TS令嬢、追放先から都に戻る②
キャベツを洗ってざくざく切る。少し粗いぐらいが個人的には好みだ。下処理をした豚肉に卵液とパン粉をつけて軽く落とす。
「結婚した時期も近かったけど、まさか二人同時に妊娠するとは…」
油の中に潜った豚肉は、じゅわわと音を立てて気泡に包まれる。
「エレン。相変わらず料理が上手なのね。とっても美味しいわ」
たれ目の方がエイプリル。マクラーレン家の長女。性格はおっとりしていて優しいが結構頑固。地主の跡継ぎとお見合い結婚。
「自分で作るの面倒くさくない?料理人に頼んじゃった方がいいと思うけど」
つり目の方がスカーレット。マクラーレン家の次女。言動は少しきついが面倒見の良い姉御肌。幼馴染みでもあり婚約者でもあった老舗のホテル経営者と結婚。
「作るのが好きなんだよ…」
そして二人の前で小さな声を出すのが俺、エレンである。マクラーレン家の三女。ご存じの通り結婚はしていない。
都でも評判の美人三姉妹が揃った久方ぶりの楽しい食卓の時間。和やかな雰囲気の中、エイプリルが美しい所作でフォークを置いた。笑顔で口を開く。
「で、私達が怒ってる理由は分かるわね?」
「はい…」
そして世の弟が軒並みそうであるように、俺は姉達のことが怖い。エイプリルは微笑みの裏に静かな怒りを携えて、俺を糾弾する。
「女性に嫌がらせをするなんて…あなたがそんなことをする筈がないから、濡れ衣だってことはすぐに分かってたの。だからきちんと話そうと思ったんだけど、あなたはすぐに出ていってしまうし」
「追放で父さんの人間関係にも私達家族の仕事にも影響ないように裏で手を回してたみたいだし。調べたらエイミス地方の家も土地も事前に買ってあったみたいね」
スカーレットにじろりと睨まれて、俺はますます小さくなる。
「だって…結婚したくなかったし…あいつ馬鹿だし…」
俺の告白に、彼女達は口に手を当て顔を見合わせた。
「少し頭が足りないぐらいが手綱を握れてちょうど良いのに…」
「馬鹿なイケメンなんて最高なのにね」
「止めて」
そう。当然のことながら、奴との婚約は本意じゃなかった。今は亡きこっちの母さんの遺言だったから、仕方なく、本当に仕方なく婚約をしたのだ。
「貴女は昔からお母様には弱かったものねえ。出て行ったのも、お母様との死別が理由?」
「べ、別に再婚した父さんを責めてる訳じゃねえよ。相手も良い人で、家に居ても良いって言ってくれてたし」
スカーレットが、はあとため息をつく。
「まああんたって昔から変わってたもんね。宝石にもドレスにも社交界にも興味なし。不思議な料理ばっか作って」
「山奥で独り暮らしなんて、一ヶ月もすれば絶対に音を上げると思ってたのに、一向に帰ってこないんだもの」
「うう…けっこう居心地がよくて…」
ひたすら小さくなりいよいよ見えなくなってしまいそうだ。そんな俺を見て、エイプリルが微笑んだ。
「手紙と雑誌だけだと本当に大丈夫なのか心配だったけれど…ちゃんと元気にやっているなら良かったわ。これなら安心ね」
「え…」
その言葉に、思わず顔を上げる。目が合うとスカーレットがくすりと笑った。
「何驚いてんの?連れ戻されるとでも思った?」
エイプリルがそっと口を挟む。
「勘違いしないはしないで。独り暮らしは危ないから、これまで以上に気を付けて欲しいの」
「心配してんのよ。アンタ人に甘えんの苦手だし、何でも自分で解決しようとするし」
そこで言葉を切り、スカーレットが俺を見る。その目はとても優しい。
「でも、どんなアンタでも私達の可愛い妹だもの」
「やりたいことを応援したいのは当然でしょう?またこの子達が生まれたら、一緒に遊びに行かせてね」
そう言って、大きくなったお腹をぽんと叩く。俺の手に触れ、二人して微笑んだ。
「大切な家族なんだから」
「姉さん…」
置かれた手は温かい。二人の表情に、母さんの面影が重なる。
「私たちも今日はこの家に泊まるから。夜までじっくりお話聞かせてね」
「あ。そういえば、あんたのエッセイ、最新記事読んだわよ」
スカーレットのその言葉に、ぎくりと心臓が鳴る。エイプリルが頷きながらにこやかに続けた。
「怪我をした犬を拾って飼い始めたんでしょう?素晴らしいことだわ。次におうちに行く時に会えるかしら」
「あ、ああ。まあ、いつかね…」
とてもではないが真実は話せないと判断し、ぼかしておいた。
「お、本格的に降ってきてる」
