TS令嬢、追放先で街に行く。
ラフォン王国エイミス地方。とある山奥に小さな一軒家が一つ。今日も今日とて自家製パンの甘い香りが立ち上る。
「あ~…今日も良い天気だなあ」
おかずは昨日の残りである豆のスープ。既に豆は殆ど溶けていて、それがまた良い味を出している。
「やっぱり欲しいなあ、石窯」
手元のパンをちぎりながら呟く。これはフライパンで焼いた手製のパンだ。
「これはこれで美味しいんだけど、やっぱりちょっと物足りないって言うか、田舎暮らしたるもの、かまどは憧れるって言うか…」
そんなことをぼやいていると、部屋にコンコンと小さな音が響く。つられて窓を見れば、俺の持つパンを注視する小鳥達の姿。笑って窓を開けてやる。
(なんて充実した朝なんだ…)
俺が撒いたパンくずに嬉しそうに集まる小鳥達を見ながら、感慨に浸る。そりゃこっちの世界じゃ令嬢だった訳で、クイーンビーに居た時だってそれなりの暮らしをしてた。けれど自ら設計した家、自分で作った食材や料理に囲まれた暮らし、誰にも急かされることのない時間は、金には代えがたい。俺はしみじみと挽きたての珈琲に口をつける。
(今日は何をしようかな…)
飼っている鶏やヤギの世話、畑の管理は当然として、今日は天気が良いから、魚を釣ってきて干してもいいだろう。
(あ、そういえば今日は原稿の校了日…)
「ギャー!」
平和な朝につんざく悲鳴。窓枠に集まっていた鳥達はバタバタと騒がしく場を後にする。
「……」
一度は聞こえなかったふりをしようとしたのだが、そうもいかず俺はおもむろに立ち上がる。続く言葉は決まっている。
「コラァジュード!」
先程の平和が嘘のような叱り声が響く。
「人を襲うなって言ってるだろ!」
悲鳴を聞きつけ駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、泡を吹いて倒れているお兄さんと、その上に乗るジュードの姿であった。何があったかは一目瞭然。
「こんな山奥まで来てくれる編集さんは貴重なのに!」
さて。現時点で俺の収入はただ1つ。それが雑誌で連載している記事の原稿料だ。
出版社としては、都の社交界を追い出された令嬢の恨み辛みを書き連ねた暴露記事を期待していたようなのだが、残念ながら俺にそんなネタはない。と言うわけで俺が書いたのは田舎でなんちゃって自給自足を行うエッセイ。編集長は「これじゃない!」と憤慨していたらしいが、それでも都会暮らしの貴族連中にはウケるようで、地味だが安定した講読者を維持している。
「はー…。幸い怪我はなくて良かったけど…いきなり襲われて怖かっただろうな…」
意識を取り戻した編集の兄ちゃんは、原稿を受け取った瞬間脱兎のごとく逃げていった。そういえば担当就任直後の挨拶で、犬が苦手なんですと言っていたことを思い出す。
「悪いことし、た…」
思わず反省しかけた俺の目に入ってきたのは、鍋を両手で持ち、派手な音を立てて豆のスープを啜るジュードの姿。思わず俺の顔から表情が消える。
「そもそもの話をしていいか?」
そう言って、とりあえず鍋から直接摂取するのを止めさせる。お椀とスプーンを持たせると、だいぶ嫌な顔と舌打ちが返ってきた。そんな彼への怒りを抑え、俺は言う。
「お前…なんでまだいるんだよ…!」
ジュードが意識を取り戻してから早1週間。何故か、彼はまだ居た。
「また筋トレしてたのか?自由な癖に、そういう日課は忘れないんだな…」
そして野生の狼よろしく、彼の日課は庭先や山を駆け回ることだ。何をしてるのかたまに血をつけて帰ってくるし。おそらくその帰りに、編集のお兄さんとかち合ったのだろう。編集のお兄さんからしてみれば不幸としか言えない偶然に同情していると、ジュードはフンと鼻を鳴らして言う。
