みが溢れた。


『お礼は言わない。けど、借りは返す』


 少しは元気になったのかな?

 そうならいいなー。

 ふわふら後ろに下がり、両腕を広げてボフンッと背中からベッドに落ちる。そして、スンッと鼻を動かして顔をしかめる。

 ……甘い香りがする。

 花のような、お菓子のような。けれども、本能を刺激する香りに顔を覆ってベッドの上をゴロゴロ転がる。今日は寝れないかもしれない。



 ■■


 当然のように寝れなかった僕は、学校に登校するや否や机に突っ伏して落ちた。意識が。

 おやむみー。ぐぅ。

 ……――


 ――……?

 真っ黒な世界が揺れ動く。

 黒しかないのに、確かに揺れていると感じる。

 地震かな? そう思ったけれど、どうやら揺れているのは僕の身体らしいと自覚する。

 そして、能動的に揺れているのではなく、肩を揺すられているのだ、となんとはなしに理解した。


 誰かが起こそうとしている?

 クラスメート? 先生? いやまぁどうでもいいけども。

 今日はこのまま寝かせておくれと、睡魔に誘われるまま眠りに落ちようとして――


「起きて」

 

 ――ゴンッ。

 と、頭に強い衝撃が走って、目が覚める。というか、目を見開く。


「いっ、だぁ~~っ!?」

 なになに!? なにごと!?


 金槌で頭を叩かれたような痛みに、頭を抱える。むっちゃ痛い。涙出た。

 意識は完全に覚醒したけれど、状況は全くもって意味不明。

 いくら寝ていたからって、こんな乱暴に起こすような人いたか?

 ぐすぐす鼻を鳴らし、顔を上げて眼前の人物を認識した瞬間、目が点になった。

 もしや、まだ僕は夢の中にいるのでは?

 パチパチと瞬きしながら、僕は夢の住人に話しかけた。


「……コスプレで学校不法侵入はどうかと」

「寝ぼけてるなら、もう一発いく?」

 そう言って、虚ろな目で夢の住人、鎖錠さんが掲げたのは国語辞典……て、えぇ。

「あの、もしやそれで殴ったの?」

「起きなかったから」

 酷くない?

「角で」

「それはもはや殺人事件では!?」

 国語辞典は凶器だよ!?


 狂気の殺人未遂事件にガクブルしていると、彼女は興味なさげに「そう」とだけ言って僕の机に国語辞典を置いた。しかも僕のなのか、これ。


「いや、でもほんとにどうして」

「これ」


 鎖錠さんが掲げたのは、飾り気のない巾着袋。

 なんぞ、それは?

 首を傾げていると、僕の手にそれをちょんっと乗せてくる。


「お弁当」

「お弁当……」


 なるほど。時間はお昼休み。

 言わずもがなお弁当の時間だ。ある意味今の時間帯に最も相応しい物と言える。

 でもなんで僕に?

 顔を上げると、僅かに頬を赤らめた鎖錠さんが顔を伏せる。


「借りを作りたくないだけ。勘違いしないで」


 あぁ。となんとはなしに理解する。

 一昨日、雨に濡れた彼女に、タオルやシャワーを貸したことを言っているのだろう。

 別に貸した覚えはないけれど。まぁ、それはいい。

 理由はどうあれ女の子のお弁当、それも美人さんならば尚更嬉しいものだ。

 そこは素直に受け取るとして、だ。やっぱり、首を傾げざるをえない。


「なんで学校いるの?」

「……本当に気付いてないの?」

 はて? なにに?


 呆れたようにため息を零した鎖錠さんは、隣の席を指差す。

 そこは空席。入学時から姿を見せない、不登校の――というところまで考えて、雷が落ちる。ピカピカと閃いた。

 まさか……。

 鎖錠さんを見ると、彼女は制服に包まれてなお主張する胸の上に手を置く。


「鎖錠ヒトリ。

 よろしく、お隣さん」


 それだけ、と。

 本当にそれだけを言い残して、スタスタ教室を去っていった。

 と、思ったら「あ」と零して、振り返る。

「服、帰ったら返すから」

 ……なるほどなぁ。


 言うだけ言っていなくなった鎖錠さんが居た場所を見つめて、何度も頷く。

 顔の良すぎるお隣さんは実は同級生で、学校の席もお隣さんであった。なるほどなぁ、勉強になるなぁ。


 今の美人誰? もしかして、鎖錠さん? 日向ひなたとどういう関係? お弁当渡すためだけに来たの? おっぱいデカッ! 服返すとか言ってなかった? え、じゃあ……。 付き合ってる? 一緒に住んでる?――


 騒然とする教室。

 気になる、気になる。と、黒い影が僕を囲むように集まってくる。

 折り重なり、濃くなった影の中心で僕は言う。


「おいマジかよ」

 マジかよ。

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