TS令嬢、追放先から都に戻る③


白身魚のポワレ。大きなお皿の中心には完璧な角度で切られた魚。周りのソースは芸術的な曲線を描く。バスケットに積まれたパンはどう足掻いても素人には再現できない柔らかさ。


(落ち着かない…)


クイーンビーの一等地にあるレストラン「エレオノール」。数多の美食家を唸らせた一流の料理と洗練されたサービスが売りの会員制レストランだ。


今はピアノが鎮座するステージは、夜はプロの歌手の歌声が披露される。素敵な空間にいることは間違いない。しかしながら見るだけで緊張する料理も優雅な空間も、久々すぎて感覚がついていかない。途端に家が恋しくなる。


「エレン。あなたが都に戻れない理由は二つあると見たの」


そして目の前には、昨日の悲劇から一夜明け俺をここに呼んだエイプリルとスカーレット。生粋のお嬢様である彼女達にはこの空間がよく似合う。二人は指を折りながら先を続ける。


「一、広まった悪評のせいで社交界に戻れない」

「二、ろくでもない男に嵌まって抜け出せない」


二人から提示された疑惑に対し、俺は小さな声で真実を口にする。


「三、そもそも興味ない…」

「そこで私たち考えたわ」


だがしかし二人は聞いちゃいない。大切な妹が野蛮人の慰み者になっている、と信じているこの状況を打破せんと、策を語る。


「この二つの問題を解決する方法はただ一つ。ある人に協力を依頼することよ」


その一言に俺の背筋を何かが走る。それは当然、嫌な予感だ。


「ま、まさか…」

「エレン・マクラーレン!」


大きな声と共に、レストランのステージに明かりが灯った。明かりの中央に、何やらポーズを取り登場する人影。


その人物はそのまま、厚めのマントを翻すようにして、ステージから下りてきた。頬を染める女の子達に軽く微笑み、護衛を引き連れレストラン内を練り歩く。そして最後に足を止めたのは、他ならぬ俺の目の前だ。


「すまない。待たせてしまったな」


言いながら、俺の手の甲にキスを落とす。


「エレン」


角度をつけ微笑む彼を見ながら、俺の口からはぽろりと溢れる。


「クライド…」


そこに居たのは、クライド・スターリングその人であった。


「お前すごいな…」


そして俺としてはあれほどの恥辱を晒しながら尚も格好良さげに登場できる鋼の自己肯定感に賛辞を送ったのだが、クライドには伝わらなかったらしい。


「寂しい思いをさせたな。エレン」


微笑みは至って爽やかで自信満々である。しかしジュードのことを思い出したのか、さすがの彼の表情も曇った。


「私の力が及ばないばかりに…すまなかった。たとえ相手がどれだけ卑怯な手を使ってきたとしても、スターリング家は誇り高い。潔く認めよう。君を賭け奴に負けたと」

「別に卑怯じゃなかったし、勝手に俺を賭けるな」

「深い絶望に落ち、そして私は思った」


俺の至極真っ当な突っ込みも無視し、クライドは胸に手を当てる。これ以上なく堂々と宣言した。


「私には顔があると!」


その一言と同時に、周囲にいた護衛がクライドの周りに花吹雪を飛ばす。場を静かなる沈黙が支配した。


「……」


俺は黙ってエイプリルとスカーレットを見やる。彼女達は苦悶の表情を浮かべ何事か大いに葛藤した後、苦し紛れに絞り出した。


「それでも野蛮人の慰み者になるよりは、バカの方がマシよ…!」


単細胞呼ばわりされていることに気が付かず、クライドは髪を掻き上げた。俺の真横、机に手を突く。


「やはりこの地は私の主戦場に相応しい。本来の魅力を前に、私に惚れ直すだろう?エレン」

「それはないけど…」


クライドの母ちゃんはべらぼうな美人だ。人妻かつ母親であることが分かっていても、誰しもがその美しさに心奪われるぐらいには。そして確かにクライドはその血を引いた。


一見女性と見紛うような、線の細い中性的な容姿。普通の人間なら悪目立ちしそうな白と金中心の服装も、彼にならよく似合う。これまた母親譲りの美しい形の眉毛を寄せて、クライドは辺りを見回した。