「俺が自由に生きるためだ」
「はいはい」
強制的に始まった謎の共同生活。良いことも無くはない。彼がいるだけで獣除けのような役割を果たすようで、鶏や畑に猪や狼が寄り付かなくなったのは助かる。
しかし助かっているのはその点だけだ。俺からしてみれば意味が分からない。優雅な独り暮らしを楽しんでいた筈なのに、突然棲み着いた狼は人を襲うし、大食漢だし、そして言うことを全く聞かない。
「もう限界だ…!」
ジュードは俺が渡したスプーンとお椀を放り、ゴッゴと音を立てながら鍋を啜っている。さっきと何ら変わらない光景を前に、俺は勢いよく口を開いた。
「ここに居るんなら条件がある!」
「あ?」
ジュードは何故か額にまで赤い汁を付けながら、こちらを見る。今日で限界を迎えた俺は、はっきりと宣言した。
「お前にも働いてもらうからな!」
エイミス地方バラデュール。元々貿易が盛んで旅人の多いこの地方の拠点の一つ。必要なものはそこそこ揃う小都市だ。
「見えるか?」
そして俺の家から最も近い町でもある。様々な人種が行き交う大通り、レストランに囲まれるようにして建てられた小さな出店が一つ。
「バシュレ精肉店。肉はどれも新鮮でめっちゃ美味しい。その上安い」
山から連れてきたジュードに、俺は力説する。
熱くもなるだろう。これまで投資で貯めた貯金と婚約破棄の際に渡された手切れ金、そしてほんの少しの収入で食い繋ぐ生活している俺にとっては、安くておいしいと言う事実は大変にありがたい話なのである。
「ただ問題は…本来業者に卸してる店だから、少ない量を売ってもらえないってこと」
カウンターには、骨が付いたままの巨大なモモ肉がどっしり乗っかっている。あれが最低単価だ。
「そこでお前にやってもらいたいのは…」
「分かった。あいつを殺せばいいんだな?」
ジュードからご機嫌な提案が出た気がして、一瞬時が止まる。
「…は?」
ふと顔を上げれば指を鳴らしながら歩いていこうとしている。その目線が捉えているのは肉屋の店主だ。
「まっ!待て待て待て!」
とんでもない未来が見えて、慌ててジュードの前に回り込んで彼を止める。だが実際俺の力なんかで押し返せる筈もなく、彼の歩は止まることがない。
「あ?あいつを殺してちょうどいい量奪うってことじゃねえのか?」
「誰が少ない量の肉を手に入れたくて人を殺すんだよ!俺を何だと思ってんだ!」
肉屋のばあちゃん店主は、起きてるんだか寝ているんだか分からない表情で日向ぼっこをしている。ほのぼのした光景が惨劇へ化すことを防ぐべく、俺は慌てて引っ張り出す。
「お前に頼みたいのはこれ!」
俺が取り出したのはクソでかいリュック。以前から俺が使っていたものを一回り大きくした。
「荷物持ちだよ!」
単なる荷物運びと侮るなかれ。畑と家畜、釣りなんかである程度の食糧は何とかなるとは言え、所詮は趣味の域を出ない自給自足生活。安定した供給は期待できない。文明に慣れきった体の俺が快適に暮らすには、山奥にあるものだけじゃ当然賄いきれないのだ。
つまり、たまに街へ下りて物資を補充する必要がある訳だが、これがどうして儘ならない。いかんせん距離があるし、経路は殆ど整備もされてない山道が殆ど。前世ならばいざ知らず、現在いたいけな美少女である俺が一度に運べる量には限界がある。必要最低限の日用品や調味料だけで上限を超えてしまうことも珍しくなかった。
「まあ本当は…荷物運び用にってロバを飼ってたんだけど…発情期に野生のメスペガサスを追いかけて行方不明になっちゃって…」
彼に付けた名前は
仔ロバの時からけっこう可愛がって育てたのだが、メスペガサスを一目見た瞬間、彼はそのことを忘れてしまったようだ。やめろその女はお前の手には負えない!と俺の必死の説得も空しく、彼は全速力で行ってしまった。
