第三十五話 我が侭なあなたを見ている


「やめっ……て!」


 僕の手を弱々しく振り解き起き上がろうとするラパーナ。

 彼女は変わらず目に涙を浮かべながら僕の膝から離れようとする。


「わたしはクリス姉のように簡単にはっ――――」


 しかし、僕は……。


「ひゃっ!?」

「フ、僕はただ撫でてやっているだけだぞ」

「あう……あう……あぁ…………ぁっ……」


 体温でしっとりとしたラパーナのうさぎ耳を撫でる。

 彼女は徐々に脱力していき、飛び起きる勢いを失い僕の膝の上に納まった。


 うむ、やはりいい触り心地だ。

 滑らかですべすべとして、でもふさふさの黒毛は指通りがいい。

 興奮からか少し湿り気があるのも悪くない。


「うぅぅ……やめっ……へっ……」


 おっと撫で過ぎた。

 これでは会話も成り立たないな。


「ラパーナ」

「はぁ……はぁ……はぁ。な、なんで……振り、解けないの?」


 彼女は自分の感情が何なのか理解出来ないといった表情だった。

 僕はそんな彼女に努めて優しく問い掛ける。

 それこそ彼女の心まで繊細に扱うように。


 自分以外のすべてを敵視する警戒を、甘い毒で溶かすように。

 

「ラパーナ、君が追い詰められていたのは知っている。変わっていく周囲についていけなかったんだろう?」

「……当たり前、です。急に変わったなんて虫のいい話、わたしは信じない」

「そうだな。でも君の周りの人間は信じた。信じたいと思わされた。それが嫌だったんだろ?」

「!?」

「どうした? 図星か、ラパーナ」

「……あなたはずるい。クリス姉もヒルデ姉もわたしの唯一の味方だった。それなのにあなたは奪った。わたしの大切な人たちを……奴隷になったわたしにできた唯一のものを!」

「……何故僕が君に無防備な姿を見せたと思う?」


 突然の質問に困惑した表情を見せるラパーナ。

 しかし、彼女も本当はわかっているはずだ。


 前の主ヴァニタスなら決して奴隷に心を許さないと。

 蹂躪じゅうりんしいたげるだけで、寄り添うことも、信用することもないのだと。

 ましてや、最もお気に入りなクリスティナでない奴隷ラパーナなど、珍しい黒兎の獣人だとしても手を出されない程度の価値しかないと。


「…………」

「ぶち撒けさせるためだ」

「え……?」

「ラパーナ、君は自分の感情を内側に溜め込み過ぎている。自分の価値を信じられていないんだ。何もかも悪い方へと考えてしまう」


 ラパーナを卑屈な引っ込み思案な性格に変えたのはヴァニタスだ。

 そのうえで、それを知ったうえで僕はいう。


「ラパーナ、もっと我が侭になれ」

「我が侭……」

「僕にはすべてを曝け出していいんだ。悲しみも憎しみも怒りも喜びも……持っている感情をすべてぶち撒けていいんだ」

「そんなこと…………いいの?」

「ああ、僕は君の主だ。奴隷ラパーナのすべてを受け止められるぐらいでないと君に相応しくない」

「……」

「そして、君がいうように僕はずるい奴なんだ。クリスティナもヒルデガルドも……僕を殺そうとした君ですら欲しいと願う我が侭な奴なんだ」

「!?」

「ラパーナ、君には価値がある。僕がそれを認めよう。だから僕にだけは見せてくれ。君が何に喜び、何に悲しみ、何に怒りを抱くのかを……僕はそれが知りたい」

「うぅ………あぁ…………ご主人様……」


 静かに嗚咽を漏らすラパーナの涙の意味は変わっていた。


 僕はそう信じた。






 大人しくベッドに横たわるラパーナ。

 抱えていた感情を曝け出し、すっかり落ち着いた様子を見せる彼女は、もう今夜は僕を目の前にしても取り乱すことはないだろう。

 そんなどこか燃え尽きたような彼女に僕は告げる。


「うむ、僕の首を締めた罰だ。今日は僕を抱き締めて寝ろ」

「はぁ!? いや、そんな……」


 目を白黒されて驚くラパーナ。

 これぐらいで許そうというんだ。

 寧ろ普通の奴隷なら泣いて喜ぶはずだぞ。


 ……まあ、僕が半ば誘導した結果なのだけど。


「フ、我が侭をいうお手本みたいなものだ。今日ぐらいはいいだろう? 何せ僕の首を――――」

「わ、わかった。……んっ……これでいいでしょ」


 だが、ベッドで添い寝して貰ったまでは暖かい感触がして良かったのだが……。


「あなたのせい」


「……眠れない」


「子守唄」


「ねえ……寝たの……」


「お話……」


「ちょっと……寝ないで」


 朝までこんな調子で耳元でささやくのはやめて欲しい。

 我が侭になれとはいったがこんなに順応が早いとは。


「くぅーー、くぅーー」


 それでいていつの間にか自分だけ寝息を立てて眠っているのだからこっちが驚かされる。


「気持ち良さそうに寝てるな……」


 ラパーナの寝顔を眺めながら僕はもう一度眠り直した。


 朝食は諦めるとしよう。






 後日ラパーナはクリスティナに内々で呼び出されることになる。

 彼女のご主人様であるヴァニタスにも、奴隷仲間のヒルデガルドにも内密な会合。


 クリスティナは神妙な面持ちでラパーナに話し掛けた。

 その様子はとても言いにくそうで、クリスティナには珍しくモジモジと両手の指を突き合わせる煮え切らない態度だった。


「ラ、ラパーナ……主様に寝室に呼ばれるなど……その…………実際どうだったんだ? 私はそういったことに経験がないから」

「………」


 この時ラパーナが『駄目だコイツ、早くなんとかしないと』と思ったかは定かではない。


 しかし、クリスティナは変わってしまったと、ヴァニタスに嘆くのは遠い未来のことではないだろう。


「クリス姉はあんなにポンコツじゃなかった! 責任とって!」











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