「それにしてもあの獣人はどこだ。僕に恐れをなしたか?無理もない。あんな野蛮な容姿の男。都にもこの場所にも不釣り合いだ」

「顔に関してはあんまり張り合わない方が…」


俺の忠告に、クライドは片方の眉を上げる。


「なんだエレン。君は優しいな。容姿で優劣をつけないのは君らしいが、顔面が人間の魅力の一つであることは人類の歴史を見ても明らかだ。少なくとも、あの汚らしい獣人を捨て私を選ぶに十分すぎる理由になる」


クライドはうっとりと息を吐いて俺の手を取った。


「私達の子供なら天使に違いない」


俺がその手を叩き落とそうとした瞬間、ふと影が落ちた。


「おい」


怒気の籠った声が降ってきて、そちらを見る。


「あ。ジュード」

「っ…!?」


そして俺と同じように顔を上げたクライドは言葉を失った。その隙に俺は思い切り手を叩いて落としておく。


「っ!?…!?」


結構強めにはたいたのだが、クライドはそれどころではない。声にならない声をあげ、口を開けたり閉めたりしている。


無理もない。殺伐とした雰囲気やガラの悪さが先行して気付きにくいが、元々ジュードは相当な美形である。高い鼻筋にはっきりした目元。目を引く派手な顔立ちが、前髪を上げたことでよく見える。


それに加え上背があり体格も良い為に、今も現役で洒落ている父さんの若い頃の服がこの上なく似合う。本人は窮屈そうに顔をしかめてるけど。


「……」

「な、なんだよ…」


ジュードが俺の顔を覗き込んできた。じっとこちらを見つめて口を開く。


「妙な格好だな」

「お前に言われたかない…」


そう溢す俺の服装もいつもと違う。髪を綺麗に結い上げ、裾の広がったワンピース。


「こんなところ、さすがにいつもの服装じゃ来られないし…俺としては連れていく場所が場所だからって少し手を加えただけなんだけど…」


言いながら、ずいぶん煌やかになったジュードを見やる。人畜無害そうな美少年よりも、ちょっと危険な香りが漂う男前に惹かれがちなのはどこの世界も変わらないらしい。さっきまでクライドを見ていた女の子達は、今はジュードに夢中だ。


顔の美醜如きで人の価値全てが決まるとは到底思えない。需要はどこにでもあるものだし。しかし他ならぬその顔で勝負がしたかった奴とって、ジュードの顔面は十分な説得力があったらしい。クライドは灰と化している。


「っ…!?」


そして昨日とは打って変わって身なりを整えたジュードの姿に、エイプリルとスカーレットも面食らっている。スカーレットがキッと俺を睨んだ。


「顔だけで男を選ぶと後悔するわよ!」

「選んでないし…」


冷静に突っ込む俺の横で、ジュードは普段縁の無い服を着せられてご機嫌斜めだ。耳を倒してウーと唸る。


「腹へった」

「ああ。今日のごはんは美味しいぞ」


ここへ来て、確かこのレストランはスターリング家の系列だったと思い出す。クライドにツケればいいと判断し、俺はジュードにパンを渡しメニューの端から端まで追加で注文する。


「もう今日これだけなら、ごはん食べて帰るけど…」


小さなパンが一口で消えていく様を視界の隅に捉えながら、俺はエイプリルとスカーレットを見やる。エイプリルの眉が困ったように下がった。


「違うのよ。呼び出したのは彼じゃなくて…」

「ま、まだだ!」


そうこうしている内に、クライドが持ち直した。ジュードに向かって口を開く。


「顔面は僕と同等程度であることは認めてやろう!ならば次は教養で勝負だ!」


だいぶプライドを捨てた発言が飛び出した。俺は半ば呆れながら、彼の奇行を止めるべく声を発する。


「あ、あのなあクライド…」

「その辺にしなさい」


突然降ってきたのは、全く別の第三者の声だった。落ち着き払った声色。その声の主を見て、息を呑む。


「っ…!」

「ち、父上…!」


呟くクライドを横目に、男はエイプリルとスカーレット、そして最後に俺を見る。


「待たせたね」


整えられた白い髭。杖の装飾は銀の鷲の紋様。身に付ける物は全て一流のそれ。


アーロン・スターリング。クライドの実父であり、俺の義父になるはずだった男だ。

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