「男なんて本当バカだ…。めちゃめちゃ無視されてたしどうせフラレただろうけど…元気かな…」
ロバートとの日々を思い起こし一通りしんみりした後で、俺は目の前の居候に向き直る。
「バシュレ精肉店も普段なら諦めてるところだ!だが今日はジュードがいる!暇と体力をもて余したお前がな!」
意気揚々とジュードを示す。俺の話を心底興味なさそうに聞いていた彼は、最終的に至った結論を口にする。
「あ?つまりロバを殺せってことか?」
「お前…ロバより力持ちだな…」
「あ?」
獣人であることも、一人でクライドの親衛隊を倒したことも、毎日鍛えているのも伊達ではない。米や小麦粉、調味料に日用品、先程からジュードの背負うリュックに詰め込めるだけ詰め込んでいるのだが、彼の体の軸がブレることはない。
「早くしろ」
しかし難点は待たされたり人の言うことを聞くことに、彼はほんの少しも耐えられないことだ。先程から機嫌は相当悪い。
ジュードを待たせている町の広場からは完全に人が消えている。家から用意してきた焼おにぎり(味噌)で気を引きつつ、俺は最後の用事を口にする。
「あと珈琲豆も買ってくるから待ってて!」
「ああ?」
彼の怒りが爆発する前に、俺は慌てて路地に入る。
人の往来のある大通りから外れた路地の一角に、知る人ぞ知ると言った様相の小さな店がある。この町一番の規模を誇る宿屋の裏側に隠れるようにして、ポツンと建てられた小洒落た喫茶店が
「一から豆を育ててみたり、たんぽぽ珈琲とか色々試してみたけど、結局味は専門家には敵わないんだよなあ」
ぼやきながら、今日のおすすめの珈琲豆をいつもより大きな袋で頼む。ご機嫌で提供を待つ俺に、不意に影が落ちた。
「よおトーリ」
「…よお」
声をかけてきたのは大柄な男。さりげなく一歩引くが、彼はその距離を無遠慮に詰めてくる。
「窯を欲しがってるって聞いたぞ」
名前はジョス。町に下りてくる内に知り合った。バラデュールの工務店で働いているらしいが、一方で粗暴な言動が目立つ厄介者でもある。で、そういう奴は総じて同じような輩と徒党を組むものだ。今も、仲間らしき連中が店の奥からニヤニヤ笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「ほら」
美少女となった俺を前に、ジョスはカウンターに金を出す。くしゃくしゃの紙幣を俺の前に滑らせた。
「俺に頼めばタダで作ってやるぜ」
男だった時は、生まれ変わったら美少女になりたいと常々思っていたものだが、意外と楽しいことばかりじゃない。
その最たる例がこれだ。いらん奴にいらんスケベ心を抱かれる。男の時は幸か不孝かそういう機会に恵まれず気が付かなかったが、露骨な下心を向けられるのはなかなか不快なものだ。
「奢られるのは好きじゃないんだ。珈琲代も自分で出す」
俺はピシャリと断って、金を彼の方へと突き返す。
「つれねえなあ。知り合って結構経つのに、家も教えちゃくれねえ」
「教えるわけないだろ…」
腰を引き寄せようと伸びてきた手を軽く叩く。なおも迫ってこようとする体を抑え、俺はできるだけ冷たく言い放った。
「俺、人待たせてるからまたな」
「人?男か?」
その言葉に、一度黙る。しばらく考えて、導き出した結論を言わんと口を開いた。
「男って言うか…」
「おい」
不意に手元が暗くなったと思ったら、すぐ背後に人の気配。あととんでもない量の殺気。そこに居たのは予想通り、機嫌は最悪と言った面持ちのジュード。怒りを隠そうともせず彼は言う。
「まだか?」
ジュードが耳を倒す。鼻の上に皺を作って、ウゥーと威嚇してくる。俺は慌てて彼に言う。
「わ、悪かったって。あと焼おにぎり(醤油)もあるから、店出たら…」