雨の日は喉が乾く。とうに日も暮れ、真っ暗な窓の外は土砂降りだ。水を飲みにベッドから起きてきた俺は、廊下をのろのろと歩く。
(てっきり連れ戻されるんじゃないかと思ってたけど…杞憂だったな…)
あれから新生活のことを根掘り葉掘り聞かれはしたが、エイプリルとスカーレットはあれ以上何も言ってこなかった。俺が楽しく暮らせているなら良いとの言葉は、嘘じゃないんだろう。
「雨か…」
そうなると俺の心配事は別に移る。
「家の畑は一段落ついたし、編集のお兄さんに鶏とヤギの様子を見てもらうようお願いしたからそっちは大丈夫だろうけど、ジュードがなあ…」
当然、今回の帰省に彼は連れてきていない。一人家に残してきたが、何せジュードである。心配すると言うものだろう。俺がいなくてもちゃんと飯食ってるかとか、ちゃんと毎日風呂に入ってるだろうかとか、犬が苦手な編集のお兄さんを襲わないかとか。いや、そもそも手当たり次第喧嘩売ってないかとか。
「……」
想像してどれもあり得そうな未来に、考えるだけでもドッと疲れた。俺はげっそりしながらキッチンの扉を開ける。
「ま、まあ考えても仕方ない。帰った後の謝罪行脚用に菓子折りでも買って帰ろ…」
「おい。飯」
「ああ。昼に揚げたトンカツの残りがあるぞ。それを卵で綴じれ、ば…」
まるで時間が止まったかのような沈黙が訪れると共に、俺の手も止まる。水差しから移していた水が、グラスから溢れた。
「ジュード!?!?」
そこにいたのは他ならぬ我が家の心配事であった。
「お、お前…!家で待ってろって言っただろ!?」
若干パニックに陥りながら叫ぶと、ジュードは心外そうに片方の眉を上げる。
「あ?だから待っただろうが。昼飯まで」
「半日!!」
あまりの堪え性の無さに純粋に驚いてしまうが、そこではたと気が付く。
(ど、どうやって入って…い、いや!それどころじゃない!)
改めてジュードを見る。体や顔に付いた古傷。ガラの悪さ。そして醸し出す異様な雰囲気は、明らかに堅気の人間ではない。
「こ、こんなの姉さん達に見られたら大変なことになる…!」
さあっと血の気が引く。エイプリルもスカーレットも、今日は家族水入らずだと言って旦那の待つ家に帰らず、実家であるこの屋敷に泊まっている。
そして二人とも温室育ちの完全なるお嬢様。こんな得体の知れない男に対する耐性など当然ない。話したことはおろか、見たことがあるかすら怪しいところだ。
「とりあえずこの家を出るぞ!ほら!こっちってうわっ!なんだこりゃ!」
ジュードの腕を掴んだ瞬間飛び上がる。冷たい感触に飛び散る大粒の水滴。俺が驚いた理由は、彼がビッショビショだったことだ。よく見ると全身から水が滴っているその姿に、外は大雨だったことを思い出す。彼の足元にも大きな水溜まりができているし、このまま戻るのも進むのもまずい。
「まっ、待て待て待て!それで行くな!着替えろ!」
大人しく俺の指示通りに玄関へ向かおうとする背中を止める。俺はトンカツを取りに行きつつやるべきことを指折り数える。
「え、ええと。とりあえずこの近くで宿探さなきゃ。ただ姉さんの旦那のところのホテルだけは避けて…」
「腹へった」
「あ、ああ。分かったから。そうだ。バラデュールと違って獣人出禁の店も多い。まずそっちも平気か確認しないと…」
「早くしろ」
「わ、分かったから待てっ、て…」
言いながら俺は振り向いて固まる。一拍置いて飛び上がった。
「ギャーッ!なんで裸なんだよ!」
「あ?お前が脱げって言っただろうが」
こうと決めたら動きがとにかく素早いジュードは、既に全ての服を脱いでいた。
「着替えろって言ったんだよ!全裸になれとは言ってねーよ!服持ってくるからとりあえず拭いて待ってろ!」
叫ぶように言ってタオルを押し付ける。しかし俺が手にしていたトンカツを見た瞬間、ジュードの目の色が変わった。
「先に食わせろ」
「ちょ、押すな、わ、」
分厚い胸板に押されて、体勢を崩す。俺の体がジュードとキッチンの台に挟まれて、身動きが取れない。そんな状況下で、最悪の展開は訪れた。
「エレン?夜中に騒いでどうしたの?」
「うるさいなあ。ただでさえもお腹のせいで寝づらいんだなら。静かにしてよ」
眠い目を擦りながら、エイプリルとスカーレットが現れたのである。
「「「っ…!!」」」
その瞬間、空気が凍りついた。完全に時が止まる。そしてその中で一人だけいつも通りの人間がいた。ガブリとトンカツを咥え、声のした方を見る。
「あ?誰だ?」