「おい。獣人じゃねえか」
俺が言い終わる前に、ジョスが反応した。ジュードを指差しながら、馬鹿にしたように口を開く。
「トーリ、俺よりもこいつが良いってマジで言ってんのか?しかも見たとこどっちつかずの半分野郎だ」
「あ?」
その煽りに、ジュードが一歩前に出た。店の奥にいたジョスの仲間も反応し、こちらに来ようとしている。俺はこの後の展開を察し、慌てて二人の間に入る。
「お、おい、やめ、」
「いいぜ。暇だったんだよ。ぶっ殺してやる」
ジュードは指を鳴らしてジョスの前へ進む。ジョスも簡単に引くような男ではない。
「オイオイ。それはこっちの台詞だろ」
「ちょ、ま、ここ店、」
ガタイのいい男共を前に俺の体はあっさり退けられ、あれよあれよと言う間にその場で乱闘騒ぎが始まる。
「……」
悲鳴が上がり、机やら食器やらが宙に舞う。
「男って言うか、犬だな…」
デカイ男共が吹き飛んでいく様を見ながら、このお店は出禁だろうなと、俺はお気に入りの珈琲豆とのお別れにそっと涙した。
「ふおお…」
俺の前にはかつてないほど充実した食糧庫。感動でうち震える俺の元に、ぶっきらぼうな声は落ちてくる。
「腹へった。飯」
「はいはい」
地下から上がり、食卓の準備をする。
本日の夕飯は新鮮なお肉を使ったてりやきハンバーガー。ジュードの分は俺よりも二回り大きい。脇にあげたてのポテトも添えた。
「何せ今日は頑張ってくれたからな。お前が手で食べられるようにってこれにしたんだ」
そりゃ俺の家にいる以上は食器ぐらいは使えるようになってほしいが、何より美味しく食べられるのが一番。今夜ぐらいはうるさく言わなくていいように考案したメニューだ。
「マスターもあいつらの居座りに困り果ててたみたいで意外と許してもらえたし、荷物は全部無事だったしいいか」
あの後店は大騒ぎに陥ったが、喧嘩なれした男達を怪我一つせず全員叩きのめしたのは流石と言うかやりすぎと言うか、喧嘩馬鹿以外のなにものでもない。俺の焼おにぎり(塩)が無ければ、とどめすら刺してただろう。
そしてジョス一派は俺の想像以上に厄介者だったらしい。店内で暴れたことも一度ではないが、その狂暴性から追い出せなかったとのこと。俺とジュードが寄る店と分かればあいつらが来なくなると判断したマスターは、俺達を選んでくれた。
「まあ、あいつらかジュードだったら究極の二択だけど、来る頻度の問題だろうな…」
気弱な人だと思っていたが案外強かな人物だったらしい。店の弁償代は気絶したあいつらから抜き取っていたし。
俺としてもジョスよりも厄介な奴が何故か一緒に住んでいる点や食費とのことなど心配事は多いが、今は満たされた保管庫に対する期待が勝つ。
「あ~どうしようかな。ステーキに焼き肉、牛丼はもちろんやるとして…ちょっと時間かかるけど、生ハムにチャレンジするのも…!」
構想を練る。俺は満面の笑みで向かいのジュードに言う。
「ジュード!今日はありがとう。これなら置いてやってもいいぞ!」
そこまで言って、はたと気づき慌てて付け足す。
「あ!喧嘩は二度としないって誓えよ!あと食器!使えるようになるんだぞ!」
たぶん無駄であろう忠告もしておく。
「…そうか」
ジュードの表情は変わらない。口元と手元をてりやきソースまみれにしながら、がつがつと大きなハンバーガーに食い付いている。けれど視界の隅に一瞬だけ。ぶんと横に大きく揺れた尻尾が映った。
(おいしいんだな…)
さて。それからしばらくして、バラデュールを中心に未確認生物の目撃情報が出回ることになる。それがペガサスの翼を持つ仔ロバであるとの噂に、諦めないことの大切さを説かれたような気がした。
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