それと同時に、彼の腰からタオルがはらりと剥がれ落ちていった。
「まあ…!」
「これは…」
目を覆うことも忘れたエイプリルとスカーレットからは、嫌な感嘆詞が漏れる。その間、俺はただただ絶望に包まれていた。
前半までのあらすじ:地獄。
本降りだった雨が小雨へと変わった。静かになった外とは反対に、室内にはがつがつ掻き込む音が響く。机には本来であれば大人数で取り分けるような丼から、カツ丼を一心不乱に食べるジュードの姿。
「「で」」
その隣で、俺は姉達からの一言にびくっと震える。
「二人はどういう関係なの??」
まず口を開いたのはエイプリル。優しげな目元とは裏腹の鋭い眼光をあまり見ないようにしながら、俺は慌てて首を振る。
「な、何でもないよ。ただの知り合いで…」
「夜中に裸で抱き合っておいて何でもないことないでしょ!」
俺のなけなしの反論をピシャリと跳ね除けたのはスカーレット。
「裸なのはこいつだけだったよ…」
小さく呟くが、二人には通用しない。俺はそっと促す。
「二人とも妊婦なんだから、今日は早く寝た方が…」
「こんな状況で眠れるわけないでしょう」
穏和なエイプリルにさえそう切り捨てられてしまってら、俺の心も折れると言うものだ。
「おい。まだ帰らねえのか?」
そしてこんな状況下でも、当事者である筈のジュードはのんきなものだ。口元に大量のご飯粒をつけながら、俺に向かって淡々と口を開く。
「お前がいないと腹が減る。その辺の奴と喧嘩しても、家に来た奴を襲ってもつまらねえ。風呂に入らなくていいのは楽だけどよ」
「お前…」
俺が想像していたことを全部やり遂げようとしている様子に思わず呻き声が漏れる。しかしそれを聞いていたエイプリルとスカーレットが食い付いたのは別のところだった。
「一緒に住んでるの…!?」
スカーレットが慎重に口を開く。
「それって恋人ってこと…?」
「え…?い、いや。ちが、」
「この子ったら大丈夫?せっかく可愛らしい顔なのに、香水の一つも付けなくて…」
俺の言葉を遮って、エイプリルが心配そうに口に手を当てる。その言葉を受け、ジュードは首を捻った。
「臭いのは好きじゃねえ」
そして何とはなしに口を開く。
「夜抱き心地が悪ぃだろうが」
「キャーッ!」
室内に悲鳴が上がった。俺は慌てて話に割って入る。
「ちっ、違う違う。これはこいつが無理矢理ベッドに潜り込んでくるからであって…」
「む、無理矢理…!?」
エイプリルが驚愕の表情を浮かべる前で、ジュードは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「あ?お前が抵抗するからだろ。黙って俺に抱かれればいいだろうが」
「だ、抱かれ…!?」
今度はスカーレットが息を呑む。ジュードを黙らせるために慌てて味噌汁を差し出すと、彼の興味はそっちへ移った。そして同時に、俺の背中には大量の汗が迸る。
(め、めちゃめちゃややこしいことになってる気がする…)
エイプリルとスカーレットの表情を見るに、とんでもない勘違いが生まれている可能性が高い。
「こ、これはただ寒がりのペットが飼い主の布団の中に入ってくるって話で…」
「ペット!?あなたこの男のペットなの!?」
「っ…!?」
必死のフォローも、何故か火に油を注いだだけであった。エイプリルとスカーレットは手を取り合い、慌て出す。
「なんてこと!新しい土地で幸せにやってると思っていたのに、とんでもない事態になっていただなんて…!心配だわ!」
「山奥の密室で毎日こんなことやそんなこと、最終的にはあんなことまで…!?」
一体何を想像しているのか、二人の顔は赤くなったり青くなったりしている。
「ちょ、ちょっと待って、」
「貴女が幸せに暮らしているのなら口を出すまいと思っていたけれど…大切な妹が野蛮な男の慰みものになるのを黙って見てはいられない!」
「な、慰みものになんてなってな、」
「こうしちゃいられないわ!」
意を決したように、二人は立ち上がる。
「「何としても別れさせなくちゃ…!」」
決意するや否や、俺達そっちのけで姉妹会議をはじめてしまった。
「終わったのか?」
隣で、巨大な丼を綺麗に空っぽにしたジュードが首を捻る。
「双子の姉を持つと口を挟む暇ねーよ…」
そして俺と言えば、がっくり机に肘をついて顔を覆った